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青春ユニゾン  作者: せんこう
中学三年生・文化祭編
36/444

四ノ五 「それぞれの想い」

 雨が降り続いている。

 グラウンドのそこかしこに水たまりが出来ていて、どろどろで立ち入れない状態だ。

 どんよりとした灰色の雲が厚く広がっているせいで、太陽は隠れてしまい、景色全体が鈍い色に染まり生気を失ったようにすら感じる。


 文化祭はもうすぐだというのに、こう雨が続いていては、じめじめとした空気が校内に満ちて、気分も上がらない。

 いつもの土日であれば、運動部がグラウンドで精力的に活動しているはずだが、連日の雨のせいで、体育館の運動部と文化部、それと文化祭の出し物に出場する生徒以外、学校に登校している生徒はいない。


 吹奏楽部は、当然一日練習だ。

 今は、午前の基礎練習と合奏を終えて、昼休みだった。普段なら音楽室で弁当を食べるが、洋子の参加するバンドが、顧問の許可を得て昼休みの間だけ練習に使っている。それで、廊下で食べていた。

 雨の音をかき消すくらいの轟音が、音楽室から廊下の端のここまで聞こえてくる。どの楽器も音の粒がはっきりしていて、技術力がある。


 洋子は午前の練習が終わると、数分で弁当を食べてバンドの練習を始めだしたが、練習風景は覗くなときつく言われた。

 念押しされると覗きたくなるのが人間だが、さすがにやめておいた。

 ただ、音は聴くなとは言われていない。聞こうとしなくても聞こえてくるのだし、これくらいなら良いだろう。


 曲を通し終えたバンドの音がやみ、雨音が校内に戻ってくる。

 窓の外の無数に落ちてくる雨粒を眺めながら、思考に耽る。

 拓也に指摘されてから、美奈のことをまた頻繁に考えるようになっていた。


 美奈は、高校はどこへ行くのだろうか。母親との約束もある以上、学力的にかなり上の学校を目指すだろう。

 このあたりだと名門大学への進学者も多数輩出している、全国的に有名な高校が近くにある。特に優秀な成績の子は、大抵そこへの進学を目指すし、おそらく美奈もそこへ行く気がする。

 進学校の忙しさは分からないが、会える時間はつくれるのだろうか。

 答えのない問いが、ぐるぐると頭を駆け巡る。


 仮に高校生になってから美奈に会えるようになるとしたら、それはつまり、美奈に気持ちを伝え、洋子が高校生になるのを待たずしてはっきりと洋子の想いを断る、ということだ。


 それは公平ではない。そんな風にしたら、きっと洋子は深く傷つく。

 傷つく洋子の姿を見ないふりをして、自分だけ明るく生きていく未来も、想像がつかない。

 どちらを選ぶとかどちらを諦めるとか、簡単に答えが出せない。出せたら、苦労しない。

 考えれば考えるほど、もやもやとはっきりしなくなっていく。


 智美に、会いたい。

 会って、話を聞いてほしい。

 無性にその気持ちが強くなってきた。


 元二十八歳の男が、中学生の女の子に恋愛相談などと笑われるかもしれない。だが、コウキも、そもそも恋愛経験などほとんど無いのだ。

 そのせいで、ここまでこじれている。自分の選択のせいではあるが、聞いてもらえるだけでも良いから、気持ちを吐き出したい。

 月曜日になったら、智美に相談してみよう、とコウキは思った。
















 美奈の手作りのロールケーキとあたたかいカフェオレを食べながら、他愛もない話で盛り上がった。

 ミルクの風味が濃厚なクリームと、ふんわりとした生地。くどくないちょうどいい甘さのロールケーキで、ぺろりと食べられてしまう。カフェオレとの相性も抜群だ。

 美味しいおやつに洒落た部屋。美奈の家にいると、店に行かなくて良い、と思えてくる。


「将来はカフェでもやったら?」


 美奈が、照れながら手を顔の前で振る。


「私程度のレベルだとどこにでもいるよ」

「そんなことないって。絶対人気になると思うけどな」

「うーん、まあ……何にもすることなくなっちゃったら、それも良いかもね」


 窓の外に目を向けながら、美奈が言った。


「美奈は可愛いから、黙って微笑んでるだけで良いんだよ」

「それじゃ、注文受けたり出来ないよ~」

「あ、そっか」


 笑い声。

 美奈と会うようになってから、今まで出来なかった分の話を沢山した。次から次へと溢れてきて、話題は尽きない。

 会いに行くと、美奈は必ず菓子を作って待ってくれている。そのどれもが、思わず笑いたくなるほど美味しい。


 美奈は、努力家だ。勉強で分からないところは、分かるまで徹底的に調べるし、菓子作りもレシピが自分のものになるまで、何度も繰り返し作って研究するのだという。

 だからこそ、この味になるのだろう。

 

 毎回貰ってばかりでは悪いので、智美もお返しをしようと菓子作りに挑戦してはみた。けれど、失敗続きでキッチンが悲惨なことになるので、すぐにやめた。

 その話をしたら、美奈と一緒に菓子作りをするようにもなった。丁寧に教えてくれるおかげで、クッキーくらいならなんとか作れるようにもなっていた。


 二人で会える時間は、たとえ一時間でも、とにかく会うようにしている。

 最初のうちは、美奈の表情は暗かったけれど、会う回数を重ねると、次第に笑顔が増えてきた。

 今は、小学生の頃のように、無邪気な笑顔を見せるときもある。

 

 コウキのことで悩む美奈に何がしてあげられるだろう、と智美はずっと悩んでいた。

 こうして話すだけで、少しでも笑ってくれるようになるなら、いくらでも喜んで話せる。智美も、美奈と話すのは好きだ。


 しかし、それはその場しのぎに過ぎない。本当に美奈のことを解決できるのは、多分コウキだけのように思う。

 ただ、何となく話しづらいし、美奈も口にしないから、コウキの話はほとんどしていない。

 会話が止まった時にふと見せる美奈の表情から、相変わらず悩んでいることは分かる。そして、それにはコウキが関係しているのだろう、ということも。


 美奈とコウキを会わせる。

 智美が、それを勝手に決めることは出来ない。

 けれど、もし美奈がコウキに会いたいと思っているのなら、何としても会わせてあげたい。


 会うのであれば、早いほうが良い。少しでも二人が一緒にいられる時間が増えるかもしれないのだから。

 だから、今日は美奈にその話を聞くつもりでいた。これ以上、先延ばしにすべきではないのだ。


 ストーブの炊かれる音。カップから立ち上る湯気。美奈の、小さなため息。


「ねえ、美奈」

「うん?」


 無表情に窓の外の降り続く雨を眺めていた美奈。こちらへ向いた瞬間、その表情から、憂いのようなものは消えている。

 智美に心配させないために、だろう。


「コウキに、会いたい?」

「え……」


 美奈が凍り付いたように固まった。

 直球すぎたかもしれない、と智美は思った。


 緊張しながら、美奈の言葉を待つ。

 ちょっと視線を揺らせた後、美奈は俯いた。

 長い沈黙が、場を包み込む。

 心臓が、痛い。けれど、この話題を避け続けることは出来ない。美奈のことを思うのであれば、必ずどこかのタイミングで、言わなくてはならなかったことだ。

 随分経ってから、美奈が小さく呟いた。


「会いたい、けど……」

「うん」

「……会えば、きっともっと辛くなる」


 俯いたままのせいで、髪の毛が顔を隠していて表情は見えない。

 声は、少し震え気味だった。


「……でも、もしこのままずっと会えなくなるとしたら、それでも会わないほうが、良いの?」

「……わかんない……」


 どうすれば良いのだろう。何が、美奈にとって最善なのだ。

 コウキに話したら、なんと言うだろうか。相談出来たら、きっと良い答えをくれるに違いない。

 無理だと分かっていても、コウキに、話を聞いてほしいと思ってしまう。

 

 雨が一瞬強まって、二人の間の沈黙をかき消した。

 

 














 

 本番で着る服を、部屋の姿見で確認する。バンドの皆と合わせで買った服だ。

 はじめは、不思議の国のアリスのような、童話チックの可愛らしさをイメージしていたけれど、それはさすがに可愛すぎて無理だ、と他のメンバーに嫌がられてしまった。それで、可愛らしさを出しつつも、ちょっとそこに格好良さも感じるようなコーディネートに変更した。


「うん、良い」


 姿見の前で、身体を動かして様々な角度から服を確認していく。

 色は全て黒で統一してある。上はライダースジャケットに、下は短めの無地のプリーツスカートで、黒のハイカットのブーツ。頭に差し色として大き目の赤いリボン。


 当初の、曲と衣装のギャップを狙うという目的からは外れ、可愛さよりも格好良さが勝った、バンドらしい恰好になってしまった感じもする。けれど、メンバーはこれを凄く気に入ってくれている。


 洋子から衣装の提案をしたおかげで、一人だけ目立つ格好にされなかったのもほっとした。

 これなら普通に街着としても可愛い。洋子も、このコーディネートが気に入っている。ライダースジャケットなど大人びていて普段は着ないから、コウキにも、普段と違う印象で見てもらえるかもしれない。

 それに、この恰好で良いステージに出来たら、コウキも見惚れてくれるかも、という淡い期待もある。

 

 文化祭は、保護者や地域の住民も招いて開催される。だから、観客は生徒も含めて、ものすごい数になる。

 その人達を前に演奏すると考えただけで、どうかなりそうになる。だから洋子は、コウキに届けることだけを考えて演奏すると決めていた。

 たった一人を前にしていると思えば、緊張に負けずに何とか出来る気がする。

 MCや盛り上げるパフォーマンスは、慣れた他のメンバーがやってくれる。洋子は、ドラムにだけ集中していれば良い。

 

 もう文化祭は目前だ。

 吹奏楽部で演奏する曲も、ドラムは問題なく叩けるようになっている。ドラム以外の楽器は、何とも言えない。

 でも、大丈夫だ、と洋子は思った。

 根拠はないが、きっと出来る、という気がする。

 

 自分でも音楽が、ドラムが、こんなに好きになるとは思わなかった。

 最初はコウキがいるから、そばにいたいから、という理由で吹奏楽部に入ったのに、今では自分自身がやりたいから、すすんで楽器に向かっている。


 ドラム以外も、まだ苦手だけれど、どの楽器も奥が深くて楽しい。ドラム一つとっても、次から次へと新しい楽しさが見つかるのに、シンバルも、ティンパニも、マリンバも、同じくらい楽しさが顔を出す。

 吹奏楽部は洋子にとって天国のような場所だ。毎日が、充実している。

 それに、バンドの楽しさも知ることができて、良かった。


 今日よもっと続け、明日よ早く来い。そんな矛盾した考えが浮かんで、自分で笑ってしまう。

 ただ、充実しているということは忙しいということでもある。最近はコウキと話す時間がとれてないし、一緒に帰る回数も減ってしまった。

 文化祭が終わったらまた一緒に帰れるから、我慢は今だけだと言い聞かせてはいるけれど、寂しさはある。

 

 早くコウキに、バンドのステージを見せたい。コウキは、どんな風に誉めてくれるだろう、と洋子は思った。

 終わったら、何を話そうか。いや、まずはしばらく出来なかった分、沢山甘えさせてもらおう。

 コウキのことを考えると、胸が高まる。あの笑顔を思い浮かべると、幸せな気持ちで身体が熱くなる。


 ベッドに飛び乗ってうつぶせになり、足をバタつかせた。枕に顔を埋め、溢れ出す気持ちを抑える。

 

「あっいけない」


 本番の衣装を着たままだということに気がつき、慌てて起き上がった。皴になってしまう。すぐに脱いで、寝間着に着替えた。

 衣装をクローゼットに仕舞い、再びベッドに倒れこむ。

 頭には、またコウキの事が思い浮かんでいた。

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