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青春ユニゾン  作者: せんこう
高校二年生・成長編
270/444

十二ノ序 「ヒビキ」

「オーケー、良いね。君達、最高だよ。イカした音してるし、何よりテンションが良い。音楽は楽しくなきゃね」


 曲が終わって、全体に向けて言った。

 楽器の構えを解いたこども達が、にんまりと笑う。

 数年前から、月に一度教えている、キッズバンドのレッスンだった。一回二時間で、様々な曲を練習する。主にジャズをやり、年に一回、町のフェスティバルで演奏を披露するのだ。


「ヒビキ! 次は『茶色の小瓶』が良い! やろうよ!」

「お、ジョン、良いね、やろうか」

「やった!」

「じゃあ、皆、準備は良い?」


 こども達が、返事をした。

 頷いて、指でカウントを取った。ピアノとストリングベースの軽快な音から始まる、穏やかで明るい調子の曲である。ジャズのスタンダードで、こどもでも演奏しやすい。

 楽譜は、ない。見るのは最初に配った時くらいで、後はずっと暗譜だ。一度暗譜してしまえば、いつでも演奏できる。


 基本のパターンを繰り返しながら、サックスのアンサンブルに始まり、各セクションが見せ場を披露していく。

 トランペットのジョンが立ち上がり、ソロを吹いた。十三歳で、トランペット歴はまだ三年なのに、アドリブも軽々とこなす。将来有望な子だ。

 

「フー! ジョン、良いね!」


 嬉しそうに、ジョンが笑った。

 ジョンの後に、トロンボーンのソロが入り、曲は終わった。

 簡単だが、演奏する楽しさを感じられるため、このキッズバンドの定番曲として、練習でも本番でもよく使っていた。


「うーん、良いね。素晴らしいよ。ソロもばっちりだし、皆どんどん上手くなってる」

「ヒビキの教え方が良いからだよ」

「そうそう!」

「嬉しいこと言うね。ありがとう。でも、皆に才能があるからだよ」


 ちらりと、腕時計を見る。レッスンの終了時間は、過ぎていた。


「おっといけない、もうこんな時間。今日はここまでね。じゃあ皆、気をつけて帰るんだよ」

「えー、もっとやりたいよ、ヒビキ!」

「デイジー、気持ちは分かるよ。でも、また次回ね」

「ブー!」


 デイジーの頭を、無造作に撫でる。


「楽しみは、少しずつとね」

「ちぇ、ヒビキのけち!」

「はは、悲しいこと言わないでよ」

「ふん!」


 頬を膨らませながら、デイジーが背を向けた。

 ジョンやデイジーに限らず、こども達は、皆なついてくれている。先生というより、友達に見られている気もするが、構わなかった。自分がどう見られているかよりも、こども達が音楽を楽しむほうが大切だ。


「ヒビキ、またねー!」

「ばいばい、ヒビキ!」

「はい、またね!」


 楽器を片付けた子から、スタジオを出て行く。ジョンも、デイジーも、出て行った。

 一人一人見送り、全員帰ったところで、腕を回して肩をほぐす。大きく息を吐き出すと、扉が開けられた。


「終わったか、ヒビキ」

 

 スタジオの管理人であるマックスだった。


「うん、皆帰ったよ。いつもスタジオを貸してくれてありがとう、マックス」

「良いんだよ。ヒビキのおかげで、このキッズバンドも賑やかになった」

「それは、元々マックスがこども達を教えてくれてたおかげさ。私はそれを引き継いだだけで」

「でも、こども達は、前よりイキイキしてるよ」

「皆、素直な良い子だからね。褒めてあげると、ぐんぐん成長する」


 マックスが笑って、肩を叩いてくる。


「また来月も頼むよ、ヒビキ」

「オーケー、こちらこそ。じゃあ、帰るよ、マックス」

「ああ、またな」


 自分の楽器と鞄を持ち上げ、スタジオを出た。

 今日の仕事は、これで終わりだった。もう帰宅するだけだ。

 歩道を歩いていると、煙たい黒煙をまき散らすピックアップトラップが、道路を走り抜けていった。

 もろに煙を吸い込んでしまい、咳き込む。


「ったく、ちゃんと整備してるのか?」


 呟いて、また歩き出す。

 マックスのスタジオから借りているアパートまでは、徒歩で五分程度だ。何度か角を曲がれば、それでもう到着する。

 階段を上がって、二階の自室の扉の前で止まる。鞄から鍵の束を取り出して、扉を開け、中へ入った。


 玄関のすぐ左にはユニットバスがあり、右手はクローゼットになっている。鞄をクローゼット側の壁に備え付けられたポールにかけ、リビングへ向かう。リビングといっても、一部屋だけの小さな賃貸だ。キッチンもリビングに併設されている。

 安さだけが取り柄の、ボロアパートだった。

 窓際の机から椅子を引き出し、楽器を置いて腰を下ろす。机の中央に置いてあるパソコンの電源をつけて、電子メールのボックスを開いた。


「お、何か来てる」


 新着の電子メールをクリックする。


「鬼頭先生? 久しぶりだなあ」


 日本の安川高校の、顧問からだった。


『響君

 久しぶり。元気にしているか?

 こちらでは、一昨日がコンクールの東海大会だったよ。

 うちは銀賞だった。ちょっと、色々あってね。

 その辺りは、また会った時に話そう。

 それより、花田高は、遂に全国大会に進んだよ』


 目を見開いて、画面を凝視した。


「……マジ?」


『ようやく、君も帰ってこれるな。

 例の件についても、もう一度考えて欲しい。

 話だけでも聞いてもらいたいから、日本に帰ってきたら、すぐに連絡をくれ。

 待っているよ。


 鬼頭』


 息を吐き出し、椅子にもたれる。


「マジか」


 また、呟いた。

 安川高校の鬼頭とは、年に何度か、メールでのやり取りは続けていた。だから、メール自体はどうということもない。それよりも、花田高が全国大会に行ったことのほうが、驚きだった。

 あの丘が、やり遂げたのか。


「まいったな」


 帰国するとなれば、キッズバンドのジョンやデイジー達は、悲しむだろう。マックスにも、謝らなければならない。

 それに、仕事で組んでいるバンドのメンバーにも伝えなければ。


「……でも、ようやくか」


 いつかは日本へ帰国すると決めていたし、マックスにも、それは話してあった。ただ、恐らく実現することはないだろう、とも思っていた。

 だから、単発の依頼ではなく継続性が強いキッズバンドの指導も、引き受けたのだった。


「アメリカに来て、何年だ? 十一年くらいか?」


 慣れない土地だったが、周りの人に恵まれていた。住む場所もあって、仕事にもありつけた。居心地が良くて、このままアメリカ暮らしで終わっても良いとも、思っていた。

 だが、決めていたことは、やらねばならない。


「……帰るか」


 キッズバンドのことは心残りだが、マックスがいれば大丈夫だろう。他の仕事仲間にも、すぐに連絡をしなくてはならない。のんびりやっていると、帰りたくない気持ちが強くなってしまうから、こういうのは手早く済ませてしまうに限る。

 日本を発つときも、そうだった。


 帰国後の仕事は、どうしようか。鬼頭の誘いは嬉しいが、金にはならない。

 もし一か所に留まるなら、レッスンを中心にしたほうが良いだろうし、全国を飛び回るなら、どこかのバンドに入れてもらうのもありかもしれない。といっても、そうそう簡単には雇ってはもらえないだろう。


「ま、後で考えるか」


 いつだって、そうだった。

 なるようになると思っていれば、本当にどうにかなる。

 向こうのことは、向こうで考えれば良い。


「それにしても、丘がねぇ」


 花田高で顧問になったとは聞いていたが、全国へ行けるだけの能力は、持っていないような印象の男だった。最後に会ったのは、多分、十年以上前だから、昔とは変わったのかもしれない。

 久しぶりに、会いに行ってみようか。


「驚くかな」


 堅物の丘だから、意外と、表情も変えないかもしれない。

 想像して、一人で笑っていた。















 妻が運転する車は、会場となっている店の前で停まった。点灯させたハザードが、規則正しく鳴る。

 

「じゃあ、また帰りに連絡する」

「楽しんできてね、金雄君」

「ありがとう」


 車から降りて、扉を閉める。手を振ってきた妻に、小さく振り返し、走り去るのを見送った。完全に車が見えなくなったのを確認して、店の扉を開けると、酔客の賑わいが、丘の耳に飛び込んできた。 


「いらっしゃいませ! お一人ですか?」


 カウンター越しに、店員が声をかけてくる。


「いえ、待ち合わせで」

「あ、丘先輩! こっちです!」


 座敷から、見知った顔が突き出ていた。


「美月さん」


 後輩のホルンだった人だ。今は、駅前で女性向けの雑貨屋を営んでいるそうで、毎年、定期演奏会には客として来てくれている。

 傍まで近寄り、座敷を覗き込む。


「おー! 丘! 遅かったな!」


 高校時代の仲間が、揃っていた。十数人はいるか。思っていたよりも、多い。


「すみません。練習が長引きまして」

「良いって良いって! 主役は遅れてくるもんだよ! 早く上がれよ!」

「はい」


 靴を脱いで座敷へ上がり、空いていた美月の隣に、腰を下ろす。

 

「いやぁ、懐かしいなぁ、丘!」

「ええ、お久しぶりです」

「見た目は随分と変わったが、敬語なのは、相変わらずだな!」


 同期の男が豪快に笑い、周りもつられて、笑い声をあげた。


「癖のようなものです」

「そうかそうか。とにかく、これで全員揃ったし、飲み物を頼もう!」


 店員を呼び、各自好きな酒を頼む。丘は、ビールを頼んだ。

 しばらくして、店員が酒を運んできた。全員受け取って、グラスやジョッキをかかげる。


「それじゃあ、香耶ちゃんに乾杯の挨拶をお願いしよう」

「えっ、私ですか?!」


 隅に座っていた香耶が、自分を指さした。毎年、定期演奏会のステージマネージャーとして、手伝ってくれている同期だ。現役時代には、部長だった丘を、副部長として支えてくれていた。


「そりゃそうだよ! 頼むよ、幹事!」


 香耶と美月の計らいで、急遽用意された会だった。集まっているのは、丘の代から上下二世代までの人達だ。主役の丘は絶対に来い、と言われ、平日だが参加していた。


「じゃ、じゃあ……」


 香耶が、立ち上がる。


「皆さん、急な誘いだったのに、集まってくれてありがとうございます。我らが丘君と花田高吹部が、十数年ぶりに全国大会に出場決定ということで、そのお祝いに、今日は盛り上がりましょう。乾杯!」

「乾杯!」


 ジョッキやグラスが打ち鳴らされ、丘は一息にビールを飲み干した。冷えたアルコールが、喉を潤していく。


「いやぁ、全国突破! ホントめでたいですねぇ~。長年見守ってきた私は、めちゃくちゃ嬉しいですよ」


 美月が、空になった丘のジョッキへ、ビールを注いでいく。


「私も、未だに信じられません。夢のようですよ、美月さん」

「自信なかったんですか?」

「……正直に言えば、金賞になる自信はありましたが、代表となると……どこの学校も素晴らしい演奏をしていたので、厳しい大会でした。運に助けられましたね」

「聞いたよ! 安川高校が、銀だったんだってな」


 同期の男が言った。


「ええ。鬼頭先生が、指揮の最中に倒れかけまして」


 場が、どよめいた。


「マジ!?」

「鬼頭先生が?」


 丘が現役だった頃から、鬼頭は指揮を振っていた。当然、ここにいる全員が、鬼頭を知っている。当時から、優秀な指揮者として全国的にも名を知られていた。


「俺はネットで見てたから知ってたぜ。あの鬼頭先生がってことで、結構、話題になってたよ。安川高校は、これからどうなるんだろうな」

「まだ鬼頭先生から直接お聞きしてはいませんが、きっと、これまでのように振り続けることは、難しいでしょう」


 本人も、以前のように長く練習を見ていられなくなった、と嘆いていた。この先、安川高校が今のレベルを維持するには、鬼頭の指導時間は減らせないはずだが、無理をすれば、また倒れてしまいかねない。周りが、それを許さないだろう。

 何か方法を考えるのだろうが、鬼頭は、どうするつもりだろうか。


「結局、全国に行くのは、うちと、あとどこ?」

「鳴聖女子と、浜松開央です」

「ああ、その二校なら納得だわ」

「昔っから怪物校だよなぁ」

「今年の鳴聖女子は、『ベルキス』でした」

「勝負の曲だな」

「安川にもしアクシデントが無ければ、うちは危なかった、ってことですか?」

「ええ」


 丘は、頷いた。

 東海大会の順位は、鳴聖女子が一位で、浜松開央が二位だった。花田高が三位で、四位の学校との点差は、わずか一点だった。かなり、ギリギリの結果ではあった。そこに安川高校も食い込んでいたら、どうなっていたか。


「……だとしてもさ、代表圏内に入れるだけの演奏をうちがしてなかったら、そもそも、この運だって向いてこなかったわけじゃん」


 香耶が言った。


「だから、これだって立派な実力だよ。鬼頭先生のことは心配だけど、素直に結果を喜ぼうよ」

「……だな! そのために集まったんだしな!」

「そうですね」

「丘、ジョッキ空じゃねえか。もっと飲めよ、主役だぞ」

「いや、私は」


 明日も仕事がある、と言いかけたが、同期の男が、ビールを注いでくる。


「遠慮すんな」


 仕方なく、三杯目も、一息に飲み干す。


「ちょっと、あんま丘君に飲ませちゃ駄目だよ。明日も部活なんだから」

「いーや、こいつは固すぎる。どうせ生徒にも固いって言われてるだろ?」

「そんなこと、ありませんよ」

「私、お客さんに現役の子がいるけど、丘先輩のこと、めっちゃ生真面目で固い人だって言ってましたよ」


 美月が言った。

 現役とは、誰のことだろう。


「やっぱりな。今日は飲ますから、覚悟しとけよ」

「勘弁してください」


 笑い声が上がって、また、ビールがジョッキへと注がれていた。注がれると、つい、飲み干してしまう。

 自分では、酒に強い方だとは思うが、このペースだと、二日酔いになりそうだ。

 考えているうちに、また、ジョッキは黄金色の酒で一杯になっていた。

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― 新着の感想 ―
[一言] このヒビキって多分アノ人ですよね。 もし丘が来年転任してその後任になるなら面白いけど、鬼頭の後任になるようだと怖いです。 あと香耶ちゃんが嬉しくて泣いちゃいそうw 丘と同い年なので三十………
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