四ノ四 「初めての爆発」
恋愛に目覚めた拓也が、これほど人が変わったようになるとは思いもよらなかった。
修学旅行で良い仲になってから、体育祭や夏祭りなど様々なイベントを共に経験して、拓也と奈々は交際を始めたらしい。
あの拓也を落とした奈々の努力は、素直に尊敬する。恋愛に一切興味の無かった拓也が、今では奈々を前にすると、デレデレと頬を弛ませ、一緒にいる時も常にニヤニヤしているような状態だ。
拓也にも恋愛を知ってほしいとは思っていたが、のめりこみすぎていて少し心配になる。
といっても、相手の奈々も奈々で、席替えで隣同士になったために、連日のように拓也とののろけ話を聞かせてくる。やれ休日はどこに行った、何をした、拓也が何と言った、思わず手が触れた。
本人からしたら天にも昇るような嬉しさなのだろうが、毎日のように聞かされるこちらは、うんざりしてしまう。
それが奈々だけの話だったら、まあ笑って聞けただろう。
ところが、拓也も拓也で、会うたびのろけてくるのだ。二人から同じ話を聞かされるのは、中々に疲れる。おまけに奈々は授業中でも構わずなので、コウキまで教師に怒られることもしょっちゅうだった。
「奈々って、一人か二人付き合った人いるはずだけど、あんなデレデレしてるのは初めて見た」
のろけ話に食傷気味だったコウキに、亜衣が言った。
よほど拓也のことが好きなのだろう。あの調子なら、末永く続いてくれるに違いない。
自分一人の犠牲で済むのなら安いものだ、とコウキは思った。
ただもう少し、のろけ話の回数を減らしてもらいたいところではある。
そんな拓也と奈々だけでなく、亜衣も健と付き合いだしたらしい。
健から礼を言われたが、コウキは特に間を取り持つようなことはしていなかったし、礼を言われる立場ではなかったが、無事に付き合えたのは素直に嬉しかった。
こちらはいたって平凡、静かな交際といった感じで、微笑ましい。
今、三年生の中では、カップルが続々と誕生している。
亮と直哉も、修学旅行の自由行動で一緒に原宿を回った由美と沙知と交際しているし、他にも友人間でのカップルが、いくつか出来ている。
受験という現実から逃れたい気持ちや、最後の中学生活だからといった面も多少はあるのだろうが、皆幸せそうでなによりだ。
できればどのカップルも一過性で終わらず、長く続いてほしいものである。
「おーい、聞いてんの?」
昼休み。
拓也と廊下で話していた。延々とのろけ話を聞かされていたせいで、思考に逃げ込んでいた。呼びかけられて、意識が現実に引き戻される。
「ごめん、聞いてなかった」
「おいおい頼むよ、今良いところだったんだから」
「いや、全然良いところじゃない」
拓也の話している内容は、もう三回は聞いた。
コウキの指摘も聞かず、拓也が再び話しだす。突っ込むのも疲れたので、聞いている体を装いながら、聞き流すしかない。
文化祭まで、あと二週間となっている。
三年三組の合唱コンクールの練習は順調だ。奈々と亜衣の進行が上手いおかげで、彼女達と立てた計画通りに練習が進んでいる。
手応えを感じる練習のおかげで、今年は入賞もいけるかもしれない、とクラスメイトたちは気合に満ち溢れている。始まる前は、クラスメイトがこんなにやる気になるとは思いもよらなかった。
ただダラダラと練習時間を多く取るよりも、目的を明確にして、限られた時間の中できっちり仕上げることを全員で共有して練習に取り組んだことで、効率的に歌の上達が進んだように思う。
練習の時間は、それに集中しきっちりこなすことでプライベートの時間も確保する。結果的に公私ともに充実した生活を送れる、というような具合だ。
思わぬところで、集団で何かを為す場合の進め方のようなものを学べた気がする。
これは、部活動でも応用できるだろう、とコウキは思った。
漫然と練習するよりも、濃い練習を短い時間できっちりと。その認識を全員が共有する。
流れを保つのが、奈々や亜衣のようなリーダーの役で、ついていけなくなりそうな子をコウキがケアするという役割の分担が、うまくはまったように思う。
高校の吹奏楽部でも、こういう感じで進められたら、もしかしたら前とは違う結果を導き出せるかもしれない、と少し期待が持てる。
吹奏楽部のステージで披露するソロはというと、智美に相談に乗ってもらってから、良い方向へと向かいつつあった。
自分が自分を好きでいてあげて、と智美に言われたことが、コウキの中に渦巻いていた、もやもやとした感情を取り払ってくれた気がする。
他の誰でもないコウキ自身が、自分の音を好きでいられなかったから、いつまで経っても納得のいく演奏にならなかったのだ。
自分を肯定する。
はじめにやらなくてはいけないことは、それだった。
おかげでまだ完全にとは言えないが、ソロを吹くことが苦痛ではなくなりつつあり、以前よりリラックスして吹けるようになっている。
誰かに相談することで、これほど大きな変化があるのだと、初めて知った。
智美には感謝しかない。
同時に、誰かの相談に乗ることの、責任の重さも痛感するようになった。コウキもよく人から相談されるからこそ、その人にとって、良い結果となるような受け答えを出来るようになりたい。
文化祭に向けて空回り気味だった気持ちが、今は落ち着いている。
この調子なら、無事に文化祭のステージを迎えられるだろう。
「だから、コウキも絶対彼女作ったほうが良いって」
「んあ?」
途中から拓也の話がまた耳に入らなくなっていて、間抜けな声をだしてしまった。
「いや、だから! コウキも彼女作れよって話」
「ん、あ、ああ……なんで急に俺の話?」
「いや、そもそもおかしいんだって。なんでコウキは一度も彼女作らないの? コウキが俺に彼女を作ることすすめてきたんだぞ。それなのにそのコウキは彼女がいないって、変じゃん」
「いや……俺は別に要らないからだよ」
その返答が不満なのか、拓也は顔をしかめた。
「なら、洋子ちゃんのこと待たせてるのは何なんだよ?」
「……なに?」
「だって、彼女要らないんなら、洋子ちゃんのことだってすっぱり断って諦めさせれば良いだろ。なのに、洋子ちゃんが高校生になるまでっつって返事を待ってもらってるらしいじゃん」
洋子から聞いたのか。
「そんなの、洋子ちゃんに対して失礼だろ」
「拓也には、関係ないだろ……」
「いや、あるね。俺たち三人でいつも一緒なのに、コウキの態度がはっきりしないせいでこの仲が壊れたら嫌だ。曖昧にするなよ」
「別に、曖昧にはしてないって」
「もしかして、まだ大村さんのこと忘れられてないんじゃないの?」
不意にその名前を出されて、心がざわついた。
「小学生の時、確か大村さんのこと好きだったよな。洋子ちゃんからも、コウキの態度はまだ大村さんのことが好きそうだったって聞いてたけど」
「それこそ……拓也には関係ないじゃん」
胸が、ちりちりとざわつく。
それ以上、言わないでほしい。
「関係なくはないって。ていうか、もし好きなら、告白すればいいじゃん。学校違ったって、今の俺たち三人みたいに、学校の後ちょっと会うくらいなら出来るじゃん。コウキと大村さんが付き合えば、洋子ちゃんは諦めるしかないし、そうでないなら、ちゃんと洋子ちゃんに向き合ってあげろよ」
「うるさいなあ!」
苛立ちを抑えきれなかった。思わず、叫んでいた。
一瞬で鼓動が早まり、呼吸が荒くなる。肩が、何度も上下する。
頭が沸騰したように熱く、目に血が溜まるような、嫌な感覚。
それまで騒がしかった廊下が、しんと静まり返っていた。
そのことに気づいて、動揺してしまう。頭はまだ熱い。興奮しすぎて、うまく、言葉が出てこない。
「コウキ……」
拓也が、そっと伺うような感じで呼びかけてくる。
「っ……ごめん」
まともに会話を続けられる気がしなくて、足早にその場を離れた。
後ろから、拓也が周りの皆に対して明るく誤魔化してくれている声が聞こえてくる。
過去に戻ってきてから、他人に対して怒ったことは、一度もなかった。昔は、短気で、よく怒っていた。そういう自分が嫌で、直してきたのだ。
もう怒ることなどないと思っていたのに、ついにやってしまった。それも、親友の拓也に。
拓也の言っていることは正論だ。
誰だってはっきりさせろと言うだろう。
コウキも、本当は洋子に返事をしていないことが、良いとは思っていない。洋子のを想うなら、すぐにでも返事をするべきだ。
だが、心の中では、拓也の言う通り、美奈を忘れきれていない。今でも、美奈のことが好きだ。
洋子も大切な人だが、すんなりと忘れられるほど、軽い気持ちで美奈を好きになったわけではない。
だったら美奈に想いを告げろ、と拓也でなくとも言うだろう。
恋人と距離の離れた付き合いになるのは、嫌だ。
それで辛い思いをするくらいなら、付き合いたくはない。
なら諦めろ、と人は言うかもしれない。
そう簡単に誰かを好きになったり好きではなくなったり出来るほど、コウキは器用な人間ではない。
それに、美奈への気持ちは勿論あるが、洋子に語ったことも嘘ではない。こどものうちから異性と交際をしたくないのは、本心だ。
美奈との間も、それと学校が別になるという事実が絡んでしまったがための問題でもあるのだ。
周りが想うほど、出来た人間ではない。
自分の恋愛ひとつ満足にこなせない、臆病で、弱い人間なのだ。
新年早々風邪をひいて寝てました。また頑張って更新します。




