三十三 「助言」
元々知り合いだった二人なのだから、こうなる可能性も当然あったと、並んで座るコウキと美奈を見て、元子は思った。
しかし、二人は互いが過去に渡る薬を飲んだ人間だということは、知らないままらしい。
真っすぐこちらを見つめてくるコウキに、元子は目をやった。
このコウキは、元子の過ごした時間軸のコウキではないから、初対面ということになる。
違う時間軸の同一人物に会うのは初めてではないが、相手がコウキとなると、何とも言えない気分だ。
「……話は分かった」
短く言って、元子はコウキの出してくれた茶をすすった。
今朝、美奈から連絡が来た。封印についてではなく、力そのものに関する相談だった。店に入れることはできないから、元子が会いにいくしかなくて、こうしてコウキの家まで足を運んできた。
「貴方達は、その子を救いたいんだね」
「はい」
元子は平静を装ってはいるが、二人から聞かされた内容に、少なからず動揺を覚えた。
中村智美は、今でも付き合いのある高校時代からの友人だ。快闊で人当たりも良く、暗いところがまるでない人である。
そんな智美に重い過去があったなどと、知りたくはなかったし、きっと、智美も知られたくはなかっただろう。
いや、と元子は思った。
そもそも、元子の友人である智美は、自分の過去について知らないのか。この時間軸の智美は、ギャップである美奈がそばにいたから記憶を思い出したのであって、美奈がいないあの時間軸では、智美が記憶を思い出す手段はない。
元子がこれからも知らない振りをすれば、友人の智美は、何も変わることはない。
ため息をついて、元子は髪をかきあげた。
「大村さん」
「はい」
「私は使い方には気をつけるよう、警告したはず」
「覚えています」
「それでも、使ったんだ。何十人もの人に向けて」
「……そうです」
「馬鹿なことをしたね」
「覚悟の上でしました。どんな罰でも受けます」
首を振る。
「罰を与える権限なんて私にはない。だけど、貴方は貴方が傷つけた人達、力の実験台にした人達への贖罪の気持ちを、一生忘れるべきじゃない」
美奈は一瞬俯いた後、しっかりと顔を上げて、頷いた。
「その罪を、背負って生きなさい。それが力を正しく使えなかった者の、せめてもの責任だよ」
もう少し、賢い人だと思っていた。
目の前のことに懸命で視野が狭くなっていたのだろうが、早い段階で元子に相談していれば、力についてはいくらでも説明してやれたのだ。
「もう分かっていることだけど、貴方のその力では、その子の記憶を忘れさせることはできない。人の記憶は、そう簡単にどうこうできるものではないから」
美奈が、やっぱり、と呟いた。
「あの、山口さん」
「何、三木君」
「智美が飲んだという記憶を忘れる薬は、もう一度手に入らないでしょうか」
腕を組み、元子は目を閉じた。
智美の母親が訪れた時に会ったという店の主は、恐らく先々代だ。先代である父から聞いた容姿と、智美の母親の話に出てきた人の容姿は、よく似ている。
先々代の頃は、今以上に多くのギャップが店に集まってきていたという。先々代自身がどこからか見つけてくるものも多かったらしい。
記憶は魂に刻み込まれるくらい、人間にとって重要なものだ。その人をその人たらしめる要素の一つであり、記憶を失えば、人格が変わる可能性すらある。だから、記憶を忘れる類のものは取り扱いが難しく、世に出回ることも少ない。
智美が飲んだ薬も、先々代だから見つけられたものだろう。現に、元子の代になってからも、父の頃も、そんなものは一度も店に並ぶことはなかった。
「難しい。それに、記憶を忘れる薬は、リスクも大きいよ」
「リスク?」
「薬を飲むことで忘れる記憶の量は、一定じゃないの。最悪、全てを忘れる可能性もある。文字通り、全てをね。もしそうなれば、十五歳の身体でありながら、中身は生まれたての赤子という歪な人間が出来上がる。
前回は幼稚園から小学三年生までの思い出という、ごく僅かなもので済んだけれど、次も同じとは限らない。薬を飲んで赤子のようになってしまったとしたら、それは、救えたと言えるのかな」
「じゃあ、どうすれば……」
本来、店の主が外の人間にアドバイスしすぎることは、良しとはされない。だが、父は積極的に人の相談に乗る人だった。その手伝いで、元子も双子の姉妹と関わったり、コウキや高校時代の同期の万里の力についても相談に乗っていた。
元子も、店の主である前に、ひとりの人間だ。困っている人がいるなら助けたいし、今、目の前にいる人を大切にしたい。それは、智美やコウキが大切にしていた価値観であり、一緒にいるうちに、元子まで持つようになった価値観でもある。
「……思いつく方法は、二つ」
元子は、二本の指を立てた。
「一つは、大村さんの力を使う」
「っ……どうやって!?」
「貴方の力は、心や感情を操ることに関してなら、できないことはない。だから、その子の心を変えてしまえばいい」
「変える、とは?」
「今まさにトラウマとなっている過去の出来事を、トラウマではないと認識させるの」
美奈が、はっとした顔をした。
「人が過去の経験や記憶で傷つくのは、それをトラウマとして認識しているから。なら、その認識を変えてしまえば、傷つくことはなくなる。
まるで、日々繰り返している食事や歯磨き、入浴と同じように、あれは何もおかしなことではなかったと認識させてしまうの。
貴方の力なら、それが出来る。ただし、記憶を忘れるわけではないし、その子の価値観そのものを大きく変える方法だから、その子がその子らしくなくなる可能性はある」
それでも、確実に智美を今の状況から救うことはできる。
「もう一つは?」
「もう一つは、リスクを承知で、貴方達二人で記憶を忘れさせる薬を探し出すこと」
「探す方法が、あるんですか?」
元子は、一度呼吸を落ち着け、それから、コウキの方を見た。
「三木君」
「はい?」
「貴方の体質が、鍵。あなたは、ギャップを引き寄せる体質を持っている。いえ……貴方が分かる言葉で言うのなら、ズレたものを引き寄せる体質と言ったほうが良いかな」
コウキが、何のことだ、とでも言いたげな表情を浮かべ、美奈と顔を見合わせた。
「俺、そんな体質なんてないですよ」
「それは、まだ気づいていないだけ」
過去を渡る薬を飲んだ美奈が、コウキの隣にいることも、もしかしたら、コウキの体質の影響かもしれない。
そもそも、コウキと縁のある人間がコウキと同じ薬を飲み、同じ年代に渡るなど、偶然と呼ぶにはあまりにも奇跡的すぎるのだ。
「……なんで、そんなことを山口さんが知ってるんですか?」
「私は、別の時間軸の貴方と会ったことがあるから」
二人の顔が、驚愕に染まる。
「別の時間軸の貴方は、そういう体質だった。それこそ、周りにズレたものを集めてしまったり、他者の体質や力を増幅してしまう程度には」
「それが、俺にもあるって言うんですか」
「ええ、まず間違いなく。その引き寄せる体質を利用して、ここではない別の場所、あるいは別の空間で、薬を引き寄せることを狙う。
この世界には、私達人間の住むこちら側と、人間ではない者達の住むあちら側がある。薬を探すのなら、あちら側の方が見つかる可能性は高い。本当に見つかるかは分からないし、どこにあるかも、今存在しているのかすらも、分からないけれど」
「……なぜ、それに私も必要なんですか?」
美奈に目を向ける。
「大村さんなら、人間じゃない者が相手でも、言う事を聞かせられる。出会った全ての者から薬について聞きだし、その中の誰かが所有していたならば、それを譲れと命令させられる」
「……そうか」
「ただし。繰り返すけど、どこにあるかも分からない物を探し出すのは、相当な困難が伴う。どれだけの時間がかかるかも分からないし、遠くへ行かなくてはならないかもしれない。そうなれば、見つかるまで普通の生活には戻れないし、貴方達が救いたい女の子は、一人で苦しみ続けることになる」
「っ、そんなの、駄目です!!」
即座に、美奈が言った。
「智ちゃんは今苦しんでる。一日だって、先延ばしにできません。長引けば長引くほど、智ちゃんは……誤った選択をしちゃうかもしれません」
具体的な言及を避けたのは、現実にそうなってほしくないからだろうか。
「……記憶を忘れる薬の在り処は、私も知らない。貴方達で見つけだせるかも分からない。仮に見つけだせたとして、その子が飲んで、都合よく短い期間の思い出だけを忘れるとも限らない」
「だからリスクを承知で、なんですね」
「そういうこと、三木君」
「智美のトラウマを、トラウマじゃないと認識させる方が、確実なんだ」
コウキの言葉に、元子は頷いた。
「何を選ぶにしても、よく考えた方が良い。貴方達の友人の意思だってあるでしょうし。何もせず、時間が心を癒すのを待つのだって、手ではある」
美奈が、強く首を振る。
「それじゃ、駄目なんです」
「なら、出来ることを選んで」
二人は重い空気をまとったまま、静かに俯いていた。




