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青春ユニゾン  作者: せんこう
高校三年生・合宿編
402/444

十四ノ五十五 「自由曲のソロ 三」

 親に頼み込んで買ってもらったゼノは、コウキにとって、最高の相棒だった。

 音の質が、これまでのトランペットとはまるで違うのだ。それに、コウキの要求に全て応えてくれるし、やりたいことを、やりたいように表現させてくれる。

 日本が生み出した、傑作トランペットといえるだろう。おかげで、今は、自由な演奏ができる。


 このソロも、そうだ。

 音の並びは難しくないが、そこにどんな表情をつけるか。ただ明るく吹けばいいわけではないし、穏やかに吹けば良いわけでもない。何も考えないのも、あり得ない。

 奏者によって色をがらりと変えるような、シンプルなフレーズに見え隠れする、奥深さがある。

 それが、ゼノのおかげで、思い通りに奏でられる。コウキの中の、こう吹きたいというイメージを、具現化してくれる。


「次、三番」


 丘の声を聞いて、コウキは、一歩前に出た。

 そのまますっとトランペットを構え、いつも通り、何の力みも生まず、自然に、音を出した。

 ソロを演奏している間、コウキの耳から、周りの音が消え去る。自分とトランペットとソロのフレーズ。あるのは、それだけ。

 ただただ、この音楽に身を委ねる。

 それで、心地良い演奏が生まれる。


 演奏中に緊張することがなくなったのは、いつからだろうか。

 勿論、全く緊張しないわけではないが、それはプラスの緊張だ。不利に働くような、身体が固くなるタイプの緊張は、長いこと経験していない。


 日々の練習から、本番を想定して演奏してきた。たった一音であっても、全国大会のあの黒舞台をイメージして、最高の音を出し続けようとしてきた。

 無難な音を出すことを自分に禁じ、常に最高たれ、と意識してきた。

 そのおかげかもしれない。


 マウスピースを口から離し、コウキはトランペットを下ろした。

 これで自分が選ばれれば良いし、選ばれなければ、コウキを超える後輩がいたということになる。それもそれで、良い。

 自分に出来ることは全てやった。結果は、おまけでしかない。

 そういう境地に至れるようになったから、身体にも音にも、力みが消えた。

 今のコウキにとっては、この演奏が、最高だった。



















 両親が離婚し、東京から離れて以来、音葉の世界は色が失われ、薄暗い幕に覆われたように、いつも灰色で、無機質で、何の価値も感じられない空虚なものとなった。

 自分にとっては、東京という都市が全てだったのだ。あそこには友も仲間もいたし、家族なんてものが崩壊していても、音葉を楽しませてくれるものや場所が、沢山あった。


 だが、ここには、何もない。

 学校の授業は低レベルで、同級生の話は下らないし、家に帰れば、ボケはじめた祖母と病んだ母の面倒を見なければならない毎日。


 自分が、一体何をしたというのだ。

 浮気性の父を親に持ったがために、子である自分が、これほどの不幸を背負わされねばならないなんて。

 眩しくキラキラしていた毎日は、もう二度と取り戻せない。なのに、あの父親は、きっとどこかで今も女と幸せに過ごしている。

 こんなのは、間違ってる。

 そういう怒りや憎しみといった負の感情が、もしかしたら音葉の世界から、色を失わせた原因なのかもしれない。


 ただ、トランペットを吹いている時だけは、世界に色彩が戻ってきて、色で溢れた。心が浮き立ち、音符の連なりが、音葉の止まっている時間までも、動かしてくれた。

 音葉にとっての宝物は、もう、トランペットだけだった。これを失ったら、生きている意味すら、分からなくなる。

 

 だからこそ、一番でありたかった。音葉にとって、唯一残された宝物だから。誰にも負けないくらいの、強い想いがあるから。

 何も無くなったこの世界で、音楽だけは、音葉を見捨てない。トランペットだけは、音葉を救ってくれる。

 音葉も、それに応えたいのだ。

 

「四番」


 丘の声。

 一歩前に出て、音葉は、目を閉じた。


 胸に手をあて、息を吐く。

 華の演奏も、心菜の演奏も、コウキの演奏も、音葉にとっては関係ない。誰が何をどう吹こうと、揺るがない。今日まで磨き上げてきた自分の音楽を、信じる。


 トランペットを上げ、マウスピースを、口に当てた。

 閉じていた目を開き、息を、大きく吸い込む。


 放った音が、室内に満ちた。管の中で振動が生まれ、響きを作っていく。それに呼応するかのように、音葉の身体の中も、共鳴して響いていく。

 からっぽになってしまった心を音で満たすように、紡いでいく。

 満ちろ。もっと、満ちろ。

 講義堂の中が、色で溢れていく。色彩が戻り、鮮やかな世界が、音葉の目に描かれていく。

 

 トランペットの銀色の輝きも、照明の煌めきも、木板の温もりも、ついたての真っ白さも、全部が鮮やかだ。

 音と共に描かれていく、家族で見た、朝日の光景も。

 本当は、こんなにも綺麗な世界なのに。


 どうしていつもの音葉の目には、灰色に映るのだ。

 ただ、幸せな毎日を生きていたかっただけなのに。

 他の子と同じように、無邪気なままで、いたかったのに。


 大事な場面だった。なのに、不意にそんなことを思ってしまって。

 一瞬、音が乱れた。咄嗟に、顔をしかめていた。ほんの一瞬。それでも、充分すぎるほどのミス。


 ソロを吹き終えて、音葉は、うなだれた。

 余計なことを考えた。音のことだけを考えていれば、よかったのに。

 チャンスを、自ら、こぼれ落としてしまった。


 世界は、また、空しい灰色に戻っていた。

 

 


 

  

 


 







 




 昨年度までのトランペットパートは、これまで丘が見てきた中でも、間違いなく黄金世代と言って良いほど、優れた奏者が揃っていた。

 どんな曲でも、あの七人なら任せられるだろうという安定感を感じたし、個々の技量は勿論、合わせた時の一体感も、特別なものがあった。

 あれほどのパートが出来上がることは、もうないだろう、と丘は思っていた。


 しかし、新入生として華と音葉が入ってきた。どちらも、中学でエースとして活躍していた奏者だった。

 快闊な華と、寡黙な音葉。正反対の二人だが、両者とも、元エースらしい優れた能力を持っていた。

   

 音葉は他者に壁を作る癖があるが、華のことは認めている節があった。だからペア練もあの二人を組ませたし、どちらか一方を優遇するようなことをせず、二人で競わせた。

 互いを友として、仲間として、そしてライバルとして見ることで、成長を促進させようという狙いがあった。

 それは今のところ上手く機能していて、順調に、奏者としての腕を伸ばしてきていた。


 二人が入ってきたことで、トランペットパートは力強さを取り戻した。

 だから、『GR』を自由曲にすることができたのだ。オーケストラサウンドが前提の大作でありながら、吹奏楽編曲らしくトランペットパート全体の力量が求められる曲であり、今の花田高に、そして丘の目指す音楽の形に合う曲でもあった。


「名前書けた人は、持ってきてください」


 智美の指示に、部員達が返事をした。

 ソロオーディションの投票が進んでいて、すでに、三分の一ほどの者は、投票を済ませている。


 丘は、まだ書いていなかった。別に理由があるわけではなく、ただ、書いていないだけだ。

 隣の涼子は、すでに書き終えて、紙を折っているところらしい。


 ソロに挑んだ四人は、それぞれの良さを持った奏者で、皆自分なりの演奏をしていた。 その中から、上位二名で再審査となる。

 チャンスは二回、ということだ。

 だが、言い換えれば、二回とも素晴らしい演奏をしなければ選ばれない、という意味でもある。


 それは、どれだけ演奏の再現力を身につけられているか、ということも関わってくる。

 まぐれで一度良い演奏をしただけでは、本番のコンクールでミスをする可能性もある。何度やっても美しいソロを吹ける。それが、ソロ奏者の条件だ。


 音葉は、と丘は思った。

 肝心の部分で、些細なものだが、ミスをした。それは、普段の音葉からは結びつかないような、意外なミスだった。

 だが、ミスはミスだ。聴いた者は、そこに他の奏者との差を感じてしまう。音楽表現などという、個人によって感性の分かれる部分ではなく、明確な差として認識しやすいことだからこそ、より、如実に評価に出る。


 今日までの合奏では、四人に交代でソロを吹かせていた。

 その印象としては、コウキと音葉が選ばれるだろう、と予想していた。

 だが、実際は、華の演奏が意外なほどに、伸びていた。


 丘は、日々、奏者の前に立って演奏を聴いている。だから、どの音が誰の音かが、目を塞がれても分かるくらい、記憶していた。

 一番が華、二番が心菜、三番がコウキで、四番が音葉。


 恐らく、選ばれるのは、華とコウキだろう。

 丘も、手早くメモ用紙に番号を書いて、折りたたんだ。智美が、回収に来る。箱の中へ紙を入れて、丘はボールペンを胸のポケットに戻した。


 定期演奏会では、コウキの成長を促すために、『サモンザヒーロー』を選曲した。丘の期待通り、逸乃と月音を差し置いて、コウキはソロを勝ち取った。

 その結果、コウキは爆発的な成長を見せた。 


 あれから、コウキは確実に部のサウンドの中核となっている。

 リーダーとして部員の心の柱にもなり、サウンドの核にもなっている。今まで、そういう部員はいなかった。唯一思い当たる者と言えば、丘の先輩であった進藤だけだろう。

 コウキを見ていると、彼を思い出す。

 今回のソロも、間違いなく、コウキは上位二人に選出される。


 だが。

 丘が票を入れたのは、華だった。

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