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青春ユニゾン  作者: せんこう
中学三年生・文化祭編
33/444

四ノ三 「自分が自分を好きでいてあげること」

 中間テストも終わり、いよいよ文化祭が迫っている。

 二日目に行われる合唱コンクールに向けて、音楽の時間や授業後は全学年、どこのクラスも練習に励んでいた。

 やる気に満ちたクラスは、昼休みも音楽教師を捕まえて歌を見てもらっているようだ。それだけ、音楽教師の休む暇はなくなる。東中に音楽教師は二人いるが、二人とも日に日に疲れた顔になっていた。


 東中の行事でクラス一丸となって打ち込めるものと言えば、合唱コンクールと体育祭くらいで、やる気がない素振りをする子も、本番が迫ってくると周りの雰囲気にあてられて、練習に打ち込むようになる。

 普段の授業ではだらけている生徒達が、この時ばかりはとやる気に満ちていたら、教師としても応えたくなるものだろう。


 皆で何かに打ち込む経験は、大人になってからはなかなか出来ない。今しかない大切な時間なのだから、熱中するのは良い事だ。


 ただ、その分吹奏楽部にも影響がある。

 授業後、二人の音楽教師がそれぞれ一クラスずつ指導をするので、四十分ほどは音楽室が使えないのだ。

 そのため、この時期は部活動の時間になると、音楽室が空くまで、来た部員からパート練習に散るのが恒例になっている。

 

 今日は三年三組は授業後の練習が無かったから、コウキが部室に一番乗りだった。音楽室からは、どこかのクラスの歌が聞こえてくる。


 練習のために別の教室に行きたいが、どの教室も合唱コンクールの練習で使われていて空いていないし、仮に空いていたとしても、トランペットを吹くと隣で歌っているクラスに迷惑となる。

 実習棟の理科室や社会科室などは木管楽器や大人数のパートに使わせてあげたいから、使えない。

 結局、コウキは実習棟の裏で個人練習をすることにした。


 十月の午後だ。南側だから陽は当たるし風も弱いとはいえ、やや肌寒い。

 少しの辛抱だと自分に言い聞かせ、トランペットに息を吹きこむ。まっすぐな音が、ベルから抜けていく。

 いつも個人練習の時にしている基礎メニューから始め、ウォーミングアップを済ませたところでソロにとりかかった。


 レコーダーで録音しては、聴き返す。

 ただ漫然と吹いていても意味がない。一つ一つの音に集中しながら、呼吸のタイミング、息の流し方、抑揚の付け方など、様々なポイントを意識して最適な音を探っていく。


 自分には、芸術の才能は無いのだろう、と思っている。

 洋子のように感覚でどんどん吸収していくタイプでも、華のように自然体で美しい音を出せるタイプでもない。

 こうして録音して確認しながら、平均的により良い音、吹き方を探っていくしかない。


 本当は、バンドとしてより良い演奏を目指すのであれば、ソロは華に吹かせたい。トランペットパートで一番ソロに相応しいのは、華なのだ。

 だが、三年生は文化祭が最後の舞台なので、全員がソロを担当することになっている。そのために、わざわざ顧問が曲を編曲したところもある。

 だから、コウキも与えられたソロは責任を持って完成させる必要があった。


 自分でも、笑ってしまう。

 普段、周りの子には自信を持つよう助言したり、落ち込んでいると励ましたりしているのに、肝心の自分が、自分の演奏に自信を持てていない。

 ウジウジと悩むよりも、練習に打ち込むことが今の自分にできる最善だということも、理解してはいる。

 情けない話だ。


「頑張ってるね」


 声をかけられて振り向くと、いつの間にか、そばに智美が立っていた。にこにこしながら、こちらを見ている。


「いつの間に?」

「今さっきだよ」

「聞いてたの? 恥ずかしいなぁ」

「たまたまね」


 智美はくすりと笑った後、コウキの隣に来て譜面台の楽譜を覗き込んできた。


「文化祭でやる曲?」

「そう。ソロ貰ってて、その練習」

「へ~。ね、聞いてていい?」

「ん、良いけど、上手くないよ」


 智美はちょっと後ろに下がってコウキの邪魔にならない位置に移ると、どうぞ、といった感じで両手を差し出してきた。

 改めて聞く姿勢をされると、ちょっと演奏しづらい。


「気にしないで練習して」


 智美はそう言って、黙り込んだ。

 仕方ないので、なるべく智美を意識しないようにして、ソロを再開する。


 フレーズがブツ切れにならないよう、流れを意識しながら吹く。息継ぎのタイミングでテンポが遅くならないよう、一定を意識する。曲の歌詞や流れ、メロディに込められたメッセージ。そういったことも想像しながら吹く。


 コウキの担当しているソロは、流行りの恋愛ソングのサビ部分だ。ラストの盛り上がり前の静かな部分。ほんの短い十二小節だけのメロディ。

 その瞬間だけ、コウキの音に、会場にいる全員の耳が集中する。

 重圧が半端ではない。学校内の小さな舞台だからとか、そんなことは関係ない。ソロが成功するかどうかで、曲全体の良さも決まってしまうのだ。

 雑念が、頭のなかに渦巻く。


「ねえ、なんか悩んでるの?」


 智美が言った。


「えっ?」


 楽器をおろし、智美を見る。


「演奏に集中できてないっていうか、表情が満足そうじゃないっていうか。音楽には詳しくないけど、コウキの様子なら何となく分かる。何かあるでしょ?」

「いや、別に……」

「嘘。誤魔化そうとしてる」

「そんなことないけど」

「コウキってさぁ」

「う……うん?」

「自分のことになると、いつもはぐらかすよね。人の世話ばっかりして、自分のことは抱え込んで」


 息を呑む。図星だった。

 智美がため息をついて、視線を逸らす。

 弱く冷たい風が吹いて、智美の髪やスカートがなびいた。


「抱えすぎたら、辛いよ」


 遠くを見るような目で、智美が言った。

 その真剣な表情に、思わず黙ってしまう。


「私で良ければ、話聞くけど?」

「……優しいじゃん」

「だーかーら、はぐらかすなって」


 額を指で弾かれて、思わず声をあげた。


「言いなさい」


 腰に手を当てて言う智美。

 それがおかしくて、同時に、少しだけ嬉しくて、コウキは、笑っていた。

 智美になら、話しても良い、と思った。


「じゃあ、せっかくなら、聞いてもらおうかな」

















 別に用事があったわけではない。ただ、授業後、すぐに帰る気にならなかった。 

 何もしていないと、美奈のことが頭に浮かんで、もやもやとしてしまうのだ。

 それで、ベランダに出て、一人で空を眺めていた。住宅街にある自宅から眺めるよりも、学校の南向きのベランダから眺めたほうが、見晴らしが良くて気持ち良い。


 秋の空は、綺麗で好きだ。正確には、一年中空は綺麗だけれど、秋の澄み渡った青は、特に綺麗だと思う。どれだけ見ていても、見飽きない。


 隣の教室から、合唱コンクールの歌が聞こえてくる。時期だから、どこのクラスも熱心に練習ばかりしている。

 智美は、一応クラスの皆に合わせて練習しているものの、本心では、そんなにやる気はない。歌いたい合唱曲が他のクラスに取られてしまったうえに、一年生の時に歌った歌を、また歌う羽目になったからだ。


 三組は指揮の奈々を中心として、亜衣やコウキ達が練習計画を立てた。

 毎日それに沿って練習しているおかげで、順調に進んでいる。今日のように、授業後の練習時間を取らないで、そのまま帰宅する日もあった。


 漏れ聞こえてくる隣のクラスの歌声から察するに、まだ通しで歌えていないようだ。三組は、既に全員が歌を覚えて、通しで歌えている。今はハーモニーやリズムなどの細かい部分の合わせが多い。

 毎日居残りは嫌だから、この進みの早さはありがたかった。クラスの子達も、余裕があるおかげで伸び伸びと練習できている気がする。


 空を眺めながら耳を澄ましていると、歌声に混じって、かすかに別の音が聞こえてきた。運動部の掛け声や談笑の声ではない。楽器の音だ。


 これは、妹の華が、家でたまに吹いているトランペットの音か。

 漠然と、それがコウキの吹いている音だ、と智美は感じた。


 カバンをひっつかんで教室を出て、音のする方向へ向かう。

 実習棟だろう。まだ音は聞こえる。四階の音楽室ではなく、外からだ。

 

 実習棟の裏を覗くと、やはりコウキがいて、トランペットを吹いていた。

 そっと近づいていく。

 こちらには気がついていないようで、演奏に夢中になっている。

 その表情が、どこか冴えない。


「頑張ってるね」


 演奏が止まったところで、静かに話しかける。振り向いたコウキは少し驚いた表情をしている。


「いつの間に?」

「今さっきだよ」


 ほんの少し会話した後、何となく、さっきの冴えない表情が気になって、練習風景を見学させてもらうことにした。

 文化祭で披露するというソロに、黙って耳を傾ける。


 少し前に流行って、いまだに学校でも人気の高い女性歌手が歌う、恋愛ソングのサビの部分。ちょっと切なくて、胸に来るようなメロディが印象的だ。


 コウキの演奏は、しっくりくるというか、違和感がない、という感じがした。当然、歌手が歌うものとは別物だけれど、この曲に、コウキの音が合っている気がする。


 しかし、コウキの横顔は、やはり冴えなかった。それが気になって、問いただしてみた。

 誤魔化そうとされたけれど、智美の言葉が届いたのか、


「……じゃあ、せっかくなら、聞いてもらおうかな」


 コウキはそう言って、校舎の壁にもたれかかるようにして座り込んだ。促されて、智美もスカートの中が見えないように手で抑えながら、隣に座る。


「俺、ほんとはトランペットに自信ないんだよ」


 ぽつりとした、コウキの呟き。

 

「ソロも、三年は全員吹く決まりだからやるけど、より良い演奏を目指すなら華ちゃんに吹いてほしいと思ってるくらいだし」

「私は、さっきのコウキの演奏、上手いと思ったけど」

「ありがと、でも……自分では納得いってないんだ。なんか、こういう気持ちで吹いてるからか、どんだけ練習してもソロが上手く吹けてる気がしなくてさ。でも、うじうじ悩んでるのも無駄で、結局俺にできるのは練習だけだっていうのも分かってんだよ。そういう、うまく言えないぐちゃぐちゃな感じがずっと続いてる」


 そこまで言って、コウキはトランペットに目を落とし、取り出した布でボディを拭き始めた。

 眉は下がり、唇もきゅっと結ばれていて、固い表情。けれど、優しい目でトランペットを見ている。そんなコウキの様子からは、トランペットが好きなのだろう、ということが伝わってくる。


「ソロ、吹きたくないの?」

「吹きたくない、とは違う……かな。バンドとしての完成度を目指すなら華ちゃんだと思ってるけど、ソロがもらえたこと自体は嬉しいよ。ただ、大勢の前でソロを吹くっていうプレッシャーというか、緊張というか、そういうのはある」

「失敗したらどうしよう、ってこと?」

「そう、かな……。俺がミスしたら、バンドの演奏そのものの質が下がるっていうのが、きつい。文化祭は三年生の引退ステージっていう色が強いから、三年生がソロを演奏するってことが重要なのはわかってるんだ。ただ……俺は一つ一つの演奏を、より良くしたい。それを考えるなら、最適なソロは俺が吹くことじゃないんだよなぁって思っちゃってさ」


 妹の華は、はっきりと物を言う子だ。以前、トランペットの腕だけなら自分が部で一番上手い、と言っていたことを思い出した。コンクールやイベントでのソロも、華がほとんど担当したと聞いている。

 コウキも、同じように思っているのかもしれない。


 コウキは、自分の中学生活最後の晴れ舞台として文化祭のステージを見ておらず、吹奏楽部のいつもの発表の場の一つと見ているのかもしれない。だから、自分がソロを吹くことについて悩んでいるのだろう。

 いつも周りを見ているコウキらしい、というべきか。なぜそこまで周りを一番に考えて動けるのかと、不思議に思うくらいだ。


「自分の音が、嫌い?」


 問いかけに、コウキが深く考え込む。

 二人の前を、テニスラケットを持った男子生徒が駆け抜けていった。校庭に目を向かると、いつのまにか運動部もちらほら活動が始まりだしている。

 ちょっと間が空いて、コウキは口を開いた。


「嫌いというより、自信がない、かな。綺麗に吹けてるのか、わかんないんだよ」


 そう言って、弱々しく笑った。ここまで弱音というか、本心を語るコウキは、初めて見た。

 頼ってくれたことが、嬉しい。だから、真剣に答えたい、と智美は思った。

 

「コウキが、何でそこまで自分のこと悪く言うのか分かんない。私、さっきコウキの音を聴いてて、綺麗だと思ったよ。曲に、コウキの音がはまってると思った。私は評論家じゃないから本当の良し悪しを言えって言われても分かんないけど、コウキが音楽を届けるのは、評論家じゃなくて私たち普通の人だよ。その普通の人の代表みたいな私は、コウキの音、好きだよ。全然下手じゃない。もっと聞きたいと思った」


 途切れ途切れになりながらの智美の言葉に、コウキはちょっとだけ目を見開いた。


「聴く人全員に喜んでもらえる演奏って、プロでも難しいんじゃないのかな。感動する人もいれば、不満に思う人も絶対いると思う。でも、そこで不満に思う人のことを考えて止まっちゃったら、感動してくれるはずだった人まで満足してくれなくなっちゃうかもしれないでしょ。だから……コウキの音を好きだと思ってくれる人に届けようと思えば、いいんじゃないかな。それが結果的に別の人にも届くかもしれない、と思う」


 突然、コウキが噴き出すように笑った。驚いて、その様子を黙って眺める。

 何か、おかしなことを言っただろうか。

 ひとしきり笑い終えた後、コウキは優しいやわらかな笑顔をこちらに向けてきた。


「あー……智美の言う通りだなぁ。そんなの分かってたはずなのに、すっかり忘れてたよ。それに、あんま人に上手いとか好きって言われたことないから、智美に言ってもらえて、なんか自信出た」


 恥ずかしそうな、嬉しそうな、ちょっと照れた笑い方。

 すごく自然体の、これがコウキの素の表情なのだろうか、と思うような笑顔だ。

 コウキは、普段から人に弱音や自分の素を見せてないような気がしていた。だから、初めてそんな表情を見られて、智美は嬉しくなった。


「元気、出た?」

「うん。ありがとう。やっぱ悩んでる場合じゃなかったな」


 顔を見合わせて笑いあう。

 そこで、実習棟の四階の音楽室から、コウキに呼びかける声が降ってきた。華だった。部活の合奏の時間が迫っているらしい。


「じゃあ、行くよ」

「あ、コウキ」

「うん?」

「……あのね、コウキが一番、自分の音を好きでいてあげてよ。他の誰よりもコウキのことを分かってるのは、コウキ自身なんだから。自分が自分を好きでいてあげることが、一番の力になると、思う」


 言ってから、しまったな、と智美は思った。偉そうに聞こえたかもしれない。

 けれど、コウキは驚いたような顔をして、次には微笑んで、小さく頷いた。


「やってみるよ。智美に話して良かった」

「役に立てたなら、良かったかな」


 笑いかけると、コウキは何か言いたそうな顔をしながら、ぽりぽりと頭をかいている。


「どうしたの?」

「いや……あのさ、また、悩むことあったら、相談しても、良いか?」

「え……うん、もちろん。いつでも話して」


 そう答えると、コウキは顔を輝かせ、今日一番の笑顔を見せた。その笑顔を見た瞬間、自分の心臓が大きな音を立てた気がした。

 手を振って、コウキが校舎に入っていくのを見送る。


 音楽室から、ごちゃ混ぜになった無秩序の騒々しい楽器の音が聞こえはじめた。練習が始まったのだろう。

 智美も置いていたカバンを掴んで、下駄箱に向かった。まだ、靴に履き替えていなかった。


 コウキの悩みを、解決できたのだろうか、と智美は思った。

 うまく言えた気はしない。

 コウキがどう思ったのか、本当のところは智美には分からない。けれど、きっとコウキは少しは前を向いてくれた気がする。

 あの笑顔は、そうだと思いたい。


「智美、帰ってなかったんだ」


 下駄箱で靴を履きかえていると、背中を叩かれた。奈々と拓也だ。


「ちょっとね」

「今から帰り?」

「うん。奈々こそ、帰ってなかったの?」

「拓也のクラスの練習終わるの待ってたの」

「そっか」

「せっかくなら一緒に帰る?」

「いや、邪魔しちゃ悪いし、一人で帰る」

「別に良いのに、ね、拓也」

「ああ」


 もちろんそれが大きな理由ではあるものの、もう一つ、先程のコウキの笑顔を思い出して、引締めようと思っても顔が緩んでしまうから、それを見られたくないというのもあった。


「また今度帰ろ、じゃね!」


 引き留めようとする二人に手を振り、下駄箱を出た。

 自分でも、こんなに嬉しいと思うとは、予想外だった。にやけるのが、止まらない。

 顔を手で隠しながら、慣れた通学路を駆けるようにして帰った。

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