十二ノ二十五 「ソロコンテスト」
木管セクションには、蜂谷というプロの奏者がついている。打楽器とコントラバスパートにも、専門の音楽家が定期的にレッスンに来てくれているおかげで、丘が奏法部分で指摘する事は少ない。
金管セクションだけが、長い間専門のレッスンをしてくれる人がいなかった。
指導員が決まらない間は自分で指導はしていたが、やはり、プロに教わるのとは吸収力も違う。
冬が近くなって、コウキから泉という男を紹介された。レッスンをメインに活動している音楽家で、コウキのトランペットの先生ということだった。
泉と会い、持っているものがある、と思った。セクション指導にも興味を示してくれていたし、お試しで使って気に入らなければ契約を解除してもらって構わない、と本人が言うから、まずはやってもらうことにした。
結果的には、頼んで正解だっただろう。基礎的な指導が、優れている人だ。金管楽器の仕組みや奏法についての理論的な説明には、唸るものがある。コウキの技術力が一年生時よりも上がってきているのも、泉の指導の効果なのかもしれない。
「全体の成長が、期待できますね」
副顧問の涼子と、話をしていた。
「そうですね。今までの花田高は、奏者個人単位では優れた者が多かったですが、全体としてはまだまだでした。特に、金管は。これから、変わってくるでしょう」
「そういえば、三木君はソロコンに出るんでしたね」
「ええ」
「アンサンブルの方が好きそうな子なのに」
「思う所があるのでしょう。挑戦することは、良いことです。同じように高い次元を目指している同年代の奏者と競って、今の自分のレベルを知る事も、学びになります」
「そうですね」
冬に、アンサンブルコンテストとソロコンテストが控えていて、ソロコンテストに出場しない一、二年生の部員は、ほとんどがアンサンブルを組んでいる。
ソロで出場するのは、トランペットのコウキとオーボエの星子の二人だ。星子は、去年も出場している。些細なミスをして、代表は逃してしまっていた。
あれからまた成長しているから、今年は本人も上に行く気だろう。
「アルトサックスの長谷川と打楽器の丸井も、ソロコンをすすめたのですが」
一年生の中では、光るものを持っている二人だったが、二人ともアンサンブルを選んだ。
「まあ、誰かに言われて何かを選択するよりも、ずっと有意義なことです。本人達がアンサンブルをしたいのなら、それが良い」
「丘先生は、アンサンブルは何処が出ることになると思いますか?」
部内で組まれているアンサンブルの数が多く、全部はコンテストに出ることが出来ない。そこで、今週末に校内コンテストを行い、出場させるアンサンブルを選ぶことになっているのだ。
「まだ一週間ありますからね。予想に過ぎませんが、打楽器五重奏やサックス四重奏は」
「丸井さんと長谷川さんのいるアンサンブルですね」
涼子が言った。
「アンサンブルは木管や打楽器の方が有利ですからね。金管は、厳しい部分があります」
「そうなんですか?」
「ええ。一曲三分程度ある曲を、それぞれがほとんど休むことなく吹き続けます。テンポ感も自分達で維持し続けなければならないし、息継ぎの技術も要ります。唇の持久力がない部員は、一曲吹き通すのも辛いでしょう。合奏とは、訳が違います」
「そういうものですか」
「だからこそ良い練習になります。その課題を克服できれば、金管の子達もレベルアップするでしょう」
「楽しみですね。私も、また審査員ですか?」
「当然です」
「ですよね」
涼子が苦笑いした。未だに、涼子は副顧問というよりも雑用という身分だと自分を思い込んでいる。彼女にも、そろそろ意識の改革は必要だった。
花田高にとって、涼子という存在もまた、必要不可欠なのだ。
「そうだ、佐原先生。あなたも、そろそろ演奏会で指揮をしましょうか」
涼子の顔が、固まった。
「前から言っていたことですし。今年の定期演奏会は、佐原先生にも振ってもらいましょう。練習は、していましたよね」
「ちょ、ちょっと待ってください」
「何です?」
「大事な演奏会なのに、私には早いですよ!」
「まだ三ヶ月後の話です。早くありません。むしろ、遅すぎたくらいです」
「でも」
「やりたくありませんか」
涼子が、止まった。
「やりたくない人に、無理にはやらせません。ですが、私はあなたなら振れると思って言っています」
随分と長い沈黙の後、涼子が、口を開いた。
「私が振って、良いんですか」
「ええ、勿論ですよ」
「迷惑を、かけるかもしれませんが」
「誰だって初めから完璧には出来ません。それは当たり前のことです。大丈夫ですよ、生徒達が、支えてくれますから。あの子達を、信頼してください」
「……はい」
涼子が、戸惑ったように、笑っていた。
星子と二人で行動するのは、滅多にないことだった。
別々に会場に行っても良かったのだが、せっかくならと、一緒に行くことになったのだ。伴奏のにいなは、もうすぐ来る。
花田高でソロコンテストに出場するのは、コウキと星子の二人だけで、後の子はアンサンブルコンテストに出場する。
コウキは、今の自分自身の実力を正確に知りたかった。そのためには、同年代の子達と、純粋な能力を比べられるソロコンテストに出場するのが、最適だった。
逸乃や月音を超える奏者になる。部をけん引する存在になる。コウキが、そうならねばならないのだ。
この人が居れば安心だと思わせてくれる奏者の存在は、バンドの音を変える。
花田高を更なる高みへ押し上げるには、必要なことだった。そのために、力を試す。
「コウキ君、何時から出番?」
「十二時十五分」
「私より後だね」
「自信はどう、星子さん」
「あるよ」
力強く、星子が言った。
会場に人は、少ない。地区予選程度では客もそれほど入らないし、ソロコンテストは出場者も少ないからだろう。
「去年は、ミスした。今年は、しない」
「まあ、星子さんほどの奏者は、そうはいないよ」
コウキの代で、今、最も輝いているのは、星子だろう。人を惹きつける音と表現力。ひまりに追いつこうとする強い想いが、星子を急成長させた。
才能と努力。どちらも、人一倍強く持っているのが、星子だ。
絶対的な奏者は、星子が居れば良い、とは言えない。あくまで星子は、木管奏者だ。吹奏楽の編成は木管だけで構成されるわけではない。役割の違う金管にも、絶対的な存在が必要であり、両セクションにそういう存在がいることで、他の奏者は安心するのだ。
「コウキ君こそ、自信は?」
「俺は、まあ、やることをやる」
「自信、ないの?」
「あるかないかと言われたら、まあ、あるとも言えるし、ないとも言える」
「めんどくさい返事」
「真面目に言ってるんだ。他人のレベルについては割と正確に判断できる自信があるけど、自分のことになるとな。俺より上手い人はいくらでもいるから、自信を持っていいものかどうか」
「練習は完璧にしてきたんでしょ」
「勿論」
「なら、それが自信ってものじゃん。あとはそれを出すだけなんだから」
「まあな」
「私は当然県予選まで行くとして。コウキ君も、上がってよ」
「努力する」
頷いて、星子は目を閉じた。集中したいのだろう。邪魔をしないように、コウキは、話すのをやめた。
『華麗なる幻想曲』。金管奏者のバイブルともいえるアーバン教則本の著者が作曲した曲だ。譜面の内容は、教則本の集大成といったものになっていて、きちんと教則本をマスターした者ならまず間違いなく吹ける。しかし、アーバンの内容はかなり濃く、これをマスターするのは容易なことではない。コウキも、泉の指導を受けていても、まだその域には達していなかった。
その状態でこの曲に挑戦するのは、無謀かもしれない。だが、マスターしていないからといって挑戦しなかったら、いつまで経っても先へは進めない。
ソロコンテストという場で披露することで、今の自分の課題も見えてくるはずであり、挑戦し甲斐のある曲だった。
ロビーの天井に備え付けられているスピーカーから、他の出場者の演奏が流れている。マリンバだ。軽快で正確な音。しかし、それ以上の良さを感じない。
俺はどうなのだ。自分に、問いかけた。
表現したいものを、築き上げてきた。それを、本番で、披露できるのか。
「いや……できるかじゃない、やるんだ」
呟いていた。
緊張は、特にない。良い精神状態だ。気負いもない。
いつも通りに。それで、結果はついてくる。




