六ノ十二 「一年生の中心」
今日も来た、と丘は思った。
最近、毎日のようにコウキが話しに来る。
話す内容は、部の練習内容や運営についてだ。毎日のように、
新しい提案を出してくる。時には、奏馬や正孝とも一緒にやってきた。
新たに取り入れて、効果が出始めているペア練習も、元はコウキの提案だという。
「今日は何についてですか」
「日誌を書いて欲しいんです」
「日誌?」
「部員と先生との交換日誌みたいなものです。一人一冊でもパートで一冊でも良いですけど、出来るだけ多くの生徒と先生がやり取りできるノートが欲しいんです」
「……そのメリットは?」
「部員一人一人が何を考えているのか。それに対して、先生がどう思うのか。さらにそれに対して、部員はどう考えて答えるか。そうやって先生と対話をすることで、部員の考える力が伸びると思うんです。それに、部へ一人一人の考えも反映させやすくなる。先生が全部の日誌を読む時間を考えると、凄く負担が大きくなってしまいますが、今はリーダーの先輩達と先生しか、対話の時間が無いです。役無しの部員も先生と対話する時間が無いと、意思疎通を図れなくて、リーダーとの間で温度差が生じると思います、いや、現に出ている」
コウキの持ってくる提案はどれも、これは、と思うようなもので、中には丘が考えていたものと一致するものもあった。
日誌は、今は各学年の日直とリーダー全員分しか用意していない。
確かに、役に就いていない生徒との、やり取りの機会は少なかった。コウキのように、自ら話しに来る生徒もほとんどいない。
以前、花田高吹奏楽部の前任の顧問であった先生にも、言われたことがあった。
「もっと、生徒と触れ合いなさい。生徒は丘君の言葉を求めているんですよ」
丘の現役時代も、彼は顧問だった。
言われた時は、言葉の意味がいまいち理解出来ず、生返事で済ませた。
「もっと、先生と話したいと思ってる生徒は多いと思います」
先生と同じことを言ってくるこの生徒は、何なのか。
高校生とは思えないほど、次々に提案をしてくる。
リーダーやパートリーダーとの面談でも、コウキの話題は頻繁に上がった。上級生にも物怖じせず意見を言うが、決して衝突しないような話し方らしく、リーダー達もコウキのことを疎んじてはいない。むしろ、一目置いているようでもあった。
一年生の間でも、コウキへの信頼が厚いという。
かつて丘が現役時代だった頃、花田高を全国へと導いた部長も、似たような人だった。
周りがついていくのに必死にならねばならないほど、常に先を見ていた。彼の一言が部員の意気を上げ、彼の一音が部員を鼓舞した。
丘は、コウキの目をじっと見据えた。決して逸らさず、返してくる。意志の強い目。そんなところも、彼に似ている。
「分かりました。検討しましょう。リーダーとも話します」
「! ありがとうございます」
「練習に戻りなさい」
頭を下げて、コウキは職員室を出て行った。
コウキと話していると、自分はまだ手を抜いているところがあるのではないか、と思ってしまうことが丘には度々あった。
現状でも、家族との時間を削って、部に費やしている。それでも、まだ足りないのではないか。そんな気すらしてくる。
妻は、教師になると決めたのだからこども達を第一に考えろ、と言ってくれている。
口ではそう言っても、寂しい思いをしているはずだ。だが、家族との時間を優先すれば、それだけ生徒を教える時間も減る。
椅子にもたれて、職員室の天井を見上げた。
細く長い息を吐いて、机の上のコーヒーを手に取る。一口飲んで、顔をしかめた。
淹れたばかりだったはずのコーヒーは、話し込んでいるうちにぬるくなってしまっていた。
総合学習室の隅の机に集まって、雑談をしていた。
流れでコウキの話になったところだった。
「えー、どこが良いの? 私無理」
「なんで!? カッコいいじゃん。どこが無理なの?」
オーボエの紺野星子が、苦々しい表情を見せる。
「なんか良い恰好しいな感じが無理。裏がありそー」
「はは、無いって。無いない。あれ、素だと思うよ。コウキの」
智美が、笑いながら手を振った。
「嘘でしょ。爽やか系って大体裏があるもんじゃん。てか、じゃあ逆に、幸ちゃんはどこが良いわけ?」
「え、カッコいいとこと、笑顔と、細いとこ」
「全部見た目じゃん」
鼻で笑われて、幸は慌てて首を振った。
「優しいとこも! 面倒見が良いところとか!」
「ふーん」
興味なさげに答えて、星子は携帯をいじりだした。
「絶対どうでも良いと思っているでしょ」
言って、幸は口を尖らせた。
「うん」
「携帯、先輩に見つかったら没収されるよ」
智美が言った。
「隠して、そしたら」
「やーだ」
智美が笑って肩をすくめた。
「そんな言うならさ、星子ちゃんは誰が良いの?」
「私? 吹部内でってこと? いないいない。芋ばっか」
「辛辣だね」
「ほんとのことだもん」
星子は、口が悪い。陰口も平気で言う子だ。それでも、グループを作るのが上手くて、人の中心にいることが多かった。
男の子を芋と言い切るだけあって、容姿は良い。吹奏楽部以外の男の子には、人気もある。ちやほやされる分、自分でも容姿に自信を持っているのかもしれない。
「幸ちゃんだって、三木君以外に選べる男子のキープ、いっぱいでしょ。なんでわざわざ部内恋愛?」
「またその噂? それ誤解だってば」
幸は、なぜか自分が男好きという噂が、一部でされていることを知っていた。中学生の時からだ。
確かに、付き合った男の子の人数は、他の人に比べても多いかもしれない。けれど、幸自身は自分が男好きだと思ったことは無かった。
付き合ったのも、告白されたから受けた人ばかりで、全員長くは続かなかった。
部内でも男好きの噂を知っている人がいたことに驚いた。星子は耳が早いから、クラスで聞きつけたのかもしれない。
もう、今更だった。何度訂正しても、噂は消えなかった。今も、否定してみただけだ。どうせ信じてはもらえない。
自分が好きになった人だけは信じてくれるなら、それで良い、と幸は思っていた。
「何の話してんの?」
コウキが近寄ってきて、輪に入ろうとしてきた。突然現れたことに驚いて、思わず挙動不審になってしまう。
今の話を、聞かれただろうか。
智美が立ちふさがるような形でさりげなく動いて、コウキと向かい合う。
「女子トーク。丘先生との話は終わったの?」
「ああ」
「帰る?」
「もうちょっと練習してく」
「じゃあ、向こう行って。男子は聞いちゃだめ」
「えー、なんだよ……」
智美がしっしっ、と手を振ると、コウキは残念そうな顔をしながら、離れていった。
聞かれていたら、どうしようか。そもそも、コウキはもう噂を知っていたら。
考えたら、急に、不安になった。
「どこがいいんだか。やっぱ分かんないなー。ま、頑張ってー」
携帯を仕舞って星子が立ちあがり、そのまま手を振りながら総合学習室を出て行った。
口は悪くても、星子も最後まで残って自主練習する組だ。実力も、一年生とは思えない程に高い。
それだけに皆、星子に対して強く出られないところがあった。上手い星子に物を言えば、上手くなってから言えば、と言われるのが目に見えているからだ。
女子で遠慮せず対等に会話しているのは、智美だけのように思う。初心者だからこそなのか、智美は星子に対しても思ったことをはっきりと言う。
星子を見送ると、智美が肩を叩いてきた。
「噂とか、気にしないほうがいいよ、さっちゃん」
「うん、ありがと、大丈夫」
「練習、しよっか」
「そだね」
智美が機会を作ってくれたおかげで、今日はコウキと智美と三人で帰る。いつもは家が遠いため、一時間ほどで自主練は切り上げていたから、一緒に帰ることが出来なかったのだ。
やっと、コウキと帰宅出来る。親にも遅くなると伝えてあるから、最後まで練習しても問題ない。
総合学習室の中にも、ちらほらと自主練をしている部員がいる。最近は、自主練に精を出す一年生が多かった。
幸もその一人だ。毎日、少しでも自主練をする癖がついている。
そういう流れを作ったのはコウキだ、と幸は思っていた。
コウキが皆にさりげなく練習を促し、なおかつ一人一人に目を配っているのだ。
初心者が吹いていると、近寄ってアドバイスしたり一緒に吹いて、何か話せば相手を笑顔にさせている。
自然と目で追うようになってから、コウキが、実はかなり部内を動き回っていることに気がついた。同期だけでなく、上級生とも気軽に話している。
星子には上手く言えなかったが、コウキの魅力はそういうところだった。
一日や二日のことではなく、もうずっとそうなのだ。簡単に出来ることではない。あの姿を見ていると、コウキが打算や下心で動いているとは、到底思えない。
今もホルンの桃子の隣で、楽譜を指さしながら何か話している。
コウキを見ていると、胸の辺りがおかしな感じになる。男の子を見てこんな気持ちになるのは、初めてだった。
「ずっとコウキのこと見てるね」
「なっ、見てないし!」
智美がニヤニヤしていた。
慌てて視線を外して、テナーサックスにストラップをつけて構えた。
「恥ずかしがらなくていーのに」
「もうっ、からかわないで!」
顔が熱くなっている。
幸は智美に顔が見えないように横を向き、音を出して誤魔化した。




