六ノ一 「仮入部」
部活動説明会は、各部活動の代表が数分の持ち時間の中で、新入生に向けてアピールする場だ。
ユニークな紹介をする部もあれば、ガチガチに緊張した部長が紙を見ながら堅苦しく説明する部もあったりと、様々である。
吹奏楽部は、木管八重奏の演奏と共に、部長の藤晴子が活動について紹介していた。
晴子は、以前の時間軸でも部長だった。八重奏のメンバーも全員、一度目の時にいた部員である。
やはり二、三年生は大きく変化していないのかもしれない、とコウキは思った。
部活動説明会の後はホームルームで、担任の大川は伝達事項のみを伝え、すぐに終礼を終わらせた。
だらだらと長引かせないやり方は、好感が持てる。ずっとこの調子なら、入部後も活動に早く参加できるからありがたい。
今日から一週間は、終礼後は部活動体験の期間となる。新入生は好きな部活動に行って、見学するなり練習に参加するなりして、入る所を決めるのだ。
コウキは当然、吹奏楽部にしか行く気がない。
隣の席の桃子も吹奏楽部に入ると言っていたから、二人で教室を出て、音楽室へ向かった。
花田高校の校舎は、生徒棟と職員棟が平行に並んでいて、その二棟を中央の渡り廊下が繋いでいる。ちょうどアルファベットのHのような形で、吹奏楽部の練習場所となる音楽室は、職員棟の四階の西端に位置している。
階段は棟の東と西に一つずつあり、渡り廊下を通った後は、西階段を上って音楽室に向かった。
到着して、中を覗きこんだ桃子が、首を振る。
「まだ誰もいない」
「向こうにいるかも」
職員棟の四階は、西端から音楽室、音楽準備室、階段を挟んで総合学習準備室、総合学習室、という順番で並んでいる。
総合学習室は、部活動の時間は吹奏楽部の練習部屋のような状態になっていて、部員は鞄や楽器ケースをそこに置くのだ。
桃子と総合学習室へ移動する。中には、会議室で使われるような机がいくつも並んでいて、その一つに、上級生が座っていた。
「こんにちは」
「お!? こんにちは、見学希望?」
机から下りて、近づいてくる。
「はい」
「おー、ようこそ! 経験者かな?」
「トランペットでした」
「私はトロンボーンです」
「良いね良いね。私、古谷逸乃。逸乃先輩って呼んで。トランペットの二年」
逸乃は、以前もいた。一度目の時のコウキはトランペットがあまりにも下手で、よく逸乃に面倒を見てもらっていたものだ。
世話になった上級生の一人だが、彼女とは卒業してから一度も会うことがなかった。
コウキの胸に、懐かしさがこみあげてくる。
記憶の中にある逸乃の姿より少し若いのは、当然か。だが、肩甲骨の下辺りまで伸ばした長い髪は、記憶の通りである。彼女は在学中、ずっと長い髪だった。地毛でも、少し茶色がかったような髪色が印象的な人で、トランペットの腕は、部内随一だった。
コウキと桃子も自己紹介をし、逸乃から部についての話を聞いた。コウキはすでに知っている内容だが、桃子は興味深そうに聞き入っている。
「うちは練習厳しいけど、面白いよ。一応伝統のある部らしくて、卒部生との交流も盛んだし」
「卒業した人が来るんですか?」
「そ。芸術大学や音楽大学に進学した人もちょこちょこいるし、卒部生が作った社会人バンドもあるから、合同練習することもあるし」
「何か怖そうですね……」
「んー、まあ怖い人もいるけど、良い先輩も多いから」
そのうちに上級生が集まりだし、音楽室の準備が始まった。
平日は、音楽室に並んでいる机を廊下へ出し、椅子を合奏の形に並べる作業が開始前に行われる。来た部員から、作業に参加していくのだ。
「せっかくだから二人とも、新入生の歓迎コンサートに出ない? 来週のやつ」
「え、観る側ですよ、俺達」
「良いの良いの。だって入部する気あるでしょ?」
「まあ」
「なら、早くから参加したほうが良いじゃん」
笑って逸乃が言った。
桃子と顔を見合わせ、それから頷く。
「じゃあ」
「よっし。早速楽器選びに行こう。備品のやつだけど」
「あ、俺、自分の楽器持ってるんですけど、今日は無いです」
「えっすごいじゃん。じゃあ明日から持ってきて!」
「分かりました」
「あっ理絵、ちょうど良いところに! きて! 前田桃子ちゃん、トロンボーン希望だって」
「うえっほんと!?」
逸乃が、総合学習室に入ってきた上級生に声をかけた。
理絵と呼ばれた上級生が、目を見開いて駆け寄ってくる。そのまま、満面の笑みで桃子の手を握り、ぶんぶんと振った。
「ありがとう、よろしくね、よし行こう!」
「あっはい。あっ」
理絵に引っ張られるようにして、桃子が総合学習室から出て行った。
遠山理絵。
彼女も、以前の時間軸で部員だった。逸乃と同じ二年生で、かつて、コウキの心を動かした一人だった。
入部してから、たまたまパートの上級生がいない日があり、合奏でトロンボーンのトップを吹く理絵の隣に詰めて座ったことがあった。演奏の配置で、トランペットとトロンボーンは並んで座るのだ。
休憩時間に、理絵は語った。花田高吹奏楽部がどんなに凄い部なのかと、その部員の一人でいられる、嬉しさと誇らしさを。
同時に、コウキももうその一員だ、と言ってくれた。
それが、コウキの胸を打った。今でも鮮明に思い出せる。
理絵の言葉で、コウキもこの部のために真剣になりたい、と思うようになったのだ。
「じゃあ、私達も行こう」
逸乃に背中を押され、準備室へと入る。
総合学習室を出てすぐ横にある準備室は、実質的に吹奏楽部の部室として扱われている。
部員が部室と言ったら、音楽室や音楽準備室ではなく、総合学習準備室のことだ。鍵の管理も、部員が行っている。
狭い部屋には、天井までの棚が壁に沿って設置され、そこに全ての楽器や備品が仕舞われている。
卒業してから一度も足を踏み入れることが無くなった場所。懐かしい部屋である。
奥の小窓から差し込む光で、塵が漂う様子が見えた。
不意に、かつてここで何度となくリーダー達で会議を繰り返した光景や、部員との何気ない会話の情景を思い出した。
自分の青春の全てが、ここにあった。
二度とないと思っていた時間。
それが、再びやってくる。
気が付くと、涙が滲み出ていた。一筋、顎を伝って落ちていく。
「ここがトランペットの棚ね。マイ楽器も明日からはここに置いてって良いよ……ってどうしたの!?」
逸乃が、驚いた様子で顔を覗き込んできた。何事かと、準備室にいた桃子達や他の上級生が振り向く。
コウキは慌てて涙を拭った。
「すみません、何でもないです」
「何でもないってことはないでしょ」
「いや……嬉しくて。この部にずっと入りたかったんで、遂に入部できるんだって思ったからかな……すみません」
「ええ、泣くほど嬉しいの? 何か、思い入れがあって?」
「そう、ですね。はい」
ふーん、と逸乃が言った。
「……また、その話、聞かせてよ。とりあえず大丈夫ならさ、部活始まるし、楽器選ぼっか」
「はい」
促されて棚の前に立ち、並んだ楽器ケースを見回す。見覚えのあるケースが一つ。
「これ、良いですか?」
それは、以前の時間軸で使っていた楽器のケースだった。
茶色に金属の縁取りがされたケース。
「中見ないで決めるんだねぇ。でも、それは使ってないやつの中でも良いのだよ」
見なくても、覚えている。良い楽器だった。
一日だけでも、また吹けると思うと嬉しさがこみあげてくる。自然と笑顔になっていたらしく、逸乃がにこにこしながら背中を叩いてきた。
「めっちゃ良い笑顔じゃん。やる気ある子が入ってきて嬉しいね」
二人で総合学習室に戻り、楽器を取り出した。事前に整備はしてくれてあったらしく、ピストンも管も滑らかに動く。備品のマウスピースも、綺麗に掃除されている。
トランペットにマウスピースを装着して、軽く音を出した。
やはり自分の楽器と少しだけ吹奏感が違う、とコウキは思った。
だが、かつて吹いていた楽器だ。吹きづらい感覚はない。
「おっ、良い音出すじゃん」
コウキは中学校を卒業してから、すぐにトランペットの練習を再開させた。
引きこもっていた間に鈍った感覚は、毎日吹いて取り戻している。
逸乃も楽器を構え、音を出した。澄んだ、透明感のある音。久しぶりに聴いた逸乃の音は、やはり美しかった。以前も、逸乃は他校の生徒にも知られているほど音色に定評がある人だった。
音に、濁りが無いのだ。
「いや、逸乃先輩のほうがめっちゃ音綺麗ですって」
「まあ、唯一の取り柄ですよ。ハイトーンは苦手なんだよね」
照れて謙遜しているが、逸乃の技術力に敵う人間は、部内には居なかった。おそらくこの時間軸でもそうだろう。
確かにハイトーンと呼ばれる高音域が続くとバテやすいことについて、逸乃は悩んでいた記憶があるが、それでも彼女は、常にトランペットのトップを務めていた。
吹奏楽には様々な楽器があり、その楽器ごとに曲でパート分けがなされる。
トランペットは大抵ファースト、セカンド、サードという分け方がされていて、トップは、その中でもファーストを中心に担う重要な人物だ。
トランペットパートの音の根幹を為す人物であり、しかもバンドの中でも目立つ立場となる。
実力がなければ務まらないし、誰にでも出来る役目ではない。
音楽室のセッティングを終えた部員達が、楽器ケースを持って総合学習室に入ってきて、次々と音を出し始めた。
見回すと、見知った上級生ばかりだった。知らない顔は、今のところいない。
新入生らしい生徒も何人か来ていて、上級生に案内されて合奏に参加する組と見学する組に分かれている。
「よし、音楽室行こう、コウキ君。後で新入生歓迎コンサートでやる曲の楽譜も渡すね」
「はい」
席を立って、逸乃が歩き出した。後をついていく。
まだ正式な入部ではないが、気分はもう入部したも同然だった。
やっと、待ち続けてきた高校三年間が動き出した。
ここから、コウキの新しい日々が始まるのだ。




