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青春ユニゾン  作者: せんこう
高校三年生・コンクール編
442/444

十五ノ十八 「三木コウキ 二」

 無事に代表選考会を突破できたことで、帰りの車内は、祝いのムードに包まれていた。

 学校に戻ってからのミーディングも、明るい雰囲気で進み、皆の顔は晴れやかだった。

 練習の成果は、着実に積みあがっていることが証明された。


 これで、次は月末の東海大会が目標となる。

 そのためのオーディションの日程も、改めて発表された。


 十日後の、八月二十日。

 最後のオーディションだ

 ここで、最終メンバーと、トランペットソロの担当が決まる。

 

 今日の華のソロは、実に素晴らしかった。隣で聴いていて、心が痺れた。

 コウキだけでなく、あの場にいた聴衆や部員の心も、掴んだだろう。

 そういう感情を揺さぶる演奏を、華は本番という重圧のかかる場面でも、してみせるのだ。


 過去をやり直して、自分では、大きく成長したと思っている。

 それでも、奏馬や正孝、逸乃や月音といった、コウキよりはるかに音楽家として優れた人間が、星の数ほどいる。華も、その一人だ。


 過去をやり直して、ようやく彼らに追いつくことが出来たレベルなのが、自分だ。

 才という意味では、凡庸な人間だろう。

 それでも、だからここまでだ、と諦めることはできない。

 そんな自分でも、皆の先頭に立つ奏者でいられるのだと、示したい。


 努力は、誰もがしている。

 才のある者も、必ずしている。

 努力をすれば報われるなどとは思っていない。


 だが、それは努力をしないで良い理由にはならない。

 才がないのなら、周りがする努力以上のものを積み重ねる。


 そうやって、新しい人生をやり直してきたのだ。

 やることは、変わらない。

 自分の価値を証明するために、出来る事をするのだ。


 


 












 しゃわしゃわと、蝉が鳴いている。

 家主が出てくるのを待つ間、コウキは、庭のみかんの樹を眺めていた。

 柑橘系の樹は、どれも似たような樹だ。

 小さな青い実がいくつもなっているが、これが温州みかんなのか、何か別の柑橘なのか、コウキには判断がつかない。


「お待たせ、いらっしゃい」


 扉を開けたのは、泉だった。


「泉先生、こんにちは」

「入って」


 促されて、中へ入る。

 いつもなら学校でレッスンのところを、特別レッスンとして、泉の家でやることになったのだ。オーディションに向けて、最後のレッスンである。


 レッスン用の防音室に案内され、楽器を出した。

 すでに、泉のトランペットはスタンドに立ててある。


「昨日は、代表選考会突破、おめでとう」

「ありがとうございます」

「いよいよ、オーディションだね」

「はい。今度こそ、ソロをものにしたいです」

「僕も、出来る限りの協力をするよ。じゃあ早速やろうか」


 頷いて、コウキはマウスピースをトランペットにはめた。


「まずはウォーミングアップからね」

「はい」


 いつも泉とやっているものを、まず泉が吹いて、次にコウキが真似る。そういう形で進んでいく。

 泉の音色、音質、そういったものを強く意識しながら、音にしていく。

 十五分程度、それを済ませてから、泉に出されている課題曲に取り組む。


 最近は、泉が自ら作った『リップフレキシビリティ』という楽譜が課題曲だ。

 リップ、つまり唇の柔軟性を培うための基礎練習曲で、一番から七番まである。

 今は、まだ二番だ。


「前回よりかなり良い感じだね」

「ほんとですか」

「うん。前より滑らかになってる。前も言ったかもしれないけど、重要なのは、必要最低限の力で、充分な音を出す身体の使い方を身に着けることだよ。

 綺麗な音を出すコツは力を抜くこと、とよく言われるけど、それは力が要らないという意味じゃないからね。目的の音を出すために、最低限必要な力というのが必ずあって、その力だけ使えば良い、ということだよ」

「はい」

「そういう意味で、三木君は、もう少し高音域で力を抜けると良いね」

「意識します」

「でもね、重要なのは、高音域ではなく中低音域だよ。中低音域でいかに最低限の力で吹けるか。そして、それを音域があがっても同じように吹けるか、だからね」

「分かりました」

「それじゃ、本題、行こうか」


 頷いて、『GRシンフォニックセレクション』の楽譜を取り出した。


「オーディションは、二十日だっけ」

「そうです。時間は、あんまりないなと」

「そうだね」

「どうすると、華ちゃんより良い演奏ができるのか、答えがまだ出ていません」


 泉は、腕を組んだ。

 

「僕は、正直に言えば、三木君と中村さんの間に大きな技術差はないと思ってるよ。桜さんもね。皆それぞれに良い所があって、三者三様の魅力がある。

 では、なぜ前回は中村さんが選ばれたのか。おそらく……それこそが、心の部分だと思う」

「心の、部分」

「うん。中村さんの中には、誰にも負けないほど、表現したいものがあったんだろうね。それが、音として表れた」


 何を表現したいか、それが大事なんだ。

  

 泉はそう言って、微笑んだ。

 コウキが、このソロで表現したいこと。色々と、考えていたつもりだった。だが、それでは足りない、ということか。


「三木君は、このソロで、何を伝えたい?」


 その問いに、コウキは、すぐには答えられなかった。















 指揮者は、指揮を振るのが仕事だから、全ての箇所を、きっちりと振らねばならない。

 そういう先入観があると、見やすくて拍子は分かりやすいが、音楽性に面白みがない指揮になりやすい。

 若い指揮者にありがちだ。

 極論、指揮者は一から十まで振る必要はない。情感豊かで目立つパートがある所は、その奏者に演奏を委ねることだって、あって良いのだ。

 指揮を振るのが仕事ではあるが、指揮を振ることが必須ではない。


「丘先生も、若いじゃないですか」


 丘の話に、コウキは思わず突っ込んでしまった。


「年齢ではなく、指揮の年数の話です。年数の浅い指揮者は、指揮を振らないことで表現できるものに、目が向かない」


 職員室で丘と向き合っていた。

 少し前に、指揮の指導を受けないかと提案されて、やることにしたのだ。

 現状でも、基礎合奏や合奏練習で簡単な指揮は振っていたのだから、それをより洗練させることができると考えれば、受けない選択肢はなかった。

 今日で、二回目の指導だ。


「指揮者はテンポをキープしたり、フレージングをまとめたりする役目がありますが、テンポを示すのは、指揮棒だけではない。目線、口、手指や肩、足などの、身体の些細な動き。そうしたものでも、テンポは示すことが出来ます。

 指揮者はメトロノームではないのです。バンドの音楽の方向性を作り上げ、それを要所要所で示す。それこそが役目だ、と私は考えています。王子先生や鬼頭先生、進藤先輩などは、また違った考えかもしれませんがね」

「つまり、フレージングやアゴーギグの指示の方が重要、ということですか?」

「私はそう思います」

「なるほど……」

 

 丘の指揮論は、面白かった。

 確かに丘の指揮は、常にきっちりと拍を刻むようなタイプではない。時には指揮棒そのものが下げられることすらある。また、表情や身振りによって意図を伝えてくる割合が、かなり多い。


 指揮棒だけでなく、丘の全身から表現される意図を読み取るのが、コウキが奏者として丘に向き合う時に、意識していることだ。

 

 今まで、何人かの教師の指揮は見てきた。プロ奏者の演奏会で、大物の指揮者を見たこともある。

 ひとりたりとも、同じ指揮をする人はいなかった。

 そして、実力を備えた指揮者ほど、その指揮は型にはまらず柔軟だった。


「三木は、テンポキープは充分に出来るでしょう?」

「うーん、それなりには、です」


 丘が頷く。


「指揮で奏者に、何を、どう伝えるか。それを自分なりに工夫してみなさい。明るい調子の場面では、笑顔を見せる。攻撃的で前進するような場面では、まるで歩いているかのように身体を振る。そんな風に、もはや演者と言っても良いくらいに」

「慣れなきゃですね、そういうのに」

「良く見られたいという意識が強いうちは、指揮に柔軟さも自由さも出てこない。そういう意味での自分がどう見られるかを意識するのではなく、自分の表現をどう見せれば、思った通りに伝わるか、を意識できるようになることが大切です」

「努力してみます」

「これも渡しておきます」


 ホチキスで留められた、コピー紙の束だった。

 丘が資料としてまとめた、指揮法の細かな話が載っている。


「凄い量」

「前も言いましたが、定期演奏会では、三木にも振ってもらいますからね」

「んーー、頑張ります」


 丘が、ふ、と笑った。


「演奏会で生徒に指揮を振らせるのは、初めてのことです」


 確かに、前の時間軸では、こんな出来事は起こらなかった。正孝も、奏馬も、やっていなかった。


「期待していますよ」

「はい」

「さて。もうこんな時間ですから、終わりにしましょう」


 後ろの壁に目をやり、時計を見る。二時半を回ったところだ。

 立ちあがろうとしたところで、誰かが、職員室の扉を開けた。


「おお、丘先生」


 呼ばれて、丘が顔を向けた。

 体育の教師が、扉の前で顔を曇らせている。


「他に先生は、いないですか」

「ええ、私だけですね、今は」

「そうですか、参ったな……」

「どうされましたか?」

「いや、体育倉庫の整理をしようと思ったんですが、手伝わせようと思っていた運動部共が逃げまして」

「ああ、例の」

「ええ。今日中にやりたかったのですが」

「何かあったんですか?」

「体育倉庫が、何者かに荒らされていたんですよ、三木。それで、片づけをせねばならないのです」

「へぇ」

「他に生徒はいないのですか、田中先生?」

「ええ。運動部は、全員帰ってしまったようですわ。それで、誰か先生がいればと思ったのですが」

「でしたら、私が手伝いますよ」


 慌てて、体育教師が両手を振った。


「いけません!」

「何故です?」

「丘先生は、大事な大会が控えているでしょう。怪我でもして指揮ができなくなったら大変ですから」

「ですが、お一人では大変でしょう。今日はもう部活動もないですから、大丈夫ですよ」

「良いです良いです、どうにか一人でやります」

「しかし……」

「あの、俺、手伝いましょうか」


 コウキは、言った。


「人手いるなら、やりますよ」

「良いのですか、三木?」

「はい」

「結構大変だぞ?」


 体育教師は、コウキのクラスの体育も担当してくれている。だから、顔見知りだった。


「大丈夫ですよ」

「なら、手伝ってさしあげなさい、三木」

「分かりました」

「それじゃ、すみません、丘先生、三木を借ります」

「ええ」

「来てくれ、三木」

「はーい」


 例年ならこの時期は夕方までみっちり合奏をするのだが、珍しく、丘は午後練習を早めに切り上げた。

 気まぐれか、何らかの意図があってのことか。丘の性格からすると、多分、後者だろうが、あえて聞いてはいない。想像するのも、訓練になるのだ。


「あ、三木」

「はい」

「まだ残っている部員が居れば、声をかけて手伝わせなさい」

「あー、じゃあ一回上行ってきます」

「助かるな、頼むぞ、三木。先に体育倉庫に行ってるぞ。体育館横の方だからな」

「はーい」


 丘が怪我の心配があるというなら、コウキや他の部員も同じことなのだが、体育教師の中では、多分生徒と教師で違うのだろう。

 別に、自分から手伝いを申し出たのだから、そこは、大して気にはならなかった。怪我をしないように、慎重にやれば良いだけだ。

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