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青春ユニゾン  作者: せんこう
高校二年生・コンクール編
262/444

十一ノ三十九 「東海大会 花田高校」

「最後に、もう一度チューニング合わせておきましょうか。Aグループから、B♭を」

「はい!」


 丘が手を振り、合わせて低音セクションがB♭を鳴らす。もう一度丘が手を振り、中低音セクションが乗る。ハーモニーに、歪みは無い。三度目で、トランペットやクラリネットの中音セクション、四度目で、フルートなどの高音セクション。

 丘が手を止めるのに合わせて、音が止み、五度目の合図で、全員で鳴らした。


「良い響きです」


 丘が言った。


「さて。いよいよですね」


 ゆっくりと、全体を見回している。コウキも、目が合った。


「私達の悲願である全国大会出場が、目の前まで来ています。この日をまた迎えられて、私は嬉しい」


 コウキも、同じ想いだった。他の二、三年生も、そうだろう。


「ですが、私達の最大の目的は、忘れていませんね?」

「楽しく吹くことです」


 摩耶が答えた。

 

「そうです。我々は、勝つためにここへ来ました。しかし、音楽を楽しめていなければ、その勝利に価値はありません。我々が、我々の音楽を奏でる。その結果が、勝利であるに過ぎない」

「はい」

「楽しみましょう、今、この瞬間を。私達の作り上げてきた音楽を」

「はい!」


 花田高が実力至上主義に陥らず、その音楽が死なずに済んできたのは、この楽しむという前提を、常に持ち続けてきたからだ。

 結果だけを追い求める音楽では、頂には届かない。

 

「いつものように、星野と緒川も、何か」


 頷いて、摩耶と正孝が前に出る。


「じゃあ、俺から」

「ん」


 正孝が、一歩進み出る。


「俺からは、短く」


 手に持っているアルトサックスをちょっと撫で、正孝が、全体を見回す。


「この数ヶ月で、間違いなく、俺達はレベルアップした。学生指導者として、毎日前で聴いてきて、俺はそう確信してる。俺達なら、必ず全国へ行ける。自分達のやってきたことを、信じよう」

「はい!」


 頷いて、正孝は下がった。

 代わるように、摩耶が前に出てきたが、すぐには言葉を発さない。

 ほんの少しの、沈黙。それで、部員の耳は、摩耶の発する声を意識するようになる。

 いつもながら、摩耶の人前に立つ才能は素晴らしい、とコウキは思った。どう振る舞えば、周りの意識が集中するかを心得ている。


「私は」


 摩耶が言った。


「自分を信じてるし、仲間である皆を、信じています。そして、引っ張ってきてくれた丘先生を、信じています」


 丘が、微笑む。


「私達は、全国大会へ行きます。行きましょう。思いっきり楽しんで、どこよりも良い演奏をしましょう。花田高の音楽を、このホールに響かせましょう!」

「はい!」


 にやりと、摩耶が笑った。そして、拳を突き上げた。


「花田高、行くぞー! おー!」

「お、おおー!」


 突然のことで、部員の返しはばらばらだったが、全員、拳を上げていた。

 笑い声が広がる。

 普段の摩耶なら、決してやらないようなことだが、その意外性が、部員の心を解すには抜群の効果だった。

 

 扉が開いて、スタッフから声がかかる。


「では、行きましょう」


 移動を始める部員の顔を、コウキは一人ずつ眺めていった。緊張で駄目になっている子は、見当たらない。

 莉子も心菜も、今は落ち着いている。もう、言葉をかける必要は無いだろう。


 舞台袖に移り、前の学校の演奏が終わるのを待つ。

 二つ前は、安川高校だった。今は、静岡県の代表校が演奏している。

 地元である浜松の高校だから、恐らくこのホールでの演奏も慣れているに違いない。演奏は、さすがと言えるだけのレベルをしている。


「ふーっ」


 コウキは、息を吐き出して、目を閉じた。

 他校は、関係ない。自分達の演奏をするのみ。

 いつも、自分に言い聞かせてきたことだ。

 

「集中しよう」


 自分に向けて、呟く。

 本番は、目前である。



 













 丘は、指揮に関して、常に表現することを心がけてきた。

 惰性で振らずに、一振り一振りに意味を込め、奏者に要求をする。

 いつもより、強く。ここは、引こう。トランペット、出て。ホルン、テンポキープ。

 そうした言葉に出来ない想いを、指揮に込める。

 演奏は常に一度きりで、二度、同じものにはならない。だからこそ、指揮は流動的で、変化する。

 生徒は、それを感じ取って、演奏してくれている。


 この子達は、いつから、これ程までに丘に応えてくれるようになったのだろうか。

 課題曲を振り終えて、丘は思った。

 以前よりも、はるかに生徒の感性は高まっている。丘の指揮の意味を、言葉にしなくても直感で理解し、演奏に反映してくれる。


 完全に、噛み合っている。

 全員の意識が、まとまっている。


 緊張感やホールの纏う空気が、良い方向に作用した時、実力以上の演奏が出来ることがある。

 本番にだけ起きる、魔法だ。

 今、それが起きている。


 スネアドラムの千奈に、目を向ける。千奈が、目で応えた。

 丘は頷き、指揮棒を振った。


 スネアドラムの、目が覚めるような一発のリムショット。金管セクションのE♭の響きが広がり、自由曲の『たなばた』が始まった。トロンボーンを中心とした冒頭のハーモニーは、完璧だ。

 テンポを上げて主部へ移り、シンコペーションの軽快なリズムの中で、爽やかな主題を二度、奏でる。


 だいごが叩くクラッシュシンバルのクレッシェンドに導かれて、曲は場面を変える。

 クラッシュシンバルは、一発一発の音の質が、以前よりも良くなっていた。

 プロの講習会にだいごも参加したことは、摩耶から聞かされていた。何がきっかけだったのかは分からないが、だいごの中で、シンバルに対する向き合い方が変わったのだろう。


 打楽器パートの安定感は、そのまま曲の安定感に直結する。『たなばた』全体を通して、いかに軽快さと躍動感を演出するかが、非常に重要だった。

 打楽器のレベルが上がると、それだけで、ぐっと曲は彩りを増す。


 トロンボーンからクラリネットへ、クラリネットからトロンボーンへ。シンコペーションが効いた楽句が受け渡され、トランペットが、前半部を仕舞う。


 そして、正孝、奈美、幸、元子の四人による、サックスアンサンブル。前半部から中間部へ橋渡しとなる、肝の部分だ。うっとりとするような妖艶な響きが、ここには求められる。


 今日まで、細部にもこだわることを、四人には徹底させてきた。ヴィブラートのかけかた、ダイナミクスの変化量、音の処理。どれ一つとして、曖昧に済まさせなかった。

 

 音が、生きている、と丘は思った。

 これほど極上のアンサンブルが、今まであっただろうか。

 丘は、思わず、口元が緩むのを感じた。

 













 丘が、笑っている。

 コンクールで丘が笑うことは、滅多にないことだった。

 目が合って、よしみは、頷いた。


 ユーフォニアムを構え、正孝の音に耳を澄ませる。

 音での、対話。

 正孝の想いに応えるように、ソロを返す。

 もう、コンクールでのソロは、怖くはなかった。仲間が、よしみのソロを支えてくれている。何があっても、よしみを受け入れてくれる。

 その安心感が、恐怖を消してくれる。


 大事なソロの最中なのに、よしみの頭の中は、不思議と他のことを考える余裕があった。

 良いホールだ。いつも以上に、気持ちの良い響きが起きている。よしみの音に、合っているホールなのかもしれない。

 心地良い残響が、耳をくすぐってくる。


 ソロが終わり、曲は山場へと向かう。

 『たなばた』の中で、よしみが一番好きな箇所だった。打楽器パートの、クレッシェンドを伴ったロールが、否応なしに感情を燃え上がらせてくれる。


 トゥッティで朗々と奏でる、彦星と織姫の甘く切ない、逢瀬の時。

 一年に一度しか会えないという二人は、きっと、その時間を少しでも長く味わっていたいと、毎年思うのだろう。

 よしみも今、そうだった。この極上の響きを、もっと奏でていたい。終わって欲しくない、とすら思う。 


 それでも、曲は先へ進んでいく。摩耶のグロッケンが、きらきらとした時間の終わりを告げ、ひまりのオーボエが仕舞う。

 純也のティンパニが、最終部の始まりを告げるリズムを静かに叩き、千奈のスネアドラムがそこに加わる。


 一転して曲は速度を上げ、金管セクションによるベルトーンと、打楽器パートのリズムの応酬が始まる。木管の跳ねるようなフレーズが間を挟み、シンコペーション楽句が次々と各パートに受け渡されていく。


 打楽器の効果音が華やかさを加え、だいごのクラッシュシンバルが、決めの一発を放つ。

 見事な、一音だった。再び、丘が笑っている。


 前半部で奏でられた主題が戻ってきて、トゥッティで盛り上がっていく。そのまま終わりへ、と思わせて、一旦静まるのが、実に愉快だ。

 ユーフォニアム三人によるソリを経て、理絵と逸乃の抜けるようなファンファーレ調のソロ。

 曲冒頭で用いられたシンコペーションのリズムが再び入り、遂に、エンディングへ。


 楽しい。

 よしみは、心の中で叫んだ。

 胸の中に生まれた歓喜の想いが、音と共に飛び出していく。

 他の皆も、きっとそうなのだ、と思った。今まで以上の解放感が、トゥッティから感じられる。

 

 花田高が大切にしてきた、音楽を楽しむという、根幹。

 想いが、一つになっている。音が、一つになっている。

 これが、音楽なのだ。

 極上の、十二分間だった。

 コンクールで、こんな気持ちになれる日が来るとは。


 放たれた最後の一音は、残響となってホールを巡り、そして、消えていった。

 間髪入れずに、轟音のような拍手が、ホールを覆う。

 楽器の構えを解き、その光景を、ぼんやりと眺める。


 不意に、ずっと忘れていたことを思いだした。

 何故、中学校で辛い経験をしたのに、高校でも吹奏楽部を選んだのか。


 中学校の仲間との思い出は、最後の方は、暗くて、辛くて、苦しいものでしかなかった。そうなる以前には、楽しいと実感できる明るい思い出もあったのに、後悔と悲しみで、塗りつぶされてしまった。


 もう一度、明るい思い出を取り戻したかった。よしみの音楽人生を、暗いままで終わらせたくなかった。

 だから、花田高で、吹奏楽部に入ることを選んだのだ。


 中学時代の後悔は、きっと一生消えないだろう。けれど新しい仲間達のおかげで、乗り越えることはできた。

 音楽が楽しいという想いを、再び感じられるようになった。


「コンクールで、この曲を吹けて良かった」


 口にしていた。


「私もです」


 隣の真澄が答え、久也も、頷く。

 まだ舞台上にいることも忘れて、三人で顔を見合わせ、笑顔を見せあった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 吹奏楽はまったくのシロウトで用語もほとんど分からないけども、それでも文字の羅列から演奏が聞こえてくるような、素晴らしい話だった。 こういうのがすごく好き。
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