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青春ユニゾン  作者: せんこう
高校三年生・コンクール編
441/444

十五ノ十七 「月音と洋子 二」

 さすがに代表選考会ということもあって、ロビーには、人が溢れていた。その多くは出演する高校生だが、演奏を聴きに来た客もかなりいる。

 天井のスピーカーからは、ホール内の演奏が聴こえている。その音に耳を傾けつつ、月音はロビーの端で目立たないようにしていた。


 人垣の向こうに花田高の部員がいて、管楽器を片付けている。和やかな雰囲気を漂わせているということは、納得の行く演奏になったのだろう。

 月音も客席で聴いていて、充分、東海大会へ進めるだろうと思える演奏だった。

 合宿の時よりも、更に一段、高みへ上っていた印象だ。この短期間で、あれだけの仕上がりを見せたのは、さすが、丘とコウキが率いているだけのことはある。

   

 目の前を数人の高校生が通り過ぎて、月音は帽子を目深にかぶり直した。

 花田高の集団の中に、打楽器パートの子達は数人いるが、洋子の姿が見当たらない。華や、東中の子達の近くならと思ったが、そこにもいないようだ。

 もしかしたら、舞台裏の打楽器の方にいるのかもしれない。


 一般客が入れるのはロビーとホール内だけで、舞台裏に行くには、許可証のリボンが必要だ。

 朝から部員に同行していれば貰えただろうが、一人で来た月音は、持っていない。

 仕方なく、その場を離れ、歩きだす。


 本当は、代表選考会を観に来るつもりはなかった。


 だが、今日は愛知県の代表校が揃う日であり、光陽高校もいるということを、今朝、思い出したのだ。

 光陽高校には、洋子を無理やり抱きしめた男子部員がいる。

 もし、洋子がその男子と鉢合わせしたら、また怖い想いをするだろう。


 一人でどうにかできるほど、洋子は強い子ではない。それに、周りの子にも打ち明けていないはずだ。

 だとすれば、あの日、洋子の身に起きたことを知っているのは月音だけで、万が一を想定できるのも、月音だけということになる。


 お人好し、いや、余計なお世話かもしれない。だが、何も起こらないさ、と楽観視は、出来なかった。

 何も無ければ、それで良い。会う事もなく、そのまま帰るだけだ。


「こんにちはー」


 どこかの学校の生徒に頭を下げられ、月音も頭を下げた。

 ロビーの外へ出て、搬入口へ回る。

 ブレザー姿の学校が、大型のトラックへ積み込みをしていた。


「ここもいない、か」


 行く事のできない舞台裏で何かがあったら、お手上げだ。

 だが、そうは言っていられない。

 光陽の男子も、打楽器パートだという。もし、洋子と男子が鉢合わせるタイミングがあるとすれば、一番高いのは舞台裏だ。


 入り口の方へ戻り、再び、ロビーの中へ入る。

 花田高生は、まだ、ロビーで管楽器の片付けをしていた。

 遠巻きに部員達の中から、万里の姿を探す。

 すぐに、万里は見つかった。咲と美喜と、話し込んでいる。


 本当はやりたくないが、やむを得ない。

 ため息をつき、月音は、携帯を取り出した。アドレス帳から万里の番号を選んで、電話をかける。すぐに、万里が反応した。


「もしもし」

「もしもし、万里ちゃん、月音だけど」

「お久しぶりです、先輩」

「急にごめんね、私、今コンクールの会場に来てるの」

「えっ、ここにですか?」

「うん」


 万里が、周囲を見渡しはじめた。


「花田の皆には、内緒で来てるんだ。それで顔は出せなくて。ごめんなんだけど、ちょっとロビーを出てすぐのところに、来てくれない?」

「分かりました」

「ごめん、ありがとう」


 電話を切り、万里を待つ。

 すぐに万里はやってきて、こちらに気づいた。


「月音先輩!」


 万里の顔が輝き、抱きついてくる。


「おっと」

「お久しぶりです、先輩」

「合宿でも、会ったじゃんか」

「もうひと月も前です」

「はいはい、そうだったね」


 苦笑して頭を撫でると、万里は、嬉しそうに笑みをこぼした。

 万里とは、メールはたまにしていた。後輩への接し方とか、練習の進め方とか、パートリーダーとしてどうあるべきかの相談を、良く受けていたのだ。

 多分、逸乃にもしているだろう。それぞれから吸収して、自分なりのパートリーダー像を作ろうとしているに、違いない。


「あ、皆に内緒って……何かあったんですか?」


 身体を離してから、万里が言った。


「うん、実はさぁ、会場の裏に、ちょっと入りたいんだよね」

「許可証がないと入れないですよ」

「そうなの。だからさ、ちょっとだけ、万里ちゃんの許可証貸してくれない?」

「え」

「ごめん、良くないことは分かってる。悪いことに使うわけじゃないよ。だけど、個人的なことで、理由は言いにくいの。お願い!」


 顔の前で、両手を合わせる。

 万里は、少し迷った様子を見せている。


「用事が終わったら、すぐ返すから」


 真面目な万里に頼み込んで、了承してくれるかは分からない。

 だが、洋子のことを打ち明けずに、月音の提案を受け入れてくれそうな子は、他には思い浮かばない。

 

「……月音先輩なら」


 しばらく悩んでから、万里が言った。

 肩につけた小さなリボンを外し、手渡してくる。


「ありがとう、万里ちゃん」

「私、ここに居れば良いですか?」

「ううん、いつ終わるか分からないから、終わったら、電話をもう一回かける形でも良い?」

「分かりました。この後は、もうすぐ楽器の積み込みがあります」


 積み込みが始まれば、洋子は部員と一緒にいることになる。そこまでいけば、もう安心だろう。


「それまでには、戻るね」


 万里と別れ、再びロビーへ入る。

 入り口にいたスタッフに許可証のリボンを見せて、月音は、舞台裏へ続く扉へ向かった。
















 緊迫した空気が、舞台裏に漂っている。

 出番を待つ学校が袖に集まって、前団体の演奏を聴いている。

 つい数ヶ月前まで、自分も、この時間を過ごしていたのだ、と思った。


 もう二度と味わうことのできない、特別な時間。

 幸せだった頃。


 寂しさのような、懐かしさのような、胸を締め付ける感覚を覚えて、月音は頭を振った。

 今は、こんな感傷に浸っている暇はない。


 団体の脇を抜けて、舞台裏を一通り回る。

 すぐに、花田高の打楽器の置き場所は分かった。だいごが、立っていたのだ。だが、近くに洋子の姿はない。


 だいごに話しかけるべきか、月音は迷った。

 あまり話したことがないから、どういう子なのか、ほとんど分からない。話しかけて、月音が来ていることを部員達に言われたくはなかった。

 月音は、本当はこんなところに居てはいけない存在なのだ。


 だが、洋子がいるとすれば、ここしかなかった。なのに、居ないということは。

 不安が、胸の中に生まれる。


「っ……もうっ」

 

 息を吐き、月音は、だいごに近づいた。

 帽子を脱ぎ、だいごの腕に手を触れる。振り返っただいごは、目を見開いた。


「やっ」

「え、先輩……何でっすか?」


 訳が分からない、といった表情を浮かべている。


「今日、来てましたっけ」

「まあ、まあ。それよりさ、洋子ちゃんのこと見なかった?」

「え、あー、さっきまで一緒にいましたよ」

「どこ行ったの?」

「さあ、なんか光陽の奴が来て、連れて行きましたけど」

「男子?」

「はい」


 胸が、ざわつく。

 やはり、か。


「どっちに行った?」


 だいごが、後方を指差す。わずかに開いた扉の隙間から、暗い舞台裏へ、明かりが入り込んでいる。


「ありがとう」

「はあ」


 だいごの前を抜け、扉から出た。リハ室などに通じる通路だ。洋子の姿は、ない。

 通路を足早に進み、ホールの裏手へ抜ける扉を開ける。蝉の騒々しい鳴き声が、耳に飛び込んできた。ここにも、洋子は、いない。


 どこだ。


 会館内の構造を、思い出す。

 もし、男子が洋子と二人で話そうとするなら、人の少ない場所へ行くはずだ。

 この辺りから行くとしたら。


 ホール裏の広場へ通じる方は、写真撮影の学校がいるから、まずない。その反対方向は、駐車場へ通じる裏道で、せいぜい楽器運搬のトラック運転手や一部の学生しか通らない。

 あの辺りなら、可能性はある。


 月音は、外へ飛び出して、壁沿いに走った。こっちにいなければ、完全にお手上げだ。

 いてくれ。

 願いながら、駆けていく。


 角を曲がろうとしたところで、月音は慌てて動きを止めた。壁に背をくっつけ、弾む息を抑える。

 角から、そっと顔を出して、視線を動かした。


 建物の構造上、少し奥へ下がった空間で、異なる制服を着た二人が、向かい合っていた。

 男子と、女子。

 いた。


「あの時は、本当にごめん。嫌な思いをさせたかったわけじゃないんだよ、洋子ちゃん」


 予想は、当たっていたらしい。

 背の高い男子が、洋子の前に立っている。

 月音は、飛び出した。洋子の表情を見た瞬間、こいつだ、と確信したのだ。 

 

「僕は、本当に君のことを……!?」


 洋子の前に立ち、男子を睨みつけた。


「うちの後輩に、何か用?」

「えっ、あ?」


 男子は、何事かという表情を浮かべている。


「勝手に連れ出さないでくれる? この子、うちの大事な部員だから。返してもらうよ」


 言って、洋子の方を振り向く。

 怯えた顔で、今にも泣きだしそうだった洋子の目に、驚愕の色が浮かんでいる。

 どうして、と。

 何も言わずに笑いかけて、その手を握る。


「行くよ」

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 

 空いている方の手を掴まれて、月音は、瞬時に振り払おうとした。だが、その手は、振りほどけなかった。


「痛い! やめて!」


 叫ぶと、慌てて、男子部員が手を離す。


「っ、ごめんなさい! あ、あの、僕は光陽高校の部員で、河合良太って言います。洋子ちゃんとは、知り合いなんです」

「知ってる。でも関係無い」

「どうしてですかっ!?」

「この子の顔、見れば分かるでしょ。迷惑なの」


 良太が、洋子に目を向ける。


「洋子ちゃん……」


 洋子を、自分の背に隠す。


「もう、二度と洋子ちゃんに近づかないで」


 強めの口調で言うと、良太は、狼狽えた様子で、足を引いた。


「僕は」

「河合君!」


 良太が、はっとした。

 声のした方へ、目を向ける。光陽高校の制服を着た女子生徒が、こちらに駆けてきた。


「志野、先輩」


 良太が、ばつの悪そうな顔をする。


「何してるの、こんなところで。勝手に抜け出すのは許可されてないでしょ!」

「あなたは?」


 問いかけると、志野と呼ばれた女子生徒が、こちらを見た。


「光陽高校吹奏楽部の副部長の、志野です」

「あっそ。その男子生徒、うちの部員に手出そうとしてきたんだけど?」


 志野の顔つきが、さっと変わる。


「この子の様子見れば、察せられるでしょ、その男子生徒のしたこと」


 志野が、洋子の顔を見る。鈍い子ではないようだ。すぐに、険しい顔つきで、頭を下げてきた。


「……申し訳ありません、私達の監督不足です」

「ほんっとに迷惑だから、もう二度とうちの部員に近づかせないで。てか、その人をコンクールに出させるのもやめて欲しい。会場で顔を合わせるのだって、こっちには精神的に負担なんだから」


 志野は、唇をきつく結んでいる。


「大事にはしないから、そっちでちゃんと処理してよね。副部長のあなたに言っても、意味ないかもだけど」

「……申し訳ありません」

「次、その人がうちの子に近づいて来たら、学校か教育委員会に抗議するからね。そうされたくなければ、こっちの視界にも入らないように、徹底させて」

「……徹底、します」

「行こう、洋子ちゃん」


 奮える洋子の手を引っ張り、歩きだす。


「何してるの、あなた!」


 角を曲がったところで、向こうから、志野の怒声が聞こえてきた。


「こんな日に問題を起こすなんて!」


 甲高い声が、うるさい。

 だが、志野が来てくれて良かった。これで、良太が洋子に近づく可能性は、ぐっと減るだろう。

 

 壁沿いに会館の裏手へ戻り、洋子を建物の中へ入れた。月音も入ると、ひんやりとした空気が、外の熱気と緊張で火照った身体を包み込んだ。

 息を吐き、胸を抑える。


 少しだけ、自分の身体が震えていることには、気がついていた。

 緊張のせいか、それとも、恐怖のせいか。

 

「月音、先輩」


 振り返った洋子の目は、涙で滲んでいた。唇も、かすかに震えている。


「偉い、よく耐えたね」


 頭を撫でてやると、洋子は、感極まったように、月音の胸に顔を埋めた。

 その身体を抱きとめ、背中をさする。

 歳は離れているのに、背丈があまり変わらないのは、なんだか複雑だ、と、どうでも良いことが思い浮かんだ。

 

「間に合って、良かった。いや、若干、間に合ってなかったけど」


 洋子が、頭を振る。少しだけ、甘いような鼻をくすぐる香りが、髪から漂ってきた。


「どうして……来てくれたんですか?」

「んー……どうして、かなぁ」

「たまたま、ですか?」

「そういうわけじゃ、ないけど……いや、でもまあ、そういうことにしとく」


 洋子が心配だったから、などと、わざわざ言う必要はなかった。

 感謝をされたくて、来たわけではない。


「来てくれなかったら、私、また、前みたいになってたかもしれません」

「うん」

「ありがとう、ございます、月音先輩」

「今は大丈夫? 気持ち悪さとか、怖さとか」

「……はい」


 洋子を抱きしめる腕に、少し、力をこめる。


「……もう、こういう時に一人になっちゃ駄目だよ。常に、誰かと一緒にいること。誰かに呼び出されても、絶対に、一人でついていかないこと。嫌な時は、ちゃんと嫌っていうこと」

「……はい」

「何も無くて、ほんとに良かった」


 探す場所を間違えていたら、洋子には会えなかったかもしれない。

 志野が来なかったら、良太から何かをされていたかもしれない。

 何も無かったのは、ただの偶然。たまたま訪れた幸運でしかない。


 洋子のような子は、何もしていなくても、他者の悪意に晒される可能性がある。

 それは、自分自身で避ける努力をしなくてはならない。


「私がいつでも一緒にいられるわけでもないし、今日みたいに来られるとも限らないから、誰か信頼できる人に、事情を伝えておいたほうが良いと思う」

「……でも」

「分かってる。何をされたかとかは、言わなくても大丈夫。ただ、あの男子とは会いたくないってことは、ちゃんと周りにも理解しておいてもらう方が良いよ」

「……分かり、ました」

「ん」


 洋子の身体を離し、笑いかけた。


「あっちの副部長、しっかりしてそうだし、大丈夫だと思う」


 こくん、と洋子が首を折る。


「もうちょっとそばに居てあげたいけど……楽器の積み込み、あるんだよね、もうすぐ」

「はい」

「皆が心配するから、行ってきな」

「月音、先輩は?」

「私はこのまま帰るよ。内緒で来てるから」

「でも……」

「洋子ちゃんも、私に会ったことは内緒にしてて、ね?」


 洋子は困ったような表情をしながらも、小さく、頷いた。


「ありがと。またね、洋子ちゃん」


 洋子が、深々と頭を下げる。名残惜しそうに歩きだし、時折、こちらを振り向く。早く行け、と手で送り出し、舞台裏へ入っていくまで、見守った。

 完全に姿が見えなくなってから、月音は、その場にしゃがみこんだ。


 どっと、疲れた。


 舞台裏ならだいごもいるし、そろそろ他の打楽器の子も積み込みのために来ているはずだ。 

 警告はしておいたし、洋子がまた会場で話しかけられることは、多分、ないだろう。


 本当なら、花田高の誰かに、このことを伝えておきたい。 

 だが、それは、月音が勝手にして良いことではない。洋子が、誰かに話したいと思って、初めて打ち明けることだ。

 

 月音がまだ高校生だったなら、守ってあげられただろう。

 だが、そうではない。

 洋子は、自分の身を、自分で守らなければならない。


 もう、何事もないことを、願うばかりだ。

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