十五ノニ 「大花火」
今年の夏の夜は、蒸し暑い。
団扇で扇ぎながら、メイはため息をついた。
エアコンはついているが、両親が節約の為とか言って、温度を外気温と一度差にしかさせてくれないのだ。そのせいで、家の中に居ても、大して外と変わらない。
むしろ、外の方が風が抜けて涼しいのでは、というくらいである。
「ねえ、お母さん、エアコンもう一度下げてよ」
「しつこいわね、駄目って言ってるでしょ」
「今日くらい良いじゃん、ほら、室温三十度だよ? 暑すぎるって」
「涼しすぎる部屋で過ごすのは、身体にも良くないのよ。氷枕でもあててなさい」
「も~!」
身体に良いかどうかなどどうでも良くて、この身体にまとわりつく不快な蒸し暑さをどうにかしたいのに、母には分かってもらえない。
頬を膨らまし、テレビのリモコンを母の手から奪う。ドラマを見ていたところだった母は怒ったが、構わず、チャンネルを回した。
「次のニュースで……」
つまらない。次のチャンネルへと、変えていく。
「どうしたらそうなんねん!」
「わはは!」
「んん~、美味しい~! とろける柔らかさで……」
「うちの花火にはね、恋に関する伝説があるんですよ」
一つのチャンネルの内容が気になって、メイは指を止めた。
「花火師の鈴木さんはそう語る」
ナレーターの渋い声。地元のケーブルテレビのようだ。
「毎年一万発打ち上げるでしょ。その中で、目玉の大花火があるんですけどね。これを想い人と共に見上げながら、同じ想いを示し合わせる事なく思い浮かべられたら、その恋は成就する……って伝説がありまして」
「えっ、本当ですか?」
「さあ、どうなんですかねぇ。でも、毎年、手紙が来るんですよ」
「手紙?」
「ええ。大花火を見た人からね、伝説のおかげで付き合えましたとか、告白が成功しましたとか……まあ、色々と。そんな調子ですから。もしかしたら少しは効果があったりしてね、ははは……」
「鈴木さんが率いる花火師集団は、少数精鋭。全国の花火師の間でも有名な腕利きが揃っているという。彼らの作り上げた自慢の花火は、八月三日、夜空に咲き乱れる」
ナレーターの声で、インタビューは締めくくられた。
「これ、今度の花火大会の話ね」
母が言った。
「伝説って、ほんとかな」
「さぁねぇ、でも、メイはこういうの好きでしょ」
「別に好きじゃないし」
「でも、部屋に占いの本とか、あるじゃない」
「なっ、入ったの!? 勝手に部屋に入らないでよ!!」
「じゃあ洗濯物くらいちゃんと出しときなさい。お母さんが取りに行かなくてすむように」
「余計なお世話!」
「あらそう。でも、汚れた服を着て学校に行って、好きな子に嫌われても知らないわよ」
「すっ……好きな子とか、いないし!」
「高二にもなるのに? お母さんがその年の頃は、彼氏いたけど?」
「うえ、聞きたくないよ、そんな話。恋愛なんて、大人になってからすれば良いもん」
「はあ……そういうことを言う女の子に限って、どんどん行き遅れてくのよ。我が娘ながら、心配だわぁ」
「うるさいなぁ、ほっといてよ!」
リモコンを母に押しつけて、メイは立ち上がった。くすくすと笑う母を背に、居間を出て、自室に入った。ベッドに、仰向けにダイブする。
メイの両親は、もう良い年なのに、未だに家の中でもいちゃいちゃとしている時がある。親のそんな姿は見たくもないのだが、二人は構わないらしい。
年頃の娘に与える影響を、考えてほしいものだ。
特大のため息を吐いて、メイは天井を見上げた。
「……想い人と共に見上げながら、同じ想いを思い浮かべる、か」
先ほどの花火師の言葉を、思い出していた。
示し合わせることなく、というのが難しい。そう簡単に相談せずに同じ事を思い浮かべられはしないだろう。
そういう難しい条件だから、効果があるのだろうか。
「って、馬鹿馬鹿しい。そんなの、あるわけない」
鼻を鳴らし、メイは、うつ伏せなった。
枕に顔を埋めていると、頭の中に、だいごの顔が思い浮かんでくる。
だいごは、誰かと花火大会に行くのだろうか。
まさきやクラスメイトの男子とは、行きそうだ。でも、同じクラスには沙也もいる。沙也とは打楽器同士だし、妙に仲が良いし、もしかしたら。
自分の浮かべた嫌な想像に、舌打ちをした。
「アホくさ。どうでもいいもん」
頭の中の雑念を振り払って、携帯を掴んだ。
かおるに、メールでもしよう。どうせ今の時間なら、暇をしているはずだ。
メールを送信すると、案の定、数分もしないうちに、かおるからの通知が届いた。
昨晩、ケーブルテレビで花火師のインタビューが流れたせいだろう。今朝の部内は、花火大会の話題で持ちきりだった。
主に女子部員が、花火師の語った伝説について、盛り上がっている。
バリトンサックスを布で優しく磨きながら、元子は、聞こえてくる会話に耳を傾けていた。
「えー、でもさ、思い浮かべる内容を相手と相談しちゃいけないんでしょ、むずくない?」
「それねー。結構運だよねぇ」
「本当に好き同士なら、同じこと思い浮かべられるのかなぁ?」
一年生が、はしゃぎ声をあげた。
「望は、祐介と行くの?」
「行かなーい。祐介、人混み嫌いだし」
「えー、もったいないじゃん」
「そお? でも、そもそも花田町からだと遠いもん。二人とも、親が許さないよ」
「あー、そっか……残念だねぇ」
「華達は行くんでしょ?」
「うん、行くよー」
「いいなぁ。私も、行けるなら行きたかった」
「伝説のために?」
「それは……まあ、少しは?」
笑い声。
「てかさ、それで言うとずっと気になってたんだけど」
望が言った。
「華って好きな人いないの? 伝説を一緒にやるような相手」
「……それ、私も気になるなぁ」
トロンボーンの美代が、言った。
「私にいると思う?」
華のあっさりとした返事に、美代とホルンの望が、顔を見合わせる。
「まあ……そうだよね」
「予想はしてた」
「華ちゃんに釣り合う人って、あんまりいなさそう」
「コウキ先輩なら行けるんじゃない?」
「コウキ先輩は、洋子ちゃんのものだから」
華の言葉に、素っ頓狂な声を上げて、洋子が手足をばたつかせた。
「べ、別にコウキ君は私のものじゃないもん!」
「またまたぁ」
「もう、華ちゃん!!」
あのグループは、仲が良いな、と元子は思った。
華が中心にいるのだから、当然だろう。一年生の中で、一番人付き合いが上手い子だ。自然と周りに人が集まるし、険悪なムードにもならないように、他の子が気づかないレベルで、華が空気を作っている。
そういうところは、さすがにコウキの弟子を公言するだけはある。
ふふ、と笑って、元子は別のグループに意識を向けた。
「もう誘った、心菜?」
「……まだ」
「早く誘いなよ」
「だってさぁ……断られたら? 立ち直れないよ」
「断るわけないでしょ、真二が」
トランペットの莉子が言った。
ちらりと目を向けると、心菜が、頭を抱えている様子が見えた。
「分かんないじゃん! あいつ、鈍感だもん」
「最近の二人を見てれば、大丈夫だと思うけどねぇ」
「みかもそう思う?」
「うん、莉子。真二君も、かなり心菜のことを意識してそうには見えるよ」
「そうかなぁ……自信ない」
「情けないなぁ、心菜」
「なになに、何の話~?」
「あ、千奈」
「この子、花火大会に、まだ真二を誘ってないんだって」
「うそでしょ。もう今週末だよ、おっそ」
「うっさいなぁ、簡単じゃないの、こういうのは! てか、そもそもなんで女子の私から誘わなきゃいけないの。普通、男子からでしょ?」
「そういう甘えたこと言ってると、積極的な子に先を越されるんだよねぇ」
「真二って、あれで案外モテそうだしね」
「うう~!」
心菜は、頭を抱えて机に突っ伏してしまった。
元子が観察してきた中では、二年生で恋愛に発展しているのは、心菜と真二のペア、メイと沙也とだいごの三角関係、あとはののかがコウキを慕っているということくらいか。
その中で、一番進展しそうなのは心菜と真二のペアだ。
あの二人はもっと素直になれば、今すぐにでも交際できるだろう。だが、両者とも恋愛経験の無さが裏目に出ている。
幼馴染という関係性のせいで、踏み込みづらい気持ちも働いているのかもしれないが、素直になれないせいで恋愛の時期を逃すというのは、ありがちだ。それで叶うはずだった恋が遠のくなんて、腐るほどありふれた話である。
それこそ、隣に座っている幸のように。
「皆、花火の話題で持ちきりだねぇ」
幸が、息を吐いた。
「そりゃあ、現役花火師の語る伝説ですから」
「元子ちゃんが合宿の帰りに言ってたのって、あの伝説のこと?」
「帰り?」
「バスで言ってたじゃん。花火には力があるって」
「ああ、あれね」
確かに、元子は隣町の花火大会の伝説については、知っていた。ただし、それは伝説ではなく、真実だ。
隣町の大花火に限らず、腕の確かな花火師が魂を込めた花火には、人々の想いや願いを吸い寄せる力が宿る。そして、その想いや願いが集まって出来た幸福のエネルギーを、人々に分け与える力も。
「そうだね」
「やっぱり。だから花火大会、薦めてくれたの?」
「まあね。成功するかは運だけど、やってみる価値はあるでしょ?」
「うん……よ~し、頑張るぞ!」
両拳をぎゅっと握りしめて、幸が瞳を燃やした。その様子を横目に、元子は微笑んだ。
幸の恋は、上手く行って欲しいと思っている。
仮に大花火の恩恵を受けられなかったとしても、デートをするという行為自体が、たとえ複数人であっても、幸とコウキの関係に良い影響を与える可能性はある。
コウキが恋愛禁止を課していようと、幸までそれを守る必要はない。
他の誰かに遠慮する必要だってない。
幸は、幸の恋を大切にすべきなのだ。
今すぐ付き合うのを目的にせずとも、卒業後を視野に入れて関係を深めるくらいのことは、誰も咎めない。
恋に関して不器用で下手で、だが、誰よりもコウキの事を想っている幸には、幸せになってほしい。
それは、友としての、ささやかな願いだ。
インターホンが鳴って、月音は画面の応答ボタンを押した。
「鍵開いてるから、入って良いよ」
「はーい」
返事があって、扉が開く。
「お邪魔しまーす」
居間に、逸乃が入ってくる。
「やっほー、月音」
「んー」
月音が何も言わずとも、逸乃は食卓の横に荷物を置いて、椅子に腰を下ろした。ここ最近、逸乃はやたらと月音の家に来るものだから、遠慮がなくなってきている。
別に、月音もそれを気にしていないから、一向にかまわないのだが。
「今日もご両親いないの?」
「うん。居ない方が快適だから良い」
「あっそ」
「今日は何の用?」
「べっつにー。だべりに来ただけ」
「またぁ? 他にも目的、あるんでしょ」
じと、と睨むと、逸乃が目を潤ませた。
「月音のおやつも食べたくてです」
「だと思った」
息を吐きだし、キッチンの冷蔵庫に向かう。中からホールのレアチーズケーキを取り出した。
「夜ご飯は?」
「もう済ませてきた」
「ケーキだけど、どれくらい食べる?」
「マジ? 大きめが良い!」
「はいはい」
言われた通り、逸乃の方を少し大きく切り分け、二人分をテーブルに持っていった。
「おお~、チーズケーキ!」
「今日のは良い出来だよ」
「さすが月音! いただきまーす!」
フォークを手に取り、逸乃が一口、食べる。すぐに目を輝かせ、親指を立てた。
「最っ高!」
「良かった」
月音も一口食べて、頷く。
レアチーズケーキは、もう何度も試作していた。今回もタルト生地から手作りして、チーズの種類や配合を少し変えた。
酸味が強すぎず、それでいて濃厚なクリームチーズの風味が、良い具合に主張している。
「ね、ところでさ月音」
「何?」
「今年の花火大会、うちらで行かない?」
「八月三日の?」
「そそ」
「やだ、めんどい」
「えー、昨日のテレビ観てないの?」
「何の話?」
「あの花火大会、毎年目玉の大花火ってあるじゃん」
「ああ、うん」
小さい頃は、親に連れて行ってもらったこともある。確か、最後の締めで特大の打ち上げ花火が上がるのだ。
「あの大花火に関する恋の伝説ってのがあるらしいよ。昨日放送してた花火師のインタビューで言ってたの」
かいつまんで、伝説とやらの内容を逸乃が聞かせてくる。
「嘘くさ」
「ほんとだって! 花火師が言ってたんだよ? 絶対御利益あるって」
「別に、願う相手いないし」
「コウキ君がいるじゃん」
「一緒に行けないのに、どう願えと?」
むすっとして言うと、逸乃が顔の前で指を振ってきた。イラッとして、思わず睨みつける。
「別に一緒に行く必要はないでしょ。だって、目玉の大花火を同時に見上げて、同じ想いを思い浮かべれば良いんだもん。離れてても良いの」
「それだけで恋が成就するって?」
「そ」
「都合の良い伝説だね……てか、そもそもコウキ君が行くとは限らないじゃん」
「ううん、そこは心菜ちゃん達に聞いて、コウキ君は行くって確認取れてる。だから、コウキ君も間違いなく大花火見るって」
だとしても、そんなことに時間を使うために、あの人混みに行きたくはない。毎年、物凄い人の量なのだ。特に、花火大会が終わった後の帰りなどほとんど列が進まず、最寄りの駅で電車に乗るまでに、一時間かかることも珍しくない。
あんなところにわざわざ行くのは、余程間近で花火を見たい人か、出店目当ての人か、それこそカップルくらいだろう。
「別にさ、やってみてほんとだったらラッキーだし、嘘でも、たまにはこういうイベント行くと、息抜きになるじゃん」
「パス。だるい」
「駄目駄目。もう私は予定空けてあるんだから、付き合ってもらうよ」
「一人で行きな」
「ブー。強制です」
「勝手に決めんなー」
「でもさぁ、コウキ君のこと、まだ好きなんでしょ? なら出来る事は、しようよ」
「……」
「コウキ君だって、きっとまだ月音のこと好きだから。チャンスだよ。二人なら、同じ想いを抱けるって」
「私、占いとかそういうスピリチュアル系、信じないから」
「じゃあ、洋子ちゃんや幸ちゃんが、もしコウキ君と一緒に花火大会行くとしたら?」
心臓が、跳ねた。
「そこで、もし同じ想いを思い浮かべちゃったら? それで、伝説が本当だったら? 月音、もうコウキ君と寄りを戻せなくなるかもしれないんだよ。それでも、後悔しないの?」
真面目なトーンで言われ、身を固くする。
俯いて、唇を噛んだ。
そんな昏い想像、させないでほしい。
「……」
嫌に決まっているではないか。
コウキの隣に他の女の子がいるなんて、悪夢でしかない。
コウキへの想いが消えたことも、小さくなったことも、一度たりともないのだ。別れてから今日まで、コウキへの想いは、ずっと変わっていない。
そんなこと、逸乃は、分かっているくせに。
「ずるいよ、そんな風に言うの……」
言葉が、口を衝いて出ていた。




