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青春ユニゾン  作者: せんこう
番外・美奈編
405/444

十九 「再び」

 部活動でのことだ。

 美奈が何かを指示すると、部員は即座に返事をして行動する。その様子はまるで、美奈の命令に忠実なロボットか軍隊のようで、少し、不気味に感じる程だった。

 例えば、練習をさぼっていた部員がいた時など、ちゃんと練習するように、と注意をすると、彼女達は元気よく返事をし、それ以降、一心不乱に練習をしだした。

 練習嫌いで有名な子であっても、美奈が言えばそうなる。別に、部長の美奈に心酔しているとか、そういう訳でもないのに。


 そんなことが、何度もあった。 

 単なる思い過ごしで、部員が本当に美奈を慕って言う事を聞いてくれているだけ、という可能性も考えた。

 しかし、目が、違う。美奈の指示を聞いた時の部員達は、何かに操られているかのような、そんな目になる。

 何かが異常だ、としか言えない。


 だが、コウキや陽介に相談しても、気のせいではないかと言われるだけだった。

 というよりも、コウキや陽介ですら、そうなる。


 最も違和感を感じたのは、六月の中旬から起きていた、木管セクションと金管セクションの女子部員の仲違いを解決した時の事だった。

 元々の原因は、木管セクションの中心となっていた渡部という女子部員と、金管セクションの三橋という部員の間で起きた、異性の取りあいだった。それが発展して、セクション同士の争いになったのだ。


 コウキや陽介の力も借りて解決を模索していたこの件は、美奈が渡部と三橋と話したことで、あっさりと解決した。

 二人に、部員の手本になる三年生なのだから、私情を持ち込まずに部では仲良くしろ、と諭した。たったそれだけで、二人とも、それまでの争いなどなかったかのように、部では仲良くしはじめたのだ。


 クラスでは、相変わらず険悪なのだという。しかし、部活動中だけは、けろりとした様子で、それまでの空気など忘れたかのように、仲良くしている。

 中心の二人が争いをやめたことで、自然とセクション同士の争いもなくなった。コウキと陽介も困惑するほど、あっさりとした解決だった。


 自分でも何が起きているのかは、分からない。

 周りが美奈の言う事を聞くからといって、それで不自由があるわけでもないし、むしろ、快適な日々である、とすら言える。

 しかし、違和感は拭えない。こんなこと、普通ではない。


「じゃあ、明日から二日間、私はいないけど、皆サボらずに、きちんと練習してね」

「はい!」

「今日はここまで。明日は山田先生の合奏だから、休まないようにね」

「はい!」

「お疲れさまでした」

「お疲れさまでした!」

 

 息を吐き、美奈は、音楽室を出た。廊下を進み、手洗い場の水道の蛇口をひねる。ポケットに入れてあったホルンのマウスピースを取りだし、丁寧に洗ってから水を止め、ハンカチで、水気を拭き取った。


 使った後のマウスピースは、毎日綺麗に洗うようにしている。洗わずに仕舞う部員もいるが、それでは次第に中に汚れがたまってくる。汚れがたまると、息の通り道が微妙に変わるから、吹奏感への影響もないとは言えない。

 些細な事かもしれないが、いつも綺麗にしておくことで、その懸念は排除できる。


「大村先輩、お疲れ様です」


 後輩の女子部員が、すれ違いざまに頭を下げてきた。笑顔で応えると、女子部員はうっとりとした表情を浮かべた。戸惑いながらも、笑顔のまま、横を通り抜ける。

 背後から生っぽさのある吐息が聴こえてきて、美奈は、頭をかいた。

 後輩から慕われている感覚は、確かにある。どの子も、美奈を尊敬し、好いてくれているのだ。


 だが、それとあの従順さは、繋がる気がしない。いくら尊敬や好意があっても、軍隊のように忠実にはならないはずだ。

 同期の子達ですら、そうなる。それは、やはり異常と言って良いだろう。


 音楽室に戻ってホルンを手にし、準備室へと移った。そのままケースが置いてある棚に向かい、ホルンをケースの中へ仕舞う。

 棚に楽器を戻して、美奈は小さくため息をついた。


 いつもなら少しだけ自主練のために残るのだが、今日は早く帰らねばならない。 

 明日の早朝から、母と共に、東京の祖母の家に行くのだ。何かあったわけではないが、母が、祖母に顔を見せに行こう、と言いだした。

 

 コンクールも近いから別の日程にしてほしかったが、祖母も美奈に会いたがっているというから、断れなかった。美奈にとっては、祖母も母と同じくらい大切な存在なのだ。

 二日間くらいなら陽介がきちんと仕切ってくれるだろうし、サポートにはコウキもいるから、問題はないはずだ。

 

「あ、美奈お姉ちゃん」


 準備室から出たところで、洋子と鉢合わせた。


「洋子ちゃん」

「もう帰るんだよね」

「うん、明日、早いから」

「寂しいなぁ」

「たった二日だよ?」

「二日も、だよ。東京……気をつけて行ってきてね。無事に帰ってきてね?」

「うん、ちゃんとメールもするから。そうだ、何かお土産買ってくるからね」

「ほんと? えへへ、楽しみにしてる」


 満面の笑みを浮かべる洋子が愛おしくなって、美奈は、その頭を撫でた。途端に、嬉しそうに目を細めてくる。

 まるで、犬のようだ、と美奈は思った。

 尻尾があれば、今は勢いよく左右に振っていることだろう。


 小学生の時に、学校の絵本室でコウキと共に助けて以来、洋子は、すっかり美奈に懐いていた。今では、コウキや拓也よりも、美奈にべったりなほどだ。

 前の時間軸では、こんな関係ではなかった。互いに好きな相手が同じだったこともあり、ほとんど話すことはなかったし、どちらかといえば距離を取っていたほうだった。

 だが、あの頃とは違う。美奈にとっても、今の洋子は、妹のように可愛い存在だ。


 見送る洋子に手を振って、美奈は、階段を下りていった。

 

 

  













「おかあさーん、ちょっとおばあちゃんと散歩行ってくるから」

 

 家の中に向かって声をかけると、台所の方から、声が聞こえてきた。


「気をつけて行くのよ!」

「わかってる」

 

 母に返事をし、美奈は、祖母の背を押した。


「行こう、おばあちゃん」

「ん」


 祖母が、ゆっくりと玄関の引き戸の開けた。二人で家を出ると、すぐに暑い日差しに包み込まれた。

 日傘を差して、祖母の上に影を作る。


「ついてきてくれて、ありがとね、美奈」

「うん」


 祖母の家は、東京にあるとはいっても、東の端の方だ。ちょっと歩けば江戸川の堤防に着くし、川を超えれば、もう千葉県である。だから、中心地のようにビルが密集しているわけでもないし、どちらかと言えば、民家の連なりが目立つ地域だったりする。


 この時代にはまだスカイツリーもないし、ここからでは東京タワーも見えない。突然ぽんとここに放り出された人であれば、言われなければ東京だとは気づかないだろう。

 

「良い天気だね」

「そうだねえ」


 祖母は、毎日一時間以上、江戸川の堤防を散歩している。それは、前の時間軸でもそうだった。

 足腰の弱りは怪我や病気を招きやすくなるから、身体を動かすことを大切にしているのだ。


 三十分程歩いた後は、江戸川の堤防を下りたところに設置されているベンチで、散歩仲間の老人達と世間話をする。これも、祖母の習慣だった。

 この時間軸に渡ってから、毎年、祖母の家には遊びに来ている。その度、美奈は祖母の散歩についていく。だから、散歩仲間達にも、顔を覚えられていた。 

 

 祖母達の世間話は、いつも軽く一時間は超える。内容も、今日のテレビの囲碁がどうだとか、地域の寄合がどうだとか、どこの誰が施設に入ったとか、興味の無い話ばかりだ。だから、少しだけ会話を聞いた後は、美奈は一人で、堤防を歩くことにしていた。


 江戸川の堤防は、様々な人が行き交っている。

 子犬連れの若奥様。ランニングをする高齢の男性。自転車をふらつかせながら歩く小太りの男性。堤防の下では、小学生が野球に興じている。


 全ての人に、その人だけの人生があるのだ、と美奈は思った。

 たった一度きりの、やり直しの効かない人生が。

 

 だが、美奈だけは、違う。他の人がどれだけ願っても叶う事の無い、二度目の人生を過ごしている。

 神のようなものなのか、それとも、この世界の理のようなものなのか。何が、あの不思議な現象を引き起こしたのかは、分からない。

 けれど実際に、美奈は過去をやり直している。

 分かっている事実は、それだけだ。


 キン、という甲高い音が鳴った。バッターの少年が、良いヒットを放った。ボールはかなりの距離を飛び、外野手の少年のはるか頭上を超えていった。


 薬に見えて、薬ではない、人智を超えたもの。不思議な店の主である山口元子は、美奈が飲んだ薬のことを、そう評していた。

 オカルトとかスピリチュアルとか、そういう類を信じたことは、一度も無い人生だった。

 だが、あの店とあの薬との出会いがあって、今、この時代に生きていることで、美奈は、それらを信じるようになっていた。


 この世界には、説明のつかないことが、山ほどある。

 美奈が新しい人生を歩めているのも、そのうちの一つなのだろう。


 ふと、ここ最近の、部の違和感を思いだした。

 美奈が声をかけると、部員の誰もが従順になる。そんなあり得ないことが立て続けに起きているのも、もしかしたら、そういう類のものなのではないか。

 

「……なんて」


 そんなわけがない。

 美奈には、特別な力なんてない。自分が、一番分かっている。たまたま、運よく選ばれたから過去に戻れただけに過ぎない。そんな力を持っていたのなら、前の人生も、もっと上手く進んでいたはずだ。


「馬鹿らしい」


 呟いて、野球少年達から目線を外した。

 その時だった。


 堤防の草むらから、一匹の猫が飛び出してきた。


「あ」


 美奈の声に反応して、猫がこちらを向く。

 その猫は、灰色の毛並みをしていた。一度見たら忘れる事の無いような、珍しい毛並みだ。


 猫は目を見開いたまま、こちらを見ている。

 不思議な店の、灰色の猫によく似ている、と美奈は思った。


「あの時の……猫?」


 呟いてみて、そんなはずはないか、とも思った。

 きっと、よく似ているだけの、そこら辺の飼い猫なのだろう。

 そう思っていると、不意に、猫が鳴いた。


「え?」


 もう一度、猫が鳴いた。それから猫は、ゆっくりと動きだした。


「あ、待って!」


 小走りになった猫を、思わず、追いかけていた。

 猫は、まるで、美奈をどこかへ案内しようとしているかのように、時折こちらを振り返りながら、ついていける速度で走っている。


 明らかに、意思を持って、美奈を誘導している。

 やはり、あの時の猫なのか。


美奈編の最終章(の予定)に突入です。

いよいよ青春ユニゾンも完結へ向かって行きます。

といっても、まだまだかかると思いますが……

楽しみにお待ちください。

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