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青春ユニゾン  作者: せんこう
高校二年生・コンクール編
259/444

十一ノ三十六 「コンクール前」

 静かな、夜だった。

 いつもなら聞こえる虫の声も、今日は聞こえてこない。

 そう思っていたら、雨が降る音が聞こえ始めた。打ち付ける雨音は、すぐに大きくなり、あっという間に轟音となった。

 久しぶりの雨だ、と逸乃は思った。


 月音に勝った、という気持ちはない。今回も、どちらが『たなばた』のソロに選ばれても、おかしくはなかった。

 逸乃と月音の間にある、ほんのわずかな差を、丘と涼子が見つけたのだろうか。

 選ばれたことを、誇る気にはならない。任されたからには、最良の演奏をするだけである。


 後ろを見ている余裕は、無かった。いつの間にか、追い上げられている、と思った。

 何故それほど伸びるのだ、と言いたいくらい、コウキは成長している。入学してきた当時のコウキは、まだ、少しは吹ける子という程度の印象だった。

 今のコウキは、充分な力量を持っている。気を抜けば、逸乃も月音も、ソロを取られかねない。


 けれど、先輩としての意地がある。卒業までは、コウキにソロを譲るつもりはない。トランペットのトップとして、背中を見せ続けること。

 それが、逸乃の仕事だ。抜かれることなど、あり得ない。


 傍に置いていた携帯電話が鳴って、画面が点灯した。理絵からの着信だった。

 ボタンを押して、携帯を耳にあてる。


「もしもし?」

「もしもし、逸乃? 今大丈夫だった?」

「良いよ、何?」


 理絵からの電話は、珍しかった。

 

「いや、特に用はないんだけど、逸乃と話したくなってさ」

「何それ。なら、別に明日学校でも話せるじゃん」

「ん、そうなんだけど、皆が居る前だと、中々話す時間ないじゃん」


 トランペットとトロンボーンは、合奏では並んで座るし、それぞれのパートのトップを務めている逸乃と理絵は、隣同士だ。その気になれば、別にいくらでも話せるだろう。


「最近さぁ、二年生のレベルが上がってると思わない、逸乃?」

「え?」

「いや、ラッパも、コウキ君とか伸びてるじゃん。万里ちゃんも、メンバーに選ばれたし」

「あの二人は、成長率がちょっと異常だから」

「二人に限ったことじゃないよ。クラの三人組も伸びてるし、モッチーとか、勇一君とか、あと、美喜ちゃんとか」

「あー、美喜ちゃんね、確かに」


 トロンボーンの美喜は、全国大会常連の海原中出身だ。そこでトップを任されていたというだけあって、去年の段階でも技術力は頭一つ抜けていたけれど、ここ最近は、更に進化している。


「私、美喜ちゃんにはそろそろ抜かれるかもなぁって」

「まさか、理絵が?」

「まさか、って程でもないよ。前から感じてたし、私もそうなっても良いと思って、美喜ちゃんに教えてたし」

「確かに成長してるけど、私は、まだまだ理絵の方が上手いと思うけどなあ」


 ソロも、県大会に引き続き、理絵が選ばれている。

 ふ、と理絵が電話越しに笑った。


「ありがと。でも、やっぱり隣で常に吹いてると感じるんだよねぇ。あ、この子まだまだ伸びるなって。私は、最近伸び悩んでるし」

「そう、なんだ」

「私は、私個人が後輩に抜かれる悔しさよりも、部がもっと良くなることが大事だから、二年生がレベルアップしてるのは嬉しいけどね」

「まあ、ねえ。来年、安心して任せられるってことだもんね」


 でしょ、と理絵が言った。

 ただ逸乃は、理絵とは少し違う。後輩に技術で抜かれるつもりは、全くない。後輩達がこれから先まだ伸びるというなら、逸乃は、更に上を行くのみだ。

 将来、プロ奏者になりたいという夢があるし、音楽大学にも行くつもりでいる。そういう目標を持ち、バンドをけん引するトップ奏者として、後輩に負けて良いとは思わない。

 常に自分の音に自信を持ち、上を目指す。逸乃なりの覚悟のようなものだ。

 

「話変わるけどさあ」


 理絵の話は、まだ尽きないようだった。

 そういえば、同期と電話で話すのはいつぶりだろうか、と逸乃は思った。昔から、あまり人と電話をする方ではなかった。

 たまには、長電話も悪くない。どうせ、雨音がうるさくて、考えには集中できそうにもなかったのだ。


「聞いてる、逸乃?」

「ごめん、聞いてるよ。リーダー決めの話でしょ」

「そうそう。それでね」


 理絵の声を聞きながら、逸乃は、窓の外に目をやった。

 今夜は一晩中、雨だろう。

 


 


  







 

「課題曲と自由曲、今日も通しましょう」


 初めに、丘が言った。


「はい!」

 

 短いやりとり。それだけで、息を呑むような静けさが生まれ、図書室内の空気が張りつめていく。

 部員の目は、丘を見据えている。指揮棒が構えられ、振り上げられた。

 軽快な音楽が、始まった。


 コンクールが行われるホールでは、残響というものがあり、音の終わりは、通常より長く残る。対してこの図書室は、響きとは無縁の空間だ。つまり、ここで聴こえる演奏が正解だと思ってしまうと、いざホールで吹いた時に、いつもと違って聴こえて、演奏が乱れる原因となる。

 何処で吹いていても、常にホールで演奏しているイメージを持つ。そうすることで、演奏に残響が加わった時、混乱しなくて済む。


 課題曲が終わり、すぐに、自由曲へと移る。

 スネアドラムのリムショットから始まり、金管のハーモニーへ。何度となく練習して、身体に染みこませたフレーズやリズムが、自然と楽器から放たれていく。


「最初にした演奏が、自分達の実力です」


 今年度になって、丘が何度も言うようになったことだ。 

 本番は、常に一回しかない。間違えたからといって、吹き直すことはできないのだから、最初の一回でどれだけの演奏を出来るかが、重要である。

 コウキも、その考えには同意だった。


 自由曲が終わり、丘の指揮台に置かれていたストップウォッチが止められる。

 部屋に満ちていた緊張感が、一気に緩んだ。


「十二分以内ですね」


 規定時間は、オーバーしていない。曲と曲の間も、問題なかった。


「良い演奏です」


 丘の言葉に、部員から小さく安堵の声が漏れる。通し演奏は毎日していたが、必ず何かしらの指摘を受けていた。指摘を受けなかったのは初めてのことだから、当然の反応だろう。

 丘が、本番が迫っているから、部員に気を遣って世辞を言った、という風には見えない。実際、コウキも手ごたえを感じる演奏だった。


「この調子です。常に本番のつもりで、楽しく吹くこと。忘れないようにしましょう」

「はい」

「私は、この後ちょっと出なければならないので、明日のホール練習の打ち合わせは頼みます、星野」

「分かりました」

「では、今日はこれで」


 理絵の合図で全員立ち上がり、挨拶をする。礼をして、丘は足早に図書室を出て行った。


「じゃあ、ミーティング短くやります。パートリーダーは資料取りに来てください」


 摩耶が前に出てきて、各パートリーダーに紙を配っていく。逸乃が取りに行って、すぐに戻ってきた。


「はい、コウキ君」

「ありがとうございます」


 逸乃から紙を受け取り、内容に目を通す。明日のホール練習と、明後日の東海大会のタイムスケジュールが、細かく記されている。


「動きは全部は読み上げませんので、各自で確認しておいてください」

「はい」

「明日は七時に集合して、楽器下ろしです。すぐに始められるように、今日の帰る前に、必ず全楽器の梱包を終わらせておいてください」

「はい」

「会館への移動は、事前にパート内で決めてある通りに。会館集合は、九時までにお願いします。質問はありますか?」


 誰からも、手は上がらない。


「では、今日はこれで。お疲れさまでした」

「お疲れさまでしたー!」


 すぐに、部員の話し声が、図書室に満ちた。


「ふー、終わった終わった」

 

 左隣に座っていた月音が言い、椅子の背もたれに身体を預ける。


「丘先生、珍しく何も言わなかったね」

「実際、一日練習の後の通しだったのに、良かったですよ」

「だねえ。後は、明日のホール練かあ」

「中ホールとはいえ、土曜日なのによく取れましたよね」


 右隣の莉子が言った。

 いつもは髪を結ったりしない莉子が、今日はポニーテールにしていた。

 海原中の頃からの、名残なのだという。吹奏楽部の女子部員は、本番では大抵ポニーテールにする。髪を結べば、頭皮が引っ張られることになり、慣れていない身体には多少のストレスだ。そうした些細な変化でも、調子に影響するかもしれないから、あらかじめ慣れるために、数日前からやるようにしているらしい。

 思いだしてみれば、これまでも本番が近くなると、莉子は髪を結っていた。


「今年も東海大会に行く前提で、去年のうちに予約してたんだってよ」

「えっ、すごいですね」

「それだけ、先生達も本気だったってことだな」


 休日のホールともなれば、大抵何かしらのイベントで使用されるものだ。確実に使うためには、事前に取っておくことが大切である。

 同期の陽介から聞いた話によると、安川高校は、近隣で使える会館がなかったため、今日からわざわざ遠くの町にまで出ているらしい。

 恐らく、明後日の東海大会に出てくる学校は、どこも今日か明日から、ホール練習をするだろう。遠くの学校は、もしかするとすでに浜松市に乗り込んでいるかもしれない。

 

「さて、と。私は帰ろうかな」


 立ち上がって、月音が言った。


「もうですか?」

「これ以上吹いて疲労が残ったら、明日明後日に音出なくなるかもしれないしね。二人はまだやってくの?」

「あ、私も帰ります」

「俺は、残ります」

「そっか、無理しないようにね、コウキ君」

「はい、お疲れ様です」

「じゃあね」

「お疲れ様です、コウキ先輩」


 離れていく二人を見送って、コウキは図書室を見回した。残っているのは、木管セクションと打楽器ばかりだ。

 金管セクションは、ほとんどの子が練習を終えたようである。月音の言うように、疲労が残らないようにするためだろう。


 コウキは、最後に少しだけ基礎をするつもりだった。やりたい練習は、山ほどあり、時間がいくらあっても足りないのだ。

 結局、東海大会でもソロは得られなかった。月音と逸乃には、まだ追いつけていない。

 もっと、近づきたい。そして、追い越したい。

 そのためには、練習し続けるしかない。

 東海大会が迫っていようと関係はなく、先に向けて、進み続けるのだ。

 

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