五ノ一 「パーティに向けて」
折り畳み式机の上に置かれたカップから、白い湯気とココアの香りが立ち上っている。
智美はそれを手に取り、一口飲んで息を吐いた。
美奈がココアが好きで、家に行くといつも菓子と一緒に出してくれる。
以前はそれほど好きではなかったけれど、美奈の作ってくれるココアのおかげで、最近では智美もその良さが分かるようになってきた。
素のままでもコーヒーほど苦くなく、ほんのりと甘みを感じるような味わいだし、牛乳を加えるとまろやかなコクのある味になる。
砂糖を入れると、贅沢な味でもう一杯飲みたくなってくるし、ちょっと変わったところでは、シナモンを入れたり、胡椒やカルダモンといったスパイスの香りを移したものも変わり種で美味しい。
そして冬は断然温かい状態が良い。香りも立つし、身体が温まる。
美奈は大きなマグカップでたっぷり飲むのが好きみたいだけれど、智美は小さめのカップで楽しむくらいがちょうどよかった。
机の上には、カステラも置かれている。これも美奈が焼いてくれたもので、最近は和菓子にも挑戦しているらしい。
カステラは使う材料は洋菓子と同じだから、初めの和菓子として良い、と美奈は言っていた。
焼けて茶色くなった上部と、ザラザラとした砂糖が美味しい下部。間に挟まれたスポンジ状の綺麗な黄色の生地。
長方形に切られたそれは、上品な姿で食欲をそそる。
カステラは、見た目も美味しさも完成された究極の和菓子と言える。
そのまま食べても美味しいし、ちょっと行儀が悪いけれど、ココアや牛乳に浸しても美味しい。
変わったアレンジとしては、コーヒーを染みこませてチーズクリームと合わせ、ティラミス風にするのも良い。
菓子作りはいまだに苦手ではあるものの、カステラの食べ方に関してだけは、智美は自信がある。
フォークで切り分けて、口に運ぶ。
甘くまったりとしたカステラの風味が、口の中に広がる。
「これ、最高だよ」
和菓子屋で買ってもらうカステラに匹敵すると思う。
「ほんと? 良かった」
嬉しそうに笑ってから、美奈も自分のカステラを口に運んだ。
味わうように、ゆっくりと噛んでいる。
美奈はいつも幸せそうに菓子を食べる。見ているこちらまで笑顔になるような食べ方だ。
「うん、良い感じ」
満足そうに頷いている。
カステラを作るのは、もう十回目だと言っていた。
美奈は、一つの菓子が納得の行く味になるまで、何度も何度も作るらしい。
そうして作り上げた菓子は、レシピを見なくても覚えていて、いつでも作れるようになるそうだ。
何度も諦めず挑戦できるのは、それだけ菓子作りが好きだからだろう。
二人ともカステラを平らげ、ココアでほっと一息ついた。
「今日は寒いね」
「うん、積もるかな?」
窓の外に目をやる。小さな綿毛のような雪が、次々と降ってきている。
この町では珍しい降り方である。小学六年生の頃に、一度積もった時以来だ。
「このまま続いたら、いっぱい積もりそうだね」
「雪って、寒いけどテンション上がらない?」
「分かる」
顔を見合わせて、小さく笑った。
雪は滅多に見られないから、ついはしゃぎたくなる。もうすぐ高校生になるのにこどもじみているかもしれない。けれど、気分が上がってしまうものは仕方がない。
雪国の人からすれば当たり前の景色でも、この町のこどもにとっては、雪は特別だった。
「ねえ、美奈はクリスマスの予定はある?」
「え? うーん、無いよ。お母さんとお菓子作ったりするかな?」
「じゃあ、今年は奈々の家で集まってクリスマスパーティするんだけど、美奈も来ない? 十人集まるんだけど、奈々と亜衣と里保も久しぶりに美奈に会いたいって言ってるんだ」
「え、面白そう! 他には誰が来るの?」
「えっと、確定したのは拓也君と健と茜ちゃんに、華と洋子ちゃん、それとコウキ」
指を折りながら、参加する人の名前を上げていく。
由美と沙知と亮と直哉は、四人でダブルデートの予定をすでに組んでしまっていたので、不参加になった。
言い終えて顔を上げると、美奈から先ほどまでの笑顔は消えていた。
「え……どうしたの?」
顔を覗き込む。美奈はとても苦しそうな表情をしている。
何も言わない美奈。智美は、言葉を待った。
随分と経ってから、美奈は言葉を発した。
「ごめん……私、参加しない」
心臓が、大きく音を立てた。
「ど、どうして?」
「……私、もう、コウキ君とは会わないって決めたんだ」
鼓動が、早い。言葉が出てこない。
「智ちゃんにもそのうち言おうと思ってたんだけど、私、もうコウキ君のことは諦めることにしたよ」
両手で包むようにして持っていたマグカップをテーブルに戻すと、美奈はまっすぐ智美の目を見つめてきた。
「もうね、辛いんだ。コウキ君のことを考えるの。ほんとはね、会いたいよ。話したいよ。でも、それをしちゃったら、今以上に辛い気持ちで離れることになる。向こうに行って、ずっと苦しい思いをし続けることになる。好きなのにそばにいられないんだもん」
喉が貼りついたように動かせない。
「でも、今なら、このままの気持ちで離れられる。最初は辛くても、だんだん向こうの生活に慣れて、コウキ君のことも忘れて、一からやれるかもって思うんだ。だから……」
途中から、美奈は泣いていた。
「だから、もう会わないって決めたの」
本当はそうしたくない。けれど、どうにもならない現実が目の前にある。
耐えるためには、美奈はそう決めるしかなかったのだろう。
顎を伝ってこぼれ落ちる涙が、それを物語っていた。
立ち上がって傍に寄り、肩を震わせる美奈を抱きしめた。美奈の震えが伝わってくる。
かけられる言葉が見つからず、ただ抱きしめて、背中をさすってあげることしかできなかった。
胸を締め付けるような、美奈の泣き声。
気がつくと、智美も涙を流していた。
ショッピングモールはクリスマスムード一色となっていた。
店内に流れるBGMはお決まりのクリスマスソングで、あちこちに赤と白と緑の飾り付けがされているし、テナントの前に立つ店員が、財布の紐が緩くなっている客を集めようと、声を張り上げて呼び込みをしている。
コウキはその様子をアクセサリーショップの前で立ち止まって、ぼんやりと眺めていた。
隣には、店に入るか入るまいか、悩み続けて五分近くうろうろしている拓也がいる。
「奈々へのクリスマスプレゼントを、一緒に選んでくれないか?」
拓也にそう頼まれて、二人でショッピングモールへ来ている。
プレゼント交換の分とは別に、奈々にプレゼントを用意したいということだった。
ちょっと前までの、女の子に全く興味のなかった頃からは想像もつかない進歩だ。
そんな姿を見せられたら、協力しないわけにはいかない。
「奈々さんが何を欲しがってるか、会話の中にヒントは無かったのか?」
拓也にそう聞いたら、以前奈々の家で勉強していた時、ペアアクセサリーに憧れると言っていた、と教えてくれた。
貴重な情報だ。
拓也の気持ちのこもったプレゼントなら何でも喜ぶだろうが、どうせなら欲しいものを贈ってあげたほうが良い。
それで、アクセサリーショップに入ろうとしていたのだ。
「……男だけで入るのはどうなんだ!?」
つまらない意地に支配された拓也は、通り過ぎるカップルにひそひそ話をされたり笑われるほど、悩まし気に足を踏み出したり、戻したり、くるくる回ったり、挙動不審である。
「いつまで悩んでるんだよ」
「分かってるんだけど……」
そう言いつつ、動かない。
拓也が踏み出すのを待っていたが、いい加減面倒なので、先に入ることにする。
「あっ、ちょっ、コウキ」
「いらっしゃいませ~」
女性店員が笑顔で声をかけてきたので、挨拶をして中に入った。
怯えるこどものように情けない足取りで、拓也が後ろをついてくる。
「ほら、入れた」
「お、おう……」
「気にしすぎだって。別に変じゃないよ、男だけで入っても。ですよね?」
そばに来ていた女性店員に問いかける。
「勿論です。どなたでもゆっくり見て行っていただいて構わないんですよ」
「あ、そ、そうですか。どうも……」
「さて、と。お揃いのアクセサリーだよな。指輪かイヤリングかネックレスか……って言って、どれもちょっと拓也にはハードル高いよな?」
「うん無理……」
想像しただけで参っているのか、げんなりした顔をしている。着飾るということに興味のない男だから、無理もない。
「ブレスレットはどう? 手首だからそんな目立たないし、夏だとお洒落にもなるし」
「腕輪か……それなら、まあ」
「なんだよ腕輪って。ブレスレットって言えよ」
思わず突っ込んでしまって、女性店員にまで笑われた。
コウキまで、恥ずかしくなってくる。
「とにかく……ならお揃いのブレスレットで探せば」
「そうする」
店内は、女性客ばかりだ。
慣れない異空間にびくびくしながら、それでも拓也は陳列されている商品を真剣に見て回った。
その間、コウキも商品を眺めて歩いた。
色とりどりのシュシュ。穴を開けなくてもつけられるこぶりのイヤリング。フェイクの宝石がギラギラと輝く派手なネックレス。眺めているだけだと、どれも同じに見える。
なるべく女性ファッションのトレンドを知っておくために女性誌も読むようにはしているが、アクセサリーに関してはいまだに良くわからない。
ふと、洋子は私服の時、ヘアアクセサリーやブレスレットをよくつけていたことを思い出した。
あまり主張が強くないさりげないものを身に着けていて、それが一層お洒落に見せていた。
ああいうタイプのものも、よく見るとちらほらとあった。
コウキも洋子のつけていたようなシンプルなアクセサリーのほうが良いと思うが、女性の好みは人それぞれだ。
贈り物をする場合は、自分の好みで選ぶより、贈りたい相手が普段身に着けているものに近いものを選ぶと間違いは起きにくいかもしれない。
そんなことを考えながら待っていたら、拓也が戻ってきた。
店内をくまなく見たが、しっくりくるものが無かったらしい。
揃って店を出た。
「じゃあ、次の店行くか」
「ああ……」
見つかるまで、店を巡るしかない。
さらに二軒ほどアクセサリーショップを見たが、拓也の納得のいくものは見つからず、今度は女性向けの服屋もしらみつぶしに見て回った。
三軒、四軒とテナントを移動していく。
ここまでで二時間ほどかかり、さすがに二人とも疲れてきた。
疲れのせいで判断力も鈍くなるし、次の店を見たら休むかと考えていたところだった。
「いらっしゃいませ~」
店の前に立つ店員の呼び声。
低音が腹に響く、クラブミュージックのような曲がかかる派手目の店だ。
拓也曰く、奈々の服の系統と似ているらしい。
確か、学生のような若い子に人気の店だ、とコウキは思った。
もしかしたら、奈々もここで服を買っているのかもしれない。
店内の客は、やはりコウキ達と同い年かちょっと上くらいの女の子が多い。
完全に、拓也が気後れしている。
「おい、そんなおどおどしてたら、これから先奈々さんとショッピングなんてできないぞ」
「う……」
「こういう店にも入るだろうし、奈々さんから意見も求められるだろうし。そういう時に、いや俺は外で待ってる、なんて言ってたら、つまんない奴だなって愛想つかされるぞ」
「ぐぐぐ……」
「それに、一緒に買い物すれば拓也の好みの服も着てもらえるかもしれないし、カップルで店に入るのもおかしいことじゃないし。男だけでも、彼女へのプレゼントかな、って思われるだけだって。下着屋じゃないんだからさあ」
「~~ッ分かった!」
説得の甲斐あってか、拓也はようやく自分から店に入った。後に続いて、中に入る。
店の外にいた時よりも、より一層腹に低音が響いてくる。
きらびやかな店内に目を白黒させている拓也の背中を押して、アクセサリーコーナーまで向かった。
服屋のわりに、アクセサリーの品ぞろえが良い。しかもクリスマスのキャンペーンをやっているらしく、ペアものが他の店に比べて多く取り揃えられていた。
拓也の目が一瞬にして真剣なものになる。
「……あ」
拓也が一対のブレスレットに目を止め、手に取った。
「これ良いかも」
拓也が手に取ったのは、革製のシンプルなペアブレスレットだった。男性用が黒で女性用がキャメル。
"大好きな彼氏との絆に、クリスマスはこれで決まり!"と書かれたポップが置いてある。
店の系統のわりに、シンプルで派手過ぎず、良い感じだ。
「良いじゃん」
「だよな? これくらいなら俺も付けられるし、奈々の普段の服装の邪魔にもならないと思うんだけど」
値段も手ごろだ。拓也の予算に収まる。
どんな格好にも馴染みそうな、クセの無い良いブレスレットだ。
「決定か?」
拓也はもう一度ブレスレットをじっくり眺め、それから頷いた。
「おう、これにするわ」
ようやく、拓也が笑顔になった。
今日一日、プレゼント選びだけで倒れるのではないかというような酷い有様だったが、無事に納得の行くものが買えたようで安心だ。
会計を済ませ、ラッピングも施してもらったペアブレスレットが入った袋を提げながら、拓也が店から出てきた。
「お待たせ」
「おう」
二人とも歩き回って疲労していたので、フードコートで休むことにした。
昼時なので利用客が多い。くまなく歩き回って、ようやく席を確保する。
昼食は、拓也がハンバーガーでコウキはうどんを選んだ。
「いただきます」
つゆを一口すすって、ほっと息をつく。熱々のつゆが、身体に染みる。チェーン店のうどんだが、疲れた身体には効く。
しばらくうどんに集中して、温かいうちに味わった。
ハンバーガーをあっという間に二つ平らげた拓也が、フライドポテトをつまみながら呟く。
「どうやって渡すかな」
「そうだなあ。ムードが重要だもんな」
「ムード。ムードねぇ……」
「まだ時間あるし、じっくり考えろよ」
「ああ。ありがとな、今日は。ついてきてくれて」
「また困ったら言って」
「ほんと助かったよ」
「どういたしまして」
拓也が真剣に悩んで、自ら選んだものだ。想いを込めて贈れば、きっと奈々も喜んでくれるだろう。
あのブレスレットが、二人の仲をより確かなものにしてくれることを期待しよう、とコウキは思った。
クリスマスはもう目前だ。
フードコートの大きな窓の向こうは、すっかり雪が積もって、辺り一面真っ白になっていた。
クリスマスも、雪は降るのだろうか。




