十四ノ二十一 「噂」
「あーあ、六位か」
貰った賞状を手に、コウキは言った。
「六位でも凄いよ、コウキ君!」
コウキの賞状の端を掴んで、洋子が眺める。別に自分が入賞したわけでもないのに、随分嬉しそうだ。
「でも、学生指導者なのになぁ」
東端の非常階段に、二人で座っていた。
結局、一位は予想通り星子で、二位が光陽高校の河合良太、三位がファゴットの中野ゆかで、四位が安川高校の日比野玲子、五位が光陽高校の大野なつみだった。
トップファイブのうち、三人も他校の生徒に占められてしまった。光陽と安川はそれぞれ精鋭中の精鋭を送り込んできていたとはいえ、主催校としては胸を張れる結果ではない。
「皆上手かったもんね。でも、私はコウキ君の演奏が一番好きだったよ。すごく心がこもってた」
「そう?」
「うん! コウキ君なら入賞すると思ってたから、私も嬉しい」
えへへ、といつものように笑いながら、洋子が見上げてくる。その様子が愛おしくなって、頭を撫でた。
気持ち良いのか、甘える猫のように、目を細めている。
「慰めてくれてありがとな。コンクールまでには、もっとレベルアップするわ」
「うんっ、私も頑張る」
洋子は、一番得意なスネアドラムではなく、マリンバで挑んだ。だから入賞しなかったが、スネアドラムでやっていれば、間違いなく上位に食い込んでいただろう。
千奈のような万能型の奏者に、本人はなりたいらしい。だからソロコンで使う楽器もマリンバにしたのだろう。
「それにしても、これでようやくほとんどのイベントが終わったな」
「後は、プールコンだけ?」
「そう」
例年招待されている町内のプールでのミニコンは、七月の第一日曜日に予定されている。
コンクールまでにやるコンサートは、それが最後だ。その後は、部員一丸となって、コンクールに集中することになる。
課題曲と自由曲の練習も、本格化するだろう。
「プールコン、楽しみだなぁ」
「晴れると良いよな」
「うんっ、でも、暑くなるかなぁ」
「七月だもんなぁ……。ああ、でもコンサートの後に無料で泳げるよ」
「え、そうなの?」
「うん。男子とか、結構泳ぐぜ」
「コウキ君も?」
「俺は特に……洋子ちゃんは、泳げば?」
「は、恥ずかしいから無理だよ!」
「だよなぁ」
顔を見合わせ、笑い合う。
その後も、洋子との談笑を楽しんだ。
普段から忙しいせいで、洋子と二人きりで話す時間は、なかなかない。
ソロコンの片付けも終わって解散した後で、リーダー会議ももう終わっているから、自由時間だった。
安川高校と光陽高校の部員達も、すでに帰宅している。
うちの部員で残っている子も、あまりいないだろう。イベントが長丁場だったから、皆疲れたはずだ。
いつもなら、この時間でも誰かしらが練習している音が聞こえるのに、今日は静かだ。
たまには、こういう日も悪くないな、とコウキは思った。
校内ソロコンが終わって解散し、クラリネットの一年生四人で、正門前でたむろしているところだった。
ちらほらと、他の部員もこの場に留まっている。吹奏楽部員は、部活が終わると、何故かここでわらわらと集まっているのだ。
かこは、大抵クラリネットパートの面々に付き合って留まっていることが、多かった。
「あーあ、ショック……」
千葉深雪が、肩を落として、呟いた。
「七十位って……」
「まあまあ、そんな気ぃ落とさんどきな。うちら皆、似たようなもんじゃん。まー、かこは別だけどさ」
深雪の肩を叩きながら、上杉かなが気の抜けた笑いを浮かべて言った。
同意するように福岡雅也も頷いているが、一ノ瀬かこは、特に反応しなかった。
「えー、かこ、何位?」
「私は、十三位」
かこの順位を聞いて、深雪の肩が、ますます下がる。
「やっぱかこは別格かぁ……」
「一年なのになぁ」
感心したように雅也が言った。
当然だ、とかこは思った。花田高のリーダーだった未来の妹として、恥ずかしい姿は見せられない。さすが未来の妹、と言われる存在でありたいのだ。
だから、ソロコンの練習も誰よりも打ち込んだ。
クラリネットパートの中では、一年生四人だけでなく、上級生全員を含めても、かこが一番上の順位だった。
帰ったら、未来に褒めてもらうのだ。
「落ち込まないとか無理だよ。だってさぁ、七十位だよ? コンクールのオーディション、落ちたようなもんじゃん」
「まだ分かんないでしょ。こっから追い上げるっていうか」
「でも、もう決まっちゃったかもよ」
「うーん」
「何の話?」
深雪とかなの話の意味が分からず、かこは首を傾げた。
「あれ、一ノ瀬、知らないのか? 今回のソロコンの順位が、オーディションのメンバー選定に影響するって噂」
「え、そうなの、雅也君?」
「らしい。だって、何だかんだ言ってもうコンクールまで、ふた月くらいしかないんだし。ここらで実力の査定しとこうって魂胆だから、こんな時期にソロコンなんてやったんだろ」
「へー」
そういうものなのだろうか。事実なら、かこは問題なくメンバーになれるということだが。
吹奏楽コンクールの大編成部門は、出場できるのは五十五人までと決まっている。それに対して、今の花田高は部員数が七十七人。必然的に、二十二人はメンバーから外れることになる。
だから、深雪はこんなに落ち込んでいるのか。
「あー、もう最悪……」
「まあまあ、深雪、元気出せよ」
「出るわけないじゃん……クラパートって、今十二人いるんだよ? 絶対そんなに選出してくれないじゃん、丘先生。ってことは、うちが外れるのは、ほぼ確定ってことだし」
「わかんないだろ、先輩達の中から落ちる人がいるかもだし」
「でも初心者のゆあ先輩だって、うちより順位上だったんだよ?」
「え、何位?」
「六十一位」
「俺より上かよ……ってことは、深雪の次に順位低い俺だって落ちるかもじゃねーか」
「そうだよ。なんであんたはそんな呑気にしてられるわけ?」
やべえ、と雅也が騒ぎ出した。
負のオーラを放つ二人から目を離し、坂の方へ視線を向ける。
自転車を押しながら、コウキと洋子が下りてきていた。
「あ」
かこの声に、三人も顔を上げる。
「あ、コウキ先輩」
かなが、上ずった声を出した。そういえば、かなはコウキのファンだとよく言っていたか。ファンクラブもあるとかで、かこも勧誘されたのだ。当然、断ったが。
「……」
深雪が、物言いたげな表情で、コウキと洋子を睨んでいる。
声をかけようとしたところで、二人が近づいてきた。
「おー、お疲れ、皆。まだいたんだ」
「はい! 反省会してましたー」
「おー、熱心だね」
「先輩達は、今から帰るんですか?」
「うん。今日は疲れたからね、早めに帰るよ」
「お気をつけて!」
「皆もね」
「洋子、また明日ねー!」
「うん、かなちゃん、またね」
手を振って、二人が自転車に跨る。そのまま、他の部員にも挨拶をしながら、走り去っていった。
「で、どうしたの、深雪」
かこが尋ねると、二人の後ろ姿を睨み続けていた深雪が、ぼそりと呟いた。
「洋子ちゃんって、確か私より順位下だったでしょ」
「あー、そうだね。七十二位って言ってたかな。マリンバだったし」
かなが答える。その予想外の順位に、かこは目を見開いた。
確かに洋子はマリンバで出場していたが、そんなに順位が低かったのか。
スネアドラムを叩かせたら、千奈よりも正確で優れた演奏をするのに、何故わざわざマリンバで出たのだろう。もしかして、かこと同じように、噂を知らなかったのか。
「洋子ちゃんってさぁ」
深雪だ。
「コウキ先輩に、すっごく贔屓されてるよね、かな」
「ん、まあ、幼馴染みたいなものだしね」
「部長にも、可愛がられてるし」
「智美先輩? まあ、コウキ先輩繋がりで仲良かったみたいだね」
「きっと、洋子ちゃんはコンクールメンバーになるんだろうな。ずるいなあ……」
「どういう意味?」
「だってさ、部長と学生指導者に贔屓にされてる子だよ。あの二人が丘先生に頼めば、ソロコンの結果なんて関係無く、洋子ちゃんはスネアとかでオーディションパスしちゃうでしょ」
「口利きってこと?」
「そう」
「いやあ、ないと思うけど……」
「マジだったら、代わって欲しいよなぁ。俺達だって、コンクール出てぇし」
雅也と深雪が、同時にため息を吐く。
そもそも、噂は真実なのだろうか、とかこは思った。少なくとも、クラリネットパートの上級生は、誰一人そんな話をしていなかった。
現に、二、三年生もそれほどソロコンに意気込んでいる様子ではなかった。そもそも上位入賞するつもりはそれほどないといった感じで、真面目に上位入賞を狙っていたのは、夕くらいだったように、かこには感じられた。
本当にオーディションに影響するのなら、特に三年生の綾と和が、もっと血眼になっていたのではないだろうか。
洋子だって、コウキなり智美なりが助言をして、順位が下がるマリンバではなく、スネアドラムをやらせていたはずだ。
深雪達にそのことを伝えようかとも思ったが、口を開きかけたところで、面倒くさくなってやめた。
落ち込んでいる深雪達が、聞かせて納得するとも思えない。
それに、どうせ、時間が経てば分かる事でもある。




