二十一 「美奈と智美」
夏のコンクールは、吹奏楽部にとって最も大切で重要な本番だ。地区大会、県大会、支部大会と抜け、全国大会が行われる東京の黒舞台で演奏することは、多くの学生吹奏楽部員の夢でもある。
それは、東中の部員達も同じだった。
だが、夢に懸ける想いは、人によって違う。
生活の全てを捧げる覚悟で挑む人もいれば、心の片隅で所詮は、と初めから諦めている人もいる。
東中の部員は、どちらかといえば、後者だった。
本気だと口には出していても、どこかに中途半端さが残る練習。
その程度の熱量で、想いを懸けた他校に勝てる道理はない。
地区大会、金賞。代表にはなれない、ただの。
知らない人なら金賞なんて凄いと思うだろうが、吹奏楽部員にとっては、何の価値もない賞だ。
それでも、美奈は満足していた。
前の時間軸では決して味わうことのなかった青春。友人に囲まれて、何かに打ち込む日々。他愛の無い会話も、真剣に挑んだ合奏も、全て、良い思い出である。
こうしてこの時間軸に来なければ、体験できなかったことだ。
代表になれなくても、皆と作り上げた音楽は消えないし、半年という長い時間を費やした、その時間までも無になるわけではない。
上の大会へ行くことが全てではないし、そこに、美奈は価値をあまり見いだしていなかった。
まだ蝉の鳴き声は騒がしいし、暑さは地上に留まり続けている。だが、三年生の夏は終わった。
あっけなく、あっさりと。
もし、と美奈は思った。
コンクールに勝つために、自分の力を使っていたなら。
部員達の気持ちをコントロールし、常に本気で練習するように仕向けていたら。
県大会くらいは、行けたかもしれない。
それでも、美奈は力を使わなかった。
自分の欲のために力を使えば、美奈は、人として堕ちてしまう。そんな風には、なりたくなかった。
夏に食べる果物で一番好きなものは、やはり、スイカだ。
スイカは果物といって良いのか、それとも、野菜なのか。それはさておき、砂糖の甘さが効いたスイーツよりも、スイカの純粋な甘さと爽やかさの方が、夏の疲れた身体には馴染んで、満たされる。
毎年食べるのは、買ったスイカだ。それも、勿論美味しい。
だが、どうせなら自由研究のネタにしようと、自分で栽培することにしてみた。
前の時間軸では、祖母の家を受け継いだ後、ほんの少しだけ野菜を育てていた。といっても、仕事が忙しすぎてほとんど手を付けられないから、放任しても育つようなカボチャや地這いのキュウリといった夏野菜程度のものだったが。
同じウリ科であるスイカも、やってみれば何とかなるだろうと、母の手入れしている庭の一隅を借りて、やってみた。
保険もかねて三株育てて、出来たのは、一・五キロほどの小玉が三玉だった。
「あっま! 今まで食べたスイカで、一番美味しいかも!!」
智美が、両手を果汁で濡らしながら、目を輝かせていた。
二人の間に置かれた大皿には、切り分けられたスイカが並んでいる。
「うん、なかなかだね」
「もう一個食べて良い?」
「勿論。全部食べきってくれても良いよ」
「でも、皮が真っ黒いのって珍しいよね。普通はさ、緑に黒の縞々じゃん?」
「品種によって違うみたい。古い品種だと、黒いのもあるんだって。大きいスイカは難しいかなと思って、小玉って書かれてる品種を選んだの」
自由研究にするのだからと、スイカの歴史や品種まで徹底的に調べ上げ、育て方も綿密に計画を立て、夏休み前から栽培を始めた。
「美奈は、毎年自由研究が凝ってるよねぇ。去年は何だっけ」
「土器作り」
「それそれ。普通、思いつかないって」
「縄文人の血を引く者として、一度はやってみたかったんだよね」
「賞、取ってたもんねぇ」
縄文式土器の土の採集から制作までを記録した研究で、何とかという賞に選ばれたのだ。美奈自身は賞に興味がなかったから、名前も忘れた。
「自由研究も、今年で終わりだね。高校になったら無いし」
「やっとだよー。私、夏休みの宿題で自由研究が一番嫌い!」
「なんで、楽しいじゃん?」
「そんなの、美奈だけ」
「それは言い過ぎだよ」
「めんどくさいじゃん、時間かかるし、発表もあるし」
大学でひたすら研究に明け暮れていた身としては、何の苦でもない。
「智ちゃんは、何にしたんだっけ」
「……十円玉磨き」
「え?」
「十円玉磨き!」
しょぼい、とは言わなかった。
「しょぼいって思ったでしょ、美奈!」
「……思ってないよ」
「ふん!」
智美はすいかを一切れ掴むと、思いきりかじりだした。




