二十八 「美奈の決意」
華とコウキと、三人で話してから、三日が経っていた。
力を使って智美の過去を明かしてから、四日ということになる。
華は、部活にも顔を出すようになった。しかし、変わらず元気はなく、智美のことが心配で身が入らない様子だった。
智美は今も学校を休んでいて、担任のもとへは体調不良で休むという連絡だけ入っているらしい。
コウキと、また智美の家に来ていた。
玄関から顔を出したのは、智美の母親だった。父親と同じく、いや、それ以上に、疲労の濃い顔色だ。
「部屋に……入れてもらえるか分からないけど……それでも良ければ」
「それでも、良いです。お願いします」
智美の母親の後に続いて家の中へ入り、智美の部屋の前まで案内された。
「あまり……刺激は、しないであげてね」
頷き、扉に向きなおる。
ノックをし、少し間を置いてから、口を開いた。
「智ちゃん。私、美奈だよ。久しぶり……だね。ずっと智ちゃんのことが心配でさ、お見舞いに来たんだ。コウキ君も来てくれてるよ。もしよかったら……部屋、入っても良いかな?」
返事を待つ。
一分ほどして、扉の向こうから、かすかに声が聞こえてきた。
「美奈だけなら」
コウキと、顔を見合わせた。智美の母親の方を向くと、彼女は静かに頷いた。
コウキが、後ろに下がる。智美の母親はコウキに目配せし、二人で一階へと下りていった。
「私だけ。開けるね」
扉を開く。目に飛び込んできた光景に、美奈は息を呑んだ。
見慣れたはずの部屋は様変わりし、物という物が散乱している。これが、智美と華の、部屋か。
クッションを抱えながら、ベッドの上に座る智美。その姿は、いつもの凛々しくて、美しくて、気高さをまとった、あの智美ではなかった。
乱れた髪の隙間から覗く瞳は、ぞっとするほど、冷たい。
「智、ちゃん」
智美のそばに寄り、腰を下ろす。智美の目は、滑らかに、美奈の動きを追いかけていた。
「来るのが遅くなって……ごめん」
「私ね」
間も置かず、智美が言った。
「記憶、戻ったよ」
思わず、唇を噛んだ。
「幼稚園の頃から、小学校三年生までの、全部。何もかも」
「うん」
「お母さんの、言った通りだったみたい」
「……うん」
「急に、頭に全部流れ込んできてさ。昨日のことみたいに、はっきり思い出せるようになった。嫌なのに、何度も、何度も、頭に浮かぶんだ。今もね、あの男の顔がはっきり思い出せるの」
「……うんっ」
「これ、消せない、かなぁ」
滲む視界。見上げた智美の表情は、生気の無い作りもののように、無機質だった。
「美奈の力で、消してよ、お願い」
「消す。私が、消すから」
「美奈なら、出来るよね? だって、超能力、あるんだもん」
「うんっ」
「すごい力、あるんだもん……こんな記憶、消してくれる、よね」
立ち上がって、智美を、抱きしめた。強く、強く。その存在が、消えてしまわないように。美奈のそばから、いなくなってしまわないように。
「……智ちゃん」
身体を離し、智美の目を見て、想いを込めて言った。
「命令する、その記憶、全部忘れて」
数秒、待った。だが、智美に、変わった様子はない。
「っ……もう一回言うよ。命令だから。絶対に、絶対に聞いて。智ちゃん……幼稚園から小学三年生までの記憶を全部、忘れて」
沈黙。
「忘れてよ!」
叫んでいた。
「命令だよ! 全部、忘れて!」
自分の軽率な行動が、智美をこんな状態に追い込んでしまった。元子にも、使い方次第では危険だと言われていたのに。智美のためと言い訳をして、こんな事態を招いてしまった。
「消えない……」
絶望を含んだ、智美の声。
「なんで……なんで消えないのっ……!」
涙が止める間もなく、あふれ出てきた。
だが、泣いている場合ではない、と美奈は思った。
涙を拭い、智美の両頬に触れる。虚ろな目をした智美は、もう、何も言わない。
「っ、私が絶対何とかするから! 智ちゃんのこと助けるから、だから、待ってて。絶対、絶対絶対、助けるから!!」
智美を抱きしめる。
「絶対に助けるから。私が、必ず。だから、どこにも行かないで、智ちゃん」
美奈は、智美に背を向け、部屋を出た。
外には、いつの間にか部屋の前まで来ていたらしい智美の母親とコウキが立っていた。
智美の母親に頭を下げ、コウキの腕を引っ張り、家を後にする。
「……美奈ちゃん」
智美の家から離れたところで、コウキの腕を離した。向かい合い、顔を上げる。
「コウキ君、ごめん。私、しばらく部活休むから。智ちゃんのことが解決するまで」
コウキの目が見開かれた。
「文化祭あるけど……ごめん。それどころじゃない。私、やることがある」
コウキはしばらく沈黙した後、
「俺も、手伝うよ」
と言った。
「ううん。智ちゃんのこと……誰にも話せないから。私一人でやる」
「……俺にも?」
「うん、ごめん」
頭を下げる。
「私が……自分で何とかしなきゃいけない。私が、智ちゃんを助けてあげなきゃ」
「美奈ちゃ……」
「コウキ君」
遮り、頭を上げ、まっすぐにコウキを見た。
「部長の仕事を放棄して、ごめんなさい。でも、私にとっては、こっちの方が大事だから」
たとえ、コウキに何を言われても、意思は変わらない。智美の心を救うまで、他の事をしている暇はない。
コウキは、それ以上何かを言い募る事もなく、あっさりと頷いた。
「……分かった。部活の事は、俺と陽介に任せて」
「ありがとう」
「でも、何か手伝って欲しいことがあったら、必ず、すぐに俺に相談して。俺にとっても、智美は大切な人だから。力になれるなら、なりたい」
「……ありがとう」
頷いて、コウキは帰っていった。
その背に、心の中でごめん、と呟き、美奈も背を向けた。




