表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
青春ユニゾン  作者: せんこう
高校三年生・合宿編
369/444

十四ノ二十二 「トランペットソロ」

 トランペットを、真っすぐに構える。視線は遠くにやるが、何かを見ているわけではない。

 肩の力を抜いて、息を吐ききる。それから、深く吸い込んだ。


 Gの音から始まる、トランペットソロ。自由曲の冒頭だ。

 透明感のある美しい旋律で、地平線から昇る朝日という情景が、自然と脳裏に浮かび上がる。それは、音葉がまだ幼く、両親の仲が悪くなかった頃に、旅行先で三人で見た景色だ。

 そして、もう、二度と見る事のない景色でもある。


 張り上げるような音色ではなく、柔らかく、それでいて芯と艶のある音色が、このソロには相応しい。

 息は長く、丁寧に流す。音と音の境目ははっきりとしつつも、連続した一つの音かのように。


 一度吹いては、また吹く。

 何度でも、吹く。

 頭の中に浮かぶ情景は、まだ、はっきりとはしない。

 自分の中にあるイメージを、完璧に音で表現する。それが、ソロだ。


 花田高の吹奏楽コンクールは、県大会から始まる。しかし、音葉の戦いは、合宿からだった。

 トランペットソロの、オーディション。合宿で行われるそれで選ばれた奏者が、コンクールでもソロを担う。

 バンドにとって、何よりも重要なポジションだ。曲の始まりを務め、その後の曲の出来すらも左右する。

 

「私が吹きたい、いや、吹く」


 毎日のように、口にしている。自分の中の目標を口にして、それを実現させるために、努力する。そうやって、音葉は常に一番であり続けてきた。

 

 ふと、耳に伝わってきた音に、眉を顰めた。

 Gから始まる旋律。今しがた、音葉が吹いていたものである。

 音葉とも違う切り口から攻めている表現。

 この音はコウキだ。


 上手い。

 心の中で唸り、奥歯を、噛みしめた。


 校内ソロコンで、コウキは六位だった。音葉は、九位。

 それが、今の二人の間の実力差、ということになる。


 合宿まで、三十日。

 そこまでで、コウキ以上のものを作り上げなくてはならない。

 

「大丈夫」


 合奏の中で奏でるソロには、想いが求められる。技術だけでは決して奏でられないもの、それが合奏の中で奏でるソロだ。

 音葉には、想いがある。音楽だけは誰にも負けないという、人一倍強い想いが。


 一年だからとか、三年は最後のコンクールだからとか、そんなことはどうだって良い。

 素晴らしい音楽は、自ら奏でたい。

 誰かの奏でた音楽に酔いしれるのではなく、自分の音楽で酔いしれたい。

  

 コウキが上手いとか、経験の差があるとか、そんなのも、関係無い。

 音葉が勝つ。

 華も、心菜も、蹴散らす。


「私が、ソロを吹く」


 もう一度呟き、コウキの音を耳から追い出して、トランペットを構えた。

 一つひとつの音を、チェックしていく。音程、響き、艶。

 ここは英語室だ。英語室とコンサートホールでは、空間の持つ響きや残響が異なる。


 ここで美しい音が、ホールでも美しいとは限らない。

 それを意識する。

 

 今、自分が立っているこの場所は、黒塗りの舞台、普門館だ。

 中学生の時に立った、あの栄光の舞台。

 今、音葉はそこに立っている。五千人の観客を前に。


 本番の空気感、熱量、心理状態。それらを、強く、強く思い描く。

 身体が、イメージに反応して、力を帯びだした。それは緊張とも呼ぶ。だが音葉にとっては、力だ。


 本番にしか生まれない力。

 それを、練習の時から自分に覚えさせる。

 常に、あの力を抱えて吹く。


 それで、音葉の音に魂がこもる。

 私の音。他の誰でもない私だけの音。

 それが、音葉自身の、そして周りの全ての人の心を、揺さぶる源となるのだ。





 

 

 













 楽譜を前に目を閉じ、腕を組む。そうして、三十分は立ち尽くしていた。

 このソロに対して、どう向かうのか。どう、奏でるのか。

 華の中では、まだ、その明確な答えが出ていない。

 

 その状態で吹くソロに、意味はない。

 特別難しいフレーズではないのだ。練習よりも、このフレーズに込めたい想いの方が重要だった。

 

「私は、どう吹きたい?」


 美しい旋律だ。

 昔、父と智美と一緒に登った山。そこで父が教えてくれた、夕陽が町を朱く染め上げる様子が見える、秘密の場所。

 あそこで見る夕陽が、好きだった。

 この旋律を聞いて思いだすのは、あの夕陽と町並だ。


 華が生まれ育った町。ずっと生きてきた町。太陽は、いつも華と町を照らし続けてくれていた。

 

 あたたかさ。

 そう、あたたかさという言葉が、ピタリとはまる。このソロは、そういうものだ。

 では、華にとってのあたたかさとは、何なのか。

 

 人の想いか。優しさか。それとも、別の何かか。

 頭の中にぼんやりと浮かび上がるそれは、明確な形をなさない。

 何かが、すぐそこまで出かかっている。なのに、出てこない。


「どう吹くのか……」


 また、呟く。

 華が表現するのは、あの夕陽か。それとも、町並みか。

 それとも、あのあたたかさなのか。

 何を表現すればいい。どう、奏でれば良い。


「あ~、やめやめ」


 考えても、すぐには答えは出ない。

 目を開けて、軽く伸びをした。身体が小さく震え、ふ、と力を抜いた。息を吐き出し、肩を回す。


 焦ることはない。

 いつだって、ソロには時間をかけてきた。今回も、同じ事だ。


 華は、天才ではない。

 何にだって、時間がかかる。でも、いつも最後には間に合わせてきた。

 今回も、そうだ。まだ、三十日もある。


 焦っても、良い演奏にはならない。

 本当に心に響く音にしたいなら、焦りとか、不安とか、そういう想いは忘れる事だ。

 ただ、ひたすらにこの旋律に向き合う。

 そうして、見えてくるものを探す。

 

 四階の開け放たれている窓から、音が降ってくる。 

 中庭にいても、はっきりと聴こえてくる。

 あれは、コウキの音だ。

 Gから始まる旋律。華が今まさに向き合っている、自由曲のソロ。


「上手いなぁ」


 呟いて、笑っていた。

 華とは違う音、表現。包み込むような、いや、天の調べとでもいうのか。上から音が降ってくるからそう感じるだけかもしれないが、まるで、空高く鳴り響く、荘厳な天使のラッパ音のような印象。

 上品で、しかし芯もあり、澄んだ音。

 コウキの中では、もうこのソロに対するイメージは、固まっているのかもしれない。

 

 そういえば、音葉もまた、華と違う表現を目指しているようだった。 

 どちらかというと、音葉の方が、この曲に爽やかなものを感じている気配がある。

 

「奏者が違えば、曲も変わるんだよね」


 正解はない、ということだ。

 作曲者が求めているイメージはあるのかもしれないが、華にとって大切なのは、それよりも自分の内から沸き起こる熱い想いだった。

 それが無くては、結局のところ、作曲者の求める音だって、作れはしない。


 自分の中の正解を、生み出す。いや、見つけ出す。

 時間は、たっぷりとあるのだ。

 丁寧に、手を抜かずに。最高の音楽を、更なる高みを、目指す。


 コウキが三年生だろうと、譲るつもりはない。心菜にも、音葉にもだ。

 華にとって、コウキは師匠のような存在だし、心菜は優しくて、でも大人びていて、美しくて、智美には悪いが、心菜こそ理想の姉といった存在である。

 そして、音葉は、華にとって尊敬する友だ。


 皆、素晴らしい。

 だからこそ、その三人に、勝ちたい。

 いや、勝つ、とは違う。

 

 三人を超えたい。

 華の音で、三人に認められたい。

 そうしたら、華はもっともっと上に行ける。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ