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青春ユニゾン  作者: せんこう
番外・美奈編
423/444

終 「新しい三年間」

 竹ぼうきが地面を擦れる音が、何度も繰り返される。

 老婆は、こちらに背を向けたまま、玄関の前を掃いていた。落ち葉一つないにもかかわらず、老婆は隅の方まで、丁寧に掃いている。

 きっと、ゴミや塵が溜まってから掃いていては遅いのだ。ああやって、毎日掃除をするから、美しい玄関先を維持できるのだろう。


 前の時間軸で一人暮らしをしていた頃は、家の中だけは綺麗にしていたが、とても玄関先まで気を回す余裕はなくて、滅多に掃くことはなかった。

 庭も、家庭菜園のスペース以外は、よく草が伸び気味になっていたものだ。


「こんにちは」


 老婆の背に声をかけると、振り向いた彼女は、笑顔を見せた。


「あらぁ、美奈ちゃん」

「遊びに来ました」

「どうぞぉ、入って」


 頭を下げ、敷地内へ足を踏み入れる。

 老婆は、以前、智美を救うために力を使っていた時に出会った人だ。力を試すために、何十人という人を実験台にしたうちの一人である。

 何度か通ううちに、顔見知りとなっていた。


 こうして会うのは老婆だけではなくて、美奈が力を使った人の中で居場所の分かる人とは、定期的に会っていた。彼ら彼女らが、力の影響で苦しんでいないか確かめる意味もある。

 それは、美奈なりの贖罪の示し方でもあった。

 

 最初は関係の構築から始めねばならなかったから、中には、上手くいかなくて、遠くから見守っているだけの人もいる。それでも、こうしていなければ気が済まない。


「今日も、綺麗にしてるんですね」

「癖みたいなものねぇ」

「常にお家を綺麗にしていられるのって、心が整っていないと出来ないことだから、尊敬します。その人の心は、住む場所に表れる、と私は思うから」


 老婆は意外そうな表情を浮かべてから、頬を緩めた。


「素敵な考えねぇ」


 そういう意味では、前の時間軸の美奈の心は、荒んでいた。


「私、中学卒業したんですよ、おばあちゃん」

「あらぁ」


 老婆の顔が輝いた。


「卒業、おめでとう」

「四月から高校生なんです」

「もうすっかり大人ってことねぇ。美奈ちゃんは、どこの高校に行くの?」

「花田高校って知ってますか?」

「勿論知ってますよぉ。隣町のね」

「そうです」

「良い高校生活になるといいねぇ」

「友達も一緒に行くから、きっとなると思います」

「あら、そうなの」


 老婆はまるで自分のことのように、満面の笑みで頷いている。

 

「おばあちゃん」

「はい?」

「ちょっと、聞いても良いですか?」

「勿論、良いよぉ。座るかい?」


 そう言って、老婆は玄関先の小さなベンチを勧めてきた。頷いて座ると、老婆も隣に腰を下ろした。

 

「それで?」

「……人を傷つけてしまった人間は、幸せになる資格って、あるんでしょうか」


 老婆の目が薄く開かれる。それから、少しの間を空けて、老婆は口を開いた。


「美奈ちゃんは、そういう人は幸せになる資格はない、と思うの?」

「……はい」

「私は、そうは思わないねぇ」

「どうしてですか?」

「誰かを傷つけてしまった者は幸せになる資格がないだなんて、そんな許しのない世界は、辛いじゃない。人は生きている限り、誰でも幸せになったり、やり直す権利があるよぉ」

「でも、自分のせいで誰かが幸せになれないかもしれないんですよ」

「生きている限り、人は必ず誰かを傷つけるものじゃないかしら。それに、人に限らず、肉や魚や野菜を食べることだって、他の命を傷つけたり奪う行為じゃない」

「それは……そう、ですけど」

「私達は、生きている限り、他の命を傷つけずにはいられないのよぉ」

「でも、故意に傷つけた場合は?」

「それなら、その相手への贖罪の気持ちを忘れずに、一人でも多く他の人を幸せにすることだねぇ」

「相手ではなく、他の人を、ですか?」

「相手を幸せにできたとしても、自分が罪を犯した事実は消えないもの。誰かを傷つけたなら、それ以上に多くの人を幸せにするくらいでなきゃねぇ。 

 私も、なるべく人のためになることをしようと意識して生きてるよぉ」

「すごいなぁ」


 老婆が、ふ、と笑った。


「でもそのためには、自分自身も幸せでなきゃ。罪の意識だけで生きている人に、人を幸せにすることはできないもの」

「……なるほど」


 老婆が、美奈の膝に手を置いてくる。


「美奈ちゃんは、誰かを傷つけたのかい?」


 問われて、美奈は戸惑いがちに、首を折った。


「それで、悩んでいるのかい」

「はい」

「私はねぇ、美奈ちゃんが周りの人を助けながら生きて、見知らぬ人も苦しまないような生き方をしていれば、美奈ちゃん自身も幸せになろうとして良いと思うよぉ」

「そうでしょうか」

「私は美奈ちゃんがこうして時々遊びに来てくれるおかげで、寂しさが紛れて、幸せですよぉ」


 顔を上げて、老婆を見る。

 老婆は、美奈に力を使われたことを憶えていないだろう。憶えていたとしたら、こんなことを言ってくれただろうか。


 この悩みを、なぜコウキや母親や元子ではなく、この老婆にしようと思ったのだろう。

 考えてみて、この老婆の生き方や考え方が、美奈の中で気になったからだろう、と思った。この老婆は、人生というものを深く見ている。この人なら、何か、違った意見をくれるかもしれない、と思ったのだ。

 それは、間違いではなかった。


 穏やかな微笑みを向けられて、美奈も、薄く笑顔を浮かべた。
















 春。入学式。ちょうど、桜の季節だ。

 花田高へは、受験の時にも来ていた。その時はまだ、正門の急坂の桜達は、咲いていなかった。

 今は、満開を少し過ぎたところといった感じだった。

 風が吹いて、花びらが舞っている。

 コウキと智美と、それを見上げていた。


「いよいよかぁ」


 智美が言った。


「まさか、私達が花田高なんてね~」

「ついてきてもらって良かったのか、本当に?」

「今更それ聞く? もう入学してるのに、ねえ、美奈?」

「うん」


 頷いて、美奈は笑った。


「勉強は、どこでも出来るよ。それよりも、吹奏楽部が楽しみ」

「ああ」


 花田高への進学を決めたのは、コウキからの誘いだった。

 三河地方で吹奏楽の強豪校といえば、安川高校、北高校、花田高校の三校だ。

 せっかく中学の三年間を吹奏楽に費やしたのだから、高校でも頑張ろうと思っていた。そこに、コウキからの誘いだ。

 智美も行きたい高校があったわけではなかったようで、コウキの誘いに、すぐに乗っていた。 

 二人が行くつもりなら、美奈に断る選択肢はなかった。


 三人とも、教師達には何度も志望校を変えるように説得された。それでも、意思を変えることはなかった。

 勉強をするために生きているわけではない。その気になれば、自分ひとりでも勉強はできる。

 

 誰と、何をして生きたいか。

 それが、一番大切だろう。

 美奈にとっては、親友である二人と共にいることだった。


「智美は、陸上部だよな」

「もち」

「こっちに入れば良いのに」

「私は、身体を動かす方が好きだもん」


 誰からともなく、歩きだす。正門を抜け、急坂を上っていく。


「生徒玄関から入るんだよね」

「そうだな」


 坂を上りきって左手に曲がれば、生徒玄関が見えてくる。新入生も在校生も、皆同じところから入るから、混雑しているようだ。


「いてっ」

 

 誰かが、コウキとぶつかった。随分と、小柄な女子生徒だった。

 同級生だろうか、と美奈は思った。


「あ、ごめん」

「いえ、こちらこそ」


 女子生徒はその一言だけで、そのまま前へ歩いて行ってしまった。


「あ、何か落ちてる」


 智美が、何かを拾い上げる。

 

「生徒手帳だ」

 

 覗き込むと、開いた一頁目の写真の下に、名前とクラス名が書いてある。

 山口月音。二年生のようだ。


「あの人のだよね」

「すみません!」


 コウキが呼びかけたが、女子生徒は気づかないまま、生徒玄関の人込みへと消えてしまった。


「……後で、探してみるか。クラスは、書いてあるし」

「うん、コウキ、持っておいてよ。顔、憶えられてるだろうし」

「分かった」


 受け取った生徒手帳を、コウキがポケットにしまった。


「じゃ、行くか」

「はーい」

「うん」


 もうすぐ、高校生活が始まるのだ、と美奈は思った。

 前の時間軸では、無味乾燥な三年間だった。本当に、ただ勉強しかしていなかった気がする。どんな思い出があったかも、全く記憶にない。

 今度は、そうはならないだろう。

 隣に、コウキと智美がいるのだ。この二人が居れば、退屈などとは無縁である。


 無意識に、美奈は立ち止まっていた。

 先日、老婆と話した内容を思い出していた。


 周りの人を助け、見知らぬ人を苦しめない生き方をする。

 老婆が教えてくれたそれは、罪を犯した美奈がすべき生き方だ、と思えた。そうやって生きていられたら、美奈も、この幸せな時間を噛みしめても良いのではないか、と思える。

 

 自分が傷つけた人達も、それ以外の人達も、幸せでいられるような生き方をする。そのために、力を尽くす。

 結局、やることは、これまでコウキとやってきたことと変わらないのかもしれない。だが、それだけではなく、もっと出来ることをしたい。

 自分の持つ知識や経験も活かして、この高校生活を、自分だけでなく周りの人も、良い三年間だったと思えるように。


「美奈、立ち止まってどうしたの?」


 少し先を歩いていた二人が、振り返っていた。

 美奈は微笑んで、首を振った。


「何でもない」


 言って、二人に駆け寄った。

 きっとまた、色々なことがあるだろう。

 だが、その解決のためにあの力を使う事は、二度とない。

 過ぎた力は、不幸を呼ぶ。

 特別な力を持たないただの大村美奈として、生きていきたい。


 ここからが、美奈の新しい三年間の、始まりだ。

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― 新着の感想 ―
元の時間軸では、コウキと美奈は「互いに好きあっていた」にもかかわらず、中学時代に悲しい別れを経験しています。 それだけに、美奈が人生をやり直し、再びコウキと出会えたこの時間軸では、二人にかつての初恋を…
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