十二ノ十 「文化祭」
新リーダーが決まり、体制を一新した吹奏楽部は、全国大会、文化祭、音楽の祭典に向けての練習を重ねていった。
曲数の多さに対して、練習期間は短く、演奏を仕上げることに懸命になっているうちに、時間は過ぎた。
夏の暑さを残す九月が、もう終わろうとしている。
花田高の二学期最大のイベントである文化祭、体育大会、球技大会が、今日から始まった。一日目は文化祭と毎年決まっていて、朝一番に行われる文化部のステージで、すでに吹奏楽部は演奏を終えている。
有志のステージも終わり、今は、各クラスの展示時間だった。
「吹奏楽部のステージ良かったぜ、コウキ」
「お、ありがとう」
「後でうちのクラスも来てくれよな」
「分かった。時間作って行くよ」
廊下で話しかけてきた友人に、笑いかけた。
「コウキ君、かっこよかったよ!」
「三木君、すっごい良かった~」
すれ違う何人かに、声をかけられる。立ち止まるときりが無いので、笑顔を向けて礼を言う。
以前よりも、学年の中で顔を知られるようになっていた。
一年生の頃から、クラスメイトの恋愛や勉強の相談に乗ってきた。相談されたら解決まで手伝うようにしていたから、感謝されることも多かった。その子達が、進級して別のクラスになり、評判を広めているのだろう。吹奏楽部の仲間も、もしかしたら関わっているかもしれない。
二年生になってからは、他クラスからも相談が入り始めて、全て対応しているうちに、こうなった。
今度は黄色い声が上がって、コウキはため息をついた。一年生の女の子達が、こちらを見て放った声だった。
一年生の中では、東中の頃のように、ファンクラブが出来ている。美知留に花田高でも作りたいと言われて、迷惑をかけないなら勝手にしろと突き放したら、本当に作ってしまったのだ。
吹奏楽部外の一年生とは全く関わっていないのに、何故顔が知られているのか。遠巻きに眺められるだけで、害はないから放ってあるが、ああいう視線や声は苦手だった。
視線を避けるため、近くの二年四組の教室に入る。黒板には、大きくパンケーキ喫茶、と書かれていた。
傍の机で、星子が接客をしている。制服にエプロンというちぐはぐな恰好だが、星子がすると、不思議と似合っている。注文をしている四人組の客も、星子の姿に見惚れているようだ。
接客が終わるのを待って、声をかけた。
「星子さん」
「コウキ君、来てくれたんだ」
「まあね。智美とゆかさんは、いないんだ」
「二人は休憩中~」
「そっか。席、空いてる?」
「空いてるけど、相席してもらうよ」
「え?」
星子が、後ろを指さす。
首を捻ると、背中越しに、幸が顔を覗かせていた。
「やっほー、星子ちゃん、コウキ君。遊びに来た」
「今、ちょうど二人分しか空いてないんだよね」
「一緒に良い、コウキ君?」
「あ、うん」
「なら、こちらへどうぞ」
星子に案内されて、二人で窓際の席に座る。確かに、席は他に空いていなかった。
渡されたメニューを開き、幸にも見せる。
「何にする、コウキ君?」
「キャラメルバナナパンケーキにしようかな。市川さんは?」
「私はイチゴホイップ!」
「はーい。少しお待ちください」
星子がいなくなると、コウキは、教室を見回した。女の子の客が多めだが、男の子も少しだけいる。視線が星子を追っているところを見ると、彼らの目当てはパンケーキではなく、星子なのだろう。
顔を前に戻すと、幸が、にこにこしながらこちらを見ていた。
「何?」
「コウキ君と座れて、嬉しいなって」
照れもなく言われて、口を閉じる。
幸は、いつも急に距離感を詰めてくる子だ。わざとなのか、天然なのか。いちいちそれに心を動かす自分も、情けない。
「ねえ、コウキ君、この後は誰かと予定あるの?」
「いや……無いよ。適当に皆のところを回ろうと思ってる」
本当は、今日は月音と回るつもりだった。だが、月音と同じクラスの逸乃が気を回して、月音に一日仕事を振ったとかで、その予定は無くなった。
逸乃は、孤立気味の月音を、クラスに馴染ませようとしているのだ。月音は嫌がっていたが、その方が、月音のためだった。
「じゃあ、私もついていっても良い?」
「え」
「私、宣伝係だから一日学校内を回るんだ」
言って、幸が足元に置いていた看板を見せてきた。和装喫茶と書かれている。
「そういえば、着物だ」
「今更気づいたの、遅いよ」
「……ごめん」
幸が、頬を膨らませ、それから、小さく笑って立ち上がった。
「似合う?」
幸が、コウキに見せつけるように、身体を回した。
「ああ、似合ってる」
答えると、恥ずかしさと喜びを混ぜ合わせたような笑顔が返ってきた。幸のそれを直視できず、コウキは、窓の外に視線を移した。向かいの職員棟にも、ちらほらと人影が見える。毎年、職員棟はカップルの憩いの場だ。見える人影も、ほとんどが男女のペアである。
中庭には白いテントが立ち並び、その中から、人が現れたり消えたりしている。
「そういえば、知ってる?」
幸が言った。
「何を?」
「今日、男女ペアで利用すると、ペア割してくれるクラスが結構あるみたいだよ」
「へえ」
幸が、少し顔を寄せてくる。
「秘密の割引みたい。コウキ君、部員のクラス全部回るつもりなんでしょ、ペア割利用したら、少しは出費抑えられないかな」
「確かに」
「吹部の子が居るクラスもやってるみたいだし。一緒に回ろうよ」
魅力的な提案だ、とコウキは思った。
親からは、家事を手伝う代わりに、小遣いを貰っている。だが、それはほとんど音楽関係に費やしてしまっていて、いつも金欠気味だった。今日、全ての部員のクラスを回るにも、実は、ギリギリだったりする。
「でも、宣伝係なんでしょ、市川さん。俺に合わせてたら、校内回れないじゃん」
「今こうしてるだけでも目立ってるから、大丈夫だよ」
言われて周りを見回すと、確かに教室内の視線のいくつかは、幸に向けられていた。着物というだけでも目立つが、それが幸なら尚更か。幸は、校内ではかなりモテる方だという噂は、耳にしている。
「なるほど。歩く看板娘ってこと」
「うん。だから、何処に居ても良いの」
「なんか、金のために市川さんを利用するみたいだな」
「お互い様でしょ。私も割引利用したいもん」
「……なら、頼もうかな」
「決まり!」
顔を見合わせて、笑い合う。
しばらく談笑していると、星子がパンケーキを二つ運んできた。
「お待たせしました」
二枚重ねの厚めのパンケーキに、カットされたバナナとキャラメルソースがちりばめられている。幸の前には、たっぷりのホイップクリームとイチゴが載ったパンケーキだ。
「洒落てるなぁ」
「うちは家庭科部が揃ってるからね。見栄えも重視してるの」
「なるほどな」
「あ、そうそう、うち男女ぺア割あるから。二人も、特別に割り引きしてあげる」
顔を寄せてきて、星子が言った。
「マジ?」
「やったね、コウキ君!」
「じゃ、ごゆっくり~」
星子が去り、パンケーキに手をつける。一口食べて、コウキは唸った。星子が、自信ありげにしていた理由が分かる味だ。所詮、文化祭の出店レベルと侮っていたが、店で出されても違和感が無い。
「美味しいね」
幸が、目を輝かせて言った。無邪気な子どものような笑顔だ。
これが、幸の作り物の演技には、コウキには見えなかった。
男好き。校内で広まっている幸の噂は、コウキも耳にしている。今まで付き合った異性の数は両手を超え、とっかえひっかえしている魔性の女。振られた男は病み、不登校になる者もいるが、幸は、それを楽しんですらいる。
そんな噂を、コウキは、聞こえていない振りをしてきた。
幸がそんな子ではないことは、本人を見ていれば分かる話だった。
そもそも幸は、一年生の頃から、誰とも付き合っていないというのも、智美から聞いている。
幸への嫉妬などから始まった、嫌がらせの類だろう。
「何、ずっとこっち見て。恥ずかしいよ、コウキ君」
思わず、幸の顔を見つめていたらしい。慌てて目線を逸らし、咳払いする。
「この後、どこ行こうか」
「私、中庭も行ってみたい」
「じゃあ、そうしよう」
文化祭は、まだ、始まったばかりだった。




