十一ノ四十 「東海大会 結果発表」
吹奏楽コンクールでは、本番が終わると、プロのカメラマンによる写真撮影がある。
パート毎に撮影したり、全体で撮影して、後日気に入った写真を購入できるのだ。
「はーい、おっけーです! 次はトランペットパートさん、お願いします!」
「来た来た~!」
逸乃と月音が、はしゃぎながら撮影場所へ向かう。
みかも入れたら良かったのだが、撮影は、本番に出た部員で撮ることになっている。
「まずは一枚撮ります!」
六人で横に並び、トランペットを胸の前で持った。
「良い笑顔ですねぇ! はい、行きます!」
合図とともに、フラッシュが焚かれる。
「……はーい、おっけーです! もう一枚、お好きなポーズで撮ります!」
「どうします、逸乃先輩?」
「んー。ありきたりなのは嫌だなぁ。誰か良い案! すぐ!」
逸乃が言った。
「なら、面白さに全振りしましょう!」
心菜だ。
「おけ、それでいこう」
「じゃ、皆でコウキ君に抱きつこ!」
「っ、はぁ!? 何言ってるんですか、月音さん、嫌ですよ!」
「それだ!」
「ちょ、逸乃先輩!?」
「はい皆、くっついてくっついて!」
わらわらと、五人が身体を密着させてくる。莉子や、万里までだ。
「いやマジで!? やめましょうよ!」
「いや、もう時間ないからこれでいくよ!」
「ええ……」
「いや君モテモテだねぇ! 良いねぇ! 良いよぉ!」
悪ノリしたカメラマンが、清々しい笑顔を浮かべている。
周りの部員の笑い声が、恥ずかしい。
「女性の皆さん、良い笑顔だねぇ! モテモテの彼だけ、顔が固いよ! ほらほら笑ってぇ!」
「ほら、コウキ君!」
「わ、分かりましたよ」
顔が、熱い。もしかしたら、赤くなってしまっているかもしれない。鼓動も、早くなっていた。
コウキは、女性に触れられ慣れているわけではないのだ。
身動き取れないまま、どうにか笑顔を作り、カメラに向ける。
「良いねぇ! はい、撮ります!」
「いえーい!」
シャッター音と、フラッシュ。
「……はーい、おっけーです! 次はホルンパートさん、お願いします!」
「はいどくよ~」
逸乃が言って、皆が身体から離れていく。コウキは、ほっと息を吐き出して、歩きだした月音に近づいた。
「月音さん、覚えててくださいね」
「え~、何がぁ?」
「こっちはめちゃくちゃ恥ずかしかったんだぞ」
「んー、ちょっと何言ってるか分かんないなぁ?」
とぼけた顔を見せられて、コウキは、指で月音の額を弾いた。小さく、悲鳴が上がる。
「いたぁい!」
わあわあと文句を言う月音を無視して、撮影場所から離れると、幸と智美が近づいてきた。
「鼻の下伸ばして、やらしいんだ、コウキ君」
「の……伸ばして、なかっただろ」
「どうかなぁ?」
「リーダーたる人間が、女の子達に抱きつかれたくらいでデレデレするなんて、はあ情けない」
「智美」
「信頼が揺らぐね」
「ラッパの皆に言えよ! 俺は恥ずかしかったんだぞ!」
「そんなこと言って、内心嬉しかったくせに」
「それはっ……」
「はい、図星ー。あーあ、やらしいなあ、コウキは」
「やらしいやらしい。写真が楽しみだねぇ」
にやにやする二人に、コウキは言い返せなかった。
嬉しいかと聞かれれば、女の子に抱きつかれたのだから、それは当然、そうだろう。だが、恥ずかしかったのは事実だし、断じて鼻の下は伸ばしていなかったはずだ。
「何なんだよ……」
「おい、コウキ。お前、羨ましすぎだろ。どんだけだよ」
今度は、勇一が傍に来て言った。
「……俺に言うな」
「美味しい思いしやがって」
「知るか。勇一には、美喜さんがいるだろ。美喜さんにしてもらえ」
「まあな? でもそれはそれ、これはこれ。羨ましいもんは、羨ましい」
智美が、顔をしかめた。
「うわ、最低。将来、奥さん放置してキャバクラに行く系のやつだ。美喜に言いつけてやろ」
「お、おいおい、ちょいちょい、智美さん。へへ、ヤダな、冗談じゃないっすか」
「どうだか」
「言ってみただけですよ、本気なわけないでしょ」
「すり寄ってきても、駄目だからね」
「そこを何とか……コウキからも、何とか言ってくれ」
「さあね。彼女を大事にしないなら、告げ口されても仕方ないな」
「おい!」
「ねー美喜ー!」
「わー待て待て!」
揉み合う智美と勇一を見て、コウキは笑った。
意外と、この二人は仲が良い。智美は男の子に抵抗が無い性格だし、勇一も女の子に慣れているからだろう。リーダーで関わることが多いからというのも、あるかもしれない。
その後も、しばらく雑談をして待っていると、最後の打楽器パートの撮影も終わり、全体撮影の声がかかった。
「撮影台に詰めてお並びください!」
「後がつかえるから、さくっと並ぶよー」
「はーい」
摩耶が言うと、全員、素直に聞く。写真撮影はコンクールの度にしているから慣れたもので、すぐに並び終えた。
カメラマンが、カメラを覗きながら、手を動かす。
「コントラバスのお二人、もうちょっと寄ってください。もうちょっと。あと少し……はい、そこで良いです! それじゃあ、何回か撮ります! 行きますよー、皆さん笑顔で!」
フラッシュが、二度、三度と焚かれる。三度目で、カメラマンが、両腕で大きく丸を作った。
「……はい、おっけーでーす! これで全て終了です! お疲れ様でしたー!」
「ありがとうございました!」
次の学校が撮影に来るため、カメラマンに礼を言って、すぐにその場から移動する。
写真は、数週間すると学校に見本が届くから、その中の好きなものを選んで購入する仕組みだ。
「コウキ君、写真買う?」
隣にいた万里が言った。
「全体のは買うよ。パートのは、恥ずかしいからなあ」
「でも、良い写真になったんじゃないかな?」
くすくすと、万里が笑う。
「橋本さんまで悪ノリすんだもんなあ」
「ごめんね、面白くって。嫌だった?」
「嫌じゃ、ないけど」
「良かった。私は、あの写真買おうかな」
「えー……パート外に漏洩しないように、お願いしますよ?」
「うーん……善処、します?」
「それ、絶対漏洩するやつじゃん……」
また、万里が笑った。
安川高校の本番中に、鬼頭が倒れかけたという話題で、客席は持ち切りだった。
前半は、そのまま行けば確実に全国行きだっただろう、と思われるほどの神懸かった演奏だったらしい。だが、自由曲の中盤で、それが起きたのだという。
実際に演奏を聴いたわけではないから、安川高校の審査がどうなっているのか、コウキには見当もつかない。
メンバー外の子や涼子の話だと、かなり乱れた部分があったらしいから、減点は確実に起きているだろう。それでも、顧問が倒れかけたのに、誰一人演奏を止めずにいられた精神力は、ちょっと高校生とは思えない。
安川高校も、それだけ全国大会へかける想いが強かったのか。それとも、こうなるかもしれないと、全員が心構えをしていたのか。
コウキ達は一階席の右端に座っていて、安川高校は一階席の中央付近に集まっていた。客席に座る彼らの様子は、明らかに沈んでいる。鬼頭が病院へ行ったらしいから、その心配もしているだろうし、結果についての不安もあるからだろう。
陽介や安川高校のトランペットの人達に、声をかけてあげたいが、今は見守っていることしか出来ない。
そのうちに、ブザーが鳴り、舞台上に各校の代表生徒が姿を現した。
「きたな」
勇一が言った。
「ああ」
結果発表の時間だ。
摩耶と理絵は、雛壇の上で真っすぐに前を見て、直立している。少し、理絵の表情が固いか。摩耶は、さすがの落ち着き具合だ。
大会の役員も出そろって着席すると、司会の男が出てきて、マイクをオンにした。
「お待たせいたしました。それでは、表彰式を始めます」
役員の話が始まったが、表彰式の開始時間が押していたからか、いつもより短かった。
そのほうが、ありがたい。こちらは、早く結果が知りたいのだ。
「それでは、本日の審査結果を発表してまいります。プログラム順に発表いたしますが、金賞と銀賞の聞き間違いを防ぐため、金賞の場合には、頭にゴールドをつけて発表させていただきます」
静まり返った会場に、司会者の声が響く。
出演順一番の学校の代表二人が、役員の前に並んだ。
「プログラム一番、三重県代表……」
銀賞。
拍手が鳴り響き、役員による表彰状の読み上げが行われる。読み上げは一番だけで、二番以降は、賞状と表彰盾を渡されて礼をするだけだ。
「プログラム二番、長野県代表……銀賞」
学校名が呼ばれ、表彰されていく度に、代表生徒の列が前へ進む。
三番、四番。次々に結果が発表されていく。
「俺達、金かな、コウキ」
「さあな……自信は、あるけど」
「まだ、一校も金が出ないな」
結果発表は六校目まで終わった。全て、銀賞である。
「七番、岐阜県代表……ゴールド金賞」
歓声が上がった。
「おっ」
「一校目だ」
「金は全部で何校だと思う、コウキ」
「どうだろう。八か九くらいか?」
「その中の、三校か」
「鳴聖女子は、行くだろうな」
「そりゃ、行くだろ。あの演奏だし」
鳴聖女子は十九番目で、コウキも勇一と共に、客席で聴いていた。
その演奏は、あまりにも圧倒的だった。
『シバの女王ベルキス』は、高校吹奏楽界では、伝説として語り継がれている曲である。過去三度、鳴聖女子はこの曲で全国金賞を得ており、鳴聖女子がこの曲を選ぶ年は、それを可能にする最高のメンバーが揃っていることを意味する。
「十一番、三重県代表……銀賞」
拍手。次が、安川高校だ。
コウキは、少し身体を動かして、姿勢を変えた。
「十二番、愛知県代表、安川高等学校」
司会者の声が、一瞬止まる。それが、言いにくくて詰まったというように、コウキには感じられた。
司会者が、ふ、と視線を下げ、口を開いた。
「……銀賞」
安川高校の生徒達から、悲嘆の声が上がり、会場が大きくざわついた。
「マジ?」
「銀、安川が?」
「嘘でしょ」
「ご静粛に、お願いします」
司会者の制止が入っても、会場は静まらない。
コウキも、安川高校の結果は予想外だった。これで、安川高校の三年連続出場は、無くなったということだ。
視線を、安川高校の方へ向ける。天を仰ぐ子、俯く子、頭を抱える子。様子はそれぞれだが、皆、涙を流している。
あの姿は、数十秒後の自分達かもしれない。
それ以上見ていられず、コウキは舞台に目を戻した。
「結果発表を続けます。十三番、静岡県代表……ゴールド金賞」
二階席の一角から、歓喜の叫びが上がった。
これで、金賞は三校目だ。
摩耶と理絵が、役員の前に立つ。
「十四番。愛知県代表、花田高等学校」
「ゴールドゴールドゴールド……!」
勇一が、両手を組みながら、呟く。
空気が、重たい。それに、間が、異様に長い。早く結果を言ってくれ、とコウキは思った。
自分の感覚が、そう感じさせているだけなのか。実際には、間は無かったのかもしれない。
そんなことは、どうでも良かった。
心臓の鼓動は、止まっているかのようにゆっくりと感じられる。
呼吸をすることも、忘れていた。
そして、司会者の口が、大きく開けられた。
「……ゴールド金賞」
瞬間、司会者の声をかき消すかのように、部員達が叫んだ。
コウキは、反射的に、拳を強く握りしめていた。
「金だ、コウキ!」
勇一が、頬を紅潮させながら言った。
「ああ!」
「十五番、長野県代表……」
司会が、結果発表を続けていく。
部員で、互いの顔を見合った。
また、ここまで来たのだ。自分達の手で、ここまで。
全国大会出場が、目前まで来ている。
結果発表は最後の二十番まで終わり、全て出そろった。金賞は八校で、鳴聖女子も、やはり金賞だった。
「次に、第五十五回全日本吹奏楽コンクールへの推薦団体を、大会長より発表いたします」
三つの大きなトロフィーが運ばれてきて、用意されていた机に置かれる。全国大会へ進む三校だけが貰える、栄光の証だ。
紙を持った男性が、マイクの前に立った。
「皆さん……今日、一番に緊張されていますよね。私も、緊張しています」
会場から、笑いが起こる。コウキには、笑う余裕はなかった。
少し微笑んで、大会長が、言葉を続ける。
「今日は、演奏中のアクシデントなどもありました。それでも、全ての学校が演奏を終えられたことを、私は称えたい。例えどのような結果であっても、皆さんには、自分達の演奏に誇りを持って欲しいと、私は思います。今日、皆さんの演奏をこの場で聴けて良かった。ありがとう」
会場から、自然と拍手が巻き起こる。それは、今日この場で競い合った出場者が、互いを称え合う拍手だった。
コンクールは、明確に勝敗が決まってしまう場だが、だからといって、他校は敵というわけではない。自分達より優れた演奏をする他校がいて、それを超えようと努力する。その繰り返しが、音楽を更に深めていく。
出場者は、互いに刺激を与えあい、より高い次元の音楽を目指す、同志なのだ。
拍手が止んで、会場に静けさが戻ると、大会長が再び口を開いた。
「それでは、結果発表は、間違えが起きないように……出演順に、発表いたします」
会場から、音が消える。この場にいる誰もが、息を呑んでいるのだろう。
コウキは、目を閉じて耳をすませた。
「一校目……」
この時間軸に渡ってきて、コウキは、以前にも増して吹奏楽に打ち込むようになった。
五年。もう、それだけの月日が経った。
長かったようで、あっという間だった。
ようやく、ここまで来たのだ。もう少しだけ、夢を見させて欲しい。
「愛知県代表……」
他には何も要らない。ただ、全国大会へ。
願いは、それだけだ。
「……花田高等学校!」
司会の言葉が耳に届いた瞬間、ぞわりと、全身が大きく震えた。
部員が、叫ぶ。まさに、絶叫だった。
目を、かっと見開き、立ち上がって叫びそうになったのを、コウキはぐっとこらえた。両手を握りしめ、爆発しそうな喜びを、必死で留める。
夢が、叶ったのだ、と思った。
勇一の頬を、涙が伝っている。
いつの間にか、自分も泣いていることに、コウキは気がついた。
勝手に、流れだしていた。手の甲で、それを拭う。熱を持った涙の粒が、肌に染みこんでいく。
拭っても、拭っても、涙は溢れだしてくる。
前の時間軸で高校を卒業した時、コウキは、トランペットを吹くことをやめた。
後悔ばかりが残ってしまったからだ。ああしていれば、こうしていればと、過去を振り返っては、苦い気持ちに包まれていた。
高校卒業から、時間にして、十五年。
過去の思い出を変えたいと願い、薬を飲み、実現するために努力し続けてきた。その成果が、今、確かなものとして表れた。
全国大会、出場。
これは、現実だ。
花田高の夏が、続くのだ。




