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青春ユニゾン  作者: せんこう
番外・美奈編
416/444

三十 「友のために 二」

 翌日も、学校へ行って、授業が終わったら、町へ繰り出した。

 人気のない所を中心に回り、人がいれば、力を試していく。


「もういいよ、命令に従うのは終わり。行ってください」


 ぼうっとした表情をしていた男子高校生に言うと、何事もなかったかのように、路地から出ていった。

 

「はあ……」


 またしても空振り。


「次だ」


 頭を振り、頬を叩く。路地を出て、歩き始めた。

 しばらく歩くと、平屋建ての民家の敷地内で、老婆が箒を動かしているのが見えた。


「こんにちは」


 門扉の外から、老婆に声をかける。振り向いた老婆は、見ず知らずの美奈に対して、少しだけ警戒の色を見せた。しかし、すぐに中学生である事に気づいて、笑顔を作って、頭を下げてきた。


「どうもご丁寧に。こんにちは」

「良い天気ですね」

「そうねぇ。夏も終わったのにねぇ、暑いくらいで」

「お掃除してるんですか?」


 箒に目をやって、老婆が頷いた。


「そうなの、家は綺麗にしないとだから」

「素敵ですね。おばあちゃんは、今は一人で住んでるんですか?」

「そうねぇ。息子夫婦はいるんだけどねぇ、別に暮らしてるのよ。お嬢さんくらいの孫も、いるんだけどねぇ」

「そうなんだぁ……寂しいですね」

「そうねぇ……」

「あの、家の中に入れてください。ちょっとお話しましょう、おばあちゃん」

「え、ああ、良いよぉ、どうぞどうぞ」


 老婆は、力にかけられたことも気づかないまま、喜んで美奈を敷地内へ招いた。

 悪人が使えば、何でも盗み放題だし、どこにでも侵入できるだろうな、と美奈は思った。


 老婆の後に続いて家に入り、客間で向かい合う。


「おばあちゃんは、記憶を忘れたいなって思った事はありますか?」

「記憶?」

「そう、とっても嫌な記憶、辛い記憶、そういうの」

「そうねえ」


 一瞬考える様子を見せて、老婆は頷いた。


「生きてれば、色々あるから」


 お茶、用意しようかね。

 そう言って立ち上がろうとした老婆を制し、座らせた。


「その記憶、教えてください。一番辛い記憶を」

「はあ……そうねぇ、まあ、やっぱり、戦争の頃かしら」


 見た目からして、老婆は七十は超えていそうだ。終戦の時期で、今の美奈と同じくらいの年齢だったかもしれない。


「当時は岡崎市に住んでてね。終戦間際の時に、アメリカ軍の空爆で、家という家がどんどん焼けていって……小さかった弟や妹を連れて逃げ回って……今生きてるのが、不思議なくらいよねぇ」


 美奈は、戦争の話を人から聞いたことはなかった。祖母からも、聞いた憶えはない。

 

「目の前で焼け焦げる人も見たし、あれは、地獄だった」

「……そうだったんですね」

「戦争の後、お父さんは戦死していたし、お母さんと、弟たちを抱えて暮らしを立て直すのも、厳しかった」


 平成の人間には決して分かることのできない、辛い時代だっただろう。その時代の人々の犠牲があったから、日本は今、表面的には平和なのだ。


「その記憶は、忘れたいですか?」


 美奈の問いかけに、老婆は静かに笑いながら首を振った。


「嫌な記憶ですよぉ。でもね、忘れたいとは思わないねぇ」

「……辛かったのに?」

「戦争のことは、忘れちゃいけないよ。私達日本人が起こしたことなんだから。どんなに辛くても、それは忘れずに、自分のものとして抱え続けなきゃ」


 思わず、拳を、ぐっと握っていた。


「じゃあ……他に、戦争のこと以外で、忘れたいことを教えてください」

「ないねぇ」

 

 さっぱりと、老婆は言った。


「どれもこれも、私の経験です。良い事も悪い事も、全部含めて、私の思い出」

「……そう、ですか」


 この人は、凄いな。

 素直に、美奈はそう思った。


「すみません、大切な思い出を、見ず知らずの私に話させてしまって」

「いいえ。お嬢さんには、なんだか何でも話せてしまう気になって。私も、つまらない話を聞かせちゃって」


 それは力のせいだ、とは美奈は言わなかった。


「もう、行きますね」

「また、お話に来てね」

「……ありがとうございました」


 老婆の家を出て、歩きだす。

 黙々と歩きながら、老婆の話について、思い返していた。


 どんなに辛い記憶も、地獄のような景色も、忘れない。それは、あの老婆の持つ強さなのだろう。嫌なことから目を背けず、向き合い続ける。それが出来るのが、人の強さだ。

 だが、誰もがそうやって強く在れるわけではない。


 智美は、今まさに苦しんでいる。記憶を消したいと願っている。

 それは、智美が弱いからか。


 そうではないはずだ。老婆のように、受け止め続けることも人生だろう。だが、辛すぎる記憶を忘れて、何も知らない状態で生きたいと願うのもまた、人生のはずだ。

 良い悪いじゃない。智美が願っているから、それを叶える。

 美奈には、そうする責任がある。














「おい、大村、起きろ!」


 怒声が耳元で鳴って、身体が跳ねた。顔を上げて、英語の教師が般若のような形相であることに気が付く。


「大村、お前、最近たるんでるぞ。何回寝るんだ!」

「す……すみません」

「そんなに寝るなら立って授業を受けろ!」


 言われるがまま、立ち上がる。クラスメイトの視線が注がれるが、美奈は気にせず、息を吐いて顔をこすった。

 授業に戻った教師の声を聞き流しながら、首を回す。変な寝方をしていたのか、少しだけ、左の方が痛む。


 寝不足が続いていて、授業もまともに聞けていない。夜はずっと智美を救う方法について考えているのだ。眠れたとしても、一時間か二時間、うとうととするだけだった。


 美奈に、休んでいる暇はない。一日でも早く、智美を救わねばならないのだ。

 美奈が呑気に寝ている間にも、智美は過去の記憶に犯され続けているのだから。


 チャイムが鳴って、授業が終わる。立ちっぱなしから解放されて、美奈は椅子に腰を落とした。


「はあ……」

「美奈ちゃん」


 すぐに、コウキが近寄ってきた。


「大丈夫か、美奈ちゃん」

「……うん」

「疲れてるのか」

「……まあね」


 コウキが話しかけてくるのは、久しぶりだった。コウキが、というより、美奈が他人と話すのを避けていたのだ。楽しく話す気分でもなかったし、時間があれば、力のことについて考えていたかった。


「あんまり、無理するなよ」


 美奈は、コウキをじろりと睨んだ。


「無理でもなんでも、しなきゃいけないから」

「でも」

「ごめん、放っておいて」


 言って、席を立った。教室から、ベランダに出て扉を閉めた。

 コウキに気を遣っている余裕はない。今は、智美のことと力のことで、精一杯なのだ。

 無理だなどと、美奈に言う資格はない。誰よりも苦しんでいるのは、智美である。その智美を差し置いて休む権利など、あるものか。

 

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