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青春ユニゾン  作者: せんこう
高校一年生・春編
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番外三 「かつての仲間」

 安川高校吹奏楽部は、尋常な部ではなかった。

 部員数は三学年合わせて百五十人近い。入部してすぐに様々なテストを受けて、コンクールチームとマーチングチームに分けられる。

 それぞれのチームにはメンバー、補欠、練習生の三つがあって、全員が舞台に立てるメンバーを目指している。

 練習生は一年生で技術的に足りていない部員だけが振り分けられるもので、メンバーになるには、まず補欠になることだった。


 安川高校で常にメンバーでいられるのはよほど上手い人だけで、少しでも気持ちを緩めたら、即メンバーから外される。再度メンバーになるのは、かなり難しい。他の人も死に物狂いでメンバーを目指しているからだ。

 部員同士の競り合いが、半端ではない。

 

 橘萌はマーチングチームで、まだ練習生だった。日々、ついていくので精一杯てある。

 チューバパートだけでも十人いる。そして、皆、萌より上手い。

 

 全員がライバル。常に上を目指す。

 それが安川高校では当たり前だった。

 その気持ちが無い部員は、入部してもすぐに辞めていくらしい。実際、同期ですでに十人ほど辞めていた。

 

 そんな部でも不思議と部員同士の対立は無く、互いに認め合いながらやっている。

 これだけ競り合っていると喧嘩や蹴落とし合いがありそうなものなのに、そういう様子は無い。


 部には絶対の掟と呼ばれるものがいくつかある。


 自分が立っているその舞台は、立てずに涙を流した仲間が見ている。だからメンバーは、メンバーになれなかった全ての部員の気持ちを背負って舞台に立つ。

 この気持ちを絶対に忘れるな、という掟。


 他を蹴落としてまでメンバーになって奏でる音に、真実は無い。蹴落としてメンバーになるのではなく、高め合ってメンバーを目指す。高め合うから、そこには自分だけでなく競り合った相手の想いも加わる。

 互いが互いの音を作っていることを、絶対に忘れるな、という掟。


 そうした様々な掟が部員の心に染みこんでいるから、対立も起きないのだろう

 安川高校のサウンドは優しく澄んでいて、それでいて力強く豊かな音がする。

 萌はこのバンドの音が、好きになっていた。

 

 今日はコンクールチームはメンバーだけでなく補欠も練習生も全員フレッシュコンクールに出向いている。

 萌の所属するマーチングチームは学校に残り、夏のマーチングの大会に向けて猛練習していた。


 萌にとってマーチングは、初めて体験するものだった。

 コンクールのように座って演奏するのではなく、曲を吹きながら行進するのだ。隊列を組んで歩き、陣形を変えながら、演奏と動きで魅せる。


 バンドの一員として動いていると、自分の場所からは、今全体がどんな風に変化して見えているのか、全くわからない。

 全員が自分の動きを正確に行う。それで、全体が一体化した見事な演技が生まれる。

 吹奏楽のもう一つの魅力と言っても良いほど、マーチングには吹く人も見る人も引きつけるものがある。


 萌はマーチングチームになったことで、チューバではなくスーザフォンという、移動しながらの演奏に向いた楽器を使っていた。

 行進しながらチューバは吹けない。だから、スーザフォンだ。チューバと同じように低音部を担う楽器だが、他の楽器と一緒に激しく動く。


 まだ、歩きながら上手く音を出せない。どうしても身体の振動のせいで音が震えてしまったり、途切れたりしてしまう。

 だから、ひたすら身体を揺らさない歩き方の訓練をさせられていた。


 五メートルの距離を決められた歩幅で、上半身を揺らさずに歩けるようにする。

 ターンや、後進、足踏み。基本の動きだけでも難しい。スーザフォンは金属ではないといっても、重いのだ。

 スーザフォンを持たない状態で歩いていても難しいのに、楽器を持ったら、より一層困難になる。

 とにかく、身体に、頭に、叩き込むしかない。


「橘さん、休んでる暇ないよ!」

 

 上級生の叱る声。

 すでに三十分以上歩き続けていた。腕を上げたまま、美しい姿勢を保って行進する。並大抵の疲れではない。


 座奏のコンクール同様、マーチングの大会も出られる人数は決まっている。メンバーに選ばれないと、補欠や練習生のまま三年間が終わってしまう。

 本来マーチングに定員は無いから出ようと思えばマーチングチームの全員が出られる。けれど、顧問の鬼頭は、マーチングチームも人数を絞って精鋭での演技にこだわっていた。


 萌も舞台に立ちたい。練習生や補欠のまま、終わりたくない。

 精鋭の一人に、なりたい。


 震える膝を叩いて、もう一度姿勢を整えた。諦めたら、絶対にメンバーにはなれなくなる。

 この学校を選んだ時から分かっていた。中学ほど、ぬるくはないと。


 中学の吹奏楽部も好きだった。最高の仲間達だった。

 けれど、高校では本気で上を目指したいという気持ちが萌の中に生まれた。たとえメンバーになれず泣くことになるかもしれなくても、もっと上に行きたいと思った。

 そのために、吹奏楽の強豪である安川高校を選んだ。

 学力的にも、挑戦し甲斐のあるところだった。


 マーチングチームに配属されたのは、予想外だった。コンクールチームを目指すつもりで入部したのだ。

 思うところはあった。ただ、今はマーチングで良かったと思っている。

 身体を動かしながら演奏し、全員で一糸乱れぬ完璧な演技を作り出す。それが、萌には合っていた。


 メンバーに選ばれなかったら、体育祭や依頼演奏の時以外に舞台に立てることはない。もしなれなかったらを考えると、怖くて眠れなくなる時もある。

 今、萌は一番メンバーから遠い人間だ。

 

 それでも、ここを選んだ。ここで、上を目指す。そう決めた以上、萌は、諦めるつもりはなかった。

 今は一番下手でも、絶対にメンバーに選ばれてみせる。その気持ちは、本物だ。


 コンクールチームになった陽介は、どうしているだろうか。

 まだ、陽介も練習生だ。


 二人で、メンバーになろうと約束した。

 中学からここへ来たのは、萌と陽介の二人だけだった。だからか、部員の中でも陽介とは一番よく話す。慣れた人がいるだけで、安心できた。


 きっと、陽介もコンクールメンバーの演奏を見て、悔しいと思っているはずだ。吹きたいと思っているに違いない。

 萌は、今この瞬間も練習していられる。だから、手を抜けない。

 与えられた時間を、絶対に無駄にしない。

 

 


 


 




 安川高校の出番だ。

 陽介は、ホールの入り口のドアマンを担当していた。

 やることは簡単で、演奏が終わると扉をあけて、人の入れ替えを促す。次の学校の演奏の前に扉を閉めて、入退場を締め切る。それだけだ。


 フレッシュコンクールでは、こうやって各学校の生徒が交代で仕事を受けもって運営を回している。

 部員数の多い安川高校は、毎年なにかしらの仕事を回されているらしい。


 ドアを閉めて、脇の椅子に座った。

 まだ、陽介は練習生だ。コンクールチームにはなれたものの、メンバーへの道は遠い。補欠にならないと、そもそもメンバーになる資格が無い。


 光り輝く舞台上に、コンクールメンバーが座っている。自信に満ちた、落ち着きを感じさせるかすかな笑み。 

 本番の緊張すら、コンクールメンバーにとっては力になるのだろうか。


 顧問が構え、演奏が始まった。

 最初の一音で、もう、今日聴いたどの学校とも次元が違うと分かる。

 架空の伝説のための前奏曲。今年選んだ課題曲だ。

 

 空気が、一瞬で変わった。音が、聴く人の心をつかんだことが、陽介には分かった。

 あそこにいるメンバーと自分を比べたら、プロと初心者くらいのレベルの差があるのではないかと思えてくる。


 トランペットの先輩のソロは、どうやったらこんなに上手い演奏になるのだ、というようなレベルで。

 クラリネットの人たちの音の正確さには、腰を抜かしたくなる。


 まだ、届かない。今の陽介では、あの舞台に立てない。圧倒的な差がある。

 拳を握る力が、強くなっていた。


 中学では、クラリネットでトップを担当していた。腕には、少しは自信があった。

 それなのに、安川高校では下から数えたほうが早いくらいのレベルだった。

 上手い同期には、もう補欠になっている人もいる。


 自信などというものは、入部して一週間もすれば砕け散っていた。そんなもの、持っている自分が恥ずかしくなった。

 今は、追いかける側だ。


 すぐには無理でも、絶対に乗ってみせる。

 まずは、補欠組に入ってみせる。コンクールメンバーは、ぎりぎりまで変わる。補欠組と、どんどん入れ替わる。

 その時に、チャンスをものにする。


 そのためには今この時間すらも楽器を吹きたい、と陽介は思った。今は少しでも多く、練習に使いたい。

 鬼頭先生には、聴くのも仕事だと言われた。だが、胸の中の焦りが大きく成るばかりだった。


 萌と、メンバーになろうと約束した。互いにチームは違っても、目指す場所は同じだ。

 萌は、中学の時以上に真剣に練習に取り組んでいた。気迫が違う。あの様子なら、いずれメンバーに上がっていくだろう。萌以上に努力している同期のチューバは、いない。

 萌が舞台で輝き、陽介だけが舞台の外にいるなんて未来は、絶対に嫌だ。


 中学からここへ来たのは、萌と陽介の二人だけだった。自然と、距離が近くなった。いつのまにか、好きになっていた。

 だが、そんな気持ちにうつつを抜かしていたら、絶対にメンバーにはなれない。恋愛に時間を費やしていられるほど、ここは甘い場所ではない。


 二人とも、それぞれの場所で、舞台に立つ。最後まで、立ち続ける。

 それが叶うまで、この気持ちを伝えることはない。


 早く楽器が吹きたい。今すぐ、吹きたい。

 もっと、上手くなりたい。


 想いは強くなる一方だった。

 握り過ぎたのか、拳が固くなっていて、手のひらに爪の後がついていた。

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