五ノ九 「皆の優しさ」
朝、突然智美がやって来て叩き起こされたかと思うと、訳も分からないうちに強引に身支度を整えさせられ、外に引っ張り出された。
「どこ行くんだよ」
智美は自転車で来ていた。
「着いてからのお楽しみってことで。コウキも乗って」
仕方なく、自分の自転車を駐輪場から出す。
「じゃ、行こう」
言って、智美は自転車を走らせた。黙って後をついていく。
外に出る気は全く無かった。
勝手にやって来て外に連れ出すとは良い迷惑だと思っていたのだが、動き出してしまえば、平気だった。
一週間ほど前に智美が訪ねてきた時は、話は耳に入ってこなかったし、顔を合わせているのも面倒だったのに、今は不思議とそう感じていない。
それに、視界に映る全てが色褪せて見えていたのに、今は見上げた空の青色が、はっきりと分かった。流れる町の景色も、しっかりと目に入ってくる。
まだ胸は苦しいし、後悔も頭に浮かんでくるが、少しはまともに戻ったのかもしれない、とコウキは思った。
智美は、ひたすら自転車を走らせていた。
行き先を明かそうとしないし、走りながら話す内容も無くて、コウキもただ黙って後ろを走るだけだった。
町の中心を通る大きい道路を、真っすぐ走り続ける。
何となく、山の方に向かっている気がする。
家を出てから、三十分ほどは走ったように思う。やがて、大きい道路から一本曲がって、車通りの少ない道に入った。
予想通り、山に近づいている。
やがて、行き止まりになっている道で、智美が自転車を止めた。
人気のない場所だ。
目の前に、山の中へと続く、舗装されていないが人が歩くのには十分な道がある。
「目的地、ここ?」
「そうだよ。ここから登るの」
「山に? なんで?」
「登ってからのお楽しみ」
「そうかよ」
自転車の鍵を閉めると、智美は躊躇することなく山へと入っていった。
登山道として有名なのだろうか、とコウキは思った。
だが、それにしては周辺に人はいないし、登山道らしい感じはしない。どちらかというと、地元の人間が使う地図にもない道といった印象だ。
説明をされないままで疑問は感じていたが、ついて行くしかない。
先を行く智美を追いかけた。
引きこもっている間、ほとんど身体を動かさなかったせいで鈍っている。山を登り始めると、すぐに息が弾み、うっすらと汗が出てきた。
智美は平然そうに進んでいるが、コウキはついていくのに必死だ。
山道は斜面で、時折張り出した小枝などを避けたり、石や木の根を避けて大股にもなるため、平地よりもずっと疲れる。
「まだか?」
「もう少し」
しばらく登ったところで、智美が道を逸れた。
「道から外れて、危なくないか?」
「気を付ければ平気なところだから」
智美の言う通り、今歩いてきた道に比べると樹々が鬱蒼としているが、確かに人が歩けないほどではなさそうだ。というより、人が通った跡のようにも見える。
「なあ、ここで何をするのか教えてくれ」
「もうちょっとだから!」
笑って、智美が答える。
ため息をついて、また後に続いた。
樹が生い茂って空を隠しているため、うす暗い。それに、山を歩いていると、時間の感覚が分かりづらい。どれくらい歩いたのかはっきりとしないが、道を逸れてからそれほどは歩かなかったと思う。
前方に、陽が差す場所が見えてきた。
「着いたよ!」
開けた場所に出ると、智美が笑って振り返り、両腕を広げた。
そこは、緩やかな斜面になっていて、中央付近の地面から、かなり大きな岩が突き出していた。岩の周囲に樹が生えていないため、陽の光がまっすぐに降り注いでいる。
町の方角を見ると、少しだけ町全体の様子が見えた。
「景色、良いでしょ? でも、こっち」
隣に並んで町を見下ろしていた智美が、手を引っ張ってきた。
岩の上に回り込むと、岩は場所を選べば人が上れるような形をしていた。
智美がそこを上っていく。
「気をつけて」
智美が通った場所を選んで、上に向かう。
「……おお」
上り切ると、岩の上は良い具合に平らになっていた。そして、そこから見る景色は、下から見たときよりも、遥かに見晴らしがよかった。
町全体が、はっきりと見える。
「良い眺めだなぁ」
「でしょ? 秘密の場所なんだ」
「よくこんなところ知ってるな」
「お父さんが山登りが好きで、昔教えてくれたんだ。一人では来るなって言われてるけど、たまに来てたの」
風が止んでいるおかげで、それほど寒くない。陽の光が差していて、むしろ暖かいくらいだ。
「家にいるだけだと、気分も滅入るでしょ。たまにはこういう気持ちの良いところで、気分転換してもらいたくて」
智美が、岩の上にやたらと大きなシートを敷いた。そこに腰をおろすと、シートをぽんぽんと叩きながら笑いかけてきた。
並んで、座る。
「確かに、ここは良いな」
「晴れた日はね、いつも風が無くて、あったかいんだ。冬でも寒くなくて、一日中いられる」
智美が、背負ってきた鞄から水筒を取り出し、お茶を注いで渡してきた。湯気が上がっている。
「ありがとう」
「お弁当もあるから」
「俺、なんも用意してないや」
「いいの。今日は私が誘ったんだもん。あとで食べよ」
しばらく、二人で茶を飲みながら景色を眺めた。
遠くに、見慣れた建物がいくつか見える。
自分の生活圏を上から見る機会など、これまで無かったので新鮮だ、とコウキは思った。
あまり行かないような地区も、ここからだとどういう町並みなのか、よく分かる。
「出てきて良かった」
コウキは言った。
運動にもなったし、気分も良い。陽が暖かいのも、ありがたい。ちょうど良い陽気で、眠たくなってくる。
身体を倒して、仰向けになった。
「ほんとに、良いな」
目を閉じる。
どこからか、鳥の鳴き声が聞こえてくる。時折樹がそよぐ。聴こえてくる音といえば、それくらいだった。
「眠る?」
声をかけられて横を見ると、智美も隣で寝転がっていた。
コウキは頷いて、再び目を閉じた。
すぐに、音が遠くなっていった。
複数人の話し声がした気がして、目を覚ました。
本当に眠ってしまったらしい。
目を開けると、陽が真上にきていた。眩しさを避けるために、手をかざす。
「お、起きた」
拓也の声が聞こえた気がした。
そちらを向くと、確かに拓也がいて、こちらを見ていた。
起きて見回すと、他にも奈々、亜衣、健、華、里保、茜がいた。
「え、なんで居んの?」
寝起きで頭がはっきりせず、間の抜けた声をあげてしまった。
状況が、理解できない。
「私が連れてきました」
華が言った。
「華ちゃんが?」
「私が頼んだんだ。せっかくなら皆でピクニックしようと思って。後から集まってもらったのは、驚かせたくて」
智美が言った。
やたらと大きいシートだと思っていたが、このためだったのか。九人が座っても十分な広さがある。
智美と華は姉妹だ。華もこの場所を父親から教えてもらっていても、おかしくない。
「皆、三木君に会いたかったんだよ」
奈々だ。他の子も、頷いている。クリスマスパーティの時に集まった子達だ。
洋子だけ、いない。
「元気だったか?」
「ここにいるってことは元気だよ。ねえ?」
健と亜衣が話しかけてくる。
「まあ、なんとかな」
「先輩、お久しぶりです」
茜は、髪を切ったらしい。短くなってさっぱりしている。
「久しぶり。部活は……どう?」
「一、二年生は皆、元気ですよ。それに、華ちゃんが中心になってきてて、凄く良い感じです」
茜に褒められて、華が照れている。
やはり、華をパートリーダーに指名したのは間違いではなかった。華ならパートリーダーにもすぐに慣れ、部の中心になるという確信に近いものがあった。
二人が来ているということは、今日は部活は休みなのだろう。
「三木君、揺すっても起きなかったよ」
里保が言った。
「完全に、寝入ってたよ」
皆が、笑い声をあげた。
まだ、頭がぼんやりとする。
ここについた時はまだ十時にもなっていなかっただろうから、二時間近くは寝ていたことになる。
「そろそろご飯にしようと思って、もう一回起こしてみようとしてるところだったんだ」
言われて気がついた。
輪の中心に、サンドイッチやおにぎり、唐揚げなど、いろんな食べ物が並べられている。
「智美。俺、ほんとに何も持ってきてないよ」
「今日はいいんだってば」
「先輩に一杯食べてもらおうってことで、皆で持ち寄ったんですよ!」
「ってことだから、食べようぜ」
拓也に促されて、サンドイッチを手にとった。たまごサンドだ。
「それ、私と華で作ったの」
「自信作です!」
「そうか……いただきます」
言って、一口かじった。程よい塩加減に、胡椒が効いている。たまごの潰し方が丁寧で、滑らかだ。
「美味しい」
二人が、嬉しそうに微笑んだ。他の皆が作った料理もすすめられて、次々と口に運んだ。
大勢で、眺めの良い場所で食べる食事は格別だ。
どの料理も、本当に美味しい。
食べながら、誰もコウキの事情を詮索してきたりはせずに、他愛もない話で笑いあっている。
気を遣ってくれているのかもしれないが、そのほうがありがたかった。
聞かれて、答えられることでもない。
洋子が居ないことは、気になった。来なかったのか、来られなかったのか。智美が誘っていないのだろうか。
とはいえ、居たとしても、どんな顔で会えば良いのかも分からない。
洋子は、一度家に来た時に追い返している。だから気まずいし、今会って、冷静に話せるとも思えなかった。
居なくて内心ほっとしている自分に気がついて、コウキは小さく舌打ちした。
「洋子ちゃんも、来れたらよかったんですけどねー」
何気ない表情で、茜が言った。華も、頷いている。
「洋子ちゃんは、今日は忙しいんだって。私の分も楽しんで来てって言ってたよ」
洋子も、誘ったのか。
「おい、コウキ。手が止まってるぞ?」
「ん、ああ……」
「食べないと、無くなるぜ」
「いや、お前は……食べすぎだろ、拓也」
両手におにぎりと唐揚げを持って、交互に食べている。
「さっきから、そればかり食べていないか?」
おにぎりと唐揚げだけ、減り方が異様だ。
「野菜も食べろって言ったじゃん、拓也!」
奈々が眉を吊り上げながら、無理やり拓也の口に野菜を詰め込んだ。
その様子に、どっと笑い声が上がる。
思わず、コウキも笑っていた。




