十二ノ九 「新リーダー」
花田高から駅に向かうバス通りは、街灯がぽつぽつと並んでいるだけで薄暗い。車通りも少ないからあまり安全とは言えないけれど、田園地帯から帰るよりは、はるかにマシだ。
隣を歩く浩子は、無言だった。海も、黙っていた。
花田高でも海が部長で、浩子が副部長。二人で交わした約束は、果たせなかった。果たさなかった、というべきか。
海は、立候補自体を取りやめたのだ。
浩子まで立候補しなかったのは、意外だった。てっきり、浩子は一人でも副部長を目指すと思っていた。
理由は、聞かされていない。浩子が話したいと思わないなら、聞く必要もないことだ。
経験者の中で、唯一コンクールメンバーから外れたのが浩子で、オーディション以来、覇気がない。
きっと、そういうことだろう。
浩子を励ますつもりはなかった。コンクールは、結果が全てである。
浩子が、自分の研鑽を怠って、他人を嗤うことに必死だったのは、ずっと隣にいた海が一番分かっていた。そんなことばかりしていたのだから、メンバーから外れたのは、必然のようなものだ。
本当は、浩子が他人を嗤うことを、止めてあげるべきだったのかもしれない。
海の言うことなら、浩子は聞いただろう。
それでも、海は言わなかった。
他人に言われなければ気づけないようなら、それまでなのだ。
海も、似たようなものだった。
結局、海も浩子も、リーダーになる資格はなかったということだ。
空を見上げる。
月は雲に隠れていて、その姿は見えない。
リーダー決めは、終わった。海は、これから三年間、ただの部員として活動していく。それが、自分の決めた道だった。
夜の闇が、二人を覆っている。
食卓の上には、七海の好きなハンバーグとカレーとフルーツのケーキが並んでいる。
それは、睦美も好きなものばかりだった。
「七海、おめでとう」
父親が言って、七海が嬉しそうに笑った。
「リーダーなんて凄いわね」
「他にやる子がいなかったから選ばれたようなものだけどね、お母さん」
「それでも、皆に認められたんだもの、凄いわよ」
「皆じゃないよ。満場一致って言われなかったもん」
「あら、そう。でも、これから認められれば良いのよ」
「うん、そのつもり!」
七海がカレーを頬張り、美味しい、と言った。
「木管セクションリーダーっていうのは、どういう仕事なんだ?」
「木管の人の練習を見たり、セクション練習っていう別れてやる練習の時のパート分けを曲ごとに作ったり、まあ音楽面の雑用係みたいな感じ」
「大変そうだな」
「一番大変なのは学生指導者だし、木管セクションリーダーはそうでもないんじゃないかなあ。先輩達だって、すぐ慣れるって言ってくれてたし」
「リーダーになったからには、皆の手本になるんだぞ」
「うん!」
三人の楽しそうな会話が、耳をすり抜けていく。自分が中心にいない会話。いつものことだ。
小学生の時も中学生の時も、光を浴びるのは、常に七海だった。
双子として生まれ、七海が良い所の全てを持っていき、睦美が残り滓を得た。
睦美は、七海の陰だ。
それが明確になったのが、リーダー決めだった。共に生きる限り、睦美は、ずっと七海の陰として生きていくのだろう。
「どうした、睦美。箸が進んでないけど、食欲ないのか?」
父親が、心配そうに顔を見てくる。
「そんなことないよ」
ハンバーグを口に含み、笑顔を浮かべる。カレーをスプーンですくい、喉に流し込む。美味しいと言うと、両親が喜んだ。
三人は、また会話に戻った。
味などしないが、同情されるのも、嫌だった。
落ち込んでいる自分。慰める家族。そんな光景は、余計にみじめになる。
特に七海には、絶対に慰められたくない。
虚しい食事が、余計に睦美の心を冷やしていった。
ベッドに寝転がり、天井を見上げていた。
CDプレーヤーからは、練習で録音した『たなばた』がリピート再生されている。擦り切れる程聴いても、まだ聴き足りなかった。聴き返す度に新しい発見があり、それを、練習に活かすのだ。
学生指導者をやるかどうかは、かなり悩んだ。
悩んで、結局、なるのはやめた。
自分に正孝やコウキほどの働きが出来るとは思えないし、練習時間が減るのは、やはり嫌だった。
コウキには得るものもある、と言われたし、来年以降も全国大会に行くには、真二だけが上手くなれば良いわけではないことも、理解していた。
誰かがやらねばならない仕事だ。
しかし、どうしても自分がやらなくてはならないとは思えなかった。
任せられる誰かがやってくれれば良い。自分は、トロンボーン奏者として、演奏で応えるだけだ。
そして、その誰かは、心菜だった。
才能のある子だ。トランペットの腕もあるし、部長になった千奈との相性も良い。それに、中学時代にリーダーの経験もある。
自分のことしか考えていない真二がやるよりも、心菜がやった方が、何倍も部にとって良いはずだ。それに、せっかくやる気を取り戻してくれた心菜が、学生指導者になると言い出したのを、応援したかった。
「これで良い」
美喜と理絵より、上手くなる。真二の目標は、ただ一つだ。
他のことにかまけている暇はない。
明日は月曜日だが、祝日で一日練習になっている。早めに行って、個人練習をしよう。二人よりも、多く練習する。今の自分に出来ることは、それくらいだ。
気がつくと、真二は眠りに落ちていた。
翌朝、部室へ顔を出すと、すでに新リーダーの五人が登校してきていた。全員、それ程朝が早い方の部員ではなかったから、意外だった。
「随分早いな」
「リーダーになったからには、ちょっとは真面目にならないとね」
「良い心がけだな、心菜」
「まあ、満場一致は千奈だけだった訳だし、私らも全員に認められるようになりたいじゃん。そのためには態度から見せてかないとね」
「そうか」
「てか、真二がやらないのが意外だったんだけど」
絵里が、クラリネットを組み立てながら言った。
「あんたは何かしらやると思ってた」
「トロンボーンに集中したいんだ。上手くなるために」
「ふーん。だいごみたいなこと言ってやんの」
「……あいつと一緒にすんなよ」
だいごは、シンバルに熱中していた。いや、熱中というよりも、熱狂だった。四六時中、周りの迷惑も考えずに叩き続けているから、正直言って、厄介である。
近頃、個人練習の時間に音楽室に近づく部員は、打楽器パート以外いない。うるさすぎて、練習にならないのだ。
「俺は、周りの迷惑にならないようにやってる」
「だいごだって、迷惑をかけてるのは自覚してるはずだよ」
「千奈」
「でも、シンバルは叩くことでしか上手くならないから、仕方ないんだよ。うちの打楽器パートには、シンバルのスペシャリストも居ないんだし……だいごが将来的にそうなってくれるかもしれないんだから、今は我慢してよ」
「……分かってる」
シンバルは、たった一音で演奏の色を左右する程に目立つ楽器だ。それだけに、ミスをすれば致命的だし、適当な音を出せば、音楽が死ぬ。常に優れた一音が出せる奏者でなければ務まらないのが、シンバルだ。
千奈や摩耶がやればそれなりの音は出るが、二人のどちらかがシンバルを担うと、鍵盤打楽器やスネアドラムの奏者が不足する。
だから、だいごがやろうとしていることは、理解はできる。理解は出来るが、それと感情は別物だった。あのうるささは、たまらない。
「初心者なのに、凄いよね、だいご君」
みかが言った。
「私も頑張らなきゃ。コンクールのメンバーにも、なれなかったし」
「トランペットは人数多いもん、仕方ないよ。それに、トランペットは吹けるようになるまで難しいって言うじゃん」
「分かってるよ、絵里。でも、それを言い訳にしたくない」
「偉いねぇ、みかは」
「だったら、なんで金管セクションリーダーになったんだ。上手くなりたいなら、練習に集中してるほうが良かっただろ」
真二は、トロンボーンのスライドにオイルを差しながら言った。
新リーダーで一番予想外だったのは、みかだ。とてもリーダーをやるような人間には見えなかったし、演説の内容も、しっくりこなかった。
真二は、唯一みかに対しては、手を挙げていない。
「じゃあ、真二君は誰も立候補しなかったら、金管セクションリーダーになろうと思った?」
「いや」
「でしょ。多分、他の子もそうだった。誰もやろうとしなくて、結局誰かが推薦されて嫌々やるとしたら、そんなの、いないほうがマシでしょ。私達のリーダーは、適当な人になってほしくないから、だったら私がやろうって」
真二とは、真逆の考え方だった。
「そうか」
「初心者だし、皆にまだ認められてないのは分かってるけど、やるからにはちゃんとやるよ。トランペットも、リーダーも」
眩しい。
みかから顔を逸らして、トロンボーンにマウスピースをはめた。口に当て、息を吹き込む。
「新リーダーは、全員女子か」
絵里が言った。
「男子は肩身狭くなるよ、真二」
「関係ねえ」
立ち上がって、五人に背を向ける。
「そもそも俺らは、別にまとまっちゃいないしな」
「あっそ」
絵里の声を背に、部室を出た。
一年生の男子は五人いるが、別に仲が良いわけではなかった。真二も、隆以外とはそれほど会話もしないが、困ることもない。
結束しなければ肩身が狭くなるような気が弱い男は、そもそも吹奏楽部には向いていないだろう。
真二も隆も、おそらくだいご達も、そういうタイプではなかった。
だから、リーダーが全員女子だろうと、問題は無いのだ。




