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青春ユニゾン  作者: せんこう
高校二年生・成長編
288/444

十二ノ十八 「星野摩耶」

 舞台裏だった。薄暗い中を、大会関係者や会場スタッフが、動き回っている。表彰式に向けて、準備が進められているのだ。

 全国大会は、午前の部と午後の部に分かれていて、それぞれで表彰式が行われる。午前の部は、すでに全ての出場校が、演奏を終えていた。


 摩耶の心臓は、早鐘を打っている。一秒が、十秒が、やけに長い。この時間は、何度経験しても慣れなかった。いったいいつ始まるのだ、とコンクールの度に思っている気がする。

 たとえ表彰式が始まったとしても、今度は結果を言われるまで、舞台上で構えていなければならないし、賞状やトロフィーを受け取る時には、凛とした姿を見せなければならない。

 早く終わって欲しい、とすら思ってしまうのだ。去年のリーダーだった晴子と都も、同じ気持ちだったのだろうか。


「正直、どう思う?」


 隣に立つ理絵が、ぼそりと言った。

 前後には、他校の代表生徒が並んでいる。花田高と同じく、ほとんどは部長と副部長だろう。


「何が?」

「うちらの結果」

「そんなの……貰ってみるまで、分からないよ」

「金、取れると思う?」

「当たり前でしょ」


 自分の口が自然とそう発したことに、摩耶は驚いた。リーダーとして、それ以外の言葉を出してはならない、という意識でも働いたのか。

 ただ、先ほどの自分達の演奏を思い返すと、ひどく大それたことを口走ったのではないか、という気になる。

 理絵が、薄く笑った。


「もしさ……」

「うん」

「銅や銀賞だったら、皆になんて言う、摩耶?」


 言われて、咄嗟に顔を背けた。


「そんなこと、考えたくない」

「私達は、考えてなきゃダメでしょ。皆は、リーダーの言葉を求めるもん。それに、考えようと考えまいと、私達に与えられる結果は変わらないよ」


 そんなことは、理絵に言われなくても分かっている。表彰式が終わった後には、皆に声をかけなければならない。摩耶の姿や言葉次第で、部員の心も変わるのだ。部長としての、大切な役目である。

 少しだけ、理絵の説教臭さにわずらわしさを感じたけれど、部のためにあえて言っていることも、理解している。


「……お疲れ様、って」

「ん?」

「一番上の大会だもん。結果に良いも悪いもない。胸を張って、帰ろうって」

「そうやって言うの?」

「……他にある?」


 理絵が、自分の手をこすり合わせている。


「私達が落ち込んだり、泣いたり、それは、違うじゃん」

「だね」

「だから、そうやって前を向かせるのが、正しいでしょ」


 理絵は答えず、黙りこんだ。

 反響板の向こうの客席は、表彰式を待つ人々の話し声で、ひどく騒がしい。


「……もし、銅や銀なら」


 しばらくして、理絵が言った。


「私達は、来年に繋がる言葉を伝えなきゃいけないんじゃないかな」

「来年に?」

「そう」


 二人だけの会話だ。周りには聞こえないように、小声で話している。


「花田高が、また来年も普門館に来て、そして、金賞を貰えるように。そこへ繋がるための言葉を」

「……どんな?」

「それは、私じゃなくて摩耶が考えることでしょ。皆の心に響くのは、摩耶の心から出た言葉だもん」

「っ……はぁぁあ」

「何、なんでため息つくの」

「そうやって、いっつも私に難題押し付ける」

「だって部長じゃん、摩耶」


 理絵を、睨みつける。


「出来ない人には、こんなこと求めないよ。摩耶だから言ってるの」

「持ち上げようったって、駄目だよ」

「そんなんじゃないって……あ」


 理絵の視線が、動いた。その先を追いかけると、審査員達と顧問達が、舞台裏に入ってきたところだった。全国大会では、表彰式の初めに、指揮者賞の贈呈があるのだ。

 丘もいる。一瞬、目が合った。

  

「ねえ……そういえば、先生にかける言葉」


 理絵に言われて、はっとした。

 指揮者賞の贈呈時には、各学校の顧問の名前が呼ばれる。そこで生徒達は、自分達の顧問への感謝の言葉を叫ぶのが、全国大会の恒例なのだという。


「皆に何も指示してない」

「やばいなぁ」

「どうしよう」


 二人して、唸る。今からではどうしようもないから、他のリーダー達が何とかしてくれることを、祈るしかない。

 そのうち、舞台上へ移動するように、会場のスタッフから指示があった。各学校の代表と共に、並んで反響板を抜けていく。摩耶達も、舞台に設置された雛壇に上がり、客席の方を向いた。

 各学校の顧問も現れ、大会役員や審査員も、舞台上に並ぶ。

 チャイムの音が鳴り、騒がしかった会場が、一気に静まり返った。


「お待たせしました。ただ今より、高等学校前半の部の表彰式を行います。初めに、本日のコンクールに出場された指揮者の方々に、指揮者賞を贈呈いたします。敬称は、略させていただきます」


 アナウンスが入って、大会役員と、一校目の顧問が向き合った。

 名前が呼ばれると、おそらく、その学校の生徒であろう前列に座っていた団体が、


「先生、大好きー!」


 と叫んだ。

 拍手が鳴り、次から次に、指揮者の名前が呼ばれていく。その度、高校生による感謝の言葉が、会場に響く。

 そして五番目になり、丘が役員と向き合った。


「丘金雄」


 拍手。

 おや、と摩耶は思った。花田高の部員は、何も言わなかった。言えなかったというより、言わないことを選んだ、という雰囲気だった。

 少し、ほっとした。上手く言えずにぐだぐだになるよりは、よほど良いだろう。誰が決定したのかは分からないが、良い判断だ。


 やがて、全ての指揮者の表彰が終わると、顧問達が舞台裏に下がり、アナウンスが会場に響いた。


「それでは、大会委員長より、高等学校前半の部の成績を発表し、同時に表彰を行います」


 成績発表では、賞状とトロフィー、そして審査表が配られるという。

 紹介された大会関係者が前に立ち、出演順一番の高校の代表二人が、向き合った。

 いよいよだ、と摩耶は思った。


「お待たせいたしました。高等学校前半の部の成績を発表いたします」


 マイクの前に立つ男性が、手に持ったファイルに、目を落とす。

 

「一番、東関東代表……高等学校、銅賞」


 結果は、銅賞、銀賞、金賞の三つに分かれ、これまでの大会と同様に、銀賞と金賞の間違いを防ぐため、金賞はゴールドが頭につく。

 二校目と三校目の発表も済んだ。二校目が銅賞。三校目が、ゴールド金賞だった。関西代表の、強豪校だ。

 四校目の代表が、大会関係者の前に並ぶ。摩耶と理絵は、そこから少し離れた位置に、移動した。

 握りしめた手は、酷く汗ばんでいる。

 

「四番、九州代表……高等学校、銀賞」


 拍手。

 四校目の代表生徒が去り、理絵と共に、大会関係者の前に並ぶ。向き合った二人の大人は、やわらかな微笑みを浮かべている。


「五番、東海代表」


 静けさに包まれた会場に、アナウンスが響く。


「花田高等学校」


 喉の奥で、音が鳴った。


「……銅賞」


 一瞬、固まった。すぐに気を取り直して、握りしめていた手を開き、賞状と審査表を、受け取った。

 会場に、拍手が鳴り響く。


 トロフィーを受け取った理絵と共に、客席に向かって、礼をする。花田高の皆は、二階席に座っている。全員、真っすぐに、前を向いていた。

 後ろへ下がり、雛壇の元々立っていた位置へ戻る。理絵がどんな顔をしているかは、分からなかった。


 結果発表は、淡々と進められた。最後の大会といっても、他のコンクールと同様、あっさりとしたものだった。

 ゴールド金賞は、十五団体のうち、五団体。どの学校も、過去に金賞を受賞した経験のある強豪校ばかりだった。


 結果発表が終わり、全員、舞台裏へ下がる。喜びや落胆が渦巻く薄暗い空間で、摩耶は、理絵と顔を見合わせた。


「まあ、ね」


 理絵が言った。


「うん」

「だよね」

「うん」


 それ以上、言葉が見つからない。金賞に届かないのは、分かっていたことだ。

 自由曲は、途中からは良かった。あの演奏が、最初からできていれば。

 考えても仕方のない後悔が、頭の中に浮かんでくる。


 うつむいていると、肩を、誰かに叩かれた。振り向くと、丘が立っていた。


「お疲れさまです、よく頑張りました」

「丘先生」

「表彰式は、緊張しましたね」

「先生が?」

「指揮者として表彰されるなど、初めてですから」

「そっか、そうですよね……あっ」


 思いだして、摩耶は頭を下げた。


「先ほどはすみませんでした。指揮者賞の時、私達、誰も先生にかける言葉を考えていませんでした」

「ああ、気にしていませんよ、星野。わざわざあの場で言ってもらわなくても、皆さんの気持ちは分かっていますから。さあ、下を向いている暇はありません。皆さんの元へ、戻りましょうか」

「あ、はい」


 丘が、歩き出す。


「ミーティングは、学校でやりましょう」

「分かりました」

「混む前に、東京を抜けたいですね」

「はい」


 丘の後をついていきながら、摩耶は、その背中を見つめた。

 全国大会の結果は、これまでの努力に対する最後の褒美のようなものだ。ゴールド金賞を貰っても、特別な何かがあるわけではない。だからといって、銅賞でも嬉しいかと言われれば、微妙だ。自分達の努力の結晶が銅賞なのか、という感情は、どうしても湧いてしまう。

 丘も、同じ気持ちだろうか。

 後ろ姿からは、丘の想いは、伝わってこなかった。

 


 



 

  

 





  

  

 摩耶は、首を横に向けた。バスの窓の向こうには、見上げる高さのビル群が立ち並んでいる。横を走りぬける車や歩道の人の数も、花田町の比ではない。道路を走っているだけで、ここが東京なのだということが、良く分かった。

 高速を走れば、夜には花田高に着くだろう。丘との簡単な打ち合わせで、会場では特に話さず、帰ってからミーティングをしよう、ということになっている。


「帰りの車内で、結果を噛みしめましょう」


 普門館を後にする時、短く、摩耶は言った。

 泣いている部員はいなかった。晴々とした顔をしている部員も、いなかった。不完全燃焼、といったところだろう。


 いつもならそれなりに騒がしい車内も、今日は静かだ。皆、それぞれにこれまでのことと今日のことを、思い返しているのかもしれない。

 摩耶も考えに集中したくて、隣の千奈とは、会話をしていなかった。


「……はい」

 

 不意に、ぼそぼそとした声が聞こえてきて、摩耶は通路の反対側に目をやった。丘と正孝が座っていて、小声で会話をしているようだった。

 通路側に座る正孝は、丘の方を見ていて表情が見えず、丘は、いつも以上に難しい顔をしている。


「……ですか」

「はい、自分で言います」


 聞こえたのは、それだけだった。

 何か、大事な話をしているような雰囲気はするけれど、耳をすませても、内容は分からない。

 そのうちに、二人の会話は、どちらからともなく終わっていた。


 高速に乗ってから、一時間以上は走っただろうか。ずっと続く単調な走行音と、道路の凸凹で発生する揺れのせいで、眠気が首をもたげだしていた。

 あくびをかみ殺してから、隣に目を移す。窓際席の千奈は、一足先に眠っているようだ。美少女と表現して問題ない整った顔が、今は無防備に緩んでいて、普段は隠されている幼さが、垣間見えている。


 本番では、千奈は最後まで皆を引っ張ろうとしてくれた。演奏が完全に崩れずに済んだのは、千奈の正確無比なスネアドラムがあったおかげだろう。

 一年生なのに、どれほどの精神力を有しているのか。この子が二年後に部長になった時を想像すると、楽しみである。

 

 その一方で、智美のことは、心配になる。まだまだ頼りない子だ。部長としての自覚は、あと半年で目覚めてくれるのだろうか。持っているものはあるけれど、それを引き出せるのか。コウキの陰に、埋もれてはしまわないか。

 コンクールが終わった今、次の世代である二人の成長も、考えていかなければならないだろう。それは、摩耶の部長としての、最後の役目でもある。

 

 連日の疲れのせいか、それともゆりかごのように心地良いバスのせいか。あれこれと考えているうちに、次第に頭の中はまとまらなくなってきた。

 まだ、学校までは数時間ある。少し眠るのも、悪くは無いか。

 そう考えた途端、急速に眠気が強まった。

 あくびを、一つ。それで、摩耶も深い眠りの中へと、落ちていった。

















 高速の渋滞もなく、バスは予定通りに花田高へと到着した。日は落ちて完全に夜になっているが、これからミーティングだ。

 コンクールを巡るこの数ヶ月間を総括する、最後の時である。


 カーテンを閉めきった音楽室に、全部員が揃っている。迎えに来ている部員の家族や応援に来た卒部生も顔を見せていて、音楽室の中は、いつも以上に狭苦しい。

 前に立つ丘が、室内を見回した。


「皆さん、今日は本当にお疲れさまでした。ご家族の皆さんも、こんな時間にも関わらずお越しくださり、ありがとうございます」


 頭を下げる丘。親達が、それに応えて、頭を下げた。


「まずは、もう皆さん知っての通りですが、花田高校の結果について。我々は、銅賞でした」


 脇に置いていたトロフィーと賞状を、丘が持ち上げた。


「この吹奏楽コンクールは、曲の選定や練習から考えると、春から始まりました。実に半年近くを、コンクールに費やしてきたことになります。全ては、今日の全国大会に出場するためでした。

 全国の高校吹奏楽部、約三千校の中の、たった二十九校。全国大会に出場できるのは、わずかそれだけです。私達は、その一校に選ばれました。何万人という高校生が、涙を流してコンクールから去っていった中、私達は、最高の舞台で演奏することができたのです。

 それは、一人一人が努力と苦労を惜しまずに、全力でやってきたから実現できたことでした。そして、ご家族の皆さんや卒部生の皆さんが、全面的に協力してくださったおかげです。本当に、ありがとうございました」


 音楽室の後方から、拍手が起こった。親の一人が叩き出して、それは、音楽室中に広がった。

 

「……できることなら、最高の栄誉である金賞を受賞して、皆さんと喜びを分かち合いたかった。しかし、結果は銅賞。本音を言えば、とても悔しいです。

 しかし、これは悪い結果ではありません。血のにじむような努力をして、これ以上ないと言えるだけのものを積み上げてきたつもりだった今年でさえ、銅賞だった。ならば、我々にはまだ出来ることがあり、もっと成長することができるという、何よりの証拠です」


 丘の言う通りだ、と摩耶は思った。


「悔しくても、落ち込む必要はありません。我々は、ついに全国大会に出場したのですから。過去の先輩達から受け継いできた想いを胸に、一歩一歩進み、やっとここまできたのです。

 花田高は、これからも先に進むでしょう。我々が積み上げたものが、来年、再来年、十年後、二十年後に繋がっていく。今日の結果が、きっとこの先、花田高にとって糧となるはずです。

 今年の吹奏楽コンクールは今日で終わりましたが、我々の活動は、明日からも続きます。様々なコンサート、アンサンブルコンテスト、そして、定期演奏会。我々の音楽を聴きたいというお客さんが、大勢待っています。私達の音楽を、届けに行きましょう。

 よりよい音楽、更なる高みを目指して、明日からも、頑張りましょう」

「はい!」


 丘が大きく頷き、それからは、保護者や卒部生に向けての言葉が続いた。

 話が終わって、親や卒部生が退室した後、音楽室には、部員と丘と涼子だけが残った。


「さて、改めて皆さん、今日はお疲れさまでした」

「お疲れさまでした」

「私の話はもう充分しましたから、部長の星野と、学生指導者の緒川からも、何か言葉をいただきましょう。二人とも、前へ」


 呼ばれて、摩耶は、丘の隣へ移動した。正孝も、並んでくる。

 目だけで正孝と言葉を交わすと、正孝が、一歩前へ出た。


「全国大会、お疲れさまでした」


 正孝が、静かに言った。


「銅賞だったけど、俺は、良い演奏が出来たと思っています。『たなばた』の最後は、完璧だった。俺達には、あれだけの力がある。あの演奏をはじめから出来ていたら、俺達は金賞だったという自信があります」


 何人かの部員が、同意するように頷いている。摩耶も、同じ気持ちだった。


「でもそうはならなかったのは、多分、技術の問題じゃなくて精神面の問題だった、と俺は思います。ほとんどの部員が初めての全国大会で、浮足立った。それを、本番までに落ち着けられなかった。個人の責任というより、状況を予想して練習を組み立ててこなかった、俺達音楽リーダーの責任でした」


 一歩後ろにいるせいで、正孝の表情は、見えない。けれど、その背中は、真っすぐに伸びている。


「丘先生も皆も、俺が正学生指導者だったから全国大会に繋がった、と何度も言ってくれました。それは嬉しかったし、気持ちが救われました。でも、俺が正学生指導者だったから出来なかったことも、間違いなくありました。もっと出来ることがあったのに……俺には思いつかなかった。それは、俺の正学生指導者としての力の限界でした。

 実は……今年になってから、重圧に負けそうになって、ずっと正学生指導者を辞めたいと思っていました。丘先生にも、相談したことがあります」


 摩耶は、思わず目を見開いていた。様々な疑問が、瞬時に頭の中を駆け巡る。正孝からそんな話は、聞かされていなかった。何故、摩耶に相談してくれなかったのか。一時期ふさぎ込んでいたのは、そのせいだったのだろうか。


「結局、俺が辞めることで起きる問題もあっただろうから、今辞めるわけにはいかない、と思って続けてきました。きちんと、責任を果たそうと思って。でも、やっと全国大会に出場して区切りがついて、俺の正学生指導者としての仕事は、全て終わったと思いました」


 その先の言葉を、摩耶は察した。

 何を言おうとしているの。やめて。

 止めようとしたけれど、言葉は、出なかった。丘が、無言で遮ってきたのだ。


「丘先生と今後の部のことを話して、決めました。俺は、今日で正学生指導者を降ります」


 部員が、ざわついた。同時に、椅子が床と擦れた時の甲高い音が鳴って、部員の目が、そちらに集中した。コウキが、立ち上がっていた。


「明日から、正学生指導者は、コウキ君です」

「聞いてません」


 コウキが言った。


「言ってないからな。でも、決めたんだ」

「そんなの……納得できませんよ!」


 コウキが叫ぶ。

 音楽室が、静まり返った。 

 正孝とコウキの視線が、ぶつかり合っている。摩耶は、何も言えず、黙っているだけだった。


「……リーダーは卒部まで担う、それがこの部の決まりじゃないんですか!?」

 

 コウキが言った。


「決まりなんて状況に応じて変わるものだ、ってコウキ君もよく言ってたじゃないか」


 正孝が答える。


「辞めたいから辞めるなんて……ここに居る誰も、納得しません!」

「辞めたいから辞めるんじゃない」


 低く、重い声だった。


「俺達三年生は、あと少しでいなくなる。来年からは、コウキ君達二年生が引っ張っていく年だ。来年、全国金賞を目指すんじゃないのか。その準備は、今から始まるんじゃないのか。一秒たりとも、無駄に出来ないだろ。

 他の強豪校の中には、全国大会を機に三年生が引退して、新メンバーで活動を始めるところだって多い。一年前から準備を始める学校と、新年度から準備を始める学校……その時点で、もう差が生まれる。その状態で、どうやって金賞を目指す?」

「それは……」

「今の部に必要なことは、誰よりもコウキ君が分かってるはずだ。コウキ君がやるべきことは、俺と丘先生の決定に、反発することなのか?」


 コウキが、唇を噛む仕草を見せた。


「コウキ君なら出来ると思って任せるんだ。皆も、今このタイミングでのリーダーの交代なら、納得できるよな」


 正孝が、部員を見回す仕草をした。反対の声は、誰からも上がらない。


「思いつきで決めたことじゃない。部にとって最善なことは何かをよく考えて、決めたんだ。座れよ、コウキ君」


 コウキが、俯いたまま、座り込んだ。


「急な発表で、ごめん、皆。他の人に相談しなかったのは、全国大会を前に、余計な不安を抱かせたくなかったからだ。でも、辞めるならこのタイミングが一番だった。

 俺達の活動は、コンクールが全てじゃない。だけど、それはコンクールを重要視しないってことではないよな。コンクールでも他のコンサートでも、常に最高の結果を出し、もっと高みへ行く。それが、俺達の目指す音楽だろ。それには、部が変わることが必要なんだ。理解してほしい。

 俺は正学生指導者を降りるけど、サブとして、リーダーには残ります。コウキ君と心菜ちゃんへの引継ぎだって、沢山あるし。

 ただ、これから先は、色んなコンサートに向かいながらも、常に来年のコンクールを見据えたバンドづくりも平行していくことになります。今までの花田高とは、大きく勝手が変わると思う。はじめはやりにくいことも、あると思う。でも、コウキ君なら、きちんと皆をまとめ上げられると思ってる。

 正学生指導者だった俺から、最後のお願いです。皆、コウキ君についていってください」


 正孝が、深く頭を下げた。

 その姿に、誰が反論を述べられるだろう。受け入れるしか、ないではないか。

 

「星野」


 丘に声をかけられて、摩耶は、俯いた。


「星野も、何か」


 何か、だと。今から、何を話せというのだ。部長の摩耶に相談もせず、一方的に決めたことをこの場で発表されて、どう対応しろというのだ。

 なぜ皆、摩耶に無茶ばかり押し付けるのだ。摩耶なら大丈夫だ、とでも思っているのか。だとしたら、あまりにも勝手すぎる。部長は、問題の片付け役ではないのに。

 

 このまま音楽室を飛び出し、何もかも投げ出して帰りたい気持ちが、摩耶の胸を支配した。

 実際にそうしなかったのは、そうすることで、部員の気持ちに揺らぎを生みだすことになる、と予想できたからだ。


 部のために。

 摩耶が、常に心に誓ってきたことだった。感情論を抜きにすれば、丘と正孝の決定は、部にとって最善の選択だろう。それを、摩耶が台無しには出来ない。それをしたら、部長として失格だ。 

 コウキなら、正学生指導者を務められるだろう。けれど、智美はまだ、部長として成長しきれていない。摩耶が、晴子から部長の姿勢を学んだように、智美にも、背中を見せてくれる存在が必要なのだ。


 心を、押し殺した。部のために。智美のために。

 息を吐き出し、摩耶は顔を上げた。


「丘先生と正孝の決定に、私も賛成です。部にとって、最善だと思う。私は今日、皆に何を話そうか悩んでました。ただ労うだけじゃなく、来年に繋がる言葉を残さなきゃと思ってたから。でも、全て、丘先生と正孝がやってくれました。

 来年以降、花田高がもっと成長するためには、必要なことです。コウキ君が、多分一番気持ちがぐちゃぐちゃになってると思う。でも、コウキ君なら受け入れられるはず。皆も、色々思うところはあると思う。でも、丘先生も、正孝も、そして私も、これが部のためだと思っています。だから、私からもお願いです。私達についてきてください。より良い部にしてみせます」


 いつものように。自信に満ちた摩耶に見えるように。

 そう意識して、言葉を紡いだ。

 それが、摩耶の部長としての、仕事だった。

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