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青春ユニゾン  作者: せんこう
高校一年生・春編
66/444

六ノ六 「理想と現実」

「自分の中の理想の音を持つと、上達も早いし、音も綺麗になっていくよ」

 

 音楽プレイヤーを操作しながら、コウキが言った。

 土曜の昼休みで、美術室にいる。弁当を食べた後、楽器を持って二人で話していた。

 

 万里の中には、理想のトランペットの音というものが無かった。

 漠然とトランペットの音のイメージはあるものの、どんな音が良い音なのかと聞かれると、全く分かっていない。

 はっきりとしたイメージがなくては、自分が出そうとしている音がいつまでも形づくれないから、理想の音を見つけると良い、とコウキに言われていた。

 それで、オススメのトランペット奏者の音源を聞かせてもらうことになった。

  

「クラシック系の音が好きな人もいるし、ジャズ系の音が好きな人もいるし、好みは色々だから。オススメされた人は参考程度で、自分が好きだと思える人の音を見つけて理想とすると良いよ」

「三木君は、誰かいるの?」

「んー、俺? 俺は、ティム・モリソンさんかな」

「どんな人?」

「映画音楽とかでもソロ吹いてることがある人。音がさ、全部自然なんだよね。高音でも低音でも、心にすっと入り込んでくるっていうか。この人」


 イヤホンを片方差し出してきた。つけろということらしい。

 男の子とイヤホンを一緒につけるのは、初めてだった。ちらりとコウキを見ると、全く気にしている風もなく、首をかしげている。

 

 仕方なく受け取って、耳につけた。必然的に距離が近くなり、顔が熱くなる。それを悟られないようにしながら、耳に意識を集中させる。


 小さなイヤホンから音が流れ込んできた瞬間、万里はそんな淡い感情など、吹き飛んでいた。

 透明感があるとでも言うのか。

 天上から鳴り響いているかのような澄みきったトランペットの音が、脳に響く。

 どう上手いのかとか、何が凄いのかとかは、一切分からない。ただ、圧倒される音だ。


「片耳じゃもったいないね」

 

 コウキが何か言った気がしたけれど、耳に入ってこなかった。曲に夢中になっていた。

 不意に腕が目の前を横切って、万里のもう片方の耳にもイヤホンをつけられた。コウキが自分の分を外して、万里につけたようだった。

 外の音が遮断され、プレイヤーから発せられる音が頭の中に鳴り響く。


 数分が、あっという間だった。洪水のように、万里のなかを駆け抜けていった。


「どう?」


 イヤホンを外して、コウキに返す。


「……凄かった」

「でしょ?」


 嬉しそうな顔で、コウキが笑った。

 

「この曲をさ、いつかやりたいんだよね」

「すっごく難しくない?」

「難しいね。でも、やってみたくない? トランペット、超カッコイイじゃん」

「かっこよかった。なんていう曲なの?」

「サモン・ザ・ヒーロー」


 万里も、吹いてみたいと思った。しかし、今の技術では、到底吹ける気がしない。


「他にもいろんな奏者の演奏も入れておいたから。時間がある時に聴いてみて」


 そう言って、コウキは音楽プレイヤーを渡してきた。


「え、貸してくれるの?」

「うん。じっくり聴いてみて」

「ありがとう」


 まともにトランペットソロのある曲を聴いたのは、初めてだったような気がする。

 今聞いた演奏よりも、もっと良いものがあるのだろうか。

 もしそうなら、もっと色々聴いてみたい。

 万里は手の中の音楽プレイヤーを眺めて、そんなことを考えた。

 

「じゃ、午後練始まる前に少し練習しよう」

「はい」


 コウキに促され、音楽プレイヤーを机に置いて、楽器を構えた。

 自分の中の音のイメージ。何となく、今聞いたトランペットソロの音を万里は思い浮かべた。










 パートリーダーとして丘に呼ばれたり、リーダー会議に出席したりで、部活後に万里の面倒を見る時間が、なかなか取れないでいた。

 修には万里の面倒は任せられないし、逸乃はオンオフが激しくて、部活が終わったらほんの少し自分の練習をして帰ってしまう。


 万里は、困っているだろう。

 初心者で一人で練習する心細さは、まこにも覚えがある。

 どう吹いたらいいのか分からず、結局無駄な練習に終わってしまうのだ。そうならないよう練習メニューは渡しているものの、それもどう練習すれば良いのか、分からないはずだ。

 万里のことは常に気にはなっているけれど、パートリーダーの仕事をおろそかにすることも出来ず、悩みの種となっている。


 丘はまこを呼び出すと、会話の合間に、頻繁にコウキの様子を聞いてきた。そんなに気になるなら自分で聞けば良いのにと思っても、そんなことは言い出せない。

 丘が部員の事をしつこいくらいに聞いてくるのは、珍しい。今まで、修や逸乃のことで質問を受けたことはあまりなかった。


 もしかしたら、丘も注目しているのかもしれない。

 コウキは、上級生の間でも評判が良かった。誰とでも親し気にするし、毎日朝早くに登校し、夜は最後まで残って練習している。熱心な子だ。

 まこも、コウキのことは一目置いている。

 

 他の子から聞いた話によると、まこがいない間、コウキが万里の面倒を見てくれているらしい。

 中々、良い練習をしているのだという。


 直接確認したことはなかった。

 それで、今はリーダー会議を抜けて様子を見に行くところだった。

 美術室から、二本のトランペットの音が聞こえてくる。音階練習をしているようだ。


 そっと覗いてみると、メトロノームを使わず、二人で呼吸を合わせながら吹いていた。

 コウキが万里の手本になりつつ、ペースを万里に合わせて吹いている。


 時折止めては万里にアドバイスをして、また吹いて。その繰り返しだった。万里が疲れすぎないように配慮しつつ、吹く時間が多くとれるような練習の仕方に思える。

 指示の内容も的確だ。コウキが何かを伝えると、万里が答えようと必死になっているのが分かる。確かに、良い練習をしている。

 

 こちらに背を向けて吹いているので、まこがいる事に、二人は気づいていない。

 音が途切れたところを見計らって、中に入った。


「コウキ君、万里ちゃん」

「あ、お疲れ様です」

「お疲れ様です」

「いつも二人で練習してるの?」

「はい。先輩達は忙しいと思ったので」

「そっか。ありがとね。万里ちゃん、調子はどう?」

「三木君が色々教えてくれるから、チューニングのドの一個上のレまで出るようになりました」

「マジ、すごいすごい! 吹いてみてよ」


 恥ずかしそうにしながら、万里が音を出した。

 まだ音程もずれているし、かすれたようなノイズ混じりではあるものの、ちゃんとCの音が出るようになっている。少し前までは、苦戦していたところだ。


「万里ちゃん、センスあるかもね」

「ですね。飲み込みが早いです」


 二人で褒めたら、万里がうつむいて顔を手で隠した。その様子が可愛くて、思わず頭を撫でた。

 万里は、最初は無表情な子だと思った。打ち解けてきたら、わずかでも変化があることが分かってきた。あまり感情を大きく表現しない子なのだろう。


「なかなか練習を見てあげられなくてごめんね。今は会議抜けて来たから戻らなきゃだけど、空いてる時は絶対見るから。コウキ君、ごめんだけど、よろしくね」

「はい、先輩も頑張ってください」

「ありがとうございました」


 手を振って、教室を出た。


 万里が、あれほど早くCの音を出せるようになるとは、思っていなかった。まこがCを出せるようになったのは、確かトランペットを持ってからひと月くらい経ってからだった。

 それを思うと、順調すぎるくらいの成長速度だ。


 このままコウキに任せておけば良いのではないか、という気すらしてくる。

 ただ、それではコウキ自身の練習時間も削られてしまう。それは良くないだろう。それに、新入生に頼り切りなのもどうかと思う。


 本来なら修や逸乃を動かせると良いのだが、修に任せるのは不安だし、技術的に劣るまこが逸乃に指図をするのも気が引けた。


「まこ、おそーい。すぐ戻ってきて」


 会議が続いている部室に戻ると、晴子に怒られてしまった。


「ごめん」

 

 謝って、隅に座り込んだ。

 最近、パートリーダーも参加する時のリーダー会議は、正直なところ、あまり出る意味を感じていなかった。


 無駄な話が多いのだ。

 そんな話をしている間に、一秒でも練習していた方がずっと良い。

 しかし、そんなことは言い出せず、黙って参加しているしかない。

 誰か、会議の回数を減らそうと言い出してくれないかと期待してしまう。

 

 まこも、自主練習がしたかった。自分が技術的に優れた人間だとは、毛ほども思っていない。

 パートリーダーなのに技術が伴っていないのでは、下の子に自信を持って物を言えない。

 本当なら、上達のために一分一秒でも多く吹いていたい。


 責任感からパートリーダーの仕事を受けたが、こんなことなら、おちゃらけている修にパートリーダーの仕事を押し付けてしまえばよかったか、と思うことも度々だった。

 それはそれで、また別の面で困ることになったかもしれないというのは分かってはいても、考えずにはいられなかった。


 自分がもっと上手ければ、修も逸乃もしっかりついてきてくれるかもしれないのに。

 まこは拳を握しめ、抱えた膝に頭を埋めた。 

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