十五ノ十五 「想いを背負って」
「中々自分の良い所には、気づけないよな」
以前、元子にも似たようなことを言われた。
「確かに、七海ちゃんは人気者だ」
コウキが言った。
「明るくて、責任感もあって、愛嬌もある。リーダーもしっかりやれてて、人の前に立つ素質もある」
全て、睦美にはないところである。
「睦美ちゃんは、七海ちゃんみたいになりたいの?」
再び、目を伏せた。
七海みたいになれたら、どれだけ幸せか。
「……七海ちゃんにも、何かしら悩みはあると思うけどねぇ」
「七海に悩みなんて、あるはずありませんよ」
「そうかな。さっき言ったじゃん。俺は、毎日皆の顔を指揮台に立って見てるんだ。些細な変化に気づくくらいには、きちんと見てる」
「え、じゃあ」
コウキが、頷いた。
「姉妹で、きちんと話し合ってる? 睦美ちゃんの悩みは、七海ちゃんに対する想いが強いんだろ? なら、その七海ちゃんと、とことん話し合ったほうが良いと思うけど」
「でも」
「話し合うことで、喧嘩になったり傷つけあうかもしれないけど、それを怖がって今のままでいたら、きっと睦美ちゃんは、変わりたくても変われないんじゃないかな」
「……」
「あと、もし自分に良いところなんて無いと思うなら、良い所を言い合うワークをやるのはどうかな?」
「何、ですか、それ?」
「一対一で、相手の良い所を言い合う簡単な遊びみたいなものだよ。一昨年は、それたまにやってたんだよね。
ほら、人って、つい悪い所をみてしまいがちでしょ。でも、どんな人にも悪い所もあれば良い所もある。どこを見るかで、その人の見え方って、全然変わるんだ」
「はあ」
「睦美ちゃんが自分の悪い所ばかりを見てしまうなら、他の人から、このワークで良い所を見つけてもらうんだ。自分じゃ気づかない部分に、気づけると思うよ」
「……」
「興味ある?」
「……ちょっとは」
「じゃあ、リーダー会議で提案しとくよ。やる時間はそんなにかからないから。部員皆でやると楽しめると思うし、やってみようか」
小さく、頷いた。ピンと来てはいないが、コウキが薦めるのなら、やってみたいとは思う。
「あと、俺で良ければ、これから部活外の時間だけ、ペア練習組もうか?」
「えっ!?」
自分の耳を、疑った。
「勿論嫌じゃなければだけど、クラのことでも、見てあげられる部分は多いと思う」
「ぜ、ぜひっ、お願いします!」
「おっけ」
に、と笑いかけられて、睦美は思いきり頭を下げた。
コウキとのペア練習といえば、後輩なら誰でも熱望するほど価値のあるものだ。なぜなら、今までコウキと個別練習をした部員は、口をそろえて上達を実感したと語るからだ。
ののかやひなたも、もっとコウキに見て欲しい、といつも言っている。
だが、部活中の正式なペア練習では、コウキは心菜と莉子と組んでいる。それ以外の時間でとなると、大抵コウキは忙しくて、中々見てもらうことはできない。
そのコウキから提案してもらえたとなれば、断る理由などない。
「明日から、早速やろうか」
「はい、あ、ありがとうございます」
「朝練、俺は六時には来てるから、早めに来れば見てあげるし、部活後でも時間があれば見てあげるよ」
「早めに登校するようにします」
「ん。ワークの件も、楽しみにしてて」
コウキが、立ち上がる。
「あの、コウキ先輩」
「うん?」
「相談、乗ってくださってありがとうございました」
「ああ。魔法みたいな解決策はないから、地道に色んなことを試して、睦美ちゃん自身が楽な気持ちになれるよう、一緒に模索していこうな」
「はいっ」
立ち去るコウキを、その姿が見えなくなるまで、睦美は見送った。
睦美が、コウキとマンツーマンでの練習することになった。その噂は、瞬く間に部内に広がった。
あの睦美が、どうやってコウキと組めることになったのか。
もうずっと、コウキの個別指導を希望して待つ部員の列は伸びていたのだ。なのに、ここにきて睦美が選ばれた。
正直に言えば、奈美も羨ましかった。
奈美のペア練習の相手は智美と一年の通之だ。奈美が教える側で、智美と通之が教わる側。
正孝が卒業してから、奈美は実質的にアルトサックスのトップとなって、教えてもらえる人はいなくなった。
教えることも役には立つし、三年の幸や元子に教えてもらうことも無意味というわけではないが、テナーやバリトンが専門の奏者とアルトが専門の奏者では、やはり肝心のところで擦り合わない部分がある。
上達を目指すのなら、ちゃんとしたアルトの奏者から教わる必要があるのだ。
だが、コウキは別だった。
コウキは楽器すら違うのに、そうとは思わせないような指導をする。
コウキのアドバイスを貰えば、誰もが上手くなる。そんな噂すらあるほどだし、実際にコウキの個別指導を受けた事のあるののかやみかも、その指導に惚れこんでいる。
「はあ」
羨んだところで、奈美がコウキと組めることはない。
今のコウキは多忙を極めているのだ。ペア練習では心菜と莉子と組み、部活外では睦美と。そして、学生指導者としての仕事も山積している。
結局、奈美は自分ひとりで壁を超えなければならない、ということでもある。
「奈美ちゃん、集中」
つん、と肘で突かれた。
「もうすぐ本番なんだから」
「っ、すみません、智美先輩」
「緊張?」
「いえ。ちょっと、考え事してました」
狭く小さなリハーサル室。ここが、最後の音出しのタイミングとなる。
丘の横で、ハーモニーディレクターがB♭の音を鳴り続けていて、部員達は、チューニングをしている。
奈美もすぐに音を出し、チューニングを済ませた。
「では、課題曲冒頭を」
ハーモニーディレクターを止め、丘が言った。
「はい」
指揮棒が上がり、わずかに、揺れる。
息の合った出だしで、リハーサル室内が、震えた。音の粒は、はっきりとしている。
丘が頷いて、すぐに止めた。
「もう一度」
同じ事を繰り返し、また、丘が頷く。
「次、トリオから」
「はい」
課題曲の中間部。クラリネットのメロディが響く。奈美は、ハーモニー担当だ。クラリネットに寄り添うように、バランスを意識する。
丘は、また頷いた。
指揮棒が、下ろされる。
「良い音です」
丘が、部員一同を見回す。
「力みは、ありませんね」
にこりと、丘が微笑む。
「課題曲は、とにかく基本に忠実に。今までやってきたことを、今まで通りに出しましょう」
「はい」
「自由曲、行きましょうか」
「はい」
沈黙。息を整え、奈美は目を閉じた。
華の音が、リハーサル室に響く。のびやかで、抒情的な音色。
美しい、と奈美は思った。
心が、凪ぐ。
雑念が、取り払われていく。
深く、息を吐いた。
演奏が、止まる。
目を開けると、丘も、指揮棒を下げていた。
「県内の代表校が、全て集まっています」
静かに丘が言った。
「今年もまた、この時を迎えました。皆さんが、実力で勝ち取ってきたステージです。例年以上に、どうなることかと危ぶまれた四か月ではありましたが、皆さんは実に良い音楽を作り上げてきました。
ここからです。ここから、更に、もう一歩進みましょう。多くの人々の願いを背負って、前に進みましょう」
「はい!」
「三木。何か、伝えておきたいことは」
視線が、最後列のコウキに注がれる。それを一身に受けて、コウキは自信に満ちた笑みを浮かべた。
「今朝、皆で集まってから基礎合奏をしたよな。すごく、良い音をしてたよ。本番当日の緊張が、良い力になってると思う。緊張しても良い、緊張することは普通なんだ。ただその緊張に呑まれず、楽しもう。いつも通り、楽しく」
「はい!」
「中村も」
丘の言葉に、智美が目を閉じ、息を吐く。
この場にいる全員が、智美の言葉を待つ。
奈美もまた、待った。
何を言うのだろう。
「客席で、メンバーから外れてしまった子達が待ってる」
澄んだ声だった。
その言葉に、部員の背筋が伸びた。奈美も、自然と伸びていた。
「あの子達の想いも背負って、私達はここにいる」
そうだ、と奈美は思った。
「去年の先輩達も、一昨年の先輩達も、ずっとずっと前から、多くの人達が、花田高が全国大会へ行くことを、そして金賞を受賞することを願ってきた。
私達は、それを背負ってる。だから、行こう、先へ」
「はい!」
今日一番の、返事だった。




