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青春ユニゾン  作者: せんこう
高校一年生・春編
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六ノ五 「一人じゃない」

 万里は希望通りトランペットに配属され、自分専用の楽器も受け取ってから、数日が経っていた。

 上級生と経験者組は、基礎合奏の後、コンクールで吹く課題曲というものを合わせている。夏に開催される吹奏楽コンクールで、課題曲と自由曲の二曲を演奏するらしい。

 今は、その前哨戦であるフレッシュコンクールに、初心者を除いた部員で出場するために、練習している。


 その間、初心者組は別室で個人練習だった。万里も指示されたメニューを練習しているものの、未だに上手く音は出ない。この調子で、綺麗な音が出せるようになるのだろうか、と思わずにはいられないほどに。

 今さらながら、トランペットを選んだのは無謀だったかもしれない、と心が折れそうになっている。


 興味本位で入部してみたものの、音楽の基礎も全く知らないのに、いきなりトランペットを手渡されて、さあ自分で練習しろと言われても、困る。

 

 周りの初心者も同じ想いなのか、熱心に練習している人は見当たらない。

 ホルンの桃子は不満そうな表情を浮かべながら、楽器は机の上に置いて窓の外をぼんやりと眺めている。クラリネットの三人は、同じパートで意気投合しているようで、はしゃぎながら練習している。サックスの男の子は変な音ばかり出して楽しんでいて、打楽器の男の子は聴いているこちらがイライラしてきそうなほどリズム感がない。あれでよく打楽器に配属されたものだと、万里も初心者なのに思ってしまった。


 監督する者がいないと、初心者はこんなものなのか。

 きっと他の人からすれば万里も同じように見えるのだと思うと、他人にイライラしている場合ではなかった。


 もう一度楽器を構え、規則正しくリズムを刻むメトロノームに合わせて、音を出す。

 プスプスと、音がちぎれる。かすれる。すぐに楽器の構えを解いて、ため息をついた。


 やる気が出ない。音を出した回数よりも、ため息の回数のほうが多いのではないか。

 何をどうすれば上達するのかが、全く分からない。


 クラリネットの三人のように、一緒に練習する人がいれば気持ちも違うのだろうか。

 まだ、そんな友人は出来ていない。


 万里は、本命の高校に落ちて、滑り止めのここへ進学した。そのせいで中学校からの友人ともかなり離れてしまった。

 もともと、熱いタイプの人間ではなかった。中学校では帰宅部で、勉強も人に誇れるほどやっていたわけではなく、趣味と言えるものも無いし、とにかく何をしても中途半端だった。


 受験勉強もやり切ったと言えるほど励みはしなかったから、本命に落ちても仕方が無かった。

 そもそも、本命とか滑り止めとかもどうでも良く、友人が行くから受けるという程度の動機だったのだ。


 何かに夢中になるという経験が今まで無くて、自分でもつまらない人間だという自覚はあった。

 けれど、それで良いと思っていたわけではない。


 予定していた高校ではなかったものの、せっかく新しい環境になったのだから、何か一生懸命やったと言えるものを見つけたかった。

 つまらない人間で、終わりたくなかった。


 それで、部活動に入ろうと思った。

 説明会で、一番興味をそそられたのが吹奏楽部だった。演奏の上手下手は一切分からなかったが、何かが、他の部とは違う気がした。


 ここに混ざれば、自分も変われるのではないか。夢中になれるのではないか。

 そんな漠然とした気持ちが湧いてきて、入部していた。


 トランペットを選んだのは、ただ、知っている楽器だったからだ。

 しかし、これからずっとこの個人練習が続くのかと思うと、もう辞めてしまおうか、と思いたくなってくる。


「万里ちゃん」


 いつの間にか、横にパートリーダーのまこが座っていた。笑顔が間近にあって、思わず身体を引いてしまった。


「ごめん、驚かせた?」

「い、いえ」


 周りの初心者のところにもパートの上級生が様子を見に来たらしく、部屋が賑やかになっていた。

 合奏が、休憩に入ったのだろうか、と万里は思った。

 廊下からも話し声が聞こえてくる。


「どう、練習」

「全然、出来てるのか分かんないです」

「だよね。ごめんね、放置しちゃってて。合奏の時だけは、誰かがそばにいるって出来なくて」

「いえ……」

「何が分かんなかった?」

「……全部、です」


 答えたら、まこも困った表情をした。

 まこは、優しい人ではあるけれどあまり教えるのが上手くない。抽象的というか感覚的というか、曖昧な説明ばかりで、それでは分からないとも言えなくて、いつも、はいと言うしかなかった。 


 すぐ、他人をこうやって評価してしまう自分も、万里は嫌いだった。

 まこの教えが悪いのではなく、自分の理解力が足りないだけなのかもしれないのに。


「合奏終わったら、また一緒に吹こ? それまでつまんないかもしれないけど、我慢してね」

「はい」


 万里の頭を撫でて、まこは教室を出て行った。

 入れ替わるようにして、同期のコウキが入室してくる。トランペットの経験者らしく、万里が聴いていても上手いと思う人だ。誰にでも気さくに話しかけていて、すでに同期の子達と打ち解けている。万里とは性格が正反対な人だ。


「つまんないでしょ」


 そばに来て苦笑いのような表情で言われて、万里はなんと答えて良いか分からず、ただ頷いた。


「あのさ、メトロノームに合わせるの、難しくない?」

「……うん」

「楽器に触れたばかりなのに、いきなりメトロノームに合わせることも考えながら吹いてたら、大変だよな。先輩達は合わせろって言ってたけど、使わなくて良いと思うよ」

「……怒られない?」

 

 言いつけを破って良いのだろうか。

 上級生が言うのだから、間違いないのではないのだろうか。


「俺が勝手に思ってることだから、合ってるか間違ってるかは分かんないけどさ。メトロノームに合わせて正しく吹くことよりも、橋本さんが吹きたいと思うように吹いてみることのほうが、大切だと思うよ。自分なりにやりやすい方法で吹いてるほうが、最初は良いと思う」

「……そうなのかな」

「うん。それに、音出なくて、トランペット難しいって思ってない?」

「……思ってる」

「難しい、上手く吹かなきゃ、正しく吹かなきゃとかって思うと、それだけ身体も心も緊張しちゃうから。音が出なくて当たり前、音が出なくても良いんだ、くらいの気持ちでいて良いんじゃないかな。音が出なくても、息を入れて、ちょっとでも音が出たら、その時の唇や身体の感覚を意識して。さっきより良い音が出たら、またそれを覚えて、それに近づけて。そうやって繰り返していけば、だんだんと上達していけるよ」


 それが真実なのか、万里には判断がつかなかった。

 けれど、練習メニューを渡して、はい頑張ってね、と言ってきた上級生よりは、コウキの言葉は、そうかもしれない、と思えるものがあった。


「意識してみる」

「うぇい」


 急に変な返事をされて、思わず吹き出しそうになった。慌てて、こらえる。


「えっ、何?」

「何でもない」

「何だよ気になるなあ」

「何でもないって」

「ほんとかあ……? 良いけどさあ」


 そう言ってコウキは立ち上がり、離れようとして、もう一度こちらを振り向いた。


「あ、もし分かんないことがあったらさ。下のドの音は出せるよね?」

「? 絶対にではないけど、うん」

「そしたら、その時は、合奏の音が止まってる時に廊下の窓を開けて、出来るだけ大きな音でドの音出してよ」

「なんで?」

「俺も窓開けとくから、それが聞こえたらトイレのふりして来るよ。俺で参考になるか分かんないけどさ、聞きたいことあったら呼んで」

「……分かった」


 軽く手を挙げて、コウキは部屋を出て行った。

 そんな恥ずかしいこと出来るわけない、と突っ込みたくなった。

 けれど、嬉しかった。

 

 個人練習を言い渡されて、一人で吹いていて、つまらなかった。それだけでなく、自分だけ放置されているような気がして、寂しかった。

 呼ぶかどうかは別として、コウキが合奏しながらこちらを気にしてくれていると思うと、それだけで、気持ちが違う。

 忘れられているわけではない、と思える。


 初日から馴れ馴れしくされて苦手なタイプの男の子だけれど、意外と悪い人ではないのかもしれない、と万里は思った。

 腿の上に置いていたトランペットを見下ろす。

 もう少し、頑張ってみよう。

 

 楽器を構えた。メトロノームは、動かさない。

 息を吸って、トランペットへと吹き込んだ。

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