九 「依存」
十月にもなると、夏の暑さは完全に去り、秋の空気が充満している。蝉の声も消え、静かな季節がやってきた。
日溜まりになった絵本室で、美奈は、洋子と過ごしている。絵本を読んでほしいと言われ、読み聞かせているところだ。
洋子は、じっくりと絵本を読む子だった。美奈が一つの頁を読み終えても、絵の隅々まで眺め、満足するまで頁をめくらせようとしない。
随分と、絵本が好きらしい。一度読んだ絵本でも、何度でも読み返したくなるらしく、この本を読み聞かせるのは、もう三度目だった。
最後の頁を読み終えると、満足した顔で、洋子が笑った。
「ありがとう、美奈お姉ちゃん」
「うん」
本を閉じて脇に置くと、洋子が、美奈の腕にくっついてきた。
「コウキ君、来ないね」
「クラスで忙しいのかも」
「そっか」
夏休みが明けてすぐに、コウキと共に、洋子と出会った。それ以来、図書室に来る度に、絵本室を覗いてはいた。大抵、洋子はそこにいて、絵本を読んでいた。
初めのうちはほとんど会話もなかったが、一緒に過ごすうちに、なつかれた。
「美奈お姉ちゃん、今日も学校終わったら、遊んでくれる?」
「良いけど、クラブは?」
この学校では、四年生になると全員何かしらのクラブに入る決まりで、洋子は、バドミントンクラブに所属している。
「今日は休む」
「行きたくないの?」
「美奈お姉ちゃんといたいの」
「……そっかぁ」
洋子は、クラスにもあまり友達はいないようだった。人見知りの激しい子で、会話も苦手らしい。そういう子こそ、クラブ活動で友達を作った方が良い気もするが、他人が無理強いするものでもない。
最近では、コウキとコウキの親友である拓也を交えて、四人で遊ぶこともあったし、美奈についてきて、智美や里保と遊ぶ時もあった。
智美と里保には妹がいて、智美の妹である華は、洋子と同学年だ。それで、華に紹介した。最近では、華とも話はするらしい。
「洋子ちゃん、華ちゃんとは遊ばないの?」
「華ちゃん?」
「そう。同学年の子とも、遊びたくならない?」
「……まだ、話すの慣れてないから、誘えない」
「でも、華ちゃんのこと、嫌いじゃないんでしょ?」
「……うん」
「勇気出して、誘ってみたら? 友達は、大切にした方が良いよ」
「華ちゃん、お友達多いもん。クラブも忙しそうだし。それに、美奈お姉ちゃんがいるし、コウキ君もいるからいい」
「でも、私達はあと数ヶ月で卒業しちゃうし」
「……分かってるもん」
はっとした。洋子が、頬を膨らませている。
「ごめん、やなこと言ったね」
「……美奈お姉ちゃんも、コウキ君も、五年生だったら良かったのに」
小さな呟きだったが、美奈には聞こえていた。
洋子は、美奈とコウキに依存しかけている。いじめから救ってくれて、自分を気にかけてくれる存在だから、安心できるのだろう。だが、そのせいで、洋子が他の子と向き合う機会が、失われている気がする。
きっと、このままでは駄目なのだろう。
ようやく心を開いてくれるようになって、明るい一面も見えるようになってきたのに、美奈とコウキがいなくなったら、また心を閉ざしてしまうかもしれない。
「洋子ちゃんが?」
「うん。洋子ちゃんは、私達に依存しはじめてる」
教室で、先ほどの洋子のことについて、コウキと話していた。
「同学年に友達作らないと、洋子ちゃんのためにならないんじゃないかな」
「それは、何となく俺も感じてはいたけど……華ちゃんは?」
「まだ、あんまりみたい」
「そうか」
コウキと智美は、五年生までは仲が良かったのだという。それで、妹の華も知っているらしい。クラブも、同じだったようだ。
「こればかりは、本人の気持ち次第だからな」
「分かってる。でも、完全に依存しちゃうと、私達が居なくなった後、洋子ちゃんは学校を嫌いになるかも。今でも、好きではないだろうけど」
「それは……まあ」
「何とかしてあげたほうが、良いと思う」
「うん。少し、考えてみるよ」
「……クラスのことで忙しいのに、ごめん。私が解決できればいいんだけど」
「良いよ。美奈ちゃんは、いっぱい協力してくれてるじゃん。それで助かってるから」
コウキが、笑いかけてくる。
気を、遣わせている。
コウキの手伝いをするとは言ったものの、実際のところ、あまり役立っている気はしない。
結局、コウキは、一人で先に進んでいるのだ。
夏休みが空けて一週間くらい経った頃に、クラス内でコウキと美奈の関係を茶化すようないたずらが起きた。
それも、コウキは、何でもないことのように解決してしまった。
あの時はまだ、コウキと積極的に話しているクラスの女の子が美奈だけだったから、あんなことが起きた。だが、今はもうほとんどの女の子が、コウキと話すようになっている。
コウキだけではない。他の男の子だって、話す回数が増えた。
クラスメイトの関係性が、変わってきている。
それは、以前の時間軸と同じだった。
コウキは、特別なことはしていない。挨拶は必ずして、些細なことでも話しかけ、複数人で会話するようにしている。それだけで、段々とクラスメイト同士が仲良くなっていくのだ。
共通の話題を出したり、一緒に遊ぶ。そうやって、人をまとめていく。決してわざとやっているように感じさせないさりげなさで、大人の美奈からしても、目を見張るような立ち回りだった。
ただの十二歳の男の子が、そこまでして見せる。
それは、よくあること、なのだろうか。
「どうしたの、美奈ちゃん」
コウキが言った。
「何でもない。考えごと」
「いっそ、土日に洋子ちゃんと華ちゃんも誘って遊びに行くとかどう?」
「え」
「二人が一緒に遊ぶ回数が増えれば、仲良くなるだろ。土日ならクラブもないし。あ、でもそうなると、中村さんも来るよな。そしたら、俺は行けないか」
コウキと智美は、仲が悪かった。
確か、前の時間軸では、中学三年生の頃には仲直りをしていたはずだ。しかし、今はまだ、コウキが里保をいじめていたことの影響が続いていて、ぎくしゃくとしている。
里保には謝罪を済ませ、関係は改善しだしている、とコウキは言っていたが、智美とは、相変わらずらしい。
智美からは、コウキとの関係について聞かされたことはなかった。あまり、触れたくない話題なのかもしれない。
「コウキ君、なんで智ちゃんとは仲直りしないの?」
美奈の問いかけに、コウキが身体を固くした。
「なんで、って」
「里保ちゃんや喜美子ちゃんみたいに、話しかけていけば?」
「いや、まあ、うん」
「別に、智ちゃんをいじめていたわけじゃないんだし」
「そうなんだけど」
仲が悪くなったのは、五年生の時だという。それまでは、二人で遊ぶこともあったくらい仲が良かったそうだ。
幼馴染とか家が近所というわけでもないのに、親密だった。なのに、今は互いを避けている。
二人の関係性が、美奈には、良く分からなかった。
「怖いの?」
コウキが、目を見開いた。
「智ちゃんと向き合うのが、怖いの?」
「……なんで?」
「いじめていた里保ちゃんや喜美子ちゃんには、ちゃんと向き合えてる。なのに、そうじゃない智ちゃんのことは、避けてるから」
「別に、避けてないよ」
「そうかな。なら、話せば良いのに」
「……もういいよ」
言って、コウキが立ち上がる。
「その話は、またにしよう。洋子ちゃんのことは、別の方法を考えておく」
それで、話は終わった。
また、やってしまった。直接的に言いすぎるのは、美奈の悪い癖だった。人間関係の厄介事を振り払い続けているうちに、いつの間にか身についたのだ。今まで、これで何度も失敗してきたのに、まだ身体に染みついている。
出来ることなら、コウキと智美には仲直りしてもらいたいが、美奈が間に入って、何とかできるのだろうか。ほとんど人と関わらないで生きてきた人生だったから、周りより長く生きているとはいえ、役に立つ知識はない。
上手くやらないと、余計に関係を悪化させることにもなりかねない。
焦らずに、動くしかないだろう。




