二十七 「智美の過去 四」
智美が、登校してこなかった。
メールも電話もなかったし、学校にも休みの連絡は入っていないようだった。
美奈は、嫌な予感がしていた。
昨日、智美と話をした後、一人で考えたいという智美を残して帰宅した。あの後、智美に何かあったのではないか。
その考えが、頭を占めていく。
「美奈ちゃん?」
深刻そうな顔でもしていただろうか。コウキが、気遣うように顔を覗き込んでいた。
「大丈夫か、かなり、顔色悪いけど」
「……ねえ、智美から、何か連絡あった?」
「智美? いや、無いけど」
「だよ、ね」
「風邪か何かかな、智美」
「……どうだろう」
「智美の心配をしてたの?」
「……うん」
教室の扉が開かれた。
「あっ、先生」
担任だった。
「何だ、三木」
「智美って、結局連絡あったんですか?」
「ああ、親御さんから、今日は休ませるとご連絡があった」
「あ、そうなんですね」
「席に着け、チャイム鳴るぞ」
タイミングよく、スピーカーが授業開始の合図を奏でた。
「はい号令」
「きりーつ」
「れい」
「おねがいしゃーす」
昨日、智美の母親に力を使い、智美の過去を聞きだした。
彼女の中で、相当固く隠そうとしていた話だったのかもしれない。無意識に抵抗でもしていたのか、これまで力を受けてきた人達と違って、話し終えた智美の母親は、かなりの疲労感を表に出していた。
智美はその話を聞いても、記憶を取り戻したような気配はなかった。
ただの風邪ならそれでいい。むしろ、そうであってほしい。だが、そうでなかったら。
自分のしたことで、智美に何かあったのではないかという不安が、どんどんと大きくなっていく。
結局終礼まで、ほとんど授業も聞かず、智美のことを考えていた。
「美奈ちゃん、今日部活の後、智美ん家行ってみる?」
「え」
「そういや、華ちゃんも休んでるらしいんだよな、洋子ちゃんに聞いたけど」
華まで。
「何かあったのかなぁ……」
「ごめん、今日、部活休むね」
「え?」
「陽介君に伝えといて。代わりにお願いって」
「いや、ちょ」
「智ちゃんのとこ、行ってくる」
コウキの返事を待たず、鞄を持って、教室を飛びだした。
学校を出て、智美の家まで駆け続ける。
智美だけでなく、華まで。絶対に何かあったのだ。美奈のせいで。美奈が、力を使ったせいで。
逸る気持ちが、身体を前に進めていく。
「……美奈ちゃん!」
「!?」
声に驚いて振り返ると、後ろからコウキが迫ってきていた。
「なんで、コウキ君」
「美奈ちゃんの様子が普通じゃなかったから」
美奈は完全に息が上がっているのに、追いついてきたコウキは、少し弾ませているだけで、平然としている。
「俺も行くよ」
「でも……」
「智美の欠席のこと、何か知ってるんだろ?」
はっとする。
「俺も心配だから、着いていきたい」
「……部活は?」
「こっちの方が重要」
事情を知らないコウキを連れて行っても良いのか。だが、来るなと言っても、コウキは来るだろう。
仕方なく、頷く。最悪、家の前で待たせればいい。
一度止まってしまったら、駆ける力は無くなっていた。コウキと並んで、早歩きで智美の家に向かった。
呼び鈴を鳴らすと、珍しく、智美の父親が出てきた。平日なのに、日中に家にいる。やはり。
「こんにちは。智ちゃんの……お見舞いに来ました」
かなり憔悴しているようだ、と美奈は思った。
「あの、智ちゃんのお父さん……大丈夫、ですか?」
「ああ、ごめんね……ちょっと、寝てなくて」
「智ちゃん、何かあったんですか」
「ん、まあ……」
「今、智ちゃんに、会え、ますか?」
智美の父親は、少し悩む素振りを見せた後、小さく首を振った。
「今は、会いたがらないと思う。また、落ち着いたら来てくれるかな。いつになるかは、分からないけど」
「あ……はい」
「悪いね、せっかく来てもらったのに」
「あ、あの、華ちゃんもお休みしてたって聞いたんですが」
「ああ、うん。華なら会えると思うから、呼ぼうか」
「お願いします」
智美の父親が、家の中へ戻っていった。
コウキと二人、顔を見合わせる。
普通じゃない。絶対に、何かが起きたのだ。
気のせいかもしれないが、家全体のまとう雰囲気のようなものが、黒く、淀んでいる気がした。
智美は、大丈夫なのか。
近くの公園で、三人でベンチに腰かけていた。
泣きはらしたような目の華は、いつものような活発さはなく、深く沈んだ様子を見せている。
途中のスーパーで買ったアイスクリームを華に手渡し、三人で黙々と食べた。
「……なあ、華ちゃん」
アイスを食べ終わったところで、コウキが呟いた。
「何があったのか聞いても、大丈夫?」
華は、ちょっと目を上げただけで、また俯いてしまった。
コウキと、そっと目を見合わせる。声をかけづらくて、黙ったまま、待った。
「……」
かなり長い間が空いた後、華の口が、ちょっと動いた。
「……昨日の夜、お姉ちゃん、突然叫び出したんです」
か細い声だった。聞き逃さないよう、耳を寄せる。
「それで私も目が覚めて……お姉ちゃんは、また叫んだり、頭をぶったりかきむしったりして……お父さんとお母さんが入ってきて止めようとしたんだけど、お父さんに、触るな出てけって言って…………その後、急に手が変な形になって……そしたら、お姉ちゃんの身体、固まっちゃってっ」
思い出してしまったのか、華が、泣きじゃくる。美奈は何も言わず、華を抱きしめ、背中をさすった。
「救急車、呼んだの?」
「ううん、お父さんは過呼吸だって言って、お母さんが、お姉ちゃんを落ち着かせようとしたんだけど、お姉ちゃん、ずっと荒い息をしてて」
華は、美奈の胸に顔を埋めて、周囲の目もはばからず、泣き声を上げた。
「お姉ちゃんっ、おかしくなっちゃったっ、今も、部屋から出られなくなってっ」
「大丈夫だよ、大丈夫」
出来るだけ優しい声を心がけながら、華の頭を撫で、背をさする。気が済むまで、泣かせた。
泣きながらの話では全てを聞き取ることはできなかったが、華の話の限りでは、智美は記憶を取り戻した可能性が高い。きっと、母親の話を聞いたからだろう。
美奈の、せいだ。
「華ちゃん。智美は……今はもう、落ち着いてるのか?」
美奈に抱かれたまま、華は、頷いた。
「手の形も、落ち着いてた?」
「……はい」
「じゃあ、ひとまず大丈夫だ。華ちゃんのお父さんの言う通り、過呼吸だと思う。過呼吸が酷いと、手足が痺れて固まることがあるんだ。でも、落ち着いたなら安心しな」
「お姉ちゃん、病気なんですか?」
「いや、違う。ただ、何かがあって呼吸が乱れただけだと思う。大丈夫だから……な、美奈ちゃん」
「……うん。華ちゃんは、心配しないで」
しゃくるような声を上げていた華が、そろそろと、顔を上げた。
「お姉ちゃん、元気になりますか?」
「……まだ分からないけど、私も、落ち着いたら智ちゃんに会ってみるから。智ちゃんが元気になれるように、お話聞いてみる」
華は、また美奈の胸に顔を埋め、すすり泣きを始めた。




