十二ノ三 「木下睦美」
丘からの通達は、九月第三日曜の午前練習にリーダー決めを行う、というものだった。これに、部員からは疑問の声が挙がった。
例年なら九月か十月に行っているのだから、別におかしい話ではない。ただ、全国大会出場が決まったことで、九月の終わりにある文化祭の練習と合わせて予定が詰まっているから、後回しにしても良いのではないか、という意見が出たのだ。
摩耶は、一応その意見をまとめて丘に伝えた。丘から返ってきたのは、部の方向性を決めるリーダー決めを後回しにするべきではない、という答えだった。
その通りだろう。
部員にもそれは伝えて、納得は得られた。
通達があってから、一年生の間には、微妙な空気が流れだしている。誰がリーダーとなるか、探り合いになっているのだ。
仲違いや票の誘導が起きないためにも、そういった話はあまりしないように、と指示は出しているが、実際のところは、皆こっそりと話し合っている。
摩耶の中では、リーダーの素質を持った子の目星はついていて、以前から声はかけている。
特に打楽器の千奈は、必ずリーダーに欲しい子だった。まず間違いなく、あの学年で最もリーダーに向いている子である。演奏技術はトップクラスで、中学時代にリーダーの経験があり、人望も厚い。
あまり目立つ行動をする子ではないけれど、能力を隠しているだけなのは明らかだ。
もし千奈が立候補しなければ、摩耶が部長に推薦するつもりでいた。正直、千奈以上に部長に相応しい子は見当たらない。
ホルンの海が、その気になっているのは察している。しかし、海は私情を持ち込みすぎていて、部をまとめ上げるのは難しいだろう。
学生指導者に関しては、摩耶には適任者が思い浮かばなかった。去年のコウキのように、必ずこの子でなければならない、という子はいない。
「智美ちゃんは、学生指導者は誰が適任だと思う?」
「一年生のですか?」
「そう」
丘への一日の報告を終えて、智美と一緒に階段を上がっていた。
「どうでしょう。千奈ちゃんとか良いと思うけど、でも、千奈ちゃんは部長の方が良い気もしますし」
「それは私も思う」
「奈美ちゃんは腕が良いからアリだけど、あんまり人前が得意な子ではないですし」
アルトサックスの奈美は、技術力では栞も抜いて、正孝の次に優れている。ただ、学生指導者は腕が良ければ務まるものでもない。
「浮かばないなぁ」
「だよね」
四階に着き、部室へ入る。すでにほとんどの部員は帰宅していて、楽器の音は聞こえてこなかった。
「部長と学生指導者のバランスが取れてる学年は上手くいく、ってうちでは言われてるんだよね」
「へえ」
「だから、この子ならって子がいると良いんだけど」
「うーん」
「そういえば、千奈ちゃんと心菜ちゃんは、花田中央中で部長と副部長だったよね」
「あ、そうですね」
「千奈ちゃんが部長で、心菜ちゃんが学生指導者とか、良いかもね」
智美が、目線を上に向けた。想像しているのだろう。やがて、
「確かに」
と、頷いて言った。
「でしょ。心菜ちゃんならコウキ君と同じパートだし、指導法についても深く学んでいけるだろうし」
「センス良い子だから、学んだら化けそうですよね」
「うん。問題は、本人にやる気があるかだけどね」
「そこですよねえ……そういえば、今まで役職に適任者がいなくて不在だったことって、あるんですかね?」
問われて、摩耶は記憶を巡らせた。
「聞いたことないなぁ。途中で退部して、空席になることはあったけど」
「そうですか。じゃあ、必ず誰かは選ばなきゃなんですね」
「そういうこと」
正孝とコウキは、誰が相応しいと思っているのだろう。
丘への報告が終わった時、入れ替わりで二人が来ていた。もしかしたら今、丘とはその話をしているかもしれない。
帰りに、正孝に聞いてみよう、と摩耶は思った。
睦美と七海は、双子だった。
顔は、自分達では似ていないと思うのに、周りはそっくりだという。性格もまるで違うのに、周りはどちらが睦美でどちらが七海か、判別がつかない。
それで、小学生の頃に、髪型だけは分けることにした。睦美がサイドテールで、七海がポニーテール。必ずそうするようにしてから、周りからも判別してもらえるようになった。
好きなものは、似ていた。二人ともクラリネットが好きだし、食べ物も、アニメも、服も、好きになるのは大抵同じだった。
男の子も、いつも同じ人を好きになった。そして、いつも七海が付き合っていた。睦美の想いが成就したことは、今まで一度もない。
七海は男の子と付き合うと、ごめんね、とだけ言う。
二人の間で、どちらと付き合っても恨まないと約束していたから、睦美は、認めるしかなかった。
睦美の方が姉なのに、周りは、七海が姉だと思い込んでいる。
それは、性格のせいだろう。自分でも、奥手な人間だと思う。思ったことをはっきりと言うのは苦手だし、つい人の顔色を窺ってしまうのが癖だ。七海と居る時は、大抵後ろをついて歩く。そんなところが、妹だと思われる原因なのだと思う。
対して七海は、いつも溌剌としていて、活発な子である。
同じように生きているはずなのに、二人はまるで正反対だ。
七海のことは好きだけれど、同時に、苦手だった。七海を見ていると、自分は駄目な部分を全て引き受けて生まれてしまったのではないか、という気になるのだ。
そして、そんな考えを持ってしまうのが、嫌だった。
いつか、この気持ちを七海に知られるのではないかと思うと、怖いのだ。
睦美と七海は、互いの心が読める体質持ちだった。それは、狙って出来るものではなくて、突然発生する。睦美は七海の心の声が、七海は睦美の心の声が、頭に入り込んでくるのだ。二人同時に発生することはなくて、どちらか一方が発生する。
自分の気持ちなんて知られたくないのに、嫌でも知られてしまう。こんな体質が、本当に嫌いだ。
一応、相手の心の声が聞こえたら、必ず伝えるという約束は二人でしていた。
最後に発生したのは、花田高に入学してすぐの頃だ。睦美が、七海の心の声を聞いた。
そのことを伝えたら、七海は笑って、そっか、とだけ言った。
七海は、睦美に聞かれて嫌なことなど、ないのかもしれない。明るい子だから、隠し事などもないのだろう。
睦美は、隠し事だらけだ。
「睦美ちゃん、どうしたの?」
ひなたが、顔を覗き込んできていた。
「考え事?」
「あ、うん。ごめんね」
クラスで、昼食を一緒に食べていた。机をくっつけて、向かい合っている。睦美の隣には七海がいて、ひなたの隣には、絵里がいる。
「睦美はいっつもぼーっとしてるもんね」
七海に言われて、むっとした。
「そんなことないもん」
「いや、確かにしてるわ。合奏中に出番を待ってる時も、窓の外見てぼけっとしてる」
絵里に言われて、睦美は、顔が熱くなるのを感じた。
「そんなことしてないよ! ね、ひなたちゃん、私、してないよね?」
「いや、うーん……確かに、してる」
「そんな」
ぷ、と七海が笑った。つられて、絵里とひなたも笑いだす。
自分では意識していなかったけれど、周りからはそんな風に見えていたのか。
「うう……気をつける」
「で、今は何を考えてたの」
笑いをかみ殺しながら、絵里が尋ねてくる。
「べ、別に大したことじゃないよ」
「ほんとにー?」
「ほんと」
「リーダー決めのこと考えてたんじゃない、睦美は?」
七海に言われて、ぎくりとした。
「あら、当たり?」
「え、いや」
「リーダー決めかあ。誰がなるんだろうねー」
弁当箱のミニトマトを箸でつまみ上げながら、ひなたが言った。そのまま、ミニトマトを口に放り込む。
「北川さんとか、やっぱり立候補するんだろうなあ」
「あの子が立候補しても、私は手挙げないけどね」
絵里が、眉をしかめながら言った。絵里は購買でパンを買ってきたようで、食べかけのサンドイッチが置かれている。
「まあねえ」
「絵里ちゃんは、立候補しないの?」
「んー。したくないなあ。声はかけられてるけど」
「え!?」
睦美は、思わず大きな声を上げてしまった。絵里が、目を見開いて固まる。
「……びっくりした。そんなに驚く、睦美?」
「だ、だって声をかけられたって、誰に」
「理絵先輩にね、副部長やんないかって」
現リーダーから声をかけられるなど、実質リーダー確定のようなものではないか。
「先輩達は、リーダーをやって欲しい子に声かけてるみたいだよ。千奈も声かけられたって言ってたし」
睦美は、声をかけられていない。
「えー、じゃあ絵里ちゃんやれば良いじゃん」
「嫌だよ。リーダーとかめんどくさいし」
「絵里なら確かに副部長とか良さそう。千奈ちゃんと絵里なら、私ついていくよ」
「ひなたまで……やんないってば。そういう面倒な仕事は、やりたい子がやれば良いの」
「って言っても、やりたがってる子とかいるの?」
「……北川さんと、竹本さん……って、あの子達は論外だけど」
「じゃあ、結局いないじゃん。やっぱ絵里がやんなよ」
「いーやーだ。そんなに言うならひなたがやりなよ」
「わ、私は初心者だから駄目だよ」
「関係ないでしょ。智美先輩も夕先輩も去年初心者じゃん」
「そ、そうだけど」
三人の会話は、睦美の耳には入ってこなかった。
上級生が特定の子に声をかけているという話が本当なら、声をかけられていない睦美は、リーダーとして求められていないということなのだろうか。
立候補しても、手を挙げてもらえない可能性があるのかもしれない。
睦美は、密かに木管セクションリーダーに立候補しようと考えていた。いつも七海の陰に隠れている自分が、嫌だったのだ。
リーダーになれば、自分も変われる気がした。
花田高は、リーダーが多い。他の人達と一緒にやるなら、睦美でも出来る気がする。
けれど、声をかけられていない自分が立候補しても、本当に良いのだろうか。
「じゃあさあ」
七海の声。
「私が木管セクションリーダーに立候補するから、絵里ちゃん副部長とか、どう?」
瞬間、睦美の全身に、衝撃が走った。心臓が早鐘を打ちだし、額に玉のような汗が浮かぶ。
それは、今、一番聞きたくない言葉だった。
「え、それマジで言ってんの、七海?」
「マジだよ。北川さん達がリーダーになるくらいなら、私達でやろうよ」
七海は、笑みを浮かべている。無邪気な笑顔だ。発した言葉が、睦美に何を思わせるかなど、全く考えてもいないのだろう。
絵里が、唸った。
「まー、七海がいるなら……なしではないけど」
「でしょー?」
視界が暗くなった。
再び、三人の会話が遠のいていく。
また、同じことになるのか。いつもそうだ。睦美が求めたものは、七海も求める。そして、七海がそれを手に入れていく。睦美は、決して得ることが出来ない。七海の後を、ついていくだけ。
睦美の心は、重く、沈んでいった。




