十四ノ二十 「校内ソロコン ニ」
午前中の奏者が全て演奏を終え、昼休憩となった。
四十五分間の昼食後に、再開される。
河合良太の出番は終盤の八十番目だから、まだまだ先だ。だが、正直言って校内ソロコンなど、どうでも良かった。
順位にも興味はない。
わざわざ遠くからこんな田舎まで来たのは、洋子に会うためだった。
「さてと」
弁当の入った包みとCDケースを持って、総合学習室を出る。
洋子は先ほど、同級生の数人と東の廊下へ出て行ったばかりだ。どこかの空き部屋で昼食を食べるつもりだろうから、探せばすぐに見つかるだろう。
それにしても、と良太は思った。
花田高は、なんなのだ。光陽高校など比較にならないほど美少女揃いで、レベルが高い学校である。
吹奏楽部に異常に集まっているのか、それとも、学校全体がこのレベルなのか。
特に、トランペットの一年生の髪を編み込んだ子など、洋子に負けず劣らずといった感じだし、トロンボーンのハーフらしき子も、良太の好みだ。
洋子が駄目だったら、他を狙うのもアリだろう。
「いたいた、洋子ちゃん」
「あ、河合先輩」
扉の上のプレートを見る。美術室。
洋子が、複数人と固まって弁当の蓋を開けていた。
「いやぁ、知ってる人がいなくて居心地悪くてさ。花田高の打楽器の人も、洋子ちゃん以外とはそんなに親しくないし……悪いんだけど、僕も一緒に食べて良いかな?」
「え、あっ、はい、どうぞ!」
洋子が立ち上がって、隣の椅子を引いた。
礼を言いつつその椅子に腰を下ろし、洋子に微笑みかけると、顔を赤くしながら目を逸らされた。
「他の子も、初めまして。光陽高校二年で打楽器の、河合良太です」
「中村華です」
「石原れんげです」
「上杉かなでーす!」
「井上真紀です」
「皆一年生?」
「そうですよー」
華が答えた。
「なんだか皆可愛くて、この空間だけ華があるなぁ」
「やだー、お世辞ですかぁ?」
「まさか。本心だよ、かなちゃん」
きゃあ、と黄色い声が上がる。
「なんか、言う事がコウキ先輩みたい」
「コウキ先輩?」
首をかしげると、かなと真紀が、興奮した表情に変わった。
「うちのエースにして学生指導者であり、運動も勉強も出来ちゃう学校一モテるスーパースターです!」
「ファンクラブもあるんですよ! 勿論私とかなも入ってます!」
「学生指導者……ああ」
今朝、坂の上で出迎えてくれた三年生か。坊主頭をそのまま伸ばしたような、見た目に気を使っていないタイプの男だったが、あれで学校一モテるなど、冗談か何かか。それとも、余程女の扱いのが上手いのだろうか。
「凄い人なんだねぇ」
「そりゃあもう。今日だって、コウキ先輩なら上位入賞間違いなしですよ!」
「何の楽器やってる人だっけ?」
「トランペットですよ」
「へ~」
そういえば、前半で吹いていたような気もするが、よく覚えていない。
男に興味はないから、顔や名前はすぐに忘れる。どうでも良い情報に、脳を消費したくないからなのか、昔からそうだ。
「あ、そうだそうだ、洋子ちゃん。忘れる前に、はいこれ」
話を切り替えるために、良太はCDケースを取り出した。洋子と貸し借りの約束をしていたもので、家から持ってきていた。
受け取った洋子が、ぱっと顔を輝かせる。
「わあ、ありがとうございます! 凄く楽しみにしてたんです。あっ、借りてたCDも、お返しするために持ってきました」
洋子が足元に置いていた学生鞄を持ち上げて、中からCDを取り出し、手渡してくる。
「ありがとう。良かったでしょ、これ」
「最高でした! えへへ、もっと聴きたかったです」
「なら、またいつでも貸してあげるよ。メールして」
「あ、ありがとうございますっ」
顔を見合わせて、笑い合った。
感触は、良い。じっくりと、焦らずに心を解していけば、すぐに良太のモノになるだろう。
洋子のような性格の女は、急ぐと駄目だ。オスを見せれば落ちるような軽い女と違って、紳士な態度を前面に出し、徐々に打ち解けていかねばならない。
手を出すのは、心を落としてからだ。
手間はかかるが、そうした後に手に入る快感は、想像を絶するのである。
出番を待つ控室となっている三階の理科室で、星子は突き刺さる視線を感じていた。
気にしないようにしていても無視できない程、背中に気配を感じる。
一体、なんなのだ。
ため息をついて、振り向いた。
安川高校の日比野玲子が、こちらを見ていた。目が合っても、逸らそうともしない。
隣町の学生向けのオーケストラで、数年前まで隣で吹いていた子だ。
まだ星子が初心者だった頃、複数人で、聞こえるように陰口を言われていた。
星子が、一番嫌いな子だった。
入った当初は、玲子とも仲良くなりたいと思っていた。でも、陰口を言われすぎて、そんな想いはすぐに消えた。
仲良くなんてならなくて良い。自分が誰よりも上手くなって、見返してやる。
そういう気持ちでオーケストラに通うようになった。
星子がオーケストラの全てのオーボエソロを担うようになってからは、玲子達が陰口を聞こえるように言ってくることもなくなった。
オーケストラを抜けてからは、レッスン先の滝沢の家で鉢合わせることは稀にあったが、会話することもなかった。
安川高校にいるのも知っていたから、合同バンドにも入らないようにしていたし、関わることも無いだろうと思っていた。
まさか、安川高校から送り込まれてきた三人のうちの一人だったとは。
音楽室の中には、星子と玲子の他には、勇一と万里と夕がいる。三人とも、自分の出番に向けて、音出しを続けている。
星子と玲子は、互いに、睨み合ったままだ。
今は安川高校でコンサートマスターをしているらしいが、ひまりのように、地区の同世代のオーボエ奏者に名を轟かすような存在ではなかった。
所詮、その程度の子だ。星子に負けてから、ずっと負け続けている子。
気にする価値もない相手だ。
ふっと笑みを浮かべて、星子は前に向きなおった。
「次、白井先輩上がってください」
扉の前で進行スタッフの仕事をしていた心菜が、勇一を呼んだ。
「あいよ」
コントラバスと楽譜を器用に抱えて、勇一が動き出す。出番の一つ前の奏者は、理科室から四階の部室に移動して、待機するのだ。
勇一が部屋から出て行き、しばらくして、来美が入ってきた。目が合って、嬉しそうに駆け寄ってくる。
「せんぱーい」
「来美ちゃん」
「はぁ、もうすぐ本番ですねぇ。緊張します」
「そう?」
「えー、星子先輩はしないんですか?」
「全然。コンクールとか本物のソロコンに比べたら、身内しかいないわけだし」
「さすがですねぇ。私なんか、こうですよ」
そう言って、来美が手を広げて見せてくる。緊張で、かすかに震えている。
くすりと笑って、来美の頭を撫でた。
「来美ちゃんは上手だから、いつも通りやるだけだよ」
「んー」
「自信持って」
「頑張ってみます」
「うん」
「……まさか、オーボエが三人連続なんてね」
急に後ろから声をかけられて振り向くと、先ほどまで部屋の隅にいたはずの玲子が、腕を組んでそばに立っていた。
「あ、玲子、先輩」
玲子が、冷たい視線を来美に向ける。
「ソロの練習、ちゃんとした、来美ちゃん?」
「え、あ、はい、一応……」
「一応ね。ま、頑張って」
小さく嗤って、玲子は来美から視線を外した。
相変わらず、気に障る奴だ、と星子は思った。昔から、他人に要らない不快感を与える子だった。
「そういう日比野さんは、どうなの?」
星子が話しかけると、玲子は鼻を鳴らした。
「私は勿論、完璧に準備してきたわ」
玲子の真似をして、星子も嗤う素振りを見せる。
「完璧、ね。音楽に完璧なんて、あるのかな?」
「何が言いたいの?」
玲子が、睨みつけてくる。
「別に。現状に満足してるんだなぁって思っただけ」
「そんなこと、言ってないでしょ」
「そう? でも、完璧ってことは、もうその先はないじゃん。そんな歩みの止まった演奏に、意味があるのかなーって思っただけ」
「生意気ね」
「そう? まあ、私、上手いから」
言ってから、渾身の微笑みをたっぷりとした優雅さを湛えて向ける。
玲子も、頬を引きつらせながら、笑いかけてきた。
「どっちが上か、ここで決めましょうか。核の違いを思い知らせてあげる」
「別にそんなことに興味ないけど、まあ、受けてあげても良いよ。どうせ、私が勝つし」
「はあ? 言ってなさい」
「わ〜、怖い。日比野さんって、昔から口だけは誰よりも強いよね、口だけは、あはは」
「失礼ね。生意気な人には分からせないといけないでしょ、うふふ」
お互い引かず、そのまま、心菜が玲子の事を呼ぶまで、笑い合っていた。
玲子と関わる時は、引いたほうが負ける。強気で行くくらいで、ちょうど良い。
「星子先輩、凄すぎます……」
玲子が出て行くのを見送ってから、顔を青くした来美が言った。
「そう?」
「あの玲子先輩に、あんな風に言い返せるなんて」
「どうってことないよ、あんなの。威勢が良いだけ」
「うちの部では、恐怖の対象だったのに……」
「小物だよね、日比野さんって。周りを怖がらせて優位に立とうとする」
「あ、あはは」
「あんなの、気にする必要ないよ、来美ちゃん。隣で聴いてた私が一番、来美ちゃんがちゃんと練習してたの知ってるからね」
「は、はい」
玲子の出番の次は、星子だ。
審査員の三人も部員達も、嫌でも星子と玲子を比べることになるだろう。
良い機会だ。
久しぶりに、あの女を悔しがらせて、その面を楽しませてもらおう。
「楽しみにしてて、来美ちゃん。結果発表の時に、日比野さんが悔しがる顔を見せてあげるから」
「は、はあ」
「じゃあ、私、もうちょっと音出しするね」
そう言って、星子は来美に背を向けた。




