五の三 「予期せぬ再会」
一年の最後の日といっても、特に普段とやることが変わるわけでもなく、いつものように三人で集まっていた。
洋子の部屋で、コウキは読書、拓也は洋子の兄から借りたゲーム、洋子は電子ドラムに向かい、各々が好き勝手に過ごしている。
別に喧嘩をしているわけではない。
平日の夜に集まる時は居間で互いの話をするが、丸一日遊ぶ日は、こんな感じだった。
気が向けば、誰かが誰かのしていることに加わったり、あるいは三人でどこかに出かけたり、一人が勝手にいなくなっていたりする。
三人にとっては、これが自然な状態なのだ。
常に一緒に同じことをしていたい訳ではなく、ただ同じ空間にいる。それで十分である。
わざわざ集まる意味があるのか、と親にはたまに言われるが、一緒にいるだけで心地良く穏やかな時間が過ごせる。
そういう関係性は、誰とでも築けるわけではない。
コウキと拓也が高校に進学したら、三人で会う時間は減るだろう。その時には、三人の関わり方も変わるかもしれない。
使える時間が多い中学生の今だからこそ、こういう過ごし方ができるのだ。
時計を見ると、洋子の家に来てから二時間が経っていた。読書に夢中で時間の経過を忘れていたらしい。
本にしおりを挟んで脇に置いてから立ち上がり、軽く体をほぐした。
二人は相変わらずゲームとドラムに夢中になっていて、部屋の中はゲームの電子音とドラムの打音がずっと鳴り続けている。
休憩を促すため声をかけようとしたところで、タイミングよく扉がノックされ、洋子の母親が顔を見せた。
「お昼ご飯出来たよ」
「ありがとうございます、すぐに向かいます」
母親が、扉を閉める。
洋子は気がついておらず、ドラムを叩き続けている。その肩に触れて、手を止めさせた。
「ご飯だって」
「ごめん、気がつかなかった!」
ヘッドフォンを外して、洋子が慌てて立ち上がる。
拓也もゲームを中断し、三人で居間へ向かった。
すでに昼食は準備されていて、食卓には湯気を立て鰹節を躍らせるうどんが並べられている。
「いただきます」
いつもの席に着き、手を合わせてから熱いつゆを一口すすった。
煮干しの旨味が引き出された、良い出汁だ。苦味が出ないように、頭と腸を取り除いているのだろう。
つゆはやや甘めで、白醤油の風味が効いている。愛知県民は、うどんのつゆに白醤油を使う家庭も多い。すっきりとした旨味で、うどんによく合うのだ。
主張の強い煮干しの旨味と白醤油の上品さで、良い具合に洗練された味をしている。
昼食の後、洋子の母親はお節の材料を追加で買いに行くと言い残して、出かけて行った。
三人で居間のソファに並んで座り、だらりとした。
窓から差し込む陽の光が、暖かく気持ちが良い。
「明日初詣は何時集合にする?」
「んー、昼くらいでいいんじゃね。てか、いつ行っても人多いだら」
「まあ。じゃあ洋子ちゃんもそれでいい?」
「うん、良いよ、コウキ君」
洋子の耳の横に着けられた、小花のヘアピンに目をやる。クリスマスの日に、コウキが贈ったものだ。
あれ以来、会う時には、必ずこのヘアピンを身に着けてくれている。
やはり、これを選んで良かった、とコウキは思った。
よく似合っている。
「あ、俺初詣の後、奈々と会う予定があるから抜けるで」
「分かった」
拓也の手首には、クリスマスに拓也が送った奈々と揃いのブレスレットがついている。
その日のうちに、ちゃんと渡せたという話は聞いていた。どういう風に渡したのかまで聞くのは野暮かと思い、聞いてはいない。
ただ、何となくクリスマス以来、拓也の雰囲気が変わった気がしている。
悪い意味ではなく、何か新しい扉を開いたような、そんな印象だ。
手を繋ぐ関係からもう一歩先に進みたいと言っていたことがあるし、もしかしたら、そういうことかもしれない。
その後も三人でだらだらと過ごし、適当な時間で解散した。
翌日、いつも通り早朝に起きると、両親に挨拶をし、それから家の片付けや朝食を済ませ、身支度をして家を出た。
少し早いが、待ち合わせの小学校で二人を待つ。
コウキは、久しぶりに怪獣の石像の前に立っていた。時折思い出しては会いに行ったが、周りに誰もいないときでも、やはり石像は動かなかった。
今も、ぴくりとも反応しない。
あれは夢だったのではないかという気もするが、洋子も拓也も確かに覚えている。
現実に起きたことなのだ。
この世界にはズレたモノが存在する。
怪獣の石像以外にもそうしたものを見たいと考え、三人で学校の七不思議や、町に広まっている噂を調査したこともあった。
だが、何も見つからなかった。
そうそう頻繁に遭遇出来るわけもないので当たり前だが、いつしか部活や勉強も忙しくなって、そういうこともしなくなった。
怪獣の石像を、そっと撫でる。
ひっそりと正体を隠しながら生きるこの石像のように、薬を飲んで過去に戻ってきたコウキも、ズレた存在と言えるのだろうか。
少なくとも、他の人と違って時間軸の移動を経験しているし、未来も知っている分、特異な存在と言える。
そうした話も含めて、この怪獣の石像には、聞きたいことが山ほどあった。
中学に上がってから一度だけ、名古屋のあの店にも行ったことがある。石像が無理なら、店主に話を聞きたいと思ったからだ。
だが、建物は存在したが、扉は開かなかった。扉の横の椅子に乗っていたネコも、いなかった。
耳を澄ませても中に人がいる気配もなく、結局引き返した。
あのときのコウキに、入る資格は無かったということだろう。
結局、分からないことは分からないままだった。
それでいいのかもしれない、とも思う。
知ってどうなるものでもないし、他人に話せることでもない。
しばらくして、洋子と拓也もやってきた。
新年の挨拶を交わし、石像の前で少し思い出話をして、それから神社へ向かった。
「今年は特に多いな」
拓也が背伸びをして、境内の奥まで目をやりながら言った。
拓也の言う通り、予想以上に人が多い。
境内の何か所かで火が炊かれていて、暖を取る目的で人だかりが出来ていたり、参拝や甘酒の配布、おみくじに並ぶ列が長く伸びている。
今から並ぶと、参拝の順番が来るまでにも、結構な時間がかかりそうだ。
「先に参拝するか?」
「そうだね、そのほうが良いかも」
「俺甘酒飲みてぇなー」
「まだ無くならないだろ。後にしろよ」
「へいへい」
並びながら三人で雑談をしていると、すぐに順番は来たので、作法通りに参拝した。
こういう時は願い事を言うのが定番だが、大人になってから願い事をしたことは、コウキはない。
自分で出来ることを全てやりつくして、それでもどうにもならなかった時に、初めて願う。それまでは、自分で努力する。
それが、コウキの持論である。
早々に参拝を終え、二人を待つ。
拓也も割と早く終わったが、洋子はやや長めに手を合わせていた。
何かを願っていたのだろうか。
「お待たせ!」
「おし、じゃあ甘酒行こうぜ!」
「うん!」
拓也と洋子が、甘酒の配布場所へと走り出した。
後を追いかけようとして、しかし、急に横から出てきた人の壁に遮られてしまった。
偶然鉢合わせた知り合い同士なのか、立ち止まって新年の挨拶を繰り広げている。
「ちょっ、拓也!」
呼びかけたが、ざわめきにかき消されて拓也達には届いていない。すぐに、二人の姿は見えなくなった。
「通してください」
声をかけて、無理やり割り入る。舌打ちをされたが、構わず通り抜けた。
人垣を抜けて、辺りを見回す。近くにはいないようだった。
この人ごみで、よくあんなに早く走れるものだ、とコウキは思った。
甘酒の配布場所は分かるので、そのまま向かってみた。しかし、到着してみると列に二人の姿は無かった。
周囲を探しても、見当たらない。
「並んでると思ったんだけどな」
どうするか束の間考えたが、まだ二人は甘酒を貰っていないはずである。あまり下手に探し回らず、列に並んでいればそのうちここへ来るだろう。
最後尾に並んでいた人に話しかける。綺麗な長い黒髪が印象的な後ろ姿だ。背丈が近い。同年代くらいだろうか。
「すみません、ここ最後尾ですか?」
「あ、はい。そうです」
振り返ったその人を見て、固まった。
並んでいたのは、美奈だった。
「っ!?」
向こうも驚いた様子で目を見張った。
視線が交わる。
なぜ、ここに。
一瞬そう考えて、すぐに、美奈も家が近いのだからこの神社に初詣に来るのは当たり前か、と思い至った。
「美奈ちゃん……久しぶり」
「あ、うん……久しぶり」
沈黙。
髪がかなり伸びていたので、後ろ姿では美奈だと全く気付かなかった。
突然の再会に、上手い反応が出来ない。
何を話そうかと考えているうちに、ふっと美奈が目を逸らした。その瞳が揺れている。
そして、列から抜けた。
「……私、抜けるから詰めて良いよ」
「えっ、いや、貰わないの?」
「う、うん。じゃあね」
伏し目がちで、立ち去ろうとする。
「待って」
慌てて呼び止めると、美奈は立ち止まった。だが、こちらに背を向けたまま動かない。
何か違和感がある。
だが、せっかく会えたのだ。この機会は逃したくなかった。
「時間あるなら少し話そうよ」
コウキの呼びかけに、美奈は答えない。
後ろ姿が、揺れた。
「……ごめん」
ぽつりと言い残して、美奈は人の波に消えてしまった。あっという間のことで、追いかける暇もなかった。
美奈が立ち去った方向を、呆然と眺める。
避けられたように感じたのは、コウキの気のせいではないだろう。
だが、何かした覚えは全くない。
「お、いたいた」
後ろから肩を叩かれて振り向くと、拓也と洋子がいた。
「わり。コウキがついて来てないのに気づいて戻ってた」
「あ、ああ」
「どうしたの、コウキ君?」
不思議そうな顔で、洋子がのぞき込んでくる。
「いや……何でもない」
二人が顔を見合わせて、首を傾げた。
もう一度、美奈が消えた方を見る。当然、美奈の姿はどこにもない。
美奈とは随分長い間会っていないのに、避けられる理由がない。あの態度は、なんだったのだ。
会えて嬉しいと思う暇もなかった。
ただ疑問だけが、もやもやと胸に残った。
美奈は神社を出てすぐの石垣にもたれかかって、息を整えた。
慌てて飛び出してきたからか、通行人が不思議そうに見ながら通り過ぎていく。
心臓が激しく脈打っているのは、走ったせいもあるけれど、それだけが理由ではない。
まさか、ここでコウキに会うとは思いもしなかった。
初詣だから会う可能性があるのは当然だ。けれど、時間と居る場所まで被るとは。
動揺して、そっけない態度をとってしまった。
今になって、もう少しマシな立ち去り方があったかもしれない、と後悔が押し寄せてくる。
けれど、もう会わないと決めたのだから、今更そんなことを気にしても仕方ないのかもしれない。
ここにいると、またコウキと顔を合わせてしまうかもしれない。
一緒に来た母親に、コンビニで待つとメールをして神社を離れた。
考えたくなくて一生懸命気を紛らわせようとしているのに、コウキの姿が、何度も頭の中に現れては消える。
コンビニに着いても中に入る気は起きず、店の前でしゃがみこんだ。
初詣目的らしい人達が、何人もコンビニを出入りしていて、盛況である。
時折視線を感じるけれど、気にしている余裕はなくて、美奈は顔を伏せた。
相変わらず胸が締め付けられるようで、苦しい。
けれど、その原因を認めてしまったら駄目だと思った。
絶対に違う。コウキに会ったからではない。これは、疲れているからだ。何度も、自分に言い聞かせる。
しばらくして母親が神社の方向から慌てて走ってきた。息が上がっている。
「どうしたの、美奈? 体調悪くなったの?」
「大丈夫だよ。ちょっと人込みで疲れただけ。座ってたら良くなったから」
「そう? なら良いけど……もう、帰りましょうか」
「うん」
母親が美奈の手を握って立たせる。そのまま、家の方向に向かって歩き出した。
ちょっと恥ずかしいけれど、母親と手を繋いだのは久しぶりだ。
細くて、乾いた手。そして、あたたかい。
「人が多くて、疲れたのかもね」
「そうかも」
「帰ってゆっくり休みなさい」
母親の手の温もりのおかげか、気持ちは少し落ち着いていた。
美奈は返事をせず、手を強く握り返すことで答えた。




