四ノ八 「最高のライヴ」
片付けて音楽室で昼食を済ませた後、再び体育館へと向かった。
午後からは有志の出し物のステージで、コウキは観客なので、自分のクラスに合流する。
三年三組は体育館の真ん中近くだ。舞台までは少し距離があるが、比較的見えやすい場所である。
「お疲れコウキ。吹部の演奏良かったじゃん」
「結構楽しめたわ」
クラスメイトの間を通り抜けて自分の席に座ると、隣と前に座っている亮と直哉が話しかけてきた。
「ほんと? 良かった。二人みたいなあんまり吹奏楽に興味ない人にも楽しんでもらえるようにって、三年生で曲選んだんだぜ」
「コウキがソロ吹いてた曲、あれ良いよな! 俺も家でよく聴くんだ」
「だろ。吹奏楽に編曲されても良い雰囲気の曲だと思って、決めたんだ」
三人の会話に、斜め後ろに座っていた奈々が加わってくる。
「三木君のソロもめっちゃ良かったよ」
「それそれ。驚いたわ。コウキ上手ぇじゃん!」
「マジ? 自信あんまなかったんだけどね。そう言われると安心するよ」
直哉も何度も頷きながら、
「俺も、音楽は全く詳しくないけど、コウキは上手いんだなって分かった」
「何だよ、やたら褒めるなぁ皆して」
「ほんとの事じゃん?」
奈々が笑いかけてくる。
以前は、あまり上手い方ではなかったから、自分の演奏を誰かに褒められたことは無かった。
誰かに認めてもらえる、褒めてもらえる。それが、こんなに気持ちを高めてくれるのか、とコウキは思った。
これまでやってきた練習は、間違いではなかったのだと思える。
三人と雑談をして過ごすうちに、午後の部が始まった。
初日の文化部ステージと有志の出し物ステージ、明日の合唱コンクールの三つのステージで、一番盛り上がるのが、この有志の出し物ステージだ。
教師もそれほど神経質に注意しないので、観客側も存分に盛り上がれる。一般客も、これを目当てに来場する人も多いと聞く。
一組目は漫才だった。くすりとするようなネタの連発で、良いスタートだ。
二組目はロックダンスのチーム。東中にダンス部は無いので、趣味でやっている子達なのだろう。アニメの曲や有名な曲に合わせて軽快なダンスを披露していた。
三組目は、学校内で撮影された短編ミステリー映画の上映。学校ネタを織り交ぜながら繰り広げられるギャグミステリーといった感じで、会場中が爆笑の渦に包まれた。
「今年の出場組、どこもレベルが高くね?」
亮が言った。
「映画めっちゃ笑ったわ」
「だなあ」
前の時間軸では、こんなに質の高いステージだった覚えはない。クラスの内輪ネタの演劇だとか、稚拙なバンド演奏だとか、そんな程度だった気がする。
これも、時間軸が変わった影響なのだろうか。だとすれば、良い影響だと言えるだろう。
その後も数組が個性的な出し物を披露していき、いよいよ洋子達のバンドの出番となった。
校内でも、このバンドの前評判はかなり高かった。期待する生徒達が、今か今かとバンドの登場を待ちわびて、ざわめいている。
「さあいよいよ本日ラストを飾るのは、オーディションの際に応募チームの中で最も高評を得た、注目のガールズバンドです。文化祭初日の最後を、盛大に彩っていただきましょう!! 皆さん拍手でお迎えください!」
司会の教師の言葉を合図に、閉じられていた幕が開いていく。
それと同時に、ギターやベースやドラムの爆音が放たれ、会場が大歓声に包まれた。
幕が開いても、ステージは暗いままだ。体育館全体の照明も落とされているので、バンドメンバーの姿は、はっきりと見えない。
爆音の残響が消え、歓声が少し静まったところで、ドラムのスティック音が響き、演奏が始まった。
軽快な前奏。それに合わせて、徐々にステージが明るくなっていく。
メンバーの姿が見えてくると、女子生徒の黄色い声が、そこかしこから沸き上がった。
ギターをかき鳴らし、ベースを唸らせ、ドラムを叩く彼女達の姿は、全員黒で統一されていた。
シングルのライダースジャケットを羽織り、下はプリーツのミニスカートにハイカットのブーツ。頭にワンポイントとして大き目の赤いリボンをつけている。
全員、微妙に服のデザインや身に着けているアクセサリーが違っていて、そこに個性が出ている。
ロックらしさと甘さを絶妙に織り交ぜつつ、カジュアルになりすぎないバランスを保っていて、女子生徒が興奮するのも分かる衣装だ。普通に街中を歩いていても目を引くような洒落た格好である。このセンスは、多分洋子だろう。
ボーカルの澄んだ歌声に、男子生徒が低く轟くような歓声を上げる。
まだ始まって一分と経っていないのに、完全に会場はバンドに夢中になっていた。
もはや、行儀よく聞くことなど不可能となった生徒達は、立ち上がったりステージ前まで駆け寄ったりしてライヴ会場のように騒ぎ出している。
コウキも自然と立ち上がって、目と耳をステージから離せなくなっていた。
洋子の姿を見ようとするが、舞台を見上げる形だし、前に立つ生徒達の頭に隠れてしまって、うまく見えない。
曲は、まだ解散して数年だが、中高生に熱狂的に支持されたインディーズパンクバンドのコピーだ。コウキも、前の時間軸では大人になっても聴いていたグループである。
あのバンドの激しさを、女の子らしい可愛らしさでカバーする彼女達の演奏に、この場で夢中にならない者など居ない。
司会の煽りは、言い過ぎではなかった。彼女達のステージに比べると、それまでの出場組のステージが霞んでしまうほど、そのレベルの高さは圧倒的だ。
観客を興奮状態に引き上げた最初の一曲が、あっという間に終わる。
「ふう、ありがとー! 一曲目から盛り上がってくれてるねー!!」
ボーカルの子が、マイクを手に笑顔で拳を突き出す。観客がそれに応えて、歓声を送った。
「司会に期待感上げられすぎて、盛り上がんなかったらどうしようかと思っちゃったよ」
観客の笑い声。
「まあ、全力で飛ばしていくから、二十分間皆も楽しんでねー! んで、話は変わって、この服、めっちゃ可愛くない!?」
ボーカルの子が、見せびらかすように、くるっと一回転した。
それに対して、女子生徒が一斉にレスポンスを返す。
「可愛いー!」
「でしょ! これはねー、ドラムの助っ人の洋子ちゃんが選んでくれました! めっちゃ可愛くて、私たちも皆気に入っちゃったんだよね! 洋子ちゃーん、ありがとー!」
洋子が立ち上がり、恥ずかしそうに、しおらしく微笑みながら会場に向かって手を振る。
その姿が目に飛び込んできた瞬間、コウキは、見えない強烈な何かに、全身を打たれたような衝撃を感じた。
目が離せなくなるほどに、洋子は、魅力的だった。
仕草が、笑顔が、服装が。全てが完璧で。胸をぎゅっと掴まれたような感覚に、息を呑む。
昼までの洋子は、髪の毛をストレートのまま、後ろで一つ結びにしていた。今は、ヘアアイロンをかけたのか、すこしふわりと毛先を巻いておろしている。
髪の手入れをとても丁寧に行っていた洋子がヘアアイロンを使ったことにも驚きだが、それ以上に、髪型一つで雰囲気ががらりと変わったことに、言葉が出なかった。
大人びた印象で、よく似合っている。
あの服装も、洋子の可愛らしさと大人っぽさを絶妙に引き出して、魅力を何倍にも増幅させている。
手を振る洋子に、男子生徒も女子生徒も、一際大きな歓声を送った。特に男子生徒は、声にならない声のような歓声で、洋子をたじろがせたほどだ。
「あの子可愛くない?」
「ビビるわ」
周囲から、ささやき声が聞こえてくる。
部の本番で舞台に上がる時は、いつも洋子と一緒だった。だから、洋子がスポットライトを受ける姿を観客として見るのは、初めてだった。
洋子はそこにいるだけで、会場の視線を一身に集めてしまうのではないかというほどに映え、輝いている。
ボーカルの子が他のメンバーを紹介している話が耳に入らないほど、コウキは、洋子の姿に見惚れてしまっていた。
「ねえっ三木君。あの子、三木君と仲の良い子でしょ? やばくない? めっちゃ可愛いんだけど!」
「え、あぁ‥‥‥」
「マジで!? おま、あんなやべぇ子と仲良いのかよ!!」
ぼんやりと返事をしたので、自分でも奈々に何と言われて、何と答えたのか分かっていなかった。話に入ってきた亮に肩をがっと掴まれて、びくっとしてしまう。
「え 何?」
「いやだから!」
亮が食い下がろうとしたところで、ボーカルの子が笑いながら拗ねたような声をあげた。
「こらこら皆、五人いるんだからな! いくら洋子ちゃんが可愛いからって私ら無視すんなー。洋子ちゃんはもうドラムに隠れて! はい、おつかれ!」
ボーカルのMCに、笑いがそこかしこから上がる。
洋子が座ってしまったので、また見えづらくなった。正直、もう少し見たかった、とコウキは思った。
なおも、体育館の中はざわついている。
「じゃあ、もう二曲目いっちゃうからね! ぼーっとしてないでついてきてよ!」
言って、すぐさま二曲目が始まった。
シンプルでストレートな歌詞を激しく歌い上げる名曲で、これもまた、観客を熱狂させた。
そうなるのも当然だと言えるくらい、バンド自体のレベルが高い。
洋子以外の四人とは、何度か遊んだことがある。皆、普段の印象とは、まるで別人だ。
特にボーカルの子は、透き通るような綺麗な声で激しく歌う姿が、普段とのギャップを強く感じさせる。歌いつつギターもさらりと弾いていて、技術は頭一つ抜き出ている。
単に演奏が上手いだけでなく、ステージパフォーマンスで観客を喜ばせることも忘れていない辺り、これで中学生だとは、とても思えない。
このライヴは、時代が時代なら、録画して動画サイトにアップしたら、相当話題になったに違いない。
そう確信を持って言えるほど、彼女達のステージは素晴らしい。これが見られただけでも、時間軸が変わって良かったと思えてくる。
彼女たちの持ち時間はニ十分しかなく、あっという間に三曲目四曲目も過ぎて、ライヴは終わってしまった。
「アンコール! アンコール!」
バンドのメンバーが舞台から去った後も、観客の生徒席と一般席の両方から、手拍子が鳴りやまない。
司会が終わりだと言っても止まらないために、教師達が協議して、もう一曲分だけ、彼女達に時間をくれることになった。
ステージに戻ってきたメンバーが、すぐに準備をはじめる。
「皆アンコールありがとー! いやぁ、せっかくアンコールの時間貰えたんで、もう一曲やっちゃいます!」
大歓声。
「ほんとは、もう一曲用意してたんだよね。でも時間足りないからなぁと思ってやらなかったんだけど、やれてうれしい!」
ボーカルの子がMCで繋いでいく。彼女は話も上手く、観客の笑いを取りながら、メンバーの準備の時間を繋いでいく。本当に中学生とは思えない。
やがて、演奏の態勢が整った。
「よし、じゃあ準備できたんで、聞いてください! 最後の最後まで盛り上がっていこうね!」
また、歓声。そして、次の動作を待ちわびて、静まる。
壇上の五人が互いに目を合わせ、頷く。
纏う雰囲気が、変わった、とコウキは思った。
しんと静まった会場に、ギターのなめらかで包み込むようなアルペジオが降り注ぐ。優しさと寂しさを感じさせるような、染みる音だ。
アンコール曲は、コウキがこのインディーズバンドの曲で一番好きなものだった。宮沢賢治の世界観を思い起こさせるような歌詞と、感情を揺さぶるメロディ。文句なしの名曲である。
背伸びをして、少しでも洋子の姿を見ようと頑張ってみる。ちらりと見えた洋子は、実に楽しそうにドラムを叩いていた。
ドラムが叩けて心底幸せだと言わんばかりの想いが、洋子の全身から伝わってくる。
胸にくる歌声と演奏。
期待以上の、大満足な素晴らしいライヴだった。
たったニ十分ちょっとなのに、あまりにも濃密で、満たされる時間だった。
初日の閉会式がまともに進まないほど、生徒や一般客の興奮が長く続いてしまい、結局その熱のまま閉会式は流れ、文化祭の初日が終わった。
間違いなく、今日のライヴは東中に語り継がれるだろう。誰が見ても、文句のつけどころが無かったと思う。
周りから聞こえてくる話題の内容も、ほとんどがバンドの話だった。
教室に戻りながら、コウキは先ほどの洋子の姿を思い返した。はっきりと、思い出せる。人を見て、胸を打たれるような衝撃を感じたのは、初めての事だった。
以前から洋子は可愛いとは思っていた。だがそれを、よりはっきりと、強く意識させられることになったライヴだった。




