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青春ユニゾン  作者: せんこう
中学三年生・文化祭編
38/444

四ノ七 「最後の舞台」

 窓から、空を見上げる。

 雲一つ無い快晴だ。澄んだ秋空がどこまでも広がっていて、差し込む光が眩しい。


 ついに文化祭の初日が始まった。

 各文化部の発表が、今まさに体育館で次々と披露されている。吹奏楽部は午前の文化部ステージの最後を飾る。

 今は音楽室で音出しをしているところで、あまり大きい音は出せないので、合わせずに個人個人で楽器を温める程度で済ませている。


「緊張しますね」


 華が隣に来て、少し固い表情をしながら言った。


「お客さん多いもんな」


 父兄や近隣の住民も招いての文化祭なので、生徒と合わせて観客は千人を超える。広めの体育館なのに、人で一杯だ。

 その千人の前で発表とあっては、多少なりとも緊張せざるを得ないだろう。


「でも華ちゃんなら問題ないでしょ」

「どうですかね」


 言って、華は照れ笑いのような仕草をした。

 彼女は肝が据わっている。本番の緊張も、良い力に変えられる子だ。だからコンクールでもソロを任せた。今回も、まず大丈夫だろう。

 一年生なのに優れた才能を感じさせる子で、コウキの中では、一番注目している後輩である。音楽に対する感性の鋭さも、練習に対する意欲も、部活動としてのコミュニケーションの仕方も、華は高い次元にある。

 華よりも、パートの他の子や初心者の子達のほうが、極度の緊張状態だ。明らかに音が固い。


「後で緊張している他の子のフォローもしよう。華ちゃんにもお願いしていいか?」

「はい、わかりました!」

「頼んだぞ」


 元気よく華が頷く。

 本当にこの子は、一年生とは思えないほど頼りになる。コウキ一人では、本番までの間にフォローできる人間は限られるから、華が手伝ってくれるとかなり助かる。


「よーし、止め。そろそろ移動するぞー」


 指揮台で譜面を睨みつけていた顧問が、時計に目をやり、それから全員の音を止めて言った。

 部員の間に漂う空気が一気に張り詰める。

 いよいよだ。

 

 ステージは四十五分あり、その四十五分が、このメンバーでの最後の演奏となる。

 悔いが残らぬよう、出来る限りのことを、いつも通り。


「大丈夫だ」


 小さく、呟く。

 音楽室を出る前に、トランペットの全員を集めて声をかけた。


「緊張はしても良い。でも良いところを見せようと思わないで。演奏を楽しもう」


 本番だからより良い演奏をするのではなく、普段の練習を本番と思って、常に集中すること。練習さえきっちりやれていれば、本番は大丈夫。

 これは、パートにはくどいくらい話して聞かせてきた事だ。


「三木、頑張ろうね」


 パートの同期の子が言った。


「ああ。ソロは、どう」

「うん、緊張するけど……大丈夫だと思う。三木は?」

「やれるよ」

 

 同期の子が、笑った。


「よし、皆、行こう」


 パートの子達が、不安や緊張をにじませながら、それぞれの表情で頷きを返してくる。

 今日のために毎晩遅くまで練習してきたのだ。きっとうまくいく、とコウキは思った。

 

 音楽室を出る時に、洋子と目が合った。

 頑張ろうね、と洋子の表情が伝えてきているのが分かって、コウキも力強く頷いて、それに応えた。

 

 


 













 ステージは順調に進行している。

 まずは場を温めるためのポップスを三曲。流行りの曲から少し前に話題になったアニメ曲まで、ジャンルは被らないように選んである。反応は良く、客席から手拍子が起きるようになりはじめていた。


 盛り上がってきたところで、四曲目は教師陣のダンスとのコラボ。

 いかつい容姿と厳しい生徒指導で怖がられている男性教師や、男子に密かに人気の若い女教師などが、某国民的アニメキャラクターのコスプレを身にまとい踊っている。

 普段とのギャップに、笑い、手を叩き、立ち上がって観ている生徒もいて、大盛り上がりとなった。


 五、六曲目はやや静かな曲でクールダウン。

 六曲目はコウキのソロがある曲だ。人気の女性歌手の恋愛ソング。ラストの盛り上がり前のサビがソロ箇所だ。

 

 この時のために、考え得る限りの修正を繰り返し、自分が吹ける最高の演奏を目指してきた。

 大丈夫だと、自分に言い聞かせる。本番特有の高揚感や緊張で演奏が崩れないよう、心を落ち着かせた。


 曲が進み、スポットライトに照らされる。 

 たった十二小節の、短いメロディが始まる。これが中学校で最後のソロとなる。


 楽譜は、見る必要もないくらいに繰り返して覚えた。

 だから、目線は演奏を届けたい客席の人達に向ける。

 大勢の目が、まっすぐコウキを見つめ返してくる。


 静かに、深く息を吸い込み、そのまま、トランペットの管へと送り込んだ。息の圧力によって唇が振動し、音へと変換されていく。

 何度も繰り返してきたフレーズだ。感情を込めて、客席に届ける。


 わずか数十秒足らずのソロは、あっという間に過ぎ去っていくような感覚なのに、一方で、無限に思えるほど長いようにも感じる。

 息をついた時には、ソロは終わり、観客からの拍手に頭を下げていた。


 この時間軸に戻ってきて、また、楽器を再開した。かつては、楽器を上手く吹くことが出来ず、苦痛を感じるときもあった。

 それを、もう一度やり直したいと思った。後悔のないよう、全力で音楽に、部活動に、向き合いたいと思った。


 だから、この三年間、ひたすら部活動に打ち込んできた。人より多く練習し、先を見据えてやってきた。

 そうすることが、この新しい人生をより良いものにすると信じていたからだ。


 三年間の全てを、最後のソロに込めた。

 見知った生徒達がコウキの名前を呼び、囃し立てる指笛が鳴り響いている。

 それが、答えだったように思う。

 コウキの演奏でも、人を喜ばせることが、出来たのだ。

 自然と、笑っていた。


 着席した後は、また演奏に合流した。

 ソロは一瞬だ。次の瞬間には、もう別の場面へと曲は移り変わっている。すぐに頭を切り替える必要がある。


 思い返すのは、後で良い。

 音楽はいつも一瞬だ。間違えたからやり直すなどということは出来ないし、途中で止まることも出来ない。

 常に進んでいくものだからこそ、今その瞬間に、どれだけのものを込めるか。そのためにどれだけ練習するか。

 それが奏者の仕事だ。

 

 たった十二小節のソロ。たった四十五分の舞台。

 ほんの短い時間のために、その何倍何十倍もの時間をかけて練習をする。

 全ては今この瞬間、客に喜び、満足してもらうため。

 

 吹奏楽部の演奏と盛り上がる観客の反応とが混ざり合って、その場、その時にしか生まれない音楽が出来上がる。

 この一体感が、コウキは好きだった。

 この楽しさがあるから吹奏楽を選んだし、練習にも打ち込めた。

 

 舞台の終わりが近づいてくる。

 七曲目からは、少し難易度の高い吹奏楽曲でアップテンポなものが続く。

 ずっとポップス曲ばかりでは芸がないので、一般客の中にいるであろう吹奏楽ファンも喜ぶような選曲もしていた。


 七、八、九曲目と、あっという間に演奏が終わる。

 観客からの拍手が体育館を埋め尽くし、アンコールが叫ばれる。

 以前の時間軸では、ここまで盛り上がっただろうか。はっきりとは、覚えていない。だが、少なくともコウキ自身は、以前よりも納得の行く演奏が出来た。

 それで良い。

 今をより良くしていく。それが出来れば、良いのだ、とコウキは思った。

 

 顧問の指揮で、最後のアンコール曲が始まる。

 それに合わせて舞台の上に再び教師陣が現れ、サプライズのダンスを披露していく。

 予想していなかった観客の生徒達は、大歓声を上げてアンコール曲を踊る教師たちを迎えた。

 

 文化祭に向けてどんな舞台にするかの話し合いの時、メインの観客である生徒をまず喜ばせたいと、部員は思った。

 それなら、教師陣とせっかくのコラボがあるのだから、それを一回で終わらせず、アンコール曲でも登場してもらったら面白いのではないか、と考えた。

 教師たちと相談して、了承をもらい、それでこのアンコールに決めた。教師にとっては踊りを練習する曲がもう一曲増えることになるのだから、それだけ大変だっただろう。提案を受けいれてくれたことには、感謝しかない。


 結果は大成功だった。

 吹奏楽部の舞台が終わっても観客の熱は冷めず、体育館を出て音楽室へ戻る部員のところにも、観客のざわめきが聞こえ続けている。

 思った以上の反応の良さに、部員も頬を紅潮させ、興奮気味に歩いている。


「コウキ君!」


 後ろから洋子がやってきて、トランペットを持っていないほうの腕に、ぎゅっとくっついてきた。


「お疲れ様!」

「おー、お疲れ。ドラム良かったぞ」

「頑張ったよ!」

「洋子ちゃんは、意外と本番に強いタイプなのかもな」

「えへへ、そうかな?」

「ああ、実際、いつもより良かったよ」


 洋子が、嬉しそうに笑う。

 ドラムの担当が洋子の時は、全体のテンポが安定し、演奏の品がぐっと良くなる。それだけではなく、今日の演奏はノリも良かったというか、洋子のドラムに導かれて、バンド全体の音が華やかになっていたように感じた。

 ドラムだけで言うなら、もう洋子が部内で一番優れた奏者だろう。


「午後のバンドも、楽しみにしてるから」

「うん! 期待してて!」

「お、自信あり?」

「ありあり! 絶対楽しませるから!」


 自信に満ちた表情をしている。

 人前で演奏なんて無理だと不安がり、バンドに参加することに躊躇していた最初の頃の洋子と同じとは思えない。

 それだけ、必死に練習したのだろう。

 思わず嬉しくなって、頬が緩む。


「何で笑ってるの?」

「ん? いや、洋子ちゃんが音楽を好きになってくれて嬉しいなあと思ってさ。早く見たいよ」

「えー? えへへ」

 

 ちょっと赤くなりながら、洋子は柔らかな頬をコウキの腕に密着させてきた。

 甘えるようなその仕草が可愛らしくて、頭を撫でてあげたくなったが、あいにくと手は塞がっている。


 もっと、ゆっくり話したい、とコウキは思った。

 だが、楽器を片付けたら、洋子はすぐにバンドに合流することになっている。ここ最近も、洋子が特に忙しくて、一緒にいる時間が少なかった。


 仕方がないことではあったが、寂しさも感じていた。これから先、一緒にいられる時間はどんどん減っていくのだから、当然だ。


 今日こそは一緒に帰りながら話をしたい。

 そのことについて切り出そうかと口を開きかけたところで、洋子が言った。


「ねえ、コウキ君」

「うん?」

「今日は、一緒に帰れるかな?」

 

 ちょうどそれを考えていたところだったから、内心、驚いた。

 同時に、嬉しかった。


「ああ、勿論。帰ろう」

「えへへ……良かった」


 明日からは、コウキが引退して帰宅時間がズレるため、一緒に帰ることが出来るのは、実質今日が最後になる。

 別に互いの家を行き来しているので会えなくなるわけではないが、それとこれとは別だ。

 洋子も同じ気持ちでいてくれているのだろうと思うと、自然と笑みが浮かんできた。



















 それから音楽室へ戻った吹奏楽部員は、楽器を片付けると、すぐにまた体育館へ戻った。

 午後の出し物で舞台を使うので、場所を空けるために打楽器や譜面台などを運び出すのだ。

 

 体育館の中へ入る。

 誰も座っていない椅子だけがずらりと並ぶ、静かな空間。

 すでに吹奏楽部以外の生徒は教室へ戻り昼食を食べはじめているし、一般客もPTAの人たちが軽食を配っていて、外で食べている。


 コウキは、客席の一角に立ち、さっきまで自分たちが演奏していた場所を眺めた。

 つい十数分前まで、ここで、満員の観客を前に演奏をしていたのだ。

 観客の圧やざわめきが、思い出される。まだ、本番の余韻が身体のなかに満ちている。


 舞台を片付けたら、本当に、自分達の吹奏楽生活は終わってしまう。

 高校でも吹奏楽を続ける子もいるだろうし、中学校でやめる子もいるだろう。いずれにしても、もうこのメンバーで演奏すること、は二度とない。


 名残惜しさを、三年生は皆感じていたと思う。

 思い思いの表情をしながら、黙々と片付けを始めている。

 コウキも、首を振り、舞台へと近づいた。


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