表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
青春ユニゾン  作者: せんこう
番外・美奈編
417/444

三十一 「もう一人の親友」

 ベル音が後方から聞こえてきて、自転車が横を抜けていった。

 傘に打ちつける雨粒が、耳障りな騒音を立てている。視界は雨の幕で遮られ、数十メートル先も見えづらい。

 太陽を遮る厚い雲と冷たい雨のせいで、体温も奪われていた。


 もう、何日が過ぎただろう。何人に力を使っただろう。

 特異な力を身に宿そうと、それは自分の無力さを余計に感じさせるだけだった。


 必要な時に役に立たない力など、無意味だ。むしろ、その忌々しい力のせいで智美とその家族を苦しめてしまったし、実験のために道行く人の傷を抉り続けた。

 智美を救う手立ても見つからぬまま、時間だけがいたずらに過ぎている。

 

「あはは、それはヤバいって!」

「だって普通気づくと思うじゃん!?」

「そうだけどさー」


 傘を差し、道一杯に広がってはしゃぐ女子高生三人組が、向かいから歩いてくる。三人は、美奈の存在を意に介さないまま、すっと避けて通り過ぎて行った。

 世界は、いつだって変わらない。美奈の力が存在していようと、その力のせいで智美が人生を狂わされていようと、他は、何も。

 

 力も使わず、町中を、あてもなく歩いていた。

 他人の心を操ることに疲れた、などとは、言ってはいけないのだろう。それを言う資格は、美奈にはない。ただ、美奈自身の心も、確実にすり減りつつあった。


 智美の母親に力を使った時、彼女は酷い疲労感を覚えたようで、すぐに寝室へ去っていった。これまで力を使ってきた人々の中にも、美奈の命令から解放された後に、極度の疲労やめまいを憶える人がいたり、中には美奈の命令に従いながらも、涙を流したり苦悩の表情を浮かべる人もいた。


 きっと、心の奥底では望まぬ命令に抵抗しているのだろう。そういう人ですら、無理やり従わせられてしまう。

 この力を使い続けることは、もはや人の道を外れた行いとすら言える。

 覚悟のうえで始めたことだが、見えぬゴールに絶望し、力を使うことに拒否感も感じるようになっていた。


「っ!」

「っ冷て!」


 俯いて歩いていたせいで、前から来た歩行者と傘同士がぶつかった。衝撃で、傘を落としてしまう。


「前見て歩けよ、クソガキ!」


 どこかの高校の制服を着ている男は、美奈を睨みつけると、傘を蹴飛ばして、歩き去っていった。


「……そっちが避ければ良いのに」


 蹴られた傘を拾い上げ、骨を確認する。一本だけ、曲がってしまっている。

 ため息をついて傘を畳み、そのまま歩きだした。

 全身は瞬く間に濡れ、制服の中まで染みこんでいく。服の張り付く感覚がして、気持ちが悪い。


 結局、そのまま誰にも力を使わず、自宅へ戻った。

 門扉を開けて敷地内へ入る。家の中からは、明かりが漏れている。扉を開けると、中から話し声が聞こえてきた。


「ただいま」


 物音がして、居間から母親が出てくる。


「美奈、お帰り……って、びしょ濡れじゃない」

「傘が壊れたの」

「コウキ君、来てるのよ」

「え」


 靴を脱いで上がると、居間には、確かにコウキがいた。

 先日、冷たく突き放したのに。

 母親が、タオルを手渡してくる。


「おかえり、美奈ちゃん」

「こんな時間に……どうしたの」

「美奈ちゃんに会いに来たんだけど、まだ帰ってないって聞いてさ。雨だったし、お言葉に甘えて待たせてもらってた」

「美奈。先に、着替えてきなさい」

「……うん」


 脱衣所で制服から部屋着に着替える。戻ると、母親とコウキは、また談笑していた。


「お待たせ。私の部屋、行こう」

「うん」

「ゆっくりしていってね、コウキ君」

「ありがとうございます」


 コウキを連れて、自室へ入る。クローゼットの中から折りたたみの椅子を取り出して、コウキを座らせた。

 

「いつ来ても、良い部屋だよな。無駄がなくて」


 美奈の部屋は四畳半程度の広さしかないから、折り畳み式の家具やロフトベッドを使って、空間を最大限使っている。亡くなった父親が小さな家が好きで、こういう部屋になったのだ。

 美奈自身も、物への執着が殆どないから、この部屋を気に入っていた。


「それで?」


 無駄話をする気分にはなれなかった。


「話があるんだよね」

「ああ……あれから、智美とは会った?」

「うん」

「少しは落ち着いてた?」

「多少ね。でも、まだ部屋からはほとんど出られないみたい」

「そっか」


 智美がそうなった理由を、コウキは知らない。


「なあ、美奈ちゃん」

「何?」

「……酷い顔、してるよ」


 言われた意味が分からなくて、一瞬、頭の中に疑問符が浮かんだ。すぐに、表情のことか、と思った。


「まだ疲れた顔、してるかな」

「疲れたっていうか、今にも死にそうな顔。何日……寝てないの?」

「分かっちゃうか」

「顔見れば一発。お母さんも、心配してたよ」

「……お母さんが?」


 智美のことで頭がいっぱいになってから、母に何かを言われたことはなかった。何も気づいていないと思っていたのだが。


「さっき、二人で話してる時に言ってたよ。美奈ちゃんのことを信頼して、何も聞かないようにしてたみたいだけど。あ、部活を休んでることは言ってないから」


 それは、意外な母の話だった。

 前までの母だったら、美奈のことを心配して世話を焼こうとしたか、事情を根掘り葉掘り聞いてきただろう。

 この時間軸に渡ってきて、母との接し方は変わった。それが、母の考えをも変えたのかもしれない。


「ずっと、考えてたの?」


 ノートや書籍が散乱している勉強机の方を見て、コウキが言った。


「勉強じゃ、ないよな」

「まあね」


 毎晩、力について考えながら、ノートにあらゆる可能性を書きだしていた。

 

「でも、上手くいってないんだな」

 

 それには、答えなかった。

 前の時間軸では、最高峰の大学にも通った。優秀な人間だと言われてきた。人より、頭は良かった。だが、それは勉強ができるという意味でしかなかった。

 こういう事態になってみて、自分には何かを変える知恵も力もないのだと思い知った。勉強がどれだけ出来たところで、目の前の一人を助ける方法は、何も思い浮かばない。

 

「俺さ、何があったのか、ずっと考えてた。智美が過呼吸を起こして、部屋から出られなくなる程のことって、何だろうって。余程精神的なショックがないと、そうはならないと思う。それが何なのか……確かなことは分からない。だけど、俺やお父さん、つまり男性が近づけないって……そういうこと、だよな?」


 目を見開く。思わず、身体も固くなってしまった。コウキにも、その一瞬の変化を見抜かれただろう。

 諦めて、息を吐いた。


 やはり、コウキは鋭い子だ。

 何も言わなくても、自力で答えにたどり着いてしまう。

 

「……俺も美奈ちゃんと同じで、智美を助けたい。俺にも、手伝わせてくれないか?」


 その言葉に、顔を上げる。真っすぐに見つめられて、美奈も、見つめ返した。


「美奈ちゃんは一人でやりたいのは分かってる。放っておいてほしいことも。でも、放っておけないよ」


 澄んだ目をしている、と美奈は思った。

 この数年間、コウキはいつも隣にいた。何をするでも一緒だった。クラスの問題やいじめを解決することだって、二人でやってきた。時には智美も交えて、三人で動いてきた。


 親友。

 きっと、コウキもそう呼べる存在だろう。


 だが、頼って良いのか。男への恐怖を拭えなくなった智美を助けるために、男であるコウキに頼って良いのか。


「智美が俺に近づいてほしくないのなら、俺は近づかない。でも、美奈ちゃんと一緒に考えることはできる。一緒に悩むことも、一緒に乗り越えることもできる。美奈ちゃん一人が苦しむ姿は、もう見てられないよ」

「そんな姿、見せたつもりなかったのに」

「日に日に、顔から生気が消えていってたよ」

「……そっか」

「今……一人きりで苦しんでるんだよな」


 それが智美のことを言っていると分かって、美奈は、頷いた。


「でも、美奈ちゃんまで、一人で苦しむなよ。智美を助けるために、美奈ちゃんまで、どこかへ行ってしまいそうになるなよ」


 はっとした。

 それは、あの日、智美に感じたことだった。絶望を抱え、消えてしまいそうな怖さを、智美からは感じた。


「まるで、美奈ちゃんが美奈ちゃんじゃなくなっていくようで、怖い。俺の前から、いつも笑顔だった二人がいなくなる気がして、怖い。それを、俺はどうする事も出来ずに眺めているだけなのも、嫌だ。また皆で笑える日が来るように、俺にも、背負わせてよ」


 コウキが、手を差し出してくる。

 その手を、ぼうっと見つめた。白くて、男の子らしからぬ、綺麗な手。トランペットを吹くために、大切にしているのだろう。

 そういえば、コウキと一緒にホルンを吹いたのは、もう何週間も前だ。

 最後の舞台だった文化祭も、出ないまま終わってしまった。


 人の道を踏み外してでも、智美を助けようとした。助けねばならないと思っていた。だが、それは一人ですることではなかったのだろうか。

 この真っすぐで澄んだ目をした少年に、助けを求めるべきだったのだろうか。


 何をしても、解決の糸口は見えなかった。ただただ、自分の愚かさを痛感するだけだった。

 出口の見えない闇の中、もがいていた。

 美奈が背負わねばならない罪だと思っていた。


 それをコウキに、共に背負ってもらって、良いのか。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ