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青春ユニゾン  作者: せんこう
高校三年生・合宿編
401/444

十四ノ五十四 「自由曲のソロ 二」

「トランペットソロの決め方ですが、『サモンザヒーロー』の時と同じで、ここに居る全員で審査する方式でいきます。私、涼子先生、部員と卒部生全員。より多くの者を納得させた奏者に、ソロを吹いてもらいます」


 定期演奏会を経験していない一年生の間に、動揺が走る。

 

「一人一人の票が、この部の行く末を決めます。贔屓や同情で票を入れるのではなく、本当に良いと思った者に、一票を入れてください。勿論、誰が吹いているのか分からないようにするために、奏者の前にはついたてを設置します」


 丘の言葉の後、智美が詳細の指示を出して、部員達が合奏隊形に組まれていた椅子や指揮台などを動かし始めた。

 すぐに、さきほどまで丘のいた指揮台があった場所に、ついたてが三つ、放射状に置かれた。


 オーディションに参加するコウキ、音葉、華、心菜の四人は、ついたての向こうに。審査をする者は全員、ついたてのこちら側に座った。


「オーディションは二回。一回目で得票数の多かった二名で再度審査をして、最終的に一番得票の多かった方が、ソロ奏者となります」


 千奈は、端の方に座っていた。

 自分が選ばれるオーディションでもないのに、居心地の悪さで、逃げ出したくなっている。

 親友である心菜が、あのついたての向こうに居る。そして、これから何十人という人の前で、審査される。それを思うと、気が重くなってしまうのだ。


 このオーディションに向けて、心菜が懸命に練習していたことを、千奈は誰よりも知っている。同時に、心菜自身が、自分は奏者に選ばれないと思っていることも、知っている。

 心菜は下手じゃない。その気になれば、トップ奏者になれるだけの素質だってある。それでも心菜が今、四番手五番手の位置にいるのは、中学の頃に原因があった。


 花田中央中で二年生の時。コンクールで、心菜がファーストとトップの座を獲得した。それを、三年生の先輩が妬んだ。

 そこから、心菜にだけ分かるように、陰湿ないじめが始まった。


 当時、心菜はそのことを誰にも言わなかった。助けも求めず、一人で、もがいていた。

 心菜の演奏は日に日に質を落としていき、コンクールの結果も、散々だった。先輩は、心菜のせいだと言って責めた。


 それで、心菜の心は壊れた。

 部を引退するまでの一年間、頑張る事をやめ、二番手三番手であろうとする振る舞いを見せるようになった。

 あの一年という時間は、心菜の奏者としての歴史に、大きな傷を作ったのだ。


 当時、千奈は、心菜の身に起きていたことを、気づいてやれなかった。

 二年のコンクールが終わった後から、心菜が熱意を失ったことは分かっていたが、その原因については、何も分からなかった。


 心菜から当時のことを聞かされたのは、去年の夏だった。コンクールのメンバーオーディションで、心菜と万里の間に問題が起き、それをきっかけとして、心菜は変わった。

 今では、千奈にも心の内を明かしてくれるようになった。


 そんな心菜が、今、あの場にいる。なのに、千奈には、応援しか出来ないのだ。歯がゆくて、もどかしくて、たまらない。


 


 

 


 










 思いだすのは、あの山の光景だった。

 中一の二月だ。バレンタインデーが過ぎてすぐの頃、引きこもっていたコウキの気持ちを晴らすために、智美の提案で大勢で山に登った。

 山から見える町並みを見下ろして、皆で他愛も無い話をした。食事をして、眠って、起きた時には、夕方だった。

 空が赤らみはじめ、青と赤が混ざって紫も少し見えるような、不思議で、美しい空だった。沈み始めていた茜色の太陽は、今でも目に焼き付いている。


 初めてあの場所を教えてくれたのは、父だ。智美と父と、三人で登った。そして、あそこから見える光景に、心を奪われた。

 ソロを練習し始めてから、最初のうちはあの光景を思いだしていた。 

 だが、それだけでは足りなかった。


 華の中では、あの美しい光景だけでは、このソロを表すのには不足だったのだ。

 考え続けて、吹き続けて、ある時から、中一の二月を思い出すようになった。

 突然不登校になってしまったコウキを元気づけるために、皆で山に登った。あの日のあの時間は、穏やかで、心地良くて、あたたかい時間だった。 


 皆が、コウキのことを想っていた。ただコウキに元気になってほしい、楽しんでほしい。

 その気持ちだけだった。

 

 誰かが、誰かを想う気持ち。

 それが、あのあたたかさの正体だった。

 共に見た山の景色。それは、あの時の気持ちのおかげで、一層美しかった。


 そして、このフレーズから感じる何かも、それだったのだ、と気がついた。

 それから、このソロが自分のものになった気がしたし、思い通りに吹けるようになった。


 だから、それを出すだけなのだ。

 自分の思うこのフレーズを、奏でるだけ。

 それだけで、良い。




 












 ソロの一番奏者は、華だった。

 その音を聞いて、心菜は、絶望を感じた。

 華のトランペットからあふれ出す、希望の調べ。講義堂を震わす、優しくもあたたかい旋律。

 それは、追い求めたとしても、心菜には到底表現できぬようなもので。


 これで、一年生、か。


 トランペットを、かき抱く。冷たく無機質なトランペットは、心菜の想いに、何も応えてくれない。

 相棒であるはずなのに、このトランペットが、まるで自分のものではないかのように、酷く冷徹なものに感じる。


 今まで、どうやって音を出していたのだろう。

 ずっと、何をしてきたのだろう。

 華のような表現力も、音葉のような技術力も、コウキのような安定感も無い。


 必死に練習してきた。

 本当にか。

 本当に、死に物狂いで、やってきたのか。

 手を抜いていた一年を取り戻すくらい、懸命に、全力で、やってきたのか。


 今更、こんなことを思っても。

 

 後悔するくらいなら、誰に何をされても、手を抜かなければよかった。愚痴を言っていないで、練習していればよかった。

 全部、自分が選んだのだ。だから、今、こうなっている。


「次、二番の人、どうぞ」


 丘の声が聞こえて、心菜は一歩前に出た。

 静まり返った講義堂に、自分の息遣いが響いているような気がしてくる。


 ついたての向こうにも、自分の動揺が伝わっているのではないか。

 四人の中で、心菜が一番下手なのだ。こんな公開処刑みたいな時間、必要ないじゃないか。

 どうせ、選ばれることはない。誰もが分かりきっている。それでも今、吹く意味なんて。


「二番」


 また、丘の声。

 やらなければ。でも。


「……ッ、頑張れ!」


 不意に、みかの声が、聞こえた。

 

「諦めるな!」


 聴こえてくる音で、ついたての向こうのどの辺りにみかがいるのかが、分かった。

 みかから、ついたてのこちら側は見えていないはずだし、次に誰が吹くのかも、分からないはずだ。

 なのに、みかの言葉は、心菜に言っている、というのが分かった。


「金原、静かにしなさい」


 丘に注意されて、みかの謝罪する声が、小さく聞こえた。心菜は、ぽかんとして、楽器を構えることも忘れていた。


 同期のみかは、初心者でトランペットを始めた子だ。中学で合唱部だったからか、音感は人よりもある子だったが、楽器は素人だった。

 それでも、みかは周りに追いつくために、努力していた。

 

 去年のコンクールのメンバーオーディションで、みかは落ちた。だが、それ以上に万里が落ちた事が衝撃で、周りは万里に同情した。

 あの時、まるで、自分は選ばれなくて当然だと思われているような気がした、とみかは心の内に秘めた怒りを打ち明けてくれた。

  

「初心者だからとか、関係無い。絶対、私を皆に認めさせる」

 

 みかはいつもそう言っていたし、定期演奏会の『サモンザヒーロー』のソロオーディションでも、本気で選ばれるつもりで吹いていた。

 オーディションの後、みかは同期から褒められていた。

 みかの音だって、すぐに分かった。みからしい音がした。良い演奏だった、と。

 みか自身も、自分の演奏に、納得していた。

 あの時も心菜は、心の中で、どうせ自分は選ばれないと思ってしまっていた。


 そうか。


 心の中で、呟いていた。

 だから、心菜は、駄目だったのだ。

 みかのように、自分自身を諦めないということが、できなかった。自分で自分を、信じてやれなかった。

 だから、こうなったのだ。


 みかの諦めるなという言葉が、身体に、染みこんでくる。

 もっと早く、このことに気がついていたら、何かが変わったのかもしれない。


 でも、気がついたのは、今だ。

 だったら、遅かろうと、今から始めるしかない、ということだ。


 手の震えは、変わらずある。身体だって、緊張で冷たい。

 それでも、心菜はトランペットを構えた。


 何百回と練習したこのフレーズを、今、自分に出来る全力でやる。

 そこから、心菜の一歩は、始まるのだ。

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