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青春ユニゾン  作者: せんこう
高校二年生・成長編
284/444

十二ノ十四 「迫る全国大会」

「違う。そうではありません。もう一度冒頭を」


 丘が、指揮を止めて言った。部員が返事をして、再び楽器を構える。

 指揮棒が振られ、『たなばた』の冒頭が奏でられた。しかし、また指揮は止まる。


「最初が全てです。ここのアンサンブルを、完璧にしてください。完璧が基本。それを叩きこんで」

「はい!」


 指揮。スネアのリムショットに、トランペットとホルンによる、E♭のユニゾン。サスペンデッドシンバルの響き。


「課題曲から切り替わって、最初の一音。それがトランペット、ホルン、スネア、シンバルのたった四つの楽器で奏でられるのです。全ての始まりは、貴方達だけなのです。自分に与えられた役割が何なのか、何を表しているのか、よく意識しなさい」

「はい」


 再び、指揮。冒頭は、何度も繰り返された。


「他の楽器がフォルテから始まってデクレッシェンドするのに、サスペンデッドシンバルだけ、ピアノで始まってクレッシェンドするのですよ。一人だけ違う動きなのです。そこには、明らかに意図が込められいる。それを、もっとよく考えなさい」


 指摘された純也が、返事をする。

 冒頭は、すでに三十分以上も繰り返されていた。何度となくやってきた箇所だが、今は、更にその質を上げるための合奏が続いている。

 全国大会まで、二週間。残された時間は、あと僅かだった。


 合奏は午前中に三時間かけて行われたが、進みは遅く、『たなばた』の前半部までで昼の鐘が鳴った。昼食のために、部員達が音楽室を出ていく。

 摩耶は、傍の椅子に腰を下ろして、息を吐き出した。


 花田高には、弱点がある。丘が、進藤に言われたことだった。まだ、それが何なのか、丘も部員も分かっていない。

 摩耶も、ずっと考え続けていた。特定の奏者を指しているわけではないだろう。今のコンクールメンバーで、足を引っ張っている子は一人もいないのだ。アンサンブルの質も高いし、悲願の全国大会出場を前に、士気も高い。

 何が、弱点だというのか。


「摩耶、飯に行こう」


 正孝だった。


「ん」


 立ち上がって、二人で音楽室を出る。

 弁当を持って、校舎の東端の非常階段に出た。恋人としてではなく、部長と学生指導者としての話を、二人だけでしたかった。

 腰を下ろして、弁当箱の包みを解きながら、摩耶は口を開いた。


「弱点って、何だろう」

 

 何度となく、二人で交わした話題だった。


「何が問題なの?」


 今のままで、何がいけないというのだろう。これ以上ない程に追い込んだ練習をしている。惰性で練習しているわけではなく、日々、進歩を続けているのだ。

 それでも、何かが駄目だというのか。


「私達を迷わせたいだけなんじゃないの、進藤先輩は」

「それはないだろ。そんなことをする必要がない」

「でも、私達に弱点なんてある?」

「あるから、先輩は言ったんだ」

「丘先生でも気づけない何かが?」

「先生に気づけなくて、先輩に気づける弱点がな」


 それは、何なのか。

 答えは出ない日々で、結局、目の前のことに集中し続けるしかなかった。今は、部の全てが全国大会を優先する動きになっている。他のことに力を割いている余裕はないのだ。

 出場するからには、金賞を目指す。当然のことであり、誰もそれを疑っていない。


 おにぎりを頬張っていた正孝が、ため息をついた。


「疲れたな」

「まだ午前が終わったばかりだよ」

「そうじゃなくて、考えることにだよ。先輩も、答えを教えてくれれば良いのにな」

「そういうこと」

「丘先生も、なんで聞かないんだ。進藤先輩が教えてくれないなら、他の人に聞いても良いじゃないか」


 それは、摩耶も思っていた。

 

「何なんだよ、弱点って」


 考えは、堂々巡りだった。


「あと、二週間」


 摩耶の呟きに、正孝が頷いた。

 

「たとえ弱点が何か分からないままだとしても、私達はしっかりしなきゃ」

「……ああ」


 太陽の直射日光を浴びていても、暑くない季節になってきた。

 空を飛んでいる鳥が、目に入る。自由に飛べる鳥には、悩みなどないのだろう。食べたいものを食べ、生きたいように生きている。

 地面を這いつくばる人間だけが、悩み苦しんでいるのだ。















 



 豆電球一つの暗い寝室。ベッドの上で、丘は目を閉じて座り込んでいた。

 全国大会が、一日、また一日と近づいている。その間ずっと考え続けていたが、最早、何が正しくて正しくないのか、分からなくなっている。


 このままでは、花田高は銅賞。進藤に言われた言葉が、頭を離れない。

 生徒達を、ようやく全国大会に連れていくことが出来る。しかし、それは銅賞を得る為ではなく、金賞という輝かしい栄光を掴み取ってもらうためだ。


 隣の妻の寝息が、規則正しく繰り返されている。息子も、今は大人しく眠っていた。

 ずっと、家族に助けられている。妻と妻の両親が、家のことを全て担ってくれたおかげで、部活動に集中することができ、全国大会出場が実現したのだ。

 家族に、その成果を見せてやりたい。


 そのためには、花田高の弱点というものが、解けなければならない。

 それは、何なのだ。


 悩むうちに、夜は明けていた。

 今日も、練習だった。全国大会まで、一週間。部員の空気も、尖り始めている。それを、悪いものだとは思わなかった。ほとんどの部員が初めての全国大会なのだから、気負いや苛立ちといったものは、あって当然なのだ。感情は、出し切ってしまったほうが良い。


「おはようございます、丘先生」

 

 四階の廊下ですれ違ったフルートのメイとかおるが、頭を下げてくる。


「おはようございます」

「目の下に隈が出来ていますよ」

「昨夜、少し寝不足でしてね。そのせいでしょう、二岡」

「子守ですか?」

「いえ、そういうわけでは」

「丘先生、赤ちゃん連れてきてくださいよ、早く会ってみたいですぅ」


 かおるが言った。他の部員からも、息子を連れてきてくれと何度も言われているが、そのためには妻にも来てもらわなければならない。

 中々、それは難しかった。


「いずれ」

「ちぇー」

「それよりも、谷地。今日は卒部生が来てくれるのでしょう」

「あ、はいっ」


 コンクールメンバーではない部員は、時間の空いた卒部生が学校まで来て、合奏中の個人練習を見てくれている。来るのは日中に動きやすい大学生の子が多めで、中には音楽大学に進学した子もいるのだ。今日、かおるを見てくれる卒部生もその一人である。


「しっかりやりなさい」

「はい!」


 ピリピリとしているコンクールメンバーの部員達と違って、かおるは平常通りだった。舞台に上がらないからというのもあるだろうが、かおるの性格によるところも大きいだろう。

 周りの空気に当てられずに、平静を保っていられるのは、良いことだ。


 二人と別れ、部室へ入る。中では、正孝とコウキが話し込んでいた。


「あ、丘先生」

「おはようございます」

「おはようございます。どうされましたか?」


 正孝が言った。


「たまには、基礎合奏も見ようかと思いまして」

「それは、是非お願いします」

「あなたの基礎合奏を疑っているわけではなく、部員の精神を落ち着けるために、ですよ」

「分かっています」

「9時からですね」

「はい」

「もう始まる時間ですよ」


 腕時計を見て、丘は言った。


「部員を集めます」


 一礼して、コウキが部室を出て行った。すぐに、始めるよ、というコウキの声が、隣の総合学習室から聞こえてきた。


「もう、あと一週間ですね」

「不安ですか、緒川?」

「不安は、ずっと前からありましたよ。無かった時がありません」

「それでも、私達は全国大会まで来ました」

「弱点は、解決していません」

「分からないものは、仕方がない。いつも通り、出来ることをするだけです」


 生徒の前では、そう言うしかなかった。迷っている姿は、見せられない。


「こんなことを聞いたら失礼かもしれませんが」

「何ですか」

「何故、弱点を他の学校の先生に聞いたり、進藤先輩に直接聞いたりされないのですか? 聞けば、すぐに答えも分かるはずなのに」

「それは」

「あと、一週間しかないのに」

「答えを聞いてしまっては、本当の意味での解決にはならないからです。自分達で気がつくからこそ、血肉になる。これは私達の問題であり、私達が解かなくてはならないことです」


 丘は、窓辺に寄って外の景色を眺めた。今日は、よく晴れている。


「過去の部員達が、ずっと成し遂げられなかった全国大会出場を、あなたがたは叶えてみせました。特に、緒川、あなたは優秀な奏者であるとともに、リーダーとして、この部に貢献してきました」

「そんな、俺なんて……」

「そうして自信の無さを抱えながらも、誰よりも努力を惜しまない。あなたのその姿勢が、部員がついていきたいと思う理由なのでしょう」

 

 背後の正孝が、身じろぎをする音。


「弱点が分かっても分からなくても、私達は、私達の音楽をするだけです。緒川、あと一週間、頼みましたよ」

「……はい」


 重く、しかし、責任感の強さを感じさせる返事だった。

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― 新着の感想 ―
[一言] 弱点かー。普門館は音量が大きくないとステージの大きさに勝てないって聞いたことはありますが。 なので学校で練習してても気づけないとか? でもどこの学校も音量ばかりを求めて繊細さが失われて雑にな…
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