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青春ユニゾン  作者: せんこう
高校三年生・合宿編
403/444

十四ノ五十六 「自由曲のソロ 四」

 中学生の時、ライバルだった先輩からソロを勝ち取った。隣で悔し涙を流す先輩を、音葉は冷えた目で見ていた。

 泣いたって、結果は変わらない。泣くくらいなら、もっと練習するべきだ。

 そんな風に思っていた。それは、今でも変わらない。なのに、今、自分が泣いていることが、音葉は不思議だった。

 

 焼き焦げそうな痛みが、胸を中心とした身体の内側で広がっている。意識して抑えなければ、叫んでしまいたくなる。

 

 悔しい。


 心は、叫んでいる。自分の未熟さを、自分の愚かさを、罵っている。

 ほんの一瞬の油断が、今の結果だ。

 前に立つ、コウキと華の背。そこには、自分がいるはずだったのに。

 先輩も、こんな気持ちだったのか。音葉のことを、こんな風に見ていたのか。


 二度目の審査は、コウキが先に吹きだした。

 芯を感じる張りのある音でありながら、どこか優しさを感じるような歌い方。音葉とは、まるで違う。なのに、どうしようもなく惹かれる。人の心を掴む音だ。


 番が変わって、華が吹いていた。

 その透明感のある音を聞いた瞬間、音葉の頭の中で、夕陽に染まる町並みという光景が浮かんだ。陽の赤と空の青と、混ざり合った紫。雲の陰の灰色。町は夕陽を浴びて影を生み出し、もの悲しさを感じさせる。

 

 トランペットを吹く奏者同士だから。

 競い合い、共に歩んできた相手だから。

 華の演奏が表現しようとしていることが、分かってしまう。


 音葉の思い描いていた地平線から昇る朝日の、対極。沈みゆく夕陽。

 とても、美しい。

 

 そこからは、再び投票の時間だった。

 最終的に選ばれたのは、華だった。結果が発表されると、そこにいた大勢が、驚きの声を挙げていた。大方の予想と、まるで違っていたからだろう。

 華自身も、驚いているようだった。

 

 丘が何かを話し、今後の方向性まで説明をしたあと、コウキと華がファーストで、音葉がセカンド、ということになった。


「少しだけ休憩を挟んでから、合奏を始めましょう」


 丘のその言葉で、小休止となった。


「音葉、はい、楽譜」


 華が、自分の自由曲の楽譜を渡してくる。音葉も、自分の楽譜を手渡した。

 音葉は、最低限しか楽譜に書き込まない。華の方は、もう少し、いろいろ書き込むようだ。見づらくはないが、これまでの華の練習の軌跡が、そこには示されている。

 

 華は、それ以上何も言わず、音葉の傍から離れていった。

 今は、そっとしておいてもらえた方が、有難い。人と会話など、したくないのだ。


















 トイレを済ませて通路に出ると、女子トイレの方からも、人が出てきた。


「きゃっ」

「っと!」


 ぶつかりそうなのをすんでのところで避け、顔を見合った。

 相手は、月音だった。


「ごめん、月音さん」

「こっちこそごめん、コウキ君」


 なんとなく、そのまま、立ち尽くす。月音は、少し目線を下げたまま、気まずそうにしている。

 ロビーの方からは、卒部生や現役の話声が聞こえてくる。


「ソロ、残念だったね」

「ああ……仕方ないよ」

「でも、落ち込んでは無さそうだね」

「うん。俺より、華ちゃんが良い演奏したってことだから」

「コウキ君の演奏も、良かったよ。今回は、私も華ちゃんに入れちゃったけど」


 きっと、コウキでもそうしただろう。それを正直に話してくれるところが、月音の良さだ。


「東海大会前に、もう一度オーディションやるって言ってたし、そこで取り戻せると良いね」

「うん。もっとこうしようってのが色々湧いてきたし、今の内に、研究するよ」


 少し、月音が笑った。


「あ、あんまり二人でいない方が良いよね」

「え、いや」

「じゃあ」

「待って、月音さん」


 立ち去ろうとした月音が、戸惑ったように、振り返る。


「何?」

「合宿、来てくれてありがとう」

「それは、逸乃と理絵がしつこくて」

「それでも。こうして足を運んでくれて、嬉しいよ。また会えたし」

「……そう」

「元気そうでよかった」

「コウキ君、も」

「ごめん、引き留めて」


 首を振って、月音は去って行った。

 

「コウキ先輩、あの人、卒部生なんですか?」


 男子トイレから、一年のホルンの志村祐介とユーフォニアムの原良夫が出てきた。


「見てたのか」

「仲良さそうでしたね」

「俺の一個上で、トランペットの山口月音さん」

「初めて見ました。他の先輩は、見た事あるけど」

「抜群に可愛い人ですなぁ」


 一年生にも噂として、コウキと月音の関係は知られているだろうと思っていたが、そうでもないらしい。


「そうだな」

「うちの部、良いなぁ、レベル高くて」

「ほんとですな」

「二人とも、心の声が漏れてるぞ」


 祐介と良夫が、笑った。


「二人は、好きな奴とかいないのか」


 並んで歩きだすと、祐介が唸った。良夫は、へらへらとしているだけだ。


「いないですよ。いやあ、でも彼女は欲しいですけどね」

「望ちゃんは? 仲良いだろ」

「望? いや、望は腐れ縁と言うかなんというか、まあそんなのですよ」

「望ちゃんはそうは思ってないかもしれないだろ」

「あいつが? ないですよ」


 ははは、と祐介が笑った。

 祐介と望は、花田中央中から来た子だ。付き合いも長いと聞いている。その関係性や普段の様子からは、まるで、真二と心菜を見ているような気すらしてくる。

 コウキから見れば、望は祐介のことを好いているのだが、祐介本人は、それに気づいていない。そんなところも、そっくりだ。


「うちの男子は、鈍い奴が多いんだよな」

「ですなあ」

「良夫も分かるのか」

「当然ですな」

「はは」

「何がですか、二人だけで?」


 祐介が、首をかしげている。


「周りをもっとよく見てみろってことだ、祐介」

「へ?」

「祐介氏は、恵まれてますぞ」

「何の話なんだよ!」


 頬を膨らませる祐介を置いて、コウキは良夫と講義室へと入っていった。

 













 前の時間軸で社会人になってからは、何度か友人とキャンプやバーベキューをしたことがある。

 自然の川原だったり山でもしたし、キャンプ場でもやった。


 夜、石の上に腰を下ろして、焚火のゆらめく炎を眺めるのは不思議な感覚だった。まるで生き物のように蠢く炎は、刻一刻と形や色を変えていく。時々爆ぜると、一瞬火の勢いが上がり、また元に戻る。

 全身で感じる炎の熱が、まるで野生で暮らしていた頃の祖先の記憶をよみがえらせるかのような、そんな気すらしてくる。


「何か、おじさん臭い事言うね、コウキ」


 思っていることを話したら、智美が言った。がっくりと肩を落とし、小さめの薪を一本、焚火に足した。

 夜のレクの時間で、部員達が、思い思いの場所で焚火を囲んでいた。

 コウキは智美と華と洋子の、いつもの四人だ。


「分からんかね、この良さが」

「いや、焚火は楽しいけどさ。何か言ってることが」

「キャンプオタクって感じしまーす」

「華ちゃん……」


 洋子が、くすくすと笑っている。


「二人だって、お父さんと山登りしたら、焚火くらいするだろ」

「まあ、昔は何度か」

「ですね」

「こうやって火を眺めてたら、楽しくなっただろ?」


 二人は顔を見合わせ、肩をすくめた。


「別に……」

「あ、そ」


 興味の無い人間は、とことん興味がないだろう。この高尚な精神世界への理解は、出来る者がすれば良いのだ。


 ぱちん、と薪が爆ぜる。

 串にマシュマロを刺して火に当てていた洋子が、小さく声をあげて手を引っ込める。それを見て、華と智美が、笑った。

 遠くの焚火を囲んでいるグループのほうで、はしゃぎ声が上がった。ちょっと目を向けると、男子達が、何か盛り上がっているようだ。


 夕飯はいつも通り合宿所の食堂で食べたから、焚火で何か料理をしているわけではない。

 せいぜい、マシュマロを焼いたり、コーヒーを沸かしたりしている程度だ。それでも、日常と違う時間を過ごすことは、部員達にとって、ちょっとした息抜きになっているようだった。

 

 合宿は、明日で最後だ。

 学校に戻れば、空調の整った図書室での練習になる。そして、八月の前半には、県大会。

 残された時間はわずかである。にもかかわらず、まだ、コンクールの規定時間である十二分以内に演奏時間をおさめられていない。

 焦りは、コウキだけでなく、他の部員も感じているだろう。だが、焦れば良い結果が生まれるわけでもない。そこは、丘と自分達を信じてやるしかないのだ。

 今までだって、丘は必ず大会までに演奏を仕上げていたし、部員も応えていた。今年も、そうするだけだ。


「ねえ、先輩」


 華が、言った。


「ん?」

「ソロ、今回は私が貰いますね」


 不意の一言だった。思わず、黙っていた。華は、真剣な表情で、こちらを見ている。


「先輩のおかげなんですよ。ソロが完成したのは」

「俺の、おかげ?」

「はい。先輩のことを想って吹いたから、あの演奏になりました」


 言われた意味が分からず、頭を回転させた。しかし、どれだけ回転させても、しっくりくる答えが見つからない。

 華が、コウキの事を想う。それは、洋子や月音が想ってくれていたことと、同じ意味か。


「華、あんた、コウキのこと……」

「違うよ。そういう意味じゃない」

「なんだ」


 智美も、洋子も、コウキ自身も、同時に息を吐いていた。


「とにかく、私の勝ちです」


 にこ、と華が笑った。この強気で勝気な性格は、姉の智美とはあまり似ていないところだ、とコウキは思った。

 中学の頃から、華は突出した奏者だった。それは、この数ヶ月で、更に顕著になった。音葉という光が強すぎるせいで注目されにくくなっていたが、彼女に負けない才能を、華も持っていたのだ。それを、今日という重要な日に、明確にしてみせた。


「東海大会まで、ソロは預けた」


 コウキは言った。華が、首をかしげる。


「県大会も代表選考会も、前哨戦みたいなものだ。東海大会と全国大会では、俺に返してもらう」


 その言葉に、華がにやりと笑う。


「元々、私のものです」

「一年が、でかい口を叩くじゃないか」

「事実ですから」

 

 顔を見合わせて、笑いあった。

 別に、本気で言い合いをしているわけではない。コウキにとって華がライバルであるように、華にとっても、コウキはライバルなのだ。

 そういう関係になれたのは、今年からだろう。中学の時は、明らかに、コウキが負けていた。この三年間でコウキのレベルが上がって、華とは、奏者としても対等な関係となった、ということだ。


 華に対して告げた言葉は、嘘ではない。

 東海大会の前に行われる再オーディションでは、ソロを奪り返す。

 全国大会で吹くのは、コウキだ。

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