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青春ユニゾン  作者: せんこう
中学三年生・文化祭編
40/444

四ノ九 「洋子と智美」

 十一月にもなると、厚着をしていても外は寒い。

 少し演奏を止めると、途端に唇も指もうまく動かなくなる。温めるために、カイロが手放せない時期だ。


 公園の敷地内で、小学生達がサッカーをしている。

 彼らの甲高いはしゃぎ声を聞きながら、トランペットの中にたまった水を、息を入れて抜いた。ぽたぽたと水が落ちて、足元の地面に染みができる。


「それってさぁ唾なの? 水なの?」


 隣に座ってぼんやりと上を見上げていた智美が、足元の染みに目を落として聞いてきた。


「水、じゃないかな。こんなに唾でないでしょ」

「だよねぇ」

  

 言って、智美は表情を崩した。

 それからまた空を見上げて、流れていく雲を目で追い始める。


「空を見るの、好きなんだな」

「うん、好き」

「俺の音、うるさくないのか?」

「むしろ、BGM付きで空を眺められるなんて贅沢だよ。コウキの音は綺麗だから、聞いてて飽きないしね」

「……急に褒めるなぁ」

「ほんとのことだもん」


 智美は、たまにこうして学校帰りについて来ては、コウキがトランペットを練習している隣で、空を見ている。

 一人で吹くよりは、聴いてくれる人がいたほうが練習に張りは出る。

 ただ、いつもぼんやりと空を眺めているので、無理に付き合っているのではないかと、心配になるのだった。

 

 コウキは、文化祭も終わって、正式に吹奏楽部を引退した。三年間使ってきたトランペットは学校の備品で、それは、引退と同時に返却してある。


 当然、高校でも吹奏楽を続けるつもりでいるが、それまでの間に一切楽器を吹かないでいると、感覚が鈍くなってしまう。だから、貯めてきた貯金と両親から少し出してもらった金で、安いモデルのトランペットを購入した。


 金色のラッカー塗装がされていて、学校の備品で使っていた銀のトランペットより、少し音が明るい。モデルや塗装によって、同じメーカーの楽器でも、音色は随分変わるのだ。


「うるさくないなら良いけど。なんか、智美さ、たまに悩んでるような顔してないか?」


 二人でいる時に、ふと横にいる智美を見ると、思い悩んでいるような冴えない表情をしていることがよくあった。

 それが妙に引っかかって、気になっていたのだ。


 智美はちょっと身体を固くして、それから苦笑いをした。


「そう見えた? コウキは鋭いねぇ……」

「やっぱ何かあるのか?」

「まあ、ね。でも心配しないで。大丈夫だから」


 有無を言わさない口調。壁を作られると、それ以上聞けない。

 相談したいと思っていないのに聞くのは、ただの野次馬根性だ。

 それをされても、智美は喜ばないだろう。


「どうにもならなくなったら、頼れよ。話聞くから」

「……ありがと」


 顔を下げて、自分の腿に置いた両手に目をやりながら、智美は小さく呟いた。

 今は、黙ってそばにいることしかできない。


「何か吹いてほしい曲、ある? 吹いたげるよ」


 時々、智美にはあれを吹いてくれ、これを吹いてくれ、とリクエストされていた。恥ずかしくて断っていたが、こういう時くらいは吹いてやろうか、という気になった。

 持ってきていた楽曲集を、智美に差し出す。


「ほんと? じゃあねー」


 ぱっと顔を明るくして、可愛らしい笑顔を向けてきた。

 楽曲集を受け取ってぱらぱらとめくり、しばらくしてから『聖者の行進』のページを指さした。


「これがいいな」

「聖者の行進か、おっけー」


 智美から楽曲集を受け取って譜面台に置き、楽譜をざっと見て流れを確認してから、トランペットを構えた。

 ゆっくり深く息を吸って、管内へと吹き込んだ。


 華やかな音が、トランペットのベルから飛び出していく。

 楽曲集の『聖者の行進』は、ルイ・アームストロングが演奏していたものほどジャズ感が強くないが、それでも楽し気で陽気なリズムだ。

 シンプルなメロディーで、初心者でも吹きやすい良い曲である。


 ふと周りが静かなことに気づいて目を動かすと、サッカーをしていたこども達も立ち止まって、こちらを興味深そうに眺めていた。 

 隣に目を移すと、智美は目を閉じて微笑みながら、体を小さく揺らしている。 


 初見で吹いているからお世辞にも上手いとは言えないが、智美が楽しそうにしてくれているのを見ると、吹いている甲斐があるというものだ。


 楽譜に目を戻し、最後まで吹ききる。

 曲が終わると、智美は小さく拍手してくれた。


「好き。この曲」

「俺も」


 智美は満足そうな表情をしている。

 こども達は、またサッカーに戻っていた。
















 こうして授業後に公園で練習をするのは、日課になっていた。

 室内で練習出来る場所は、近くにはないからだ。


 後輩には部室で練習したらどうか、と声をかけてもらっていた。だが、あえて引退してからは顔を出さないようにしている。

 東中吹奏楽部はすでに一、二年生だけの新体制になっていて、もうコウキの居場所ではないのだ。 

  

 三年生が引退し、部が新体制に移行するにあたって、コウキはパートの二年生とよく話し合って、一年生の華をトランペットのパートリーダーに指名した。

 最も相応しい子であり、また、一年生がリーダーを務めるのは、これからの部に必要だと思ったからだ。


 以前から、上級生が必ずリーダーを務めるという無意味な慣習が、コウキは嫌いだった。

 相応しい者が年齢に関係なく担当することが可能な、風通しの良い部である。 

 それが、コウキの理想の部活の姿だ。


 後輩達には、その話をし続けてきた。どれだけのことを感じ取ってくれているのかは分からないが、全員が華をリーダーと認めたのだから、少なくともトランペットパートは大丈夫だろうと思える。

 これから先、トランペットパートは華を中心にうまく回るだろうし、部の運営に関しても、次第に華が中核を担うようになってくるに違いない。

 それだけ、華には人の前に立つ才能がある。


 願わくば、部員全員が上下関係に縛られない、本当の信頼関係で結ばれた部になってほしい。

 上下関係が絶対悪だという意味ではないが、無駄な上下関係は、要らない軋轢や人間関係のこじれを生む。

 皆が対等で、何でも言い合える関係。そういう信頼関係があってこそ、本当の合奏が可能になるのではないか。


 華は、コウキの話を真剣に聞いてくれていた。疑問に思えば納得いくまで質問してきて、時にはコウキの意見に反発してくることもあった。

 そうやって自ら考えようとしてきたからか、入学したての頃より、華はしっかりと自分の考えを持つようになっている。

 彼女がリーダーの一人として存在する限り、後輩達を心配する必要はない。

 だから、これからもあまり部室に顔を出すつもりはなかった。


 周りを見回すと、サッカーをしていた小学生達の姿は消えていて、公園は静かになっている。

 風が吹いて、樹々が音を立てた。

 トランペットの練習を始めてから一時間半ほど経過していて、来た時よりも寒さが増していた。


 隣の智美を見る。肩にかかるくらいの綺麗な黒髪が、風でなびいている。

 華と姉妹なだけあって、二人はよく似ていた。智美のほうが、少しきりっとした顔立ちだ。

 視線に気づいたのか、智美が首を傾げた。


「何?」

「いや、智美と華ちゃんは、やっぱ姉妹だなって考えてた。二人とも似てるわ」

「急にどうしたの」

「いや、何となく思っただけ」

「ふーん‥‥‥変なの」


 ふと、智美は何か思い出したような表情をして、ベンチの背もたれにくっつけていた身体を離して背筋を伸ばし、身体をこちらへ向けた。


「そういえば、洋子ちゃんだっけ。華から凄く困ってるらしいって聞いたんだけど……大丈夫なの?」

「ああ……どうだろう。今のところは……でも、心配かな」

「なんかうちのクラスの男子も告白しに行ったらしいけど」

「聞いた」


 洋子は、文化祭の有志の出し物で、バンドに参加した。

 あの時に洋子の魅力に気づいた男子生徒が、学年を問わず盛んに言い寄るようになっている。

 無理もない。

 あの時の洋子は、人の心を引き付けるのに充分すぎるくらい輝いていた。


 だからと言って、それは洋子にとって何も良いことはないし、洋子が疲れて元気が無くなっていく様を見ているから、コウキとしても良い気分ではなかった。


「何とかしてあげたいね……」

「うん。洋子ちゃん……学校にいる時は、頻繁に男子に言い寄られてゆっくり出来てないらしい」

 

 昨日、拓也と洋子と三人で集まった時、ため息交じりに言っていた。


 拳を、握りしめていた。怒りがこみあげてくる。

 洋子を狙う男子生徒達は、自分だけが狙っているわけではないと分かっているはずだ。

 となれば、洋子からすれば常に言い寄られて休む暇がないのだから、頻繁に近づくべきではないと、少しでも洋子を想うならすぐに思い至るだろう。

 思い至れない時点で、芽はないと気づいてほしいものだ。


「休める時間が欲しいよね、洋子ちゃん」

「だな。どうにかしてやりたいよ」


 二人とも腕を組んで唸っていたが、いくら頭をひねっても、良い考えは浮かばない。

 そのうちにまた風が吹いて、冷たい空気が身体を打ってきた。

 智美が身体を震わせた事に気がついて、トランペットをケースにしまった。


「寒いな。そろそろ帰ろう」

「うん」


 智美は立ち上がると、ぐっと伸びをした。その拍子に、セーラー服の裾の下からちらりとカーディガンが見えた。

 袖は見えていなかったので、今まで気がつかなかった。校則では禁止されているので、智美も無断着用だ。


「カーディガン、着るようにしたんだ?」

「あ、うんそうそう。前コウキがカーディガン着てたの見て、私も着ることにしたんだ。無意味な校則だった……し…………ああっ!!」


 突然、心臓が飛びだすかというほどの大声を智美が上げたので、思わず心臓を抑えていた。


「な、なに!?」


 問いかけると、智美は人差し指を振りながら、口をぱくぱくと動かしている。言葉が、出ないのだろう。

 

「お、落ち着けっ! どうした!?」

「~っ……司書室! ほら、前二人で司書室で話したじゃん! あそこ! 洋子ちゃん、あそこなら落ち着けるんじゃない!?」


 言われて、はっとした。


「それだ!!」


 全く思いつかなかった。

 許可をもらった者しか入れない部屋。あそこなら、誰にも邪魔されず洋子がゆっくりできる。

 まさに名案だった。


「智美、ナイス!」

「カーディガンのおかげー!!」


 いえーい、と言いながら智美が両手を差し出してきたので、両手を出してハイタッチした。

 短く乾いた音が、公園に響いた。

 確かに、司書室でカーディガンの話をしていた。まさかそこから解決方法が導き出されるとは、何がきっかけになるか分からないものだ、とコウキは思った。


「いや、ほんと良かった。ありがとな」

「どういたしましてっ」

 

 身体の後ろで手を組んで、ちょっと首を傾けながら智美が笑った。


「お役に立てて良かったよ」

「智美とカーディガンに感謝だ」

「あはは」


 笑って、二人で歩き出す。


 洋子のために、何かしてあげたかった。何もしてやれない自分が、情けなかった。

 司書の教師が許可をくれるかは分からない。それでも、頼んでみる価値はあるだろう。

 それで、少しでも洋子が楽になるのなら。

 

 
















 翌日、智美と一緒に、洋子を連れて司書の教師に紹介しに行った。

 彼は、喜んで洋子を司書室に入れることを許可してくれた。

 文化祭の日、バンドのライヴを見ていて、ファンになったそうだ。

 事情も説明したので、いつでも一人でも使って良いと言ってくれて、その厚意に、洋子は涙ぐんでいた。


「わあ……」


 三人で司書室へ入ると、部屋を見渡して、洋子が嬉しそうに声を上げた。


「秘密基地みたい」

「ああ、確かに。洋子ちゃんこれからは、疲れたらいつでもここに来な」

「うん、ありがと、コウキくん。中村先輩も」


 洋子が深々と頭を下げる。

 智美は洋子に近づくと、顔を上げさせて、優しくその頭を撫でた。


「智美で良いよ。いつも華と仲良くしてくれてありがとね。困ったことがあったら私にも頼って。これ、連絡先」

 

 ポケットから手紙の形に折りたたんだメモ用紙を取り出すと、洋子の手に握らせた。

 前の時間軸でも、この頃は手紙の形に折って渡すのが流行っていた、とコウキは思った。


 洋子は握らされた紙に目を落とし、じっとそれを眺めた。

 それから胸の前に持っていくと、大切なものを扱うように、両手でそっと包み持った。


「ありがとうございます、智美先輩」

「辛かったね……慣れない状態で。まだしばらくは大変かもしれないけど、時間が経てば周りの熱も冷めると思うから、頑張ってね」


 智美は洋子を抱き寄せると、こどもをあやすように背中をさすりだした。

 ささやくような、甘く優しい声。

 洋子は、静かに泣いていた。智美の胸元に顔を埋め、身体を震わせている。


 自分に好意を示してくれる人を冷たくあしらうような真似は、洋子には出来ないだろう。

 だが、過去の経験から、男の子を苦手に思ってもいる。

 様々な異性に言い寄られて、不安や恐怖を感じる場面もあったに違いない。


 だからこそ、同性の優しさや温もりが必要だったはずだ。

 二人を会わせて良かった、とコウキは思った。

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