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青春ユニゾン  作者: せんこう
高校二年生・成長編
272/444

十二ノニ 「音楽監督」

 静かな居酒屋だった。

 カウンターだけの小さな店で、目の前で、店主が調理をしている。

 丘が注いだ日本酒を、進藤は一息で飲んだ。旨味が、喉に染みこんでいく。日本酒は学生時代もあまり飲んだことが無かったが、ビールやワインとは違った美味さだ。


「藁で焼いた、鰹のたたきです」

「おっ」


 目の前に置かれた皿に、進藤は声を上げた。


「塩で味がついてますので、まずはそのままでお食べください」


 香ばしい匂いが、鼻を満たす。箸を取り、一切れ、つまんだ。

 鰹のたたきといえばポン酢が定番だったが、言われた通りに、そのまま口に運ぶ。ゆっくりと、味わうように噛みしめ、飲み込む。

 自然と、唸っていた。


「これは、美味いな」


 藁で焼かれた香ばしさが、実に良い。身の中に旨味が凝縮されていて、口の中で踊り狂う。

 二切れ目は、薬味を乗せて食べた。これもまた、美味い。


「良い店を知ってるな、丘」

「安川高校の鬼頭先生に教えていただきました」

「そうか」

「今は合同バンドというものが組まれていまして、うちと安川高校と、あとはいくつかの中学校の奏者が集まって、合奏をしているのです。それがきっかけで、鬼頭先生とはよくお会いするようになりまして」

「昔からそういうことをやりたがってたからな、鬼頭先生は」

「ええ」

「どうなんだ、合同バンドは」

「生徒にとっては、良い刺激になっているでしょう。以前は北高校も参加していたのですが、顧問が変わってから、脱退してしまいました」

「北高校の先生も、長い人だったよな」

「そうです」

「まあ、顧問が変わって部の方向性も変わることは、珍しくはない。北高校も、そうなったというだけのことだろう」

「そうですね。北高校の生徒にとって、それが良い方向であれば良いのですが」


 顧問と生徒の関係は、外部が口を出すことではない。生徒達がどうしたいか、どう動くかで、変わっていくだろう。


「高校生だけじゃなくて中学生もいるってことは、スカウト目的もあるのか?」


 丘が、目を見張った。


「鋭いですね」

「どこが参加してるんだ」

「海原中、東中、西中ですね」

「海原もか」


 この地区では、突出してレベルの高い中学校だ。あとの二校は、あまり名前も聞かない。


「これまで、この地区の吹奏楽経験者で上手い子は、進学先として、安川高校か北高校を選んでいました。もしくは、別の地区に行ってしまうか。どうしても、学力的に低い位置にある花田高には、流れてきませんでした」


 将来のことも考えると、中々選びにくいところではあるだろう。


「合同バンドで関わることで、うちにも来たいと思ってくれる子が増えると良いのですが」

「花田高は全国へ行くのだから、中学生の間でも話題にはなるだろうさ」

「そうですね」


 高校吹奏楽の世界で、常に全国大会に出場する学校や、名が知られている学校がその状態を維持できるのは、優れた奏者が毎年絶えることなく入学してくるからでもある。

 質の維持が可能な流れが、出来上がっているのだ。

 

 花田高は、そうした流れが無いにもかかわらず、それなりの成績を出していたということは、丘の手腕も大きいのだろう。

 そして、全国出場を機に、花田高にも流れが生まれるのかもしれない。


「ところで、今日の練習はどうでしたか、進藤先輩」


 酒を注ぎながら、丘が言った。


「気になるか?」

「せっかく見学していただいたのですから、聞きたいですね」

「そうだな……」


 一息で酒を飲み、酒器をカウンターに置いた。


「このままだと、花田は銅賞だな」


 丘の手が、止まる。


「致命的な弱点があるよ、お前達には」

「弱点、ですか」

「それに気がつかないと、銀賞も難しいだろう」

「それ程に」

「答えは、言わないぜ。自分達で考えなきゃ意味がないだろ」

「それは、分かっています」

「なら良いさ。ま、頑張れよ」


 店主が、次の料理を出してきた。進藤は、箸を手に取って、それに伸ばした。

 







 店を出て、タクシーを待った。

 丘は、迎えが来るらしい。


「進藤先輩は、これからどうなさるのですか? また、アメリカへ?」

「いや、こっちで過ごすよ」

「そうですか。住むのは、ご実家に?」

「しばらくは。仕事が安定したら、出るけどな」


 実家は、安川高校のそばだ。


「やはり、仕事は音楽関係で?」

「ああ。最初は個人レッスンでもやるつもりだ」


 吹奏楽をやる学生相手のレッスンと、ジャズをやる中高年相手のレッスンの二つを用意すれば良いだろう。

 昔の伝手を頼れば、すぐ始められるはずだ。


「でしたら、花田にも是非レッスンに来てください。金管セクションを見てくれる人を、何人も当たってみたのですが、中々引き受けてもらえないのです」

「へえ」

「進藤先輩に教えていただけるなら、こちらとしても是非お願いしたいところです」


 すぐに進藤は、頭の中で計算した。花田高には金管奏者が二十人以上いたから、月一回、一人五千円としても、十万円だ。


「悪くない話だな」

「では」

「……まあ、やめておこう」


 丘が、眉を上げた。


「なぜです?」

「花田高は、今はお前の学校だ。そこに、現役にも名が知られてる俺が関わるのは、良くないよ」

「そんなことはないでしょう」

「いや。なるべく部の指導に関わる人間は、花田関係の人間じゃない方が良い。縦の関係が崩れる原因になりかねないからな。セクションを見てくれる人なら、俺も探してやる」


 なおも丘が食い下がろうとしたが、進藤は、笑って丘の肩を掴んだ。


「安心しろ。俺は、別の形で花田高には関わるさ」

「別の形で?」

「ああ。そのうち、また顔も合わす」


 タクシーがやってきて、目の前で停車した。扉が、ゆっくりと開く。


「じゃあ、元気でやれよ」

「……はい」

「また飯行こうぜ。連絡するよ」

「分かりました」


 進藤は、軽く手をあげて、タクシーへと乗り込んだ。目的地を告げると、扉が閉まり、動き出した。

 窓の外の景色が、瞬く間に流れ去っていった。















 安川高校は県内でも屈指のマンモス校だけあって、敷地も広い。

 実家が近いから分かってはいたが、改めて見ると、実感する。

 正門を通ってすぐに、敷地内の地図が描かれた看板が立っている。生徒が使う教室の並ぶ学習棟と、職員室や実習室が並ぶ実習棟に分かれ、グラウンドは三つもあるようだ。体育館に武道場、講義や吹奏楽部の練習に使われる講堂と、設備も豊富に揃っている。

 

 しばらく看板の前で待っていると、鬼頭が校舎の方から歩いてきた。


「響君、久しぶりだね」

「ご無沙汰しています、鬼頭先生」


 久しぶりに見た鬼頭は、随分と小さかった。顔に皴も増え、いつも漲るように立ち上っていた気迫も感じず、一目で、衰えたことが分かる。


「老いただろう、私も」

「そうですね」


 はっきり答えると、鬼頭は小さく笑った。


「だから、俺を呼んだんですよね」

「そういうことだ。ところで、どうだったね、アメリカ生活は」

「面白かったですよ。かなり楽しめました」

「随分、身体がでかくなったな」

「向こうの飯は、とにかく量が多かったんですよ。肉も多めだったし」


 太りすぎないよう、運動もして体型を整えていたが、それでも日本にいた頃よりは、ニ十キロ近く体重が増えている。

 

「音にも影響があったんじゃないかね?」

「はあ、言われてみれば、確かに昔よりよく鳴るようになったかな」

「また響君の音が聴きたいね」

「はは、いくらでも」


 にこりと、鬼頭が微笑む。


「立ち話では何だから、早速、中へ入ろうか」

「はい」


 鬼頭に案内され、実習棟に入る。

 一階の応接室に入ると、男が茶を持ってきた。


「斎藤先生も、座りなさい」

「はい」


 斎藤と呼ばれた男が、鬼頭の隣に腰を下ろす。


「響君、紹介しよう。こちらはうちの副顧問の斎藤先生だ」

「よろしくお願いします、進藤先生。お話は伺っております」

「こちらこそ、よろしくお願いします。それと、先生はやめてください。別に俺は先生ではないですから」


 進藤は、斎藤を見つめた。年齢は、同じくらいか。安川高校で副顧問を務めているだけあって、それなりのものは持っていそうだ。しかし、どことなく弱気な部分が、表情から感じられる。

 鬼頭の陰に埋もれてしまっている男か、と進藤は思った。

 

「花田高は見てきたかね」

「ええ。全国に行くだけの練習はしていました」

「そうだろう。丘君も、成長しているからな」

「金管セクションを見てくれないかと言われたけど、断りましたよ」

「ほう」

「元花田の関係者が増えると、良いことはありませんからね。報酬は、魅力的でしたが」

「なるほどな。で、うちに来てくれたということは、受けてくれるのかね」


 鬼頭の目が、光る。

 進藤はすぐには答えず、出された茶をすすった。

 鬼頭と斎藤が、返事を待って黙っている。ゆっくりと茶を飲み込み、湯呑を、机に戻した。

 

「コーチなら、すでに十分いるのでは?」

「……いや、コーチではない。音楽監督として、君を招きたい」


 進藤は、自分の耳を疑った。

 音楽監督は、バンドにおける特別な役だ。部の指導方針を全て担うことにもなるだろう。それは、正顧問の鬼頭と代わる、ということだ。


「冗談でしょう?」

「いいや。メールにも書いたが、うちは今年、全国大会を逃した。私が、本番の最中に、倒れかけてね」

「……何ですって?」

「病気でね。もう、体力的に限界が来ていて、前のように指揮をすることは出来ない」


 鬼頭が。

 にわかには信じられず、進藤は、自分の顔を手で拭った。


「だから、私は引退することにした。これ以上留まれば、いたずらに周囲を不安がらせるだけだ」

「良いんですか、それで」

「老いには、誰も勝てんよ」


 寂しそうに、鬼頭が微笑む。


「……それで、私の代わりとなる人間が必要なのだ。それは、他ならぬ進藤君、君に頼みたい」

「何故、俺に? 斎藤先生がいるじゃないですか。他のコーチだって」

 

 斎藤に目をやる。一瞬目が合い、すぐに、逸らされた。


「私の存在が強すぎた。今うちにいる指導者は、斎藤君も含めて、全員が優れた力量を持っている。しかし、それは私の下にいるから発揮できていたものだ。いきなり頂点に立って、全ての責任を負えるだけの者は、いない」


 鬼頭が言った。


「進藤君が音楽監督で、斎藤君が正顧問。メインの指揮は進藤君。その他のコーチはこれまで通り。そして全ての指導者が、進藤君の下につく。これが、我々から提示させてもらう依頼内容だ」

「斎藤先生は、それでよろしいので?」


 黙っていた斎藤が、頷いた。


「全員が納得している」

「しかし、俺のような無名の人間に」

「君が表に立ってこなかったから無名なだけで、実力は私が知っている」


 進藤は、黙って腕を組んだ。


 鬼頭の誘いは、昔からだった。中学時代には、すでに声をかけられていたのだ。 

 当時の進藤は、奏者としてはそこそこ注目されていて、三年生の二学期頃に、鬼頭が直接学校へ来た。安川高校への進学を誘われたのだ。あれが、最初だった。

 鬼頭は何度も学校へ来てくれたが、結局その誘いを断り、花田高で吹奏楽を続けることを選んだ。高校になってからは特に声をかけられることもなかったが、卒業後、芸術大学に進学してからは、また鬼頭に誘いを受けるようになった。

 今度は生徒としてではなく、コーチとしてだった。


「先生にお誘いをいただくのは、何度目ですかね」


 鬼頭が、笑った。


「二十五回目だな」

「数えてたんですか」


 思わず、進藤も笑っていた。


「……お受けいたします」


 短く、言った。

 コーチとしてか音楽監督としてかの違いはあったが、本当は、帰国するとなった時から、鬼頭の誘いは受けるつもりでいた。

 それが、長年待ち続けてくれていた鬼頭への恩返しだった。


「ありがとう、響君」


 鬼頭が、言った。


「簡単な仕事ではない。報酬も、無いに等しい。割りに合わない仕事だろう。それでも、よろしく頼む。私も、全力でサポートさせてもらう」


 鬼頭と斎藤が、深々と頭を下げた。


「引き受けるからには、全力でやらせてもらいます」


 これまでで一番重い仕事ではあるが、間違いなく、面白くなるだろう。キッズバンドのような趣味のバンドとは、目指す方向性も違う。やり方も、変わってくる。

 進藤の頭の中では、すでに、どうバンドに関わっていくかの方法が、組み立てられ始めていた。

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