四ノ六 「コウキの恋愛相談」
「智美、おはよう」
「おはよー、コウキ。早いね、朝練は?」
「もう終わった」
クラスメイトはほとんど登校していて、教室内は賑やかだ。
鞄から教科書を取り出して、机にしまっていく。
「なあ、ちょっとまた相談にのってほしいんだけど」
手を止めて、コウキを見る。
「私に?」
「ああ」
「良いよ。今ここで?」
「いや、なんていうか、恋愛相談だから……あんま人いないところのほうが良い」
「恋愛、相談?」
「うん」
ぽかんと口を開けて、呆けてしまう。
コウキが恋愛相談とは驚いた。好きな人がいたのか、と智美は思った。
「え、なに?」
「あっ、いや、なんでも。うん、オッケー。じゃあ結構長くなるよね。一時間目サボろっか」
「良いのか?」
「え、一時間目、数学の田中先生でしょ。大丈夫大丈夫」
「うん、智美が良いなら。じゃあ、お願い」
鞄を片付け、コウキと二人で教室を出る。
頻繁にではないが、智美はたまに授業を抜け出すことがある。何となく、授業を受ける気にならない時があるのだ。保健室に行くこともあるし、どこか人の来ない場所で過ごすこともある。
そうしても、普段の態度を良くしているおかげで、キツく怒られることはない。
「どこで話す?」
「図書室行こう。あそこなら大丈夫だ」
「え、でも先生がいない?」
「問題ないよ」
「ふーん……まあ、コウキがそう言うなら良いけど」
二階へ下り、図書室へ向かう。
普段はあまり本を読む方ではないし、図書室へは、ほとんど来た事がない。確か、司書の教師がいたはずだ。
中に入ると、やはり教師がカウンターの向こうに座っていた。コウキは教師と二言三言話すと、そのまま奥に進んでいく。そして、司書室への扉を開けた。
「入って良いの?」
「うん。分かってる先生だから、こういう時使わせてもらえるんだ」
「司書室を?」
「そう、特別にな」
コウキが司書室へと入った。
ちらりと司書の教師を見ると、こちらに全く関心を示さず、本を読んでいる。生徒が授業をずる休みしようとしているのに、何も言わないとは変わった教師だ。
コウキに続いて司書室へ足を踏み入れると、中は三畳程度の広さで、机とソファと小さなラジオ、それと書棚が一つだけ置かれていた。書棚には図書室関係らしい書類やファイルがぎっしりと詰められている。
「初めて入った」
「普通入れないからな」
小窓から明かりが差し込んでいて、室内は明るい。
「何か、良い部屋だね」
「だろ」
静かで、整った空気が漂っている。
「ここなら他の人は入ってこないから、大丈夫」
扉は一つしかなく、司書の教師は外にいる。司書以外が入ることは無いだろう。確かに、相談事にはもってこいだ。
二人とも、ソファに腰をおろす。
「じゃあ、早速相談聞こっか。どうぞ」
コウキは少し居住まいを正して、真剣な表情をした。
「智美は、小学生の頃美奈ちゃんと仲が良かったよな」
「え、うん」
「変に回りくどく言ってもしょうがないからずばっと言うけど、俺、小学生の時から、美奈ちゃんのことが好きなんだよ」
「え……ほんとに?」
思わず、聞き返してしまった。コウキが、頷く。
コウキと美奈は、両想いだったのか。なら、なおさら二人は早く会うべきではないか。美奈も、この事聞いたら、絶対喜ぶだろう、と智美は思った。
「美奈ちゃんが、もし私立じゃなくて東中に進学してたら、多分俺は告白してたと思う。でも実際は私立に行くことになって、伝えるのをやめた」
「どうして?」
「学校が離れると、会う時間がほとんどなくなる。だからきっと、形としては滅多に会えない遠距離恋愛みたいな感じになったと思う。俺、そういうのだけは嫌でさ。だから、美奈ちゃんのことは諦めよう、気持ちに整理をつけようって小学校を卒業するときに思ったんだ。だけど、中学に上がってもう二年半近く経つのに、まだ美奈ちゃんのこと忘れられてなくて、いまだに引きずってる」
そう言ってコウキは、困ったような笑みを浮かべた。
「忘れられないのは……全然悪い事じゃないじゃん。何が問題なの?」
尋ねると、コウキはすこし言いにくそうに、口を噤んだ。
急かさず、話してくれるのをじっくり待つ。
小窓から差し込んでいた陽光が消えて、教室内がふっと陰った。狭い部屋だから、陽の光が無くなると、一瞬で寒さがやってくる。
窓に目をやると、すぐにまた太陽が顔を出して、光と暖かさが戻ってきた。
「……俺が、よく一緒にいる一年の女の子、わかる?」
こちらを見ないまま、コウキは小さな声で言った。
すぐに、あの可愛い女の子が頭に思い浮かぶ。コウキと拓也と、よく3人でいる子だ。華から、同じ吹奏楽部で友人だ、と聞いている。
「うん、多分思い浮かべてる子で合ってると思う」
「あの子に二年の時に好きだって言ってもらってるんだ。俺もあの子のことが大切だから嬉しかった。でも、まだこどもだし、もしかしたら時間が経つと向こうの気持ちが変わるかもしれない。だから、高校生になってもその気持ちが変わらなければ、その時ちゃんと受け止める、って伝えてある。それから、ずっと待ってもらってる」
「そうだったんだ」
三人の関係を、詳しく知っているわけではない。華からも、それほど深くあの女の子の事について聞いているわけではなかったから、意外だった。
「あの子に好きだって言ってもらえた時も、その気持ちに真剣に答えるために、美奈ちゃんへの想いは諦めようと思った。けど、結局まだ忘れられてない。もしかして高校生になったら美奈ちゃんと会えるようになるかもしれないっていう期待もあってさ。もしそうなったら、俺は美奈ちゃんに気持ちを伝えられる。諦めなくて良いんだ、って思って」
なんと答えれば良いのか分からず、沈黙を貫く。
構わず、コウキは話し続ける。
「でも、それが実現したとしたら、それはつまりあの子が高校生になる前に振るってことだ。それは、フェアじゃない。きっとあの子は傷つく。俺はそうやって人を傷つけて、平気で自分だけ楽しく生きていける気がしない。それに、美奈ちゃんに気持ちを伝えたいというのは本当だけど……同時に、あの子のことも凄く大切なんだ。どっちかを選んで、どっちかを諦める、っていう選択が、出来ない」
コウキが悩んでいることは、言ってしまえば杞憂だ。
美奈は東京へ行ってしまうのだから、高校生になっても、二人は会えない。
そう伝えてあげられたら早いだろう。けれど、それは出来ない。
智美が勝手に美奈の事情を話すべきではないし、第一、それを伝えてしまえば、文化祭間近のコウキの心は、きっと滅茶苦茶になってしまう。
それに、伝えたところで、美奈とあの女の子との間で揺れているコウキの気持ちが変わるわけではない。それは変わらず続いてしまう。
とても、言える話ではない。
「コウキは、優しいんだね」
思わず、そんな言葉が出た。
しかし、コウキはふるふると首を横に振って、
「優しくなんかない。二人の女の子の間で迷って、それらしい理由をつけてうじうじして……優柔不断なだけだ」
そう呟いた。
「自分を悪く言っちゃダメ。前も言ったじゃん。自分のことを好きでいてあげなきゃ。コウキは人から好かれる人なんだから、自信持ちなよ。私は、二人の間で迷うことは悪いとは思わない。とっかえひっかえ付き合う女の子を変えるような男のほうが、よっぽど最低じゃん」
悩んでいるコウキに答えは出してやれない。ただ、とにかく元気づけてあげたい、と智美は思った。
立ち上がって、コウキの前に立つ。不思議そうな表情を、コウキが浮かべる。その頭を、両手で自分の腹のあたりに導き、包むように抱えた。
コウキが小さく声を上げて、離れようとするのを抑え、大丈夫、と声をかけてそのまま優しく撫でた。
「コウキがどっちを選んだほうが良いとかこうしたほうがいいとかって、答えを出してあげることは出来ないけど、私はコウキは何も間違ってないと思う。私も、小中学生のうちから誰かと付き合おうと思ったりしないもん。確かにあの子を待たせることになってるかもしれないけど、それはあの子のことが本当に大切だからでしょ? だから、悪いことじゃないよ」
「……そう、かな」
「そうだよ」
どれくらいそうしていたか、分からない。二人だけの穏やかで静かな時間が、司書室に流れていく。
三年生になって、コウキと仲直りをした。それから、ずっとコウキを見てきた。
誰にでも優しく、困っている人を決して見捨てない。仲間はずれが出来ないよう、クラスメイト全員に目を配り、教師ともうまく接する。女の子から言い寄られても、決して関係を悪くしたりしない。
社交的で、目立たないけどクラスの中心にいる。それが、コウキだった。
そんなコウキでも、やはり、悩むのだ。
智美は、その話を聞いてやることくらいしか出来ない。せめて、少しでもコウキの心が軽くなれば良いのに、と智美は思った。
しばらくしてコウキがすっと頭を離したので、撫でるのをやめた。
沈黙が続く。
下を向いたまま、目を合わせようとしてこない。
コウキの前にしゃがみ、覗き込むようにその顔を窺った。
「……真っ赤だ」
覗き込んだコウキの顔は、耳まで赤くなっていた。ここまで赤面したコウキは、初めて見た。
智美の指摘に、コウキはばっと拳で口元を隠し、目を泳がせた。
その様子が可愛くて、思わず、笑いそうになる。
「智美はスキンシップ激しすぎだって。あんなの男子はされたら、普通赤くなるだろ!」
声が上ずっている。
コウキのうろたえた姿がますますおかしくて、我慢できず笑ってしまった。
「コウキにしかこんなことしてあげないよ」
「なっ……!」
見上げてきて、また、すぐに逸らされた。
「そういうこと言うなよ……」
聞こえにくかったけれど、そんなことを言われた気がした。
動揺するコウキを見るのは久しぶりで、もっとからかいたいという、いじわるな気持ちが沸き上がってくる。ただ、あまりやりすぎるのも可哀想だろうと思い、抑えた。
「元気、出た?」
まだ少し顔を赤くしたまま、コウキは頷いて顔を上げた。
二人の目が、合う。
「おかげさまで……すごく落ち着いた。なんか、悩みは解決してないけど、胸のもやもやが晴れた。ありがとう」
「どういたしまして」
そう言って微笑みかけたら、コウキもはにかみながら笑った。
「話なら、いつでも聞くからね」
「うん」
どうあっても、二人が離れる時は来る。その時、コウキも美奈も、大丈夫だろうか、と智美は思った。
智美にとっては、二人とも大切な友人だ。いつも笑顔でいてほしい。
どんなにそう願っても、離れ離れになる以上、きっと多かれ少なかれ、傷つくだろう。せめて二人のその傷が、できる限り小さいものであってほしい、と祈るしかない。
まだ時間があるので、授業が終わってから教室に戻ろうということになった。
二人でソファにまた並んで座る。
いくら陽が入るとは言っても、司書室はやはり寒かった。スカートのせいで足が冷たい。どうにか暖めようと、手でさする。
不意に、コウキが自分の学生服の上を脱いで、足元にかけてくれた。
「コウキが寒くなっちゃうじゃん」
「いや、俺カーディガン着てるから大丈夫」
確かに、コウキはグレーのVネックのカーディガンを着ている。校則では禁止のはずなのに、お構いなしに着てる辺りが、コウキらしい。
「じゃあ、借りるね。ありがと」
正直、助かる。さっきまでコウキが着ていたから温もりが残っていて、冷えた足にはありがたい。
「ところで、あれから文化祭のソロはどう?」
「んー、どうだろう。良い感じだとは思う。先生にもOK貰った」
「そっか! 良かったー、本番楽しみにしてるから」
「うん。ソロが何とか出来そうなのは、智美のおかげだよ」
コウキの方を見る。
「智美が相談に乗ってくれたおかげで、リラックスして吹けるようになった」
そう言ってコウキは微笑んだ。
「そっか。私の言葉が役に立ったなら、良かった」
「智美には助けられてばっかりだな」
「ええ、そう?」
「ああ。今日だって、すごく落ち着いたし……」
そう言ってちょっとコウキが黙り込んだ。
ピンと来て、ニヤニヤしながら肘で突いた。
「ドキドキしたし?」
「ち、違う! からかうなよ!」
「図星なんだ」
「~~っ!」
真っ赤になったまま、コウキが睨んでくる。いつもの冷静沈着で大人びたコウキからは、想像もつかない様子だ。
「ごめんごめん。からかいすぎたね」
「ほんとだよ」
「コウキってさ、実はあんまり女の子慣れしてない?」
尋ねると、コウキはつんとしたまま、ぶっきらぼうに答えた。
「してるわけないじゃん」
「でも女の子の扱い、上手いよね」
「それは、相手のことを考えながら行動してるのがそう見えてるだけだろ。別に上手くない」
「ねー、ごめんってば。怒んないでよ」
そっぽを向いているコウキの頭をつかんで、強制的に振り向かせる。
「ちょっ」
慌てて手を引きはがされ、また顔をそむけられてしまう。まだ顔が赤いのを見られたくないのか、と智美は思った。
またからかいそうになったけれど、さすがにこれ以上はやめておいた。本気で怒ってしまうかもしれない。
「ごめんごめん。許してよ」
「別に怒ってないし」
「えーほんとかなあ?」
その後も機嫌を直してもらうのに苦労しているうちに、チャイムが鳴り、教室に戻る時間になった。
上着をコウキに返して、一緒に司書室を出る。
司書の教師は、まだカウンターで本を読んでいた。
「先生、ありがとうございました」
「イチャつくのに使うなよ」
「嫌だなぁ、してませんよ」
「後半のバカ騒ぎはここまで聞こえていたぞ」
「それは、いや、ははは……」
曖昧に笑うコウキに、教師がため息をつく。
「教室に戻りなさい」
「はい、ありがとうございました。また使わせてください」
「気が向けばな」
にっ、とコウキが笑って、教師が追い払うような仕草をした。
二人で図書室を出る。
「変わった先生だね」
「打ち解ければ、良い先生さ。また行こう」
「うん!」
来た時よりもすっきりとした表情のコウキを見て、智美は笑っていた。




