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青春ユニゾン  作者: せんこう
高校一年生・春編
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六ノ四 「たった一人の転向者」

 音楽室に、新入生も上級生も全員集まっている。

 入部から四日が経ち、ついに担当する楽器が発表される時が来た。

 入室した顧問の丘が、指揮台に向かっている。


 桃子は、当然トロンボーンになれるはずだ、と思った。

 小学生の時から、ずっとトロンボーンでやってきた。今更他の楽器をやりたいとも思わない。

 歓迎コンサートにも参加したのだ。ここで他の楽器に移らされるわけがない。そう思いたいが、心臓は跳ねるように音を立てている。


「お待たせしました。この三日間、皆さんの適性を見させていただきました。本来なら、全員に第一希望の楽器を担当させてあげたい。しかし、人には向いている楽器、向いていない楽器があります。また、吹奏楽には編成というものがあります。どこか一つの楽器だけ人が多いなどのちぐはぐな編成では、良い演奏は出来ません。そのため、バランスを考えて第一希望の楽器を担当させてあげられない人もいます。それは、私の方でよく考えての結論です。最初は納得できない事もあるかもしれません。ですが、いずれ続けて良かったと思ってもらえると、信じています。では、発表します」


 丘は、一人ずつ名前を挙げて担当楽器を述べていった。呼ばれた子が、返事をしていく。

 自分の番がいつ来るのか。心臓が口から出そうだ。

 

「前田桃子さん」


 きた。


「ホルン」

「……えっ」


 言われたことが信じられなくて、言葉に詰まった。周りの空気が、凍りついた。

 丘が、見つめてくる。


「前田さんは、ホルンを担当していただきます」

「そ、そんなっ」

「返事を」

「っ……は、い」


 立ち上がりかけた身体を、椅子に戻した。

 丘は、何事も無かったかのように、次の子の名前を呼んでいる。


 ホルン。トロンボーンに、なれなかった。

 呆然として、それ以降の話が耳に入らなかった。


 発表の後はパート練習の時間となり、ホルンのリーダーである奏馬に呼ばれて、そちらへ向かった。

 すれ違った時に、同期の橘咲と岸田美喜が、気の毒そうな顔で見ていたことに気づき、桃子はかっと頭に血が上るのを感じた。

 二人もトロンボーン経験者だった。そして、希望通りトロンボーンに配属されている。


 そんな顔で、見ないで欲しかった。同情するような目で、見られたくなかった。


「前田さん、行こう」


 奏馬が肩を叩いてくる。頷き、後をついて行く。音楽室を出る時に、トロンボーンパートの横を通ったけれど、桃子はそちらを見ることが出来なかった。

 練習部屋に入り、椅子を円になるように置いて座った。


「じゃあ、自己紹介していこう。三年の相沢奏馬です。学生指導者と金管セクションリーダー、パートリーダーを担当してます」

「二年の加藤武夫です」

「二年の伊東園未です」

「一年の、矢作柚子です。中央中出身です」

「知ってる」


 武夫と園未が笑った。柚子も嬉しそうにはにかんでいる。楽器体験の間に、打ち解けでもしたのだろうか。先輩と後輩なのに、随分親し気だ。


「一年の、前田桃子です」

「前田さん。ホルンパートへようこそ。トロンボーンになれなくて落ち込んでいると思うけど、慣れていくうちにホルンもきっと好きになってもらえると思う。これから一緒に頑張ろう」

「……はい」


 返事はしたが、とてもそんな気にはなれなかった。これから三年間、もうトロンボーンを吹けないのだ。

 何のために吹奏楽部に入ったのか、と桃子は思った。


 何のために、ホルンを吹くのか。部のために、とでも言うのか。

 自分のために、トロンボーンが吹きたかった。


 その後は、ほとんど聞いているだけだったけれど、相手の事を知るためにと、少しそれぞれの話が繰り広げられ、それから楽器選びに移った。

 奏馬のすすめで、備品の楽器を何本も試奏してはみた。しかし、唇と触れるマウスピースの形状も、楽器の機構も、吹き方も、全てがトロンボーンとまるで違う。

 何が良くて悪いのか、違いが分からない。

 

「分かんないんで……相沢先輩が選んでください」

「うん……じゃあ、前田さんにはこれかな」


 少しくすんだ金色のホルン。古そうな見た目で、状態のよさそうなものには思えない。


「どうしてこれなんですか?」

「試奏を聞いてて、前田さんに合うと思った。大事にしてあげて。慣れたら、名前を付けてあげるのも良いかもね。そうやって大事にする人もいるよ。見た目は古いけど、手入れはしてあるから」


 手渡されたホルンを眺めた。小さい。トロンボーンに比べると、遥かに小さい。

 どこを眺めても、桃子はホルンの事を好きになれそうになかった。

















「前田さん」


 練習が終わった後、居残りする気も起きず、早々に楽器を片付けた。

 帰ろうとしていたところで、コウキが後ろから声をかけてきた。


「何?」

「駅まで行くんだよね。一緒に帰って良い?」

「方向逆じゃない?」

「前田さんと話したくて」

「……良いけど」


 本当はあまり人と話す気分ではなかった。特に、コウキは経験者で、自分のやりたい楽器をやれる側だ。桃子の気持ちが分かるわけがない。


 ただ、本当に桃子と話すために終わって来たのだろう。昨日までは、毎日上級生と一緒に残って自主練習していたと、クラスでの会話で言っていた。

 

 わざわざ練習を切り上げてきてくれたのに断るのは、悪い気がした。仕方なく、コウキが自転車を持ってくるのを待って、二人で学校を出る。

 もう日が落ちている。


「ホルンパートはどうだった?」

「つまんなかった」

「……楽器を転向したの、前田さんだけだったな」

「そうだよ。なんで私だけなの? トロンボーン三人じゃダメだったの?」


 上級生は二人しかいない。一年生が増えて、四人でも五人でも変わらないはずだ。


「何か、理由が知りたいね。何でホルンに転向させられたのか」

「ホルンなんて初心者に吹かせればよかったじゃん。なんで私なの? 初日から参加してたのに」


 話したら、急激に不満が湧き上がってきて、顔が熱くなった。

 言葉が止まらない。


「もうトロンボーン吹けないんだよ。何のためにこの部活に入ったと思ってんのあの先生。意味わかんないっ」


 気持ちが高ぶり、涙が溢れた。言葉も涙も、一度出してしまうと、止めようがなく溢れ続けた。

 

「他の二人は、歓迎コンサートだって参加してなかったじゃん。私だけ、最初から来てたのに。なんで他の二人がトロンボーンで、私がホルンなの!?」

 

 コウキは、黙って聞いている。時折、頷いてくれているのは横目で見えた。


「ホルンなんて、吹きたくもないっ。意味ないよ、こんなの!」


 鞄の持ち手を握る手に、力が入る。やり場のない怒りが身体の中に満ちて、どうしようもなかった。眼鏡を外して、涙を拭う。拭っても、次から次にこぼれ落ちる。やりきれなさが、心に渦巻いている。


 なぜ自分だったのか。

 なぜホルンを吹かなくてはいけないのか。


「部活、辞めるの?」


 言われて、はっとした。


「……分かんないけど、多分」

「居る意味が無いから?」

「うん。トロンボーンじゃないのにやってても、仕方ない」

「……きっと、すぐには納得できないと思うし、俺の言葉なんて今は聞きたくないかもしれない。でも、俺は辞めて欲しくないな。最初にできた仲間だもん」


 聞きたくない事が分かっているなら、言うな。

 そう言いかけて、思いとどまる。コウキが悪いわけではない。


「まだ出会って一週間じゃん。私なんて、いてもいなくても一緒でしょ」

「時間なんて関係ない。前田さんと部活の話をするの、楽しかったよ。前田さんは楽しくなかったの?」


 楽しかった。ただ、それはトロンボーンが吹けていたからだ。


「もう前田さんとは同じ部の仲間だから、ほっとけない。だから、不満が爆発しそうになったら俺にぶつけてくれ。全部聞くよ。どんな言葉でも良い。そんで、一緒に頑張ろう」

「なんで? なんで私に構うの?」

「……そういう時って、誰かに気持ちをぶつけたくなるじゃん。思っていた通りにならなかった時、なんで、って。でも、自分がそう思ってても、周りは一切関係ない風で。それが余計にむかついて。だから、前田さんの気持ち、少しは分かるから」


 そう。そうだ。

 上級生も、咲も、美喜も、柚子も、自分達は楽しそうにしていた。桃子の気持ちなど、関係ないかのように。それも、腹立たしかった。


「聞く人間がいるってだけで、ちょっとは楽になるじゃん。だから俺で良かったらいくらでも聞くし、ホルンの練習も、最初は嫌かもしれないけどさ……一緒に頑張ろうよ。付き合うから。楽器が違ったって、同じ金管同士、教えあえるとこもあると思う」


 いつの間にか、駅に着いていた。入り口で、コウキの方を振り返る。

 不思議な子だ。心の中に、ぐいぐいと入り込んでくる。それなのに、不快ではない。


「怒って、ごめん。聞いてくれてありがとう」

「いいえ」

「……すぐには受け入れられないけど……もう少し、部活行ってみる」

「良かった」

「じゃあね」

「また明日」

「……また」


 手を振ると、コウキは笑顔を見せながら自転車で去っていった。

 電車がホームに迫っているアナウンスが流れだし、桃子は改札を抜けた。

 

 数分前までを思い返して、なぜあんなに爆発してしまったのだろう、と桃子は後悔した。

 止まらなかった。とにかく滅茶苦茶な気持ちを吐き出したくて、仕方が無かった。

 コウキではなかったら、嫌われていたかもしれない。


 もやもやとした状態は続いているが、気持ちを吐き出したことで、少しだけ落ち着いていた。

 ホルンなんて絶対に嫌だと思っていたのに、今は、ちょっとやってみようか、という気分になりだしている自分がいることに、桃子は気づいた。

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