十四ノ五十 「合宿一日目・夜」
合宿では、前もって宿泊申請をした卒部生は、施設に泊まることが出来る。
話によると十数人は泊まるらしいが、同期で泊まっていくのは、摩耶、理絵、逸乃、正孝の四人だった。
ひまりと牧絵は、帰ってまた明日来るという話だったから、月音も一緒に車に乗せてもらおうとした。しかし、二人にはやんわりと断られてしまった。別に、仲が悪かったりもしないのに、だ。
摩耶達にも引き留められ、後輩達にも、帰らないでくれと言われた。
それでも、月音は泊まる気はなかった。合宿に来るだけでもどうかと思うのに、宿泊までするのは、違う気がする。
しかし、何とかして帰ろうとしていた月音の前に、丘が現れた。
「おや、山口は、帰るのですか。せっかくなら、泊まっていけば良いでしょう」
ため息をついて、月音は答えた。
「私、宿泊申請だしてないですから」
「一人くらい増えても、施設の方は気づきませんよ」
声を落として、丘が言った。
「丘先生が、それ言っちゃいます?」
「生徒には教師として正しく向き合いますが、あなたは、卒業してますから。普段の私は、他人が思うほど、真面目な人間というわけではないのですよ」
「なんだか、意外です」
「大人とは、そんなものです」
結局、他の代の卒部生でも、月音を乗せようとしてくれる人はいなかった。一人くらいは乗せてくれたって、おかしくなかったはずだ。男の先輩達には甘えた振りをしてみても、駄目だった。
徒歩で帰れる場所でもないし、最悪の手段である親も、絶対に呼びたくなかったから、強制的に泊まるしかなくなってしまった。
着替えは持ってきていなかったのだが、逸乃が、こんなこともあるかもと思って、と言いながら、月音に合うサイズの服と新品の下着まで持ってきていた。
有難かったが、何か、思惑を感じずにはいられなかった。
その後、一日目の練習が終わり、夕飯と入浴を済ませてからは、宿泊の部屋にさっさと戻り、一人で涼んでいた。
女子の卒部生は、全員畳敷きの大部屋で宿泊だった。人数の関係で、今年は副顧問の涼子も同室らしい。
部員数が増えた影響で、部屋が足りなかったのだろう。
戸が開けられ、両肩を覆うようにタオルをかけた逸乃が入ってきた。風呂上がりだからか、髪がしっとりと濡れている。
「月音、もうお風呂入った?」
「うん。第一グループと一緒に入れてもらった」
「早いね」
「シャワーだけにした」
「なる」
「着替え、ありがとね」
「良いって良いって」
「ねえ、逸乃」
「んー?」
逸乃は、自分の荷物が置いてある場所まで行くと、腰を下ろして、鞄をまさぐり始めた。
「もしかしてさ、初めから私を泊めるつもりだった?」
一瞬、逸乃の動きが止まる。しかし、すぐにまた動き始めて、ドライヤーを鞄から取り出した。
ドライヤーなら脱衣所に備え付けのものがあるが、部員の人数に比べて台数が少ないし、逸乃は腰の辺りまで伸ばしている長髪を大切にしているから、自分のドライヤーできちんと乾かしたいのだろう。
「そんなことないけど?」
「何故か、私の着替えも用意してあったし」
「そりゃ、もしかしたら月音の気が変わるかもって思って、念のためね。絶対、月音は着替えとか持ってこないし」
「それに、ひまり達も車に乗せてくれなかったし、先輩達も誰も乗せてくれなかったし、皆、変だった」
「へー、そうなの?」
「……根回し、したでしょ」
「な、わけないじゃん」
じっと見つめていると、逸乃は思いだしたように、あっ、と言って立ち上がった。
「浴場に忘れ物しちゃった。ちょっと取りに行ってくる」
「ちょっと待ってよ」
止める声も聞かず、逸乃はドライヤーを持って、部屋から出ていった。
一人になった部屋で、月音はため息をついた。
やはり、そうだったのか。
余計な世話を焼いてくれたものだ。
宿泊施設の浴場は、詰めれば二十人程は一度に入れるくらいの石造りの風呂があるし、外にも一応、露天風呂がある。ただ、男子の方も同じ作りだから、女子部員でわざわざ露天風呂に入る部員はいない。
覗き見する男子がいるとは思わないが、念には念を入れて、だ。
それに、今年の花田高は女子の人数が多いから、時間を決めて、グループごとに入浴するように決めてあった。その時間がそれほど長くないから、ゆっくり浸かっている暇もない。
幸も、髪と身体を洗い終えた後は、身体が少し温まる程度の入浴で済ませて、風呂を出た。
脱衣所は、出たばかりの部員と、これから入ろうとする部員とで、ごった返している。
自分の着替えを入れたかごの前まで来ると、幸は手早く寝間着を身に着けた。
特に服装の指定はされていないから、何を着ても自由だ。一年生の中には、中学時代のジャージや体操服を着てくる子もいるし、二、三年生は、短パンにTシャツのような動きやすい恰好をする子が多い。
幸も、黒の短パンに、白の半袖Tシャツという恰好だった。
「あ、幸」
「智」
脱衣所に入ってきた智美が、幸の隣にくる。
「智は次のグループだっけ」
「そう」
言いながら、智美がTシャツを脱ぎ出した。
幸は、第二グループだった。智美は、最後の第三グループだ。
「ちょっと、早く変わってよ」
「待ってってばー」
「次のグループ来はじめてるんだよ!」
「分かってるって!」
後ろの鏡のところで、ドライヤーの取り合いが起きている。
備え付けのドライヤーはいくつかあるが、女子部員の数に対しては、圧倒的に足りない。中には、自分でドライヤーを持ってきて、部屋で乾かす子もいるくらいだ。かくいう幸も、後で部屋で乾かすつもりである。
「リーダー会議、何時から?」
「二十時半から」
時計は、二十時を指している。
「あんまり時間ないね」
「そう、だから急がなきゃ。幸は部屋に戻るの?」
「ううん、談話室行くよ」
「そう、じゃあまた後で」
「ん」
タオルで前だけを隠して、智美は風呂へ続く扉に入っていった。
その姿を見送ってから、幸は目線を落とし、自分の身体を眺めた。
体型には、それなりに自信があるほうだ。理想はもう少し痩せたいところだが、充分、細い部類に入るだろう。それでも、やはり智美には負ける。元運動部らしい引き締まった身体をしつつも、出るところは出ている美しい身体なのだ。
単純な胸の大きさで言えば、二年の奈美が一番だろうが、全体のバランスで見れば、智美は部内でもトップレベルに良い身体をしていると思う。
そういえば、趣味で時々ランニングもしている、と言っていた。
「私も、もっと運動すべきなのかなぁ……」
二の腕の辺りを揉みながら、浴場を出る。
女湯と書かれた暖簾をくぐると、ちょうど、男湯からコウキと勇一が出てきたところだった。
「おう、幸さん」
「コウキ君と、勇一君」
「風呂、さっぱりしたな」
「あっちー」
二人の肌は、少し火照ったような色をしていた。かなりしっかりと、風呂に浸かったのだろう。
「こっちは人数多くて、ゆっくり入れなかったよ」
「あー、そっか、グループ分けしてるもんな」
「男子は全員で一度に入れるからなー」
「羨ましいなぁ」
浴場の隣にある談話室に入ると、第一グループの女子部員や、幸より先に出た第二グループの女子部員達が、思い思いにくつろいでいた。
自販機の前で、勇一が止まる。
「コーヒー買うわ」
「俺も水買おうかな。幸さんは、なんか飲む?」
「うん、お茶にしようかな」
財布を開けようとしたら、コウキが小銭を自販機に入れ、お茶のボタンを押した。ガコン、という音がして、お釣りが弾きだされた。
「えっ、自分で買うのに!」
小銭を取り出して渡そうとすると、コウキが手で抑えてきた。
「いいよ、たまには」
取り出したペットボトルを、幸に渡してくる。
「ほんとに、いいの?」
「うん」
「……ありがとう」
に、と笑いかけられて、幸は頬が熱くなるのを感じた。不意打ちで優しくされるのは、反則だ。
「コウキ、ごちになります」
勇一が、コウキの肩に手を置く。その手を、コウキが容赦なく叩いた。
「お前は自分で買えよ」
「何でだよ」
「おごってもらう気まんまんの奴には、おごらないようにしてんの」
「かーっ、けちくせ!」
悪態をつきながら、勇一が財布を取り出した。二人のやり取りに、思わず笑いがこみあげてくる。
コウキと勇一は、一年生の頃から仲が良かった。部内の男子に、ハンドシェイクとかいうおかしな動きを広めたのも、この二人だ。手を叩いたり、握りこぶしをぶつけたり、外国人が映画で見せるような動きを、楽しそうにやっている。
同期の男子は四人とも仲が良いようだが、特にコウキと勇一は、一緒にいる時間が多い。リーダー同士だからというのもあるかもしれないし、単純に、気が合うのかもしれない。
三人で、近くの背もたれがない長方形の椅子に座ると、部屋の奥にいた美喜が近づいてきた。何も言わず勇一の隣に座り、缶コーヒーを取って、一口飲んだ。そのまま勇一に返し、背を勇一に預けて、携帯をいじり始めた。
勇一もコウキも、気にせず話している。
流れるように自然な美喜と勇一のコミュニケーションに、幸は見入っていた。二人は、確か付き合いだして二年近くになる。同期の中で、一番早く交際を始めたカップルだ。
見ていて羨ましくなるくらい、お似合いである。
喧嘩しているところも見た事がないし、同じ大学を受験するつもりだという話も、聞いている。
コウキは、と幸は思った。
月音と別れてから、誰とも恋愛をしない、とコウキは宣言した。その言葉通り、他の女の子との噂を、一切聞く事はなくなった。
コウキについてやたらと詳しい美知留によると、コウキと洋子は、小学生の頃から親しくて、ファンクラブには、あの二人の仲を邪魔してはならないという掟まであるのだという。
その洋子ですら、コウキとの仲が進展したという噂がない。
きっと、お茶をおごってくれたことだって、コウキからしてみればただの親切の一つか、気まぐれでしかないのだろう。
決して、幸が特別な相手だからというわけではないはずだ。
勇一と美喜の様子を見ていると、胸が、締め付けられる。
幸とコウキが、あんな風になる日が来るのか、と。




