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青春ユニゾン  作者: せんこう
高校一年生・夏編
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七ノ序 「初めてのミニコンサート」

 夏服になっても、暑いものは暑い。

 今年は空梅雨なのか、雨が少なくて湿気は少ないけれど、その分日差しがきつかった。

 音楽室の窓を全開にしていても、ぬるい風が時折入るだけで、汗が止まらない。


 午前十時。ミニコンサート前の最後の合わせを終えて、丘が部員を見回した。


「短い練習期間で、よく仕上げました。合奏の回数は片手で数えるほどだった中、パート練や個人練、ペア練で皆さんがどれだけ真剣に取り組んだかが分かる演奏です。今日のミニコンサート、必ず成功させましょう」


 部員の息の揃った返事。丘が頷いて、視線を向けてきた。


「橋本」


 どきりとした。


「は、はいっ」 

「ソロは、ばっちりですか?」

「は、あ、はい」

「私もそう思います。自信を持って吹きなさい」


 何を言って良いか分からず、黙って頷いた。丘も頷き返してきて、それで出発となった。

 近くのデイホームなので、全員で楽器を持って徒歩で向かう。打楽器や大きい楽器だけは、丘と副顧問の佐原涼子の車に積んで行く。


 今日のために、万里はソロを何度も練習してきた。

 短いソロでも、万里にとっては大役だ。人前で吹くこと自体も今回が初めてで、不安は大きい。


 人に聴かせることに慣れろとコウキに言われてきた。当日緊張で吹けなくならないで済むようにと。

 それで今日まで、コウキの提案で、部員一人一人の前で吹いた。毎日、違う部員の前で吹き、感想を貰うのだ。時には丘の前でも吹いたし、通りすがりの生徒や教師にも聞いてもらった。


 はじめは、緊張で音が震えたり、間違えたりした。コウキはそれで良いと言い続けた。間違っても、自分が吹きたいように吹く。目の前の聴く人に伝えようとする。それが一番大事だ、と教えられた。


 様々な感想を貰った。好意的なものから、心に突き刺さるようなものまで。その全てをコウキと一緒に反省して、ソロに活かした。

 人前で吹いた回数が何回か分からなくなった頃には、あまり緊張しなくなった。


「大丈夫そうだね」

 

 デイホームに向かう途中で、コウキが笑いかけてきた。頷いて、笑い返した。


「コウキ君が、ずっとついててくれたおかげだよ」

「そうかな。俺は、橋本さんなら絶対吹けるようになると思ってた。橋本さんの力さ」


 恥ずかしくなって、下を向いた。

 この高校に入学した当初は、自分が人前で楽器を吹くようになることも、吹奏楽に夢中になることも、そして、コウキを好きになることも、全く想像していなかった。

 何かに一生懸命になってみたい。その気持ちから、吹奏楽部に入部した。今、それは正しい選択だったと心から思える。


「コウキ君」

「何?」

「私、今日のソロ、頑張る」


 にこりと、コウキが微笑んだ。


 前方を、まこと修と逸乃が歩いている。逸乃が修をいじったらしく、まこが笑って、修が肩を落とす。修は、すっかりいじられキャラとしてパート内で定着していた。


「あの三人、なんだかんだ仲良いよな」

 

 コウキが言った。


「そうだね」


 人と上手く話せない万里も、パートの人とはそれなりに話せた。演奏の時も、四人は頼りになる。

 だから、今日も不安はあっても、やれそうな気はしている。


 十五分ほど歩いて、デイホームに着いた。職員が出迎え、談話室に案内される。こじんまりとしているが、キツキツに詰めれば全員並べられそうな横幅の部屋だ。

 客席は用意されているが、部員用の椅子は無く、立ったまま演奏する。


「では、配置を確認しておきましょう」

 

 丘の指示で、いつもの合奏の形を作る。

 狭い、と万里は思った。

 隣のコウキと修と、肩が触れそうな位置だ。


「緊張するねえ!」

 

 右隣の修が、ぐいと顔を近づけてきたので、思わず苦い顔を浮かべた。


「ちょいちょい、万里ちゃん、そんな顔しないでよ」

「濃い顔……近づけないでください」

「またまたぁ。万里ちゃん俺にだけキツイんだから」

「修、静かにして」

「あ、はい……」


 まこに睨まれて、修がしゅんとした。

 万里は、修以外にこんな態度は取れない。修の人柄も、あるのかもしれない。どんな言葉も、修は笑いに変える。パートのムードメーカーでもあった。


 配置の確認が済んだ後は、全員楽器を準備し、丘の指示で、チューニングを合わせた。

 狭い部屋だけに、普通に吹いても大音量に聴こえる。音量のバランスを取りながら、音を合わせていく。


 今日までの合奏では、部屋の広さに合わせて、音量を抑えて吹く練習を重ねてきた。

 いつものフォルテは、ここではフォルテッシモよりも大きいだろう。うるさすぎては、落ち着いて聴いてもらえない。だからといって、静かになりすぎたり、弱々しくても良くない。

 その加減が難しく、初心者の万里には難しい注文だった。


 左隣のコウキを見る。すぐに気づいて、優しい笑顔で頷いてくる。身長差で、少しだけ見上げる形になる。

 いつものように、コウキが隣にいる。それが、心強い。

 深く息を吸って、ゆっくりと吐いた。コンサートが、始まる。


 施設の利用者、その家族、職員。全部で四十人ほどの客。それでも、万里にとっては多い。


「皆さん、こんにちは。花田高校吹奏楽部です。私は、顧問の丘」

 

 丘の挨拶が始まった。ぱらぱらと拍手が起きる。


「今日はお招きいただき、ありがとうございます。早速、一曲目をお届けします」


 礼をして、丘が振り返った。指揮棒が上がる。楽器を構える。合図で、演奏が始まった。

 最初は、ジャパニーズ・グラフィティⅤだ。昭和五十年代の、日本レコード大賞の曲をメドレーにしたもので、今回の客の大半が年配の人だからということで選ばれた。


 メドレーの一曲目は、サックスの正孝の渋いソロから始まる。終わりに逸乃のソロが入って、もう一度正孝のソロ。

 それで、二曲目に流れる。一曲目の情緒豊かなメロディから打って変わって、二曲目はノリの良いリズムが特徴だ。

 

 客の身体が、揺れ出しているのが見えた。笑顔になっている人もいる。 

 メドレーは三曲目へ移り、丘が客席に向かって手拍子をした。つられて、手拍子が鳴り出す。

 

 不思議と、万里には会場の様子がよく見えた。落ち着いて見渡せる。演奏にも、集中出来ている。

 ふと、一人のおばあさんと、目が合った気がした。


 四曲目。しっとりとしたアンサンブル。そこから、激しい曲調へ。

 曲が終わって、客席からの拍手。反応はとても良い。隣のコウキを見た。親指を立ててくる。頷き返して、前を向いた。

 晴子が前に出た。


「皆さん、手拍子ありがとうございました。一曲目は『ジャパニーズ・グラフィティⅤ』。昭和の懐かしソングをメドレーでお送りしました。今日は思わず身体を動かしたくなるような楽しい曲を四曲ご用意しましたので、手拍子も良し、歌うも良し、踊っても良し、自由なスタイルでお聴きください!」


 『ジャパニーズ・グラフィティⅤ』の次は、ちょっと前に流行ったドラマの主題歌だ。タイトルを晴子が読み上げると、歓喜の声が上がった。


「それでは、お聴きください」


 再び、丘の指揮棒が上がる。

 動きをよく見れている、と万里は思った。

 もっと緊張して、何を吹いているのか分からないような状態になってしまうと思っていた。けれど、そんなことはなかった。


 この会場の和やかな空気も、万里を落ち着かせてくれているのかもしれない。聴く人の顔も、審査をするぞ、批評をするぞ、という顔ではなく、純粋に楽しんで聴いてくれている。そんな感じのする表情だ。

 

 二曲目も盛り上がって終わり、ついに三曲目の『川の流れのように』。万里のソロがある曲だ。

 修が、肩を叩いてきた。万里は、頷く。逸乃とまこが、笑いかけてくる。コウキが、万里を見ている。


 大丈夫だ。頑張って来た。やれる。

 万里は、大きく息を吸った。丘が、見つめてきた。頷いて、トランペットを構えた。


 指揮棒が、振られた。

 ソロ。前に立つホルンやサックス、クラリネットの人達が、少ししゃがんだ。それで、視界が通った。

 丘の指揮を視界の端に入れつつ、客席を見る。コウキに言われ続けてきた。客は万里を見ているから、万里も客を見ろと。


 たった数小節。それでも、万里はその瞬間、バンドの中の主役だった。

 夢中で吹き終えて、頭を下げると、客席に座る人達が拍手をくれた。

 『ジャパニーズ・グラフティⅤ』の時に目が合った気がしたおばあさんは、万里のほうを見て、満面の笑みになっている。

 

 身体の中が、熱かった。頬が、上気しているかもしれない。心臓は、大きな音を立てている。

 曲は順調に進み、終盤へと向かっている。

 流れるようなメロディ。ゆっくりと、静まり、そして終わった。

 

 拍手が、随分と大きく聞こえた気がした。


「川の流れのようにはねえ、私大好きなんですよ!」

 

 客の一人が大きな声で言って、笑い声が上がった。そうだそうだ、という声も上がった。


「皆さん、ありがとうございます。喜んでいただけてとても嬉しいです。この曲を選んで良かったなぁと思います。今回の曲は、全て私達部員が選び、丘先生と相談して決めました。日本を代表する名曲を演奏できて、私たちも楽しかったです」


 晴子の司会は、滑らかだった。

 この日に向けて、何度も練習していたのを、万里も見ていた。


「いよいよ次で最後なのですが、ここでお知らせさせてください。私達は、もっと沢山のお客さんに演奏を聴いてほしい。もっと沢山の舞台に立ちたい。そう思って、これから先、毎月一回は、地域のどこかでコンサートを開く予定でいます。七月には、市民プールでのコンサートがあります。皆さん、是非来月以降も私達のコンサートにお越しください!」


 晴子が頭を下げると、客席から、行きたいねえ、行くよ、と声が上がった。


「ありがとうございます、お待ちしています。実は、初心者の子たちにとっては、今日が初舞台でした。皆さんの温かい雰囲気のおかげで、リラックスして吹けていたと思います。良い舞台にさせていただき、本当にありがとうございました」


 全員で、ありがとうございました、と言って頭を下げる。

 また、客席から拍手が起きた。


「それでは、最後の曲です。『アルセナール』! 吹奏楽らしい、華やかなコンサートマーチをご堪能ください!」


 間髪入れず、丘の指揮。

 輝くような明るくて済んだ音が、バンドから放たれた。爽やかな曲調を印象付ける導入部。

 静まって、打楽器のリズムに合わせ、木管の柔らかなメロディが流れる。前半は、シンプルで明快なメロディが三度繰り返され、メロディを重ねるごとに、パートが増えて厚みを増していく。

 そして、中間部であり行進曲の魅力の一つでもあるトリオ部分で、歌うようなフレーズが会場を包み込む。ここは、万里も好きな箇所だった。

 そして、ラストへ。全員での総奏。四度目のメロディ。


 最後の一音が、空間へ放たれ、響きながら消えていった。

 万里の、初めての舞台が終わった。

 満場の拍手。全員で、礼をする。


 今日、拍手を貰うのは何度目だろう、と万里は思った。

 こうして人から拍手される体験は、初めてだった。

 気持ちが、高揚している。


「どうだった?」


 隣のコウキがそっと耳打ちしてきた。


「最高だった」

「良い笑顔だね」

 

 自分では見えないが、そんなに笑っているのだろうか。


「万里ちゃん、ソロ良かったよ」

 

 まこが笑いかけてくる。

 夢中だった。三十分程度の短い時間が、長いようにもあっという間にも感じた。コウキに言った通り、最高の時間だった。


「ちょっと、あなた」


 ミニコンサートが終わって、楽器を仕舞い、立ち去ろうとしていたところで、おばあさんに声をかけられた。目が合った人だ。


「あなたのトランペット、すっごく良かったわよ。私の孫もね、トランペット吹いてるの。あなたと同じくらいの歳でね。孫も上手だけど、あなたも上手だったわ。また楽しみにしてるから、頑張ってね」

「は、はいっ、ありがとうございます!」

 

 思い切り、頭を下げた。おばあさんが、にこにこと笑っている。心が、言い表せないような不思議な感覚で満たされた。初めての感覚だった。

 胸を抑えながらデイホームを出ると、パートの四人が待っていた。逸乃が近づいて、頭を撫でてくる。


「褒められてたね、良かったじゃん!」


 聴く人に、伝える。届ける。聴かせる。

 頭では分かっていても、それが実際にどういう意味を持つのか、本当のところは万里には理解できていなかった。

 今日のミニコンサートで、近い距離で聴く人達と接した。そして、少なくともあのおばあさんには、万里の演奏が届いた。

 

 万里の中で、人前で吹くということの意味が、何となくだが理解出来た気がした。


「楽しかった?」


 逸乃が言った。


「はい、凄く」

「そっか、なら大成功だね。ね、コウキ君」

「ですね。良かった。これから、もっと沢山本番あるよ、橋本さん」

「うん、楽しみ」

「万里ちゃん、今日の本番で一皮剥けたんじゃないのぉ~?」

「何すか修先輩、その気持ち悪い言い方」

「気持ち悪いって言うなよ!」

「いや、キモイでしょ。一皮って。ヤバ」


 まこの冷たい声。


「君達ねぇ……」


 笑い声が上がる。万里も笑っていた。 

 大分先に行ったところから、晴子が、早く来い、と手招きして呼んでいる。他の部員達から離されていた。

 追いつくために、皆で走りだした。


 デイホームでのコンサートは、成功だった。けれど、これで終わりではない。

 学校に戻ったら、今度はコンクールの練習である。

 時間は止まらない。舞台は一つ過ぎれば、すぐ次が来る。


 万里は、早く戻って吹きたい、と心から思った。

 この興奮を、今すぐ音にしたかった。

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