十二ノ二十七 「コウキと月音 四」
「月音さんのおばあちゃんは、どんな人だったんですか」
「私の?」
「そう。写真、おばあちゃんでしょ」
勉強机の上の写真立てに目を向ける。月音が、ああ、と言った。
食事が終わって、二人でぼんやりと過ごしていたところだった。
「どんな、か……」
「あんまり聞いたことなかったなって」
「優しい人だったよ。私の前では、いつも笑ってた」
「へえ」
「トランペットが好きな人で、家に遊びに行くと、いつもトランペットの曲が流れてた」
「クラシック?」
「ジャズも流れてたよ、レコードで。縁側で、おばあちゃんとひなたぼっこしながら曲を聴くのが、好きだった」
当時を懐かしむように、月音が微笑んでいる。
「この奏者はこういう人で、この演奏はこういう時のものだ。こっちの奏者はこのレコードで伝説を作ったんだ、って……話す内容は、トランペット関連の話が多かった」
「ほんとにトランペットが好きだったんですね、おばあちゃん。自分でも吹いてたのかな」
「若い頃は吹いてたって言ってた。ほんの短い間だけ、プロとしてもやってたって」
「え、そうなんですか?」
「すぐやめたらしいけどね。理由は聞いてないけど」
「もしかして、おばあちゃんにトランペットを習ったんですか?」
「いや、おばあちゃんに教わったことはないよ。おばあちゃんは、私の練習を聴いてにこにこしてただけ。私は基本独学だよ。でも、おばあちゃん家にたまに来る男の人がいたんだけど、その人もトランペット奏者だったみたいで、何回か教えてもらった事はあるかな」
「へえ……その人、プロだったんですかね?」
「どうなんだろう。小さい頃だったから、あんまり気にしてなかったしなあ」
おばあちゃんがプロだったなら、その男性もプロ仲間だった可能性はあるだろう。
「おばあちゃん家は、この家からすぐ近くで、結構頻繁に遊びに行ってたんだ。トランペットの練習させてもらうためってのもあったけど」
「じゃあ俺の家とも近いんだ」
「うん。今はもう更地になってるけどね」
「なんだ。月音さんが過ごした家、見てみたかったなあ」
「いいところだったよー。ちょっと怖い家だったけどね」
「怖い?」
月音が頷いた。
「縁側でおばあちゃんと座ってると、時々二階から足音が聞こえてきたんだよね。おばあちゃん、一人暮らしだったのに」
「え」
「他に誰もいないはずなのに音がするって、怖くない?」
「それは、怖いですね。幽霊?」
「私も気になって聞いたんだけど、そしたらおばあちゃん、そうかもしれないけど悪い子じゃないんだよ、って言ってた」
「おばあちゃんには、見えてたってこと?」
「もしかしたらそうかもね。おばあちゃん、霊感があるって言ってたし」
「まじですか」
「結局、家が壊される日まで、私には見えなかったなぁ」
以前、元子が幽霊もギャップの一つだ、と言っていた。もしかしたら、月音のおばあちゃんの家に住み着いていた何かは、おばあちゃんにだけ見える存在だったのかもしれない。万里がこどもの頃に神社で会っていたという、万里にだけ見えた友達と同種の存在だろうか。
ふと、コウキの中に、疑問が湧いた。月音に、おばあちゃん程ではなくともわずかでも霊感が備わっているとしたら、コウキと一緒にいることで力が増幅し、見えなくて良いものが見える日が来る可能性も、あるのだろうか。霊感は遺伝すると聞いたことがあるが、実際のところはどうなのだろう。
「まあ、見たくもないけどね。幽霊とか怖いじゃん」
月音が言った。
「ん、まあそうですね」
「ホラー映画とかも、私見れない」
「え、怖がりだったの?」
「知らなかった? 私めっちゃ怖がりだよ。怖い話とか聞くと、夜寝られなくなるから」
「うそ、意外」
「作り話でも無理! お化け屋敷とかも絶対入らない」
月音が夏祭りの神社で行ったあちら側の世界を見たら、卒倒するかもしれないな、とコウキは思った。ギャップの存在なども、月音にとっては恐怖の対象になるのかもしれない。
その後も、おばあちゃんの話を月音から聞きながら、二人の時間を過ごしていった。途中、ソロコンテストの話題に移り、反省点やソロ演奏の仕方について議論を交わしたり、今年度の定期演奏会の曲について予想を出しあったりした。
今年は、金管セクションの層が厚い。丘は、木管を中心にしたサウンド作りを根底にしつつも、恐らく、定期演奏会の第一部では金管が活躍する曲を用意してくるだろう。
『ローマの祭り』か、『シバの女王ベルキス』か、あるいは、もっと難しい曲か。
「あ、もう八時じゃん」
不意に、携帯を見ながら月音が言った。コウキも確認すると、八時を数分回ったところだった。
「もうか。ご両親、そろそろ帰ってくる?」
「ううん、今日は朝まで帰ってこない」
「え、そうなの?」
「だから誘ったんだよ。コウキ君は? まだ帰らなくても大丈夫?」
「ん、ああ。俺はまだ大丈夫だけど」
母親には、月音の家に来る前に電話しておいた。今日くらい早く帰って来れば良いのにと言われたが、友達の家で反省会しながら夕飯を済ませる、と伝えておいた。
普段の行いが良いから、何も言われない。それに、ソロコンテストがあったからといって、特別な料理を用意してくれているわけでもないし、別に問題はなかった。
「じゃあ、もう少し居てくれる?」
「月音さんが良いなら」
「……やった」
嬉しそうに、月音が笑った。
「ね、もう少し隣行っても良い?」
月音が、甘えるような顔を見せる。口では応えず、頷いた。月音が、身体を寄せてくる。
「コウキ君の隣、好き」
コウキの腕に頬をこすりつけてくる。その仕草が、まるで猫のようだと思った。




