番外二 「始まったばかり・ニ」
「コウキ、華が会いたいって言ってたけど、今日うち来ない?」
「華ちゃんが?」
「うん。メールじゃなくて直接話聴きたいんだって」
朝、登校時に智美に言われた。
「良いけど、遅い時間で迷惑じゃない?」
「ううん。お母さんもご飯食べていきなって言ってた」
「ん~、なら構わないけど、何の話だろ?」
「わかんない。最近ずっと考え事してるみたいだよ。私は部屋が静かでありがたいけど」
「はは。おっけー。じゃあ、行くって伝えて」
「わかった」
華とは毎日メールをしている。卒業してからずっとだ。
音楽のこと、指導の仕方、トランペットパートのこと。次から次へと、疑問に思ったことや悩みを投げかけてくる。
だから、コウキも毎日真剣に返事をしていた。
フレッシュコンサートの後から返事が来なくなっていたが、何かあったのかもしれない。
いつも通り夕練が終わり、自主練習も最後まで残った後、智美と一緒に家に向かった。
智美の家は、ごく普通の一軒家だった。
「お邪魔します」
母親と父親がリビングにいたので、挨拶をした。
「いらっしゃい。いつも華と智美がお世話になってます」
母親が丁寧に頭を下げてくる。綺麗で、若く見える人だ。まだ四十歳前後だろうか。
智美と華と、よく似ている。
「そんな、僕が助けてもらってることの方が多いんで」
「話には聞いてたのよ。華はともかく、智美までいつもコウキ君の話ばっかりなの。会えて良かったわ」
「ちょっと! 変な事言わないでよ、お母さん!」
珍しく智美が顔を赤らめて必死になるのを見て、笑ってしまった。
「わーらーうーなっ」
「ごめんごめん。智美が俺の事からかってくるのは、お母さん譲りなんだなと思って」
「何それ、違うし!」
ムキになる智美をあしらっていると、ドタドタと足音が聞こえて、扉が勢いよく開かれた。華が満面の笑みを浮かべて飛び出してくる。
「先輩! お久しぶりです!」
「おー、華ちゃん久しぶり!」
華とハイタッチする。直接会うのは、卒業前に部活の見学に行った時以来だ。何かあって落ちこんだりしているのかと思ったが、いつも通りの様子に見える。
部屋着なのか、丈の短いショートパンツに薄手のティーシャツという恰好だった。
「ご飯用意出来てるから、三人で食べなさい。お母さんとお父さんはもう食べたから」
「はーい」
促されて、テーブルについた。智美は着替えに部屋へ向かった。
「で、華ちゃん、話があるって聞いたけど」
尋ねると、華は顔を曇らせて頷いた。
「先輩からメールで言われた、練習が常に同じであることの意味が、考えても分からないんです。なんで同じじゃなきゃいけないんだろうって。それで考えてたら、私は自分の練習って、いつも固定メニューでやってないなぁって思って」
「うん」
「常に同じである意味って、何なんでしょう?」
話とは、その事だったのか。
「……多分、華ちゃんの中で答えは出てるでしょ」
「え?」
「意味は無い、と思ってるんじゃないの?」
はっとした顔を華がした。それから、口元に手をあてて、考え込むように黙った。
バンドや人によっては、毎日定められた練習をすることで、演奏の安定感を養うのと同時に精神的な安定も得ようとするという人もいるだろう。
逆に、固定練習ではマンネリ化してやる気も落ち、効率の悪い練習になるという人もいるはずだ。
どちらが良い悪いではなく、その人そのバンドに合った練習をすることが大切なのだ。
おそらく、今の東中の吹奏楽部は、後者なのだろう。はっきりとではなくても、華もそれを感じるからこそ、こうして考え込んでいるのではないか。
「そうかも、しれません」
華が言った。
「効果の無い練習をしていても、決して上手くはならないよ。それが華ちゃんの中で分かったのなら、変える必要があると思う。どんなメニューが良いのかは一概には言えないから難しいけど、分からないから今までと同じ練習をしておこうっていうのは、違うと思う」
「でも、練習メニューを決めるのは先生です」
「先生には、意見を言っちゃいけないの?」
「……聞いてくれるんでしょうか」
「先生は悪い人じゃないし、生徒の話を聞かない人でもないよ。ちゃんと理由を含めて話せば、耳を傾けてくれると思うけど」
着替えた智美が入ってきた。そのままキッチンに向かい、白い湯気を放つ皿が乗ったトレーを運んでくる。
日本風のごろごろとした野菜の入ったカレーだ。
「お~っ、俺カレー大好きです!」
「智美から聞いてたから。今日は絶対カレーにしてねって」
母親の答える声が聞こえた。
「ちょっ、だーかーら! そういうこと言わないでって!」
「なーんでよ。本当のことじゃない」
また、智美が顔を赤くしている。
リビングが笑い声で包まれた。
カレーはかなり辛めで、コウキの好みにぴったりだった。カレーは辛くなくては意味が無いとすら思っている。
「コウキ君のだけ唐辛子足したの」
「いや~最高です」
おかわりも二回してしまった。
デザートにコーヒーゼリーまで出てきて、大満足だった。
「先輩は、今の東中に必要な練習って何だと思いますか?」
食後に華に聞かれた。
腕を組んで思案する。
「……俺は卒業してから見に行ってないから、正しいことは答えられないな。それに、それを考えるのは華ちゃんの仕事だね。人に聞けば、皆何かしら答えをくれると思う。でも、最後に決めるのは華ちゃんだ。人の答えを求めすぎると、華ちゃんが自分で考える力が伸びないよ。苦しくても頭を使わないと、より良い思考は生まれない」
「……はい」
「何か、いつも話してるコウキより小難しいこと言うね」
それまで黙って隣でお茶を飲んでいた智美が、ぽろっと言った。
「えっ、そうか?」
「コウキ先輩はメールだといっつもこんな感じですよね」
「う、うん」
「へー……」
華と話をする時は、つい教えるというか、語るというような、大人だった時の自分が出てきてしまう。
教えたことを吸収し、どんどん伸びていく華を見るのが嬉しくて、言葉をかけたくなるのだ。
「と、とにかく、華ちゃんは自分のトランペットの練習についてはやるべきことがはっきり見えてるんだよね。なら、考える力はあるってことだよ。あとはバンドだったらどうするかで考えるだけだ」
「理屈ではわかるんですけど、一人で吹く個人メニューとバンドのためのメニューだと、勝手が違うなぁって」
「それで良い。皆で合わせるのが合奏だって考えれば、やるべきことが見えてくるんじゃないか?」
また、華が黙った。
最近、華は考え込むことが増えたと智美は言っていたが、この様子なら悪い事ではないだろう。悩んでいるからというより、真剣に考えているからこそだ。
「もし考えすぎて答えが出ないなら、他校との合同練習とかも企画しても良いかもね」
「合同練習?」
「そう。普段合わせない人と合わせたり、受けない人の指導を受けると、見えてくるものもある。花田高と合同練習とかも面白いかもな。コンクールの課題曲も同じだし」
「面白そう。じゃあ、先生に言ってみます」
「うん。何が良い練習か、部に合っている練習かっていうのは、実際のところやってみないと分からないことも多い。やって駄目なら変えてみれば良い。今のままじゃ駄目だと思っているのに現状維持をするのが、一番最悪だと思う」
「やっぱり、先輩と直接話せてよかったです。メールだと、上手く聞けなくて」
晴れやかな表情をしながら、華が言った。
「俺で良ければいつでも」
「あ、洋子ちゃんも呼べばよかったねー」
携帯をいじっていた智美が言うと、華が頭を抱えるような恰好をして唸った。
「そうだ! 忘れてた……」
「コウキも洋子ちゃんいたほうが良くない?」
「え、いやまあ、うん、そりゃ」
歯切れの悪い返事になってしまった。
洋子に会えるなら、当たり前だ。
にやにやと、二人がこちらを見てくる。
かっと顔が熱くなった。
「そんなの、俺が決めることじゃないだろ」
「洋子ちゃんなら大歓迎だから、いつでも呼んでちょうだい。帰りは送るから」
キッチンで片づけをしていた母親が顔を覗かせて言った。それで、智美と華がまたにやにやとしてくる。
「ほらねー。じゃ次は四人だ」
「洋子ちゃんも喜びますよ! フレッシュコンの日も、先輩に会いたい会いたいばっかり言ってましたし」
「わーお、あっついなー」
智美が手で仰ぐような仕草を見せ、華が口元を手で隠して笑っている。
二人にからかわれて、さらに顔が火照るのを感じた。
「今日は帰るっ」
「えっ!? もっとゆっくりしてってくださいよ!」
「そうだよー、早すぎ」
「いやもう九時過ぎてるから!」
「えっ、もう!?」
壁にかけられた時計は、九時十分を差していた。
二人の父親が見ているテレビに、金曜の九時から始まる洋画が映っている。ちょうど、二人の男女が殺人鬼に殺されるシーンだった。今日はホラー映画らしい。昔、観た映画だった。
ちぇ、と頬を膨らませて、華が立ち上がった。
「じゃあ、また誘って良いですか?」
「俺は構わないけど……迷惑じゃないですか?」
母親に問いかけると、にこにこしたまま母親は首を振った。
「コウキ君が来ると二人がよく喋るから、大歓迎。いつでも来て」
「やった!」
華が飛び上がった。
「別に、いつもだって喋ってるし」
「あら、智美はいっつもそんなに上機嫌じゃないと思うけど?」
「な、別に上機嫌じゃないし!」
ばんっと智美が机を叩いた。
普段、人をからかってばかりの智美が、母親の前では逆の立場だ。やはり、この母親にしてこの娘あり、という感じがする。
母親と父親に礼を言って、玄関から出た。
「じゃあ、今日はありがとう、ごちそうさまでした」
見送りに来てくれた華と智美が、手を振ってくる。
「明日からも頑張ろうね」
「ああ。また六時に」
「おっけー」
「は~あ、良いなあ、お姉ちゃんはいつも先輩に見てもらえて。ずるい!」
「あんただって去年まで見てもらってたじゃん」
「たーりなーいー」
頬を膨らませながら、華が言った。
家での華の様子は、砕けた感じがして学校で会っていた時と全然違う。学校では大人しくて清楚な印象の子だったが、今は溌剌としている。
これが、華の素なのかもしれない。
「またいつでも話聞くから、頑張ってな華ちゃん」
頭を撫でたら、華が嬉しそうな顔をした。
「約束です」
「ああ」
話せばずっと続けていられる。キリが無いので、それで別れを告げ、見送る二人を背に自転車を走らせた。
華はこれからも伸びる。
今までは自分のことだけを考えていたのが、やっと全体に目を向けるようになったという段階だ。
まだ一年以上の時間が華にはある。
これから先、どんどん華は成長するだろう。
周りを見る、引っ張る。そうしたリーダーとしての行動が、結果的に自分自身も成長させる。
華は単なる奏者で終わるにはもったいないほどの才能がある。
その才能を少しでも伸ばしてほしいし、そのためならいくらでも協力するつもりだ。
まだ華の時間は始まったばかりだ、とコウキは思った。




